全て我が懸念の内(ギリギリ)
「ヨナス? どうしたのこんな夜中に」
エルクス院長の表情には苛立ちの欠片さえ無かった。ヨナスは感心の念を隠して五割増しで必死な声音を作り、
「それが、今、友達が来て、ミーアが夕ご飯を食べる前にお話ししたおじさんに担がれて、子爵閣下の家から出てくるのを見たって―――」
眠気と唐突さでエルクスは理解出来ない。
「えっと……何のお話? 本の話なら明日聞いてあげるから、お部屋に帰りなさいヨナス」
ヨナスは何度も見た学院の子が先生に強く訴える様子をそのまま真似して、
「本じゃありません! 今、ミーアが何処かに連れて行かれそうらしいんです! こんな夜中に! 知らない外から来たおじさんに!
助けに行きたいんです。院長先生、車を出してくれませんか。牛じゃ遅いから走鳥で。それと、騎士様が助けてくれないでしょうか」
やっと理解が追い付いて来た。が、余りに唐突でエルクスはすぐさま動こうとは思えない。大体どうすれば目の前に居る幼児を卒業したばかりの子供が、そんなことを知り得るのか。
「えっと、ヨナス、どうしてミーアが連れて行かれそうだなんて分かるの? 子爵閣下が人をおよこしになった訳じゃない。―――でしょう?」
それなら話は分かる。だがその場合、自分へ連絡に来るのは職員か、子爵の家臣になる。
ヨナスとしては焦って当然の状況と言えた。今も脳裏で二つの点が重なったまま動いており、もう少しで子爵の城を出るのが見えるのだ。或いは子爵家の警備が止めてくれるかと期待していたがその様子もない。自然に事を収めるには少しでも早い対応が欲しい所だ。
しかしヨナスは平静だった。
日本人だった時これだけ窮地に落ち着けていれば、思い出すだけで体が捩れる幾つもの失敗をしないで済んだろうな。などと考える余裕まである。
ただ普通の子供なら焦ってしかるべき状況なので、顔を忙しなく手で擦り焦っているように見せて、
「だから! 友達が教えてくれたんです。昨日帰ってから院長先生にお話ししましたよね変な男がミーアを見ていたって。それで町に住んでる子に、もしそいつが何かしたら教えにきてくれって言っておいたんですよ。そうしたらついさっき来て、男がミーアを担いで子爵閣下の屋敷を出てきたと教えてくれました」
本当に男が城を出たのは今である。しかし問題になる要素は無かった。時計なんて物は滅多に無いので、発言の時間と矛盾するなんて気づくのは不可能だからだ。
ヨナスにとって心配なのはその嘘ではなく、
「友達って誰? 宿屋のミヒャエル?」
予想通り来たこの質問だ。残念ながら誤魔化す以外の手段は思いつけずにいた。
庭で独り芝居をしたのも少しでも話に信憑性を作る為であったが、効果があるかは神のみぞ知る領域。なのでヨナスは勢いで押し流そうと、
「言えません。そう約束したんです。それより院長先生、早く! 今もミーアは男に連れて行かれてるはずです!」
エルクスは頬に手を当て考え込む。結局は目の前の子供の言葉を信じるかどうか。加えて言えば嘘か間違いだった場合の面倒を、庇い切れるかどうかの問題だと結論付け、そしてエルクスはヨナスの考え通り子供に甘い。
「ヨナス。もしこれが悪戯だった場合、わたくしは貴方のお尻を真っ赤に腫れ上がるまで騎士様たちの前で叩かないといけません。それでもいいのですね?」
―――よし。まだミーアは子爵城の門前あたりに居る。
「悪戯!? 私は悪戯なんてしません。しかも騎士様に怒られるような事なんて! ああ、もう! 尻叩きの罰はあとで受けますから、今は早く!」
エルクスは決心を固めた。直ぐに部下を三人叩き起こし、走鳥で一人を騎士の家に走らせる。『子供が見張っていた』だけでは深夜の子爵家を調べられないので、男の宿を調べてもらうのと、二人以上の騎士が自分たちと合流してくれるよう頼めと命じて。
続けて自身でヨナスと万が一の為に獣対策で使う槍を荷車に載せ、残る走鳥に乗った二人と共に町へ急ぐ。
「本当にミーアが攫われたとして、今ミーアが何処に居るのか分かるの? まさか宿には居ないでしょう?」
「分かりません院長先生」
勿論ヨナスの脳裏には濃い緑色の点と濃いオレンジの点が少し離れた後一緒に動いてるのが見えており、昼に見た牛車で移動中と分かっている。
ただ何処に向かうかは分からない。だから今は祈るだけだった。自分たちか先行した先生が男と出会う進路を選びますように、と。そうすればこれ以上自分が目立たずに済むのだ。
十分と経たずにあの方は配慮して下さらなかったようだ。と、思う。
ヨナスは内心頭を抱える。どう考えても不味い可能性が高まっていた。男は誰の進路とも交わらない動きで森へ向かっている。逃げるには不利でも、死体を埋めたり人に見られたくない事をするなら良い場所だ。
動き出してしまったからにはミーアを助けるのは絶対の必須条件だ。さもなければ上位者の子に危害が加えられる最悪の事件で、最悪の目立ち方をしてしまうだけになる。とはいえ素直に相手の位置を知らせては異常。数瞬どう口実を作るか考える。
