天下無双美人妻との内々の話開始
ジュリアが深呼吸をし、一瞬表情が厳しくなるのをヨナスは見た。凶兆だ。
このまま終わらないと思ってはいた。それでもヨナスは鐘に品と気遣いの足りない音だと毒づかずにはいられない。
「あら、もう一鐘経っていたの。ミーア、急いで帰りなさい。先生をお待たせしてはなりません」
ミーアの大輪の笑顔が月下美人のように一瞬でしぼんだ。
「え、はい―――。あ、あの、でも、今日だけはお作法の勉強より、その。あ、ほら! まだお茶と最後のお菓子があるでしょうお母様!」
ヨナスが見るに雪細工ママ上は驚き、ぐらついている。強くゴネるミーアが珍しいのかもしれない。
このままミーアが残る事で、恐らくは地雷美女が出そうとしている本題がなくなれば嬉しい。だが、関係なく話すとも予想される。
となると―――不退転無妥協な話し合いを聞かせてミーアに精神的外傷を与えかねない。
ヨナスは思う。―――今生一の食事を頂いてそれは悪しゅうござる。
だから、
「それなら私は帰ります」
「え、ええっ!?」
手と口が無意味に動いた後、やっと喉から出てきたという感じでミーアは、
「ど、どうして? もしかして、退屈でしたか?」
「いいえ。ただ私の所為でミーア様が勉強しないなんて、院長先生から尻を叩かれてしまいます。最後に出てくると聞いていた甘いお菓子、楽しみだったので残念ですけど――」
俯いて手で目をぬぐい、鼻をスンスン言わせる。子供が泣くのを我慢する様子を何時も見ているお陰で、咄嗟でも中々上手い演技だと自画自賛する。
「―――アニキ、泣いてませんよね」
だから一瞬でバレたのは本当に不思議だった。
「あれ? 泣き真似上手じゃありませんでした?」
お前の母ちゃんなんてこっち見てオロオロしてたのに。
「泣いてるとしか見えませんでした。でも、アニキが泣く訳ないです」
確かに今生だと心からは一度も泣いてない。が、流石にそれは単なる思い込みだと思いつつ、
「えー。私も泣きますしー。まぁ、院長先生に怒られてしまうのは本当です。だからお勉強へ行ってくださると嬉しいです。私がお菓子を食べる為に」
「うわぁ―――。意地の悪い事言わないくださいよぅ」
「今日食べたようなのを何回も食べてるかと思うと羨ましいし、最後の楽しみが無くなりそうとなればこれくらい神もお許し―――えーと、まぁ、そういう事なので」
我慢してくれるよね? とミーアを見る。見られた方はもしかしたら、との未練を見せながら母親の方を見た。が、結局うつむき、
「―――分かりましたアニキ。お勉強に行きます。お母様とお茶を楽しんでください」
恨みがましい様子だった。
出そうになったおっさんらしい苦笑を抑え、ヨナスはミーアに近づき手を取り、
「今日は呼んでくださって有難うございましたミーア様。とても楽しかったです」
一時の間。そして上がった顔に不安が見え、ヨナスはより強く喉元まで来た苦笑を抑える。
「本当に? 居ない方が楽しそうだからって追い出そうとしてません? わたし楽しくて、色々変な事を言った気がします」
鋭い。半分正解。
「あはーん? その質問に私はいつも通り答えようと思うのですが、なんて言うと思います?」
「うっ。答えて、くれないと思います。本当の理由を簡単に教えてもらおうなんて甘え過ぎだと言って」
「そーです。リオネラの尻を似た理由で叩いたの覚えてたみたいですね。やはりミーア様は賢い」
その時リオネラが上げた悲鳴を思い出したのか、少しおびえた様子のミーア。当然尻を叩きはしないのだが。
「さて今日はさよならです。次の
「―――必ず行きます。あの、今日は本当に楽しかったです。明後日からも遊んでくれますか?」
「はい。勿論です」
ヨナスは笑顔でそう答えた。
ミーアが帰り、部屋にはヨナスがお茶を楽しむ音だけ。配膳してくれていた娘さんたちも
ジュリアはお茶を飲むのもなおざりに考え事中。ヨナスは人生で最も香りと味わいの良い茶を、より深く楽しもうと全神経を集中させる。
