子供の時が終わる

「うん? 良いよ。何言っても嫌わないと約束する」


「じゃ、じゃあ。もし、ですね。わたしと家族になれたら一緒に来てくれましたか? 例えば、無理なんですけど、わたしと結婚するとか―――あ、アニキだってしたいと言ってくれましたよね!?」


 ―――。今生聞いた中で一番の戯言にヨナスの思考が止まる。ゆっくりと眉間を揉み解し、

 途轍もない空手形の誘惑だとヨナスは感じた。もしかしてこいつ一番嫌いな仁義の欠片も無い他人利用系女子なのだろうか。『おもてなし』なんて演説で三兆円の借金作ったのを自慢しちゃうような。とさえ思うが、見る見る本人の顔が赤くなって来たので一応は疑いを消し、

「話が天高く舞い上が―――いや、まって。私は結婚したいなんて言ってないでしょ?」


「い、言いました! ほら、樽の中から助けてくれて、荷車の上でお話ししてくれた時!」


 あーん? 言いはしたが、

「それ嘘だとも後で言ったはずだけど」


「で、でも、ある学院の先生が『人は心の中にある事から喋る』って。だからアニキも少しは、その、わたしと家族になりたいと思ってくれたのですよね」


 ―――うんうんうん。でもううん。

 とりあえずヨナスは良い方に受け止める事にした。可能なら結婚したいとミーアは本心から思ってそうで、これは生涯で一番の光栄であろう。有難いのだ。多分。

 ならば一つ誠意を込めて、つまり現実通り返答する。と決め、

「まず心の中にある事から喋るのはド平民だけ。ミーアがこれから会う人は大体心に全く無い事を喋れるはずだから気を付けてね。次に何事にも例外はあるんだよ。私はド平民だけど、少なくともあの話は完璧に嘘だから」


 声も出ない様子のミーアに、ヨナスも一瞬言葉を止めるべきかと考えた。

 続けると決める。―――どうせもう会わないのだし、何であろうと違う考えを知る方がよろしかろう。


「ついでにもう一つ例外を教えよう。私はミーアと遊び仲間になれて嬉しく思ってる。けど、結婚するのは滅茶苦茶嫌」


 表情まで嫌そうにして言ったヨナスの服を思わず掴んで、

「ど、どうして!? え、でも、アニキはわたしを色々褒めてくれたじゃないですか。あれも嘘だったんですか!?」


「全部本心だよ。だから嫌なの」


 ヨナスの言葉にミーアはますます混乱した。誉めるような相手なら家族になりたいものだと思う。


「私は結婚するなら自分と大体同じような、お互いに結婚できたことを相手へ感謝出来る人が良いんだ。自分より優れた相手だと普通は結婚したら相手に感謝されて当然と思うようになる。そんなの面倒臭そうだもの。特に重要なのは家柄。平民同士でも商人の家に農民が入るだけで超苦労するのに、お金持ちであるミーアの家なんて大変すぎて死んじゃうよ。てかジュリア様がそんな感じで苦労してるんじゃないの?」


 ミーアはグゥの音も出なかったが、やっとの事で願うように、

「なら家の違いさえなければ、結婚しようと思ってくれるのですよね?」


「なんでよ。同じような人が良いって言ったじゃん。私の見た目はそこら辺に居る感じだろ。でもミーアは少なくともこの領地なら誰もが口を開けて驚く美人。他にも色々あるけど、顔の差だけでもミーアと結婚したがるなら私は無謀の限界を超えた愚か者だわな」


 一言毎にミーアの顔に不満が出た。そして、

「わたしは違いますもん。アニキと家族になれたら感謝しますもん」


―――うんむ。君の年頃だと容姿に比重少ないんだよな。


「それにわたしよりアニキの方がずっと美しいのに。紫よりも金よりも月さえ隠す黒の方がずっと美しいように。それ以外も全部」


 はいは―――はい?