―――考え付きはしたが、極めて残念な事に良い手とは思えない。が、一瞬一瞬が惜しいので諦めて、
「院長先生! 何か聞こえませんか?」
「ん? どうしたの。何も聞こえない―――と思うわよ?」
「いえ―――気のせいじゃありません。すみません院長先生、鳥を止めてください」
ヨナスは真剣な表情に加えて耳に手まで当て、
「牛の―――声? それと荷車の音―――かなぁ? あっちです院長先生」
「こんな時間に? 本当に聞こえたの?」
「はい。―――凄く小さかったですが。あの男の荷車の音じゃないでしょうか」
「―――向こうにあるのは森だけよ。子供を攫ったら急いで外に出ようとするでしょうしあちらへ行くかしら」
その理論展開は不味かった。余りの状況の悪さについにヨナスも焦りを感じ始める。何を言うべきか迷う。が、大人は一人ではなく三人居た。
「院長。攫ったとは限らないのでは。ミーアは可愛い子です。その、人の来ない森で、という事はあり得るかと。―――ヨナス、本当に聞こえたんだな?」
「はい。でも少しずつ遠ざかってたようで、もう聞こえません」
「そうか。―――多分騎士様も関所へは人を走らせています。そちらへ向かっていれば外へ出てしまった後でもすぐに追手が掛かるはず。私たちは万が一に備えて、逆方向を調べたほうがいいのではないでしょうか?」
ふむぅ、とエルクスは考え込んで、
「そう、ね。そうしましょう。貴方は町へ向かって。多分騎士様と途中で合流出来るから、こちらへ来て下さるようお願いして。わたしたちは音の方へ向かいます」
「はい。承知しました」
エルクスは続けて荷車を引いてる自分たちでは動きが遅いと考え、もう一人の部下を先行させた。もし本当に城から子供を攫えたとすれば極めて危険な人物である。石畳で作られている道を走らず、鳥が鳴かないよう轡を噛ませ、決して見つからないようにと言い付けて。
ヨナスは荷台に座ってぽけっとしてる振りをしつつ内心しきりに頷き、
―――素晴らしい。何故態々三人も起こす手間をかけたのかと考えた自分は浅慮であった。オレらのかーちゃんは有能である。何か間違えてでけぇ男になったら恩返しをしよう。
ヨナスが状況にそぐわずのんきな反省をしている間も車は進む。そして半鐘も経たない内に先行させた走鳥が戻ってきて、
「院長! 本当に行商人らしき荷車がこの先に!」
エルクスは一瞬絶句するも、
「ミーアは、子供の姿は見えた?」
「いいえ。ただ荷車には幌が付いていたのでその中に隠されているのかもしれません。何にせよ怪しいです」
「そうね。―――いいわ。念のため貴方も騎士様を呼びに行って。わたしたちは見つからないようゆっくり進むから」
「分かりました。どうかお気をつけて」
残ったのは争い事と縁の無い大人と子供だけだ。それでエルクスは短時間考えた後ヨナスを見て半分独り言のように、
「ヨナスは帰るべきかしら。本当にあの子を攫ってるなら危険な男だもの」
ごもっともである。しかしヨナスとしては脳裏にミーアの点が男と一緒に見えているのに、先行した先生が見つけられなかったのが気にかかり、帰るのはより不安があった。
「でも院長先生、まだミーアを見つけてません。もしも居なかったら私のお尻を叩かないといけないのでしょう? 騎士様が来て下さいますし、私は離れた所で待ちますから大丈夫ですよ。
それよりお願いが在るんです。私が院長先生にお報せしたのを秘密に出来ないでしょうか? これがバレると誰から聞いたか尋ねられると思うんです。でもアイツの名前は約束だから絶対言えません。なのにもし子爵閣下に聞かれたら―――。
貴族の質問に答えないと、酷く痛い『ゴウモン』をされてしまうんですよね? 私痛いのは嫌です」
「えっと、子爵閣下は良いことをした子に拷問するような方ではないわよ」
「でも私が黙っていたら、やはりお怒りになるかもしれないでしょう?」
「―――もしミーアが見つかっても、子爵閣下にお話ししなくていいの? きっとご褒美に美味しいお菓子か何かくださるわ。例えば―――子爵閣下がお持ちの本を読ませて頂けるとか。ヨナスは本が好きよね?」
一瞬ヨナスが固まる。孤児院に大量の蔵書は望むべくもなく、強力な誘惑だった。
しかし、
―――欲望で身を亡ぼしたら私は呂布だ。子爵家の蔵書なら三貂蝉はあるが我慢しなければ。
と心の中で涙を呑み、
「要りません。本よりもアイツとの約束の方が大事です」
竜の頭蓋骨よりも頑なな様子を見てエルクスは溜息を一つ。目の前の子は基本聞き分けが良いが、偶に信じられないくらい決めた事を変えないのだ。
「いいわ。本当にミーアが居て、子爵閣下から何かご褒美を頂けたら皆の食事が良くなるようお願いしましょう。それでいい?」
その提案を待っていたヨナスは子供らしくこくこくと頷いて見せた。
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