―――次はお茶と、目の前にある少々茶色多めだがケーキ系統と思わしき甘味の調和を楽しみたい。が、残念。お美しいサファイアの瞳がこちらを向いた。
不快な気分になった。ウンコ垂れに行けばいいのに。と思う。
「元から人の言う事を聞く子ではあるけれど、ヨナス君には本当よく従うのね」
初手痛撃。実に不味い話題だ。
ド底辺の子が人の上に立つ身分の子を臣下の如く扱っていたら、親は殺す必要を感じるかも。と、ヨナスも頭を痛めていたのだ。
しかし、出会った時からずっとミーアは指示待ち人間、正しくは自分の意志で行動すると怒られると考えているようであった。
これもまた実家環境の所為であろう。だから自分は悪くない。ヨナスはそう言いたい。
勿論ヨナスに
「えっと、ミーア様に遊び方や何時遊べるかをお伝えしていたら、今みたいな感じになりました。近頃は
最後に謝ろうとする口を抑え込む。相手が非難する前に謝罪なんて子供はしない。
「えっ。―――ミーアが、指示をするの?」
「はい。周りをしっかり見ておられるのがわかる上手な指示を」
そうなるよう教えたのだぞ。との思いが目に浮かんだら事なので、ヨナスは目を伏せまたお茶を飲もうとした。
しかし既にカップが空だった。平静を装いつつ茶を注ぎ、ことさらゆっくり飲んで見せる。
「君の影響なのでしょうね。しょっちゅう言うのよ、『ヨナスアニキは凄い。頭も良い。わたしもああなりたい』と。あの子もよく勉強してるのに年下の、学院の子にそう感じるなんて驚いたわ。後は―――本が好きなそうね? 学院の本全てを覚えてるとか」
古代中国の能力自慢かよと毒づく。しかもデマに近い。
ヨナスは帰ったら誰が話したか調べ尻を叩くと誓いつつ、
「先生のお一人が言うには私は貧乏性という癖があり、だから他の皆とおしゃべりしてる時も本を読むそうで。そんな感じで読んで大体の内容は覚えましたが、本の数が少ないんです。先生方の難しい本は読めませんしきっとミーア様の方が多く読んでます」
それに、と続け、
「ミーア様より頭が良いなんて。あの方は私たちが学院で習った話はなんでも『凄い。頭良いのですね!』ですよ。褒められて喜びすぎて自分が賢いと思ってしまい、先生方に散々怒られた奴もいます」
生きる世界が遥か上の麗しいお嬢様に褒められたら? 男女問わず調子乗るわな。とはヨナスも思う。
「それは―――迷惑だったでしょう。ごめんなさいね」
鼻からお茶が噴き出しかけた。一瞬の混乱の後、先の発言を思い起こし当てこすりに聞こえる内容だと気づく。
と、考えてる間に一秒が経ち、
後悔しつつ椅子から飛び降りる。
続けて両膝をつき手を伸ばして体を伏せる『貴族へ謝罪する用』と、教わった姿勢をとりながらジュリアの色を見た。緑。食事が始まる前より濃い。
それで少し安心し、ヨナスは『日頃からなんでもケチ付ける面倒な男だからこんな失言するんだよな』と愚痴交じりの反省をしつつ、
「謝ってもらうなんておかしい事です! 嫌な気持ちにさせてしまいゆるしてください。ただミーア様が私たちを大げさに褒めてくださると、そうお話ししたかっただけなのです」
「ま、まぁ。そんな、それこそ謝る程じゃないわよ?」
焦りがあるジュリアの声を聞いてもヨナスは動かない。この姿勢は相手を大体貴族と見なしているとの意思表示でもあるのだ。ジュリアもこちらがそう感じている事くらいは把握しているだろうし、そう簡単に動ける訳が無い。
「ね、立ってヨナス君。そんな恰好されては話難いわ。お願いよ」
お願いと言われれば是非も無し。御意のままである。
ヨナスが反省してる風に身を縮めて席に着くのを見たジュリアは悲し気で、守りたい風情ある姫の趣をヨナスは感じる。不幸の元凶っぽい旦那には頑張って欲しいと思う。そうすれば自分も適当にミーアと遊んでるだけで済むのだ。
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