ノクヤと番いになって

 人が己より有能で稼ぎの多い者の紐となり、使える金が増えた時。すべき事は何であろうか?

 やりたかった遊びをする? 浅い。子供である。

 紐の糸を辿ってその者と同じ所に住めるよう励む? 若い。失敗を考えていない意識高い系である。

 成人し他者からの信頼を得られるまでになった者なら、まずすべきは足場固め。つまり、何時飽きられても良いように自分の飯の種を確保しつつ、頂戴するお小遣いを貯金だ。

 だからヨナスは今日も獲物を狩ってくれた頭上でホバリングする小鳥と雑談しながら、山の中で弓の練習をしている。



「番い殿よ。あの方は知恵を与えると仰ったのじゃろ? お持ちの一欠けのように与えられた知恵ならば、番い殿は世の何者よりも優れた知恵をお持ちのはず。そう、思うているのじゃが―――」


 放った矢が崖の壁の前に置いた木の的に刺さった。


「いやいやうんな訳ありませんて。私の記憶だとあの方は私の器に合わせて知恵を与えると仰っいました。だから―――実感としては、努力していた理想の自分に近くなった感じかな。所詮はそこらに転がっている男の延長線上ですからね。私より頭の良い人、賢い人はこの国に多く居ますよ」


 ヨナスは能力面だと大した差を感じていなかった。数学、記憶力、どれをとっても勉強した分だけ死前より良くなったかな程度。失敗するし記憶違いもある。

 一方で思考法は変わった。慎重に考え、決断した場合は迷わない。

 ただそれがあの方によるのか、単に経験を積んで円熟したからなのかはヨナスには不分明だ。


 日本人だった頃なら自分の思考が、自分以外によって変わった可能性を相当気持ち悪く感じたろうな、と思う。

 しかし今はどうでも良い事に思われた。日本に居た頃、誰もかれもが自分の考えは自分で持つと言い、宗教を毛嫌いしたり他の人の考えをどう馬鹿にするか競ったりしていた。

 だがそう言っていても誰もが金。人目。色々な欲望に影響されて右往左往。下手をすると専門家でさえ無い有名なだけの人の言動に影響される。

 人は皆そんなものだろとも思う。ただ脳みそを弄るのがネットの駄文で不満が無いなら、人外の超越者に弄られるのもよろしかろう。とも思うのだ。


「そうかの? 番い殿の話は考え付きもしなかった見かたでありながら納得させられる。は人と話してこれほど楽しく感服した記憶が無いぞ」


 骨が出来てる途中なので、均等に鍛えるべく逆の手で矢を放つ。何とか的に当たり満足する。


「それの一番の理由は私にじゃなく、ノクヤ様に違う意見を楽しめる余裕と賢さがあるからなのでは。

 私の考えはまさしく別の世界の考え方が基本なので、こんなに本音を出してたら違い過ぎて普通の人は中々楽しめないんじゃないかな。ただ、私の時代は歴史を始めとした知識に溢れていました。だから知識の量だけなら今生きている大抵の人より多いとは感じてますが。

 で、『優れた知恵をお持ち』に続けて何か言いたかったのでは?」


 加えて人類史でも初めてであろう贅沢な実験が幾つも行われ、その情報が誰にでも分かるよう報道されたお陰も大きいとヨナスは思う。

 イギリスのユーロ離脱。ドイツの難民受け入れによる大混乱。世界的疫病に対する国と人の行動。

 どれも実に面白―――学術的に興味深い事件だった。歴史上の社会学者たちは皆、あの時の人々に嫉妬で殺意を抱くに違いない。

 ―――まさか企業が潰れて失業者が大量に出たのに、株価が延々と上がり金持ちは只管儲かるとは。一般人には想像も出来なかったぜ。

 ああ、あれらからもう二十年は経ってるんだな。と、ヨナスは懐かしい。


「おお、危うく忘れる所ぞ。長らく不思議に思うておるのじゃが、何故弓や剣の鍛錬を番い殿がする。獲物を狩るにしろ、戦うにしろが居る。これこそ無駄な面倒じゃろ? こんな暇があれば番い殿の好きな蹴球でもすると良いのに。吾もあれを見てる方が面白い」


