ノクヤの要望
「―――のぅ。気のせいであると思いたいのじゃが、
―――不満なのか、困ったな。
ヨナスはどう対応するか少し考えるが、嘘は不可能なので、
「はい。ノクヤ様は力があり、全く違う考えで動く方。先ほどのように考え付きもしない理由で怒りを買えば、此処はもう骨折では済まないでしょうし」
言って服をまくり上げる。脇にくっきりと手のひら型のあざがヨナスの目にも見えた。
同じものを見たノクヤは顔を引き攣らせた後俯いて、
「
何故と来た。ヨナスはどうやったら説得できるのかと頭が痛い。動物にも通用しそうな理屈で対応する時点で難しいのに、更に人間の理屈となると何処まで理解して貰えるのか不安を感じた。
「疑うというより、怒りは先ほどのノクヤ様のように手を勝手に動かしますから、その机のように抉られたら死んじゃうので、速くお帰り頂いた方が私は安全だな、と」
ノクヤは頭を抱え、
「ぐぐむ……。あの、な。実はな、
かように美しく物珍しき方はこの天と地を幾ら探しても居らぬ。だから、親しくもなるが望みで、つまり―――共に暮らさせてくれぬか?」
―――やはりこれは『イケメンならば許される』という事象なのだろうか? とヨナスは思う。
だとしてもどんなイケメンだろうと許される範囲は大して広くならない。というのが美人に置き換えた時のヨナスの実感だった。許されてるように見えても、その場合はイケメンが気苦労を抱えつつ調整してるだけなのが大半だろうとも。
つまり、これから自分がしないといけない事である。
―――クソか?
ヨナスが脳内で唾を吐いているのを、躊躇と感じたノクヤは焦りで口早に、
「た、確かに怒りで
ヨナスにとって美しい女性にこうまで懇願されるのは想像を超えた話であり、日本人だった頃ならまず詐欺か見えない落とし穴があると判断し、慎重に逃げただろう。
勿論詐欺の可能性は皆無だ。が、ベトコン式落とし穴の可能性はあった。大好きだが自分が落ちたくはない。そして君子は危うきに近寄らない。
それでも受け入れるの一択である。破壊力は交渉力。同様の交渉術を今も元気に使ってそうなアメリカの滅びを心から願う。
かくなる上はせめてもの確認とお願いをしようと決心する。トサカに来られたら、とは考えない。その場合はどうせ大した日数の差も無く死ぬ。
「ノクヤ様と共に暮らせるとは望外ですよ。勿論喜んでお受けしようと思うのですが―――二つお願いがあります。一つ、もし私が貴方様を怒らせても、命と健康を奪わないで頂きたいのです。それ以外のお望みは出来る限りかなえますので」
「だから、
口を尖らせて言う人外を見てヨナスは諦めた。
―――さいですか。無意味でした。振る舞いと同じくらい人間味があるよう祈るとします。
「うぬぬっ。かくも失望なされるか」
言われてヨナスは思わず顔を触ってしまう。表情が動いた感触は全く無かった。
「動いておらぬ。しかし力の動きがな。いや、分かった。その願い確かに耳に入れたとも。ただ主様は慎重が過ぎると思うぞ」
「―――そうなんですよね。臆病になり過ぎないよう、」
以上は言えなかった。頬杖を頬にめり込ませたノクヤが片手をこちらに上げ、
「慎重なのが己の考え方で、不快なら我慢できなくなる前に出て行くがよい。と、本当は言いたいのじゃろ?」
正しく明察。声色に賞賛の色を濃ゆく、
「凄い。敬服しました。別の生き物の考えをよく分かりますね」
「我が一族は退屈しきると暫く人に混じって暮らす者がいる。
不貞腐れ落ち込んだ様子だが、言葉だけで何を言っても仕方がないと諦め、
「もう一つはそのお姿なんです。元の鳥は大きすぎてもっと不味いのですけど、他の姿を取って頂けないかな、と。幼女か老婆の姿でも良いです」