 ヨナスは唐突に狂った詩人となった奴の目を見る。何故か正気で本気にしか見えず、余りに階層の違う自分たちと遊んだ所為で審美眼が壊れてしまったのかと不安になり、

「……ミーア君。石と宝石ではどっちが美しいと思」「それは宝石ですけど、私は宝石じゃありませんしアニキは石じゃありません」


 返答の速さに少し驚く。質問の意図を直ぐに理解する賢さは花丸。意地になってそうだが本心で石ころ的容姿を上と思ってそうなのは頭痛である。

 何とかしてあげられるか? と自問するが大脳新皮質へ質問が届く前に無理と出た。時間が無い。


 仕方が無いので次善の善行を。とヨナスは決めて、

「ミーア君。私の見た目で満足するのは良い事、と思いたいけど、同時に君は多分世の中でかなり美しい方とほとんどの人が考えるのを知っておこうね。まぁ、王都でどんな人が美人と言われるてるか知らないから、これは絶対ジュリア様に聞いておいて。あ、ついでにジュリア様からどんなものが見た目の美しい物か聞いておくように。分かった?」


「―――聞かなくても美しいものが何かくらい」「分かった? それとも私の話を聞きたくないくらい偉くなった?」


 ヨナスが少し強く言うとやっと、本当に納得がいかないという様子を見せつつも、

「はい。お母様に聞きます。必ずアニキが美しいと言うように思いますけど」


 六歳だから脳みそおが屑視聴者用TV番組に使い潰される可愛さはあるだろうが、大人が『美しい』とは考えねーよ。との思いをヨナスは脇に置く。もう時間だった。


「ジュリア様までそう言ったら私は降参さ。さて、ミーア。お別れだ」


 不満で膨れてた顔が一瞬で萎み、涙まで浮かんだ。

 子供らしい感情の豊かさへの感心と、何より目の前の子が面白い多様さをもたらしてくれた事への感謝でヨナスの顔に笑顔が浮かぶ。


「ミーアが初めて会った時祝福があるよう願ってくれたのを思い出すよ。君のお陰でこの一年は今までで一番学びが多く、面白かった。会えたのは正に祝福だった。有難うね」


 ミーアが顔を伏せ目を袖で激しく擦る。顔を上げた時には無理がありありと出ていても笑顔になっていた。


「わたしにとってこそ、本当に祝福でした。―――アニキ、感謝が、言葉にならない自分の愚かさが悔しいです。でも、必ず闇夜を行くが如く、氷上を歩むが如く成長します。アニキの教えを無駄にしない事だけは、誓います。ただ、あの、お別れの挨拶を、してもいいですか?」


 ヨナスとしては否やのあろうはずがない。


「勿論。して欲しいな」


 ミーアの顔が赤くなった。ヨナスが違和感を感じるよりも速くミーアの手が両肩を掴み、抱擁してくれるのかな? と考えたところで頭突き同然の速度で顔が迫り、口に吸いつき、

 長々と吸い込む音が響いた。


「―――ふぅっふぅっ―――」


 軽く驚いていたヨナスの表情が、長く息を止めた所為で呼吸困難になっているのを見て苦笑に変わる。


 それを見たミーアは焦った声で、

「だ、だって! お母様が大切な人との別れには接吻するものだと……教えてくれたのです―――嫌でした?」


 接吻というより蚊だったな。とヨナスは思った。とは言え生涯手も触れなかったはずの相手からだ。光栄の一言である。


「面白かったさ。じゃあ残念だけどもう本当に帰る時間だ。私は大通りに出るところまでしか付いていけない。そこでミーアが城館の門をくぐるまで見送るよ」


 ミーアの表情が一瞬歪むが、何とか持ち直して、

「わたしはとても恥ずかしかったのに、面白いはアニキらしいけど酷いと思います。だから、せめて最後まで手を繋いでくれませんか?」


 頷き、手を繋いだミーアに合わせてヨナスはゆっくり歩く。過酷な将来が予想される子へ出来る事はもう他に無かった。



 何があろうと時は動く。

 ヨナスが心配していたように夜、騎士が孤児院の門を叩いて連れ出しに来る事もなく、朝となった。

 そして今、何時もの蹴球をする広場に集まった子供たちは、突然やって来たとても偉いと認識している騎士に集められ緊張して立っている。

 騎士が、

「お前たちがミーア様と遊んだ子供たちか?」


 子供たちがおずおず頷く中、ヨナスから代表して答えるよう言われたフューラーが、

「はい。そうです騎士様」


 騎士は一つ頷き、

「では伝える。ミーア様は今日の朝早く突然の用事で王都へ行かれた。もう帰ってくることは無いであろう。伝言を授かっている。『遊んでくれて有難う。さようなら』とな。以上だ」