 半年前なら熟考してから答えたであろう質問だ。

 しかし今までの付き合いにより、ヨナスは今肩に乗っている小鳥がこちらを大事に思っていて、不快に思えば言ってくれる相手だと信頼出来るようになっていた。だから素直に、

「そらノクヤ様が私に飽きて飛んで行った後も食べて行けるようにですよ。ついでに徴兵された時弓を扱えた方が安全な場所に置かれそうですし。そもそも戦いに、戦争に行くとしたら相手は万人。ノクヤ様だけには頼れんでしょ」


 ヨナスの言葉を聞いて小鳥なノクヤは、突然力尽きたように肩から落ち地面で跳ねて止まった。そのまま、

「ま―――まだが何処かに行くとお考えか? いや、もしや! を何時か追い出そうとお考えなのではあるまいな? そうなら何が不満なのか言うがよい!」


 感情豊かに人の時と同じ声で喋る小鳥を見て何時もの如く『発声器官どうなってんだ?』と思いつつ、

「前の世界では違う国の人間と結婚する人が居たんですけど、それがもう上手く行き難くて。人間同士でもこうなのに、完全な異種族結婚であるノクヤ様相手なら逃げられてしまうと考えるべきですよ。後不満は大体言ってます。追い出す気は欠片もありません」


 言語が違う場合の苛立ちは凄まじい。ノクヤが理解できる言語を喋ってくれるから結婚生活が出来ているのだとヨナスは思う。

 時代が違う感じなのは正直好みであった。いとをかしである。


「あ~。ご不満が無いならそれでよい。だがもう一つは聞き捨てならぬ。戦争というのは人の戦いじゃろ? 何故万如きでに頼れぬ。千万だろうが番い殿まで矢の一本も届かせぬ! ―――なんじゃその顔は。あからさまに疑いよって!」


「そりゃノクヤ様は人なんて何とでもなるくらい強いと思いますよ? 空を飛んで上手く奇襲しちゃえば軍だろうと勝てそうです。でも矢が当たって少しでも血が流れるなら、私を守りつつ戦ってたら死んじゃうでしょ。戦場ともなれば空を覆うくらいの矢が降って来たりしますし。あ、それともしもの場合戦って頂くにしても、本当の姿は目立ちすぎるので出来る限り人か今の姿でお願いしたいんです。その場合かなり弱くなると仰ってませんでした?」


 小鳥がヨナスの視界から消え、目の前に現れた。人知を超えた速さだが見慣れてるので驚きはない。しかし全身の羽を逆立てたままホバリングしてるのには器用だなと感心する。


「確かに遥かに怪我をしやすくなるが、だからと言って人の矢如きで血など流さぬわ! い、今の今までを其処まで軽く見ておったのか!?」


 軽いだろうか? とヨナスが首を捻ってる間にノクヤは的の隣まで飛んでいき、人となって、

「なら撃ってみよ。全力でな! 何処を狙っても良いぞ」


 ノクヤが当たりやすいよう雄々しく手を広げた。だがヨナスは当然気が進まない。


「えー。怪我させるような事したくありません。木の板を拳で抉りぬくノクヤ様の肌は丈夫そうですが、矢はその木に刺さるんですし」


 聞いてノクヤは深々と溜息をつき、

「どうせ嫌がると思うておったわ。なら弱く撃つがよい。も手で受ける。安心したら強く撃て。それでよろしかろ」


 嫁さんのお肌に傷痕残りかねない真似はよろしく無いっす。とヨナスは思う。しかし絶対引いてくれないのも明らかであったので、人相手でも矢じりが刺さりきらず『クソ痛てぇ!』で済む程度に調整して矢を放つ。

 ノクヤの眉が不快を示して斜めになるのが見えた。それに感想を抱くより速く、手がヨナスに野球を思い出させる動きで打ち返すように矢を迎え、矢じりの部分を握り止めた。

 滅茶苦茶するな。とヨナスは驚くが、ノクヤは極めて下らぬとばかりに鼻息をし、

「これで安堵したであろ。ほら次だ早う―――は? 如何なる事ぞ?」

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