ノクヤが意表を突かれた顔をしたと思った時には体が淡い光になり、一瞬で縮んで良く見る小鳥と同じ姿に変わった。
―――マジか。突然愛らしいとは。
『これで如何じゃ? 年齢は変えられぬが鳥の姿ならおおよそは。しかし人の姿で何が悪い? ―――その喜びようも解せぬ』
「いやいやいや。ハラショーですよ。可愛く素晴らしい。お会いできた時の次くらいに感動してます。当然です。っと。何が悪いかでしたね。あー、つまりですね。ノクヤ様の人の姿は女性として魅力的過ぎてですね……。突然そんな女性と一緒に暮らし始めたら、周りが大騒ぎになって大変になります。
加えてその、欲情するだろうなと。嘘が分かるなら当然そっちも分かるでしょうし。人間如きに何時もそんな衝動を持たれてはご不快でしょう」
野生の雌鳥が好みでない雄鳥を追い払う時のように、翼で叩かれれば粉末になっちまう。と、背筋を寒くするヨナスの目の前で小鳥が光に包まれ、美人になった。
とてつもなく機嫌が良い。
「ほほーう。なんじゃ無用に悩んだぞ。元より
光輝く笑顔だった。髪は本当に輝いている。
女性と付き合おうと考えた時セクハラ訴訟が頭をよぎる世代のヨナスは、ノクヤの判断の速さで思考が壊れるのを感じる。
―――そーなんか。もう
だが意味は分かる。旦那という意味だろう恐らく。
楽観視が脳みそに埋まらないかな。と眉間を指で抉りつつヨナスは更に考える。
良かろう。鶴恩は夢である。未来が雪女か女郎蜘蛛だとしても結婚は墓場なのだから正しい結果だ。
結婚するとしたら余計なまでの美人ではなく、釣り合いの取れた安心できる相手にしようと考えていたのも気にしない。面倒が嫌いだからと美人まで嫌っていたら、ゲームやアニメのキャラクターまで自分より不細工でないと我慢できない病に掛かってしまう。死ぬ前に女性キャラが不細工なゲームには金を出さないと決めてたではないか。
「えーと、ノクヤ様は人間と子を作れるのですか?」
「一族で作った者がおる。―――あ」
自信に満ち満ちていた表情が突然陰って怯える表情になったので、ヨナスが緊張していると、
「実はな。
ん、んんん? 今、何か凄まじく危険な話が―――、
「雌が健康かは
天災的発想だとヨナスは思った。
確かに自分は男女両方とも異性と付き合うのは面倒多く利少なし。と、見切る世代にありがちな基本お断り範囲である自分を省みず、
しかしどんな素敵ハーレムの為だろうと野性で普通の行いは勘弁して欲しい。そもそも夫の居る女性を選ぶのは下劣。品性の問題に比べれば小事だが面倒の元になる相手を態々選ぶ労力は勿体ない。勿体ないのは嫌である。
「ノクヤ様が―――あー、私の為に考えてくださったのは有難いのですが、私は慎重に目立たず面倒が少ないように事を成すのが好みでして。なのでノクヤ様自身のお望みを止める気はありませんが、私が関係してる場合は出来れば私のやり方に―――従って頂けると、嬉しいなーと」
はっきり言うためにしても従えは言い過ぎたかと心配するが、ノクヤはあっけらかんと、
「もちろん番い殿に従う。だが
「へ? 山に居る雌って、この領地に居る女性の会話が此処から聞けるんですか? 一番近い学院だって歩いて砂三つ掛かりますが」
幾ら不思議生物でもそれは無いでしょ。と、思いつつ言うが、返って来た表情を見てヨナスは疑いを捨てた。
常識で測れぬ所か想像でも足りない生き物と会話してるとの実感がヨナスを包む。
実はそーいうのが幼い頃の夢なヨナスだった。とても、嬉しい。
―――危険でも素晴らしい嫁さんを貰った気がしてきた。寝込み襲われたら人間の嫁さんでも抵抗しようがないのを考えれば大体一緒だし。
「近いも何も、山の内なら端から端まで聞こえておるぞ。数が多ければ煩わしいが、若い雌だけなら精々三千じゃ。それより子ぞ。どんな子を一つの季節で何人欲しいのじゃ」