 騎士は言い終えると衝撃に立ち尽くす子供たちを置いて去った。

 ヨナスは目をつむる。少量、だがはっきりと寂しく切ない気持ちがある。

 苦々しく感じた。あれだけ必死に願われたのを断った己が、寂しいと言うのは筋が通らないように思えた。

 より強く目を閉ざし、あの方へ親子の前途に良い出来事があるよう祈る。


―――しかしこれも又、自分の為、心の苦々しさから逃げる為だな。


「アニキ、あの、さ」

 呼ばれ、目を開けるとリオネラと酒屋の小生意気にフューラーがこちらを見ていた。


「何?」


 三人は目くばせをすると、押し出されるようにしてフューラーが、

「二人が、ミーアが居なくなるのを昨日アニキは分かっていた。だからミーアを全試合に出したりしたんだと言うんだけど、そうなの?」


 ヨナスの反応は全く自然だった。驚いたとしか見えない表情で、

「え。何それ。ミーアは何も言ってなかったし、分かる訳ないじゃん」


 リオネラがおずおずと、

「でも、昨日のミーアは偶に変な感じがしたし。あれは寂しいからだと思うの。ヨナスにぃなら分かったんじゃないかなって」


「いいや。私は分からなかった。皆と同じように今気づいたんだよ。いいねリオネラ。そして酒屋の」


 リオネラのついでにほぼ確信した眼で見ている酒屋の娘っ子にも釘をさす。よく観察していたのを褒められないのがヨナスには少々残念だった。


「ほらなー? 幾らアニキだって分かる訳ねーよ。ミーアが昨日寂しそうにしていたなんて事も無いと思うぜ?」


 ヨナスは出そうになった溜息を我慢する。本人も望んでるし、ヨナスとしても知り合いが騎士になってくれれば万が一の時に使えそうで有難いのだが、このままだと愚か過ぎて無理に感じられた。


「しかし王都かー。羨ましいなー。オレも行ってみたいぜ。国剣様とか見れるかもしんねーしよ」


 今度は我慢しなかった。リオネラの拳がフューラの鳩尾に、酒屋の平手が頭に決まり、落ちてきた頭を両手でヨナスが掴む。そして低い声で言う。


「リオネラ。この愚か者に説明」


「うん。ねぇフューラー、ミーアがずっと王都を怖がってたのは知ってるよね? なのにそんな事を言うのは愚鈍だよ。これからフューラーじゃなくて愚鈍と呼ぼうか?」


 抗議の声を上げる気配を感じて、ヨナスが両手に全力を込めて黙らせ、

「嫌な所へ帰るミーアを心配しろとは言わない。もう会わない私たちが心配しても仕方ないからね。でも皆ミーアとの別れを悲しんでるだろ。誰も気遣わず、自分の言いたい事を言うだけの奴はこうされて当然なんだ。分かった? それとも分かるようにして欲しい?」


 青くなり、「ごめん、アニキ、オレが悪かったよ」と言ったところで手を放す。


「反省しな。ついでに酒屋の。悪いけど昨日のミーアを見てどうしてお別れだと感じられたのか、こいつに教えてやってくれない?」


「面倒くさいけど、アニキが言うなら。ただ―――あのさ、アニキもやっぱり寂しい?」


 どうやらこれが一番聞きたい事だったらしい。三人に見つめられてヨナスは、

「ああ。寂しいよ。出来ればミーアとは大人になっても仲良くしていたかったからね」


 フューラーは『だよなー』と頷き、二人の女の子は何か強い衝撃を受けた後に顔を見合わせた。何か勘違いしてそうだなとヨナスは思うが、放っておく事にする。

 特別は去った。感謝すべき日常に戻る時だった。


「さ、質問はもう良いだろ。うーし皆! 集まってくれとりあえず始めよう。今日の分けはね―――」


 ヨナスの指示に従い蹴球が始まる。



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これにて第二章終了です。

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(執筆活動の励みとさせていただきます)

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