ウーン、ン、ン、ン―――一つの季節で何人と来たか。
逆方向に想像でも足りない言葉である。
ヨナスは脳に大学の授業で延々ノートを書いた時以来の、使い過ぎによる痛みを感じつつ、
「子供は確かにその内欲しいかなとは思いますが、出来なかったら出来なかったでしゃーないかなくらいですので、ノクヤ様も別に気にせ……どうしました?」
ノクヤがしきりに目をしばたたかせ、口を開けていた。
「どうしたは、
強烈な燃える豪速球。ヨナスは反論ごと吹き飛ばされた。
―――うん、そうだね。ちいとばかし面倒だからってその大事な業を皆で怠けた所為で、現存最古の国が滅びかけてたもんね。私も少しあかんかなーとは思ってたんだよ。日本代表強くしたいなら、まずは自分の子にサッカーさせて競技人口増やす努力をすべきとも思ってたし。
でもさ、職無し家無し食べ物無し礼儀無しでドイツに押し掛けて、先を欠片も考えずに全力で子供を産んだ挙句赤ん坊を見捨てるんですか!? と叫びだすシリア難民というのも居るじゃん? だからって面倒臭いから子供を育てるのサボって良いとは言わないけどさ。
声は心の中でさえ弱い。
とは言えこのままでは人類の敵まっしぐら。まだ其処までの覚悟がヨナスには無いので、
「ごもっともと思います。しかし人が作る子供は多くて五人ですよ。ノクヤ様が二人産んでくださるなら後は一人奥さんが居れば十分でしょう。第一私考えはとっくに成人してても体は見ての通りまだ子供。群れを作るのはまだ先です。その間にまずはノクヤ様といっぱいお話しして、お互いを分かりあいたいな、と」
頭を掻きながら言うと、ノクヤは目をすがめた後口をうにうにと動かしつつ、
「隠さず誤魔化しながらご機嫌取りとは器用だの番い殿は。確かに言の通り思慮を聞かせて頂くが
そう言うと嫣然とした笑みを浮かべ、
「しかし、話にも聞けぬ雄殿よ。番いとなれて喜んでいる
ため息も引っ込む高評価に苦笑を浮かばせ、
「そりゃ、ノクヤ様に子供が産まれれば私も嬉しいですし。ただ―――え?」
ノクヤの服が光り体に吸い込まれるようにして消えた。
「何を驚く? 番い殿が望んでくれるなら後はまぐわうだけじゃろ?」
殺そうとしてから鐘が一つなる時間も掛からず極めて親しい間柄になるのを、全く不自然と感じていない様子だった。
加速し続けるノクヤに動揺しつつも、ヨナスは目に見える物に感動した。凄かった。
―――やはり野生動物は素晴らしい。無駄な迷いが無いし筋肉だ。いや、脂肪も大変良いかもしんない。太ももは筋肉と脂肪だったのだな。理解していなかった。
ヨナスが知識を深めた気になった間に、ノクヤが歩み寄り抱きしめた。
頭一つ分の身長差によってヨナスに一句が浮かぶ。
―――包まれて 我知る手知る 美肉かな―――
「実はの、番い殿が欲情すると言うてくれた時から、まぐわいたくて仕方がなかったのじゃ。おかしかろ?」
脇腹が今も痛んだが、気を付ければ何とかなる。と、ヨナスは思う事にした。
「―――。いいえ。光栄の一言ですよ。あの、ノクヤ様は鼻も良いんでしょう。体と口を綺麗にしてからの方がよくありませんか?」
「心遣いは感謝すれど、待つ方が嫌じゃ。それより外でいたそうか。その方が番い殿も嬉しかろう」
外が嬉しい? 第六感のお陰で誰かに見せびらかして恥をかく心配は無いが、嬉しいは少々心外だったので、
「何故私が嬉しいと?」
ノクヤは不思議そうに首を傾げて、
「番い殿は面倒がお嫌いじゃ。なら布と部屋を汚すのも面倒ではないのか?」
御明察である。ヨナスは心から頭良いなと感心した。
そして思う。
―――彼女と上手くやれるかもしんない。
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