メビウスの乙女-(2)


 角守つのかみ燈子とうこは、除霊師でも、聖職者でも、学者でもない。

 奇病を患う女子大生だった。


 彼女はまず、自らの奇病について話した。


「わたしはメビウス症候群という病気で、顔の筋肉に麻痺があります。無愛想に見えると思いますが、どうぞご容赦ください」


 メビウスといえば、『メビウスの輪』が有名だ。

 そもそも『メビウスの輪』という名称にしても、『マックスウェルの悪魔』や『シュレディンガーの猫』と同様、理論を発見した学者の名前がつけられている。つまりは人名だ。しかし、『メビウスの輪』といえば一周して戻ると裏と表が入れ替わることから無限循環のモチーフとしても良く用いられ、オカルトの世界にどっぷり浸かったぼくからしてみれば、言葉自体に神秘的な響きを覚える。

 それに、ぼくが最初に彼女に抱いた造形物、マネキンめいた印象は、あながち間違いではなかったのだ。

 ぼくとしてはメビウス症候群についてもっと詳しく聞きたいところだったが、そこはぐっと堪える。


 さて、次はどんなオカルト用語を持ち出すのか。やや身を乗り出し気味に話を聞いていたが、この期待はすっかり裏切られた。


「わたしは専門家ではありませんので、お祓いとか、除霊とか、期待しないでください。幽霊とか、妖怪とか……そういうの全然興味なくて」


 彼女はこのとおり、はっきりと言ったのである。


「霊能力があるのに、オカルトに興味が……ない?」


 ありえない。

 ぼくは思わず、思ったことを口にしてしまっていた。

 対して、燈子は気を悪くした様子も――メビウス症候群による無表情で、何を考えているのかまるでわからないまま人形のように淡々と喋る。


「わたしの力はその中でも特異なようで、それで……」


 曰く、中ほどの相手なら黙って道を開けるほどに彼女の力は強く、故にいままで霊障などで苦労したこともなければ対抗手段も知らない、という。

 その上、彼女さえ自身の力が何なのかよくわかっておらず、専門家には霊能力者やらエスパーやら鬼やら忌子やら、色々と言われているらしい。

 そんな燈子が、やはり顔には出ていないが「あまりの恐ろしさに戸惑っている」と述べた。


「写真から邪悪な呼びかけを感じました。美和はその影響を受けたのだと思います。わたしでは非常にマズいことになっているとしか言えないんです。車が崖に向かって走ってるような、そんな……」


「あの場所からは全員無事に帰ってきましたが……いまもそんなに危ないんですか?」


「ええ。ですから、お知らせせずにはいられなくて」


 大人しく聞いていたぼくに解答権が回ってきて、長い沈黙が訪れる。

 ぼくは内心、彼女もそうか、なのか……と肩を落としていた。


 こんな仕事だ。

 以前にも、説明がつかないことは何度かあった。

 そして、今回同様、霊能力者を騙る人間が登場し、危険を忠告してきたこともはじめてではなかったのだ。

 彼らは不幸や、ときにはぼくらの死まで予言した。それは先に受けた燈子の警告よりも具体的な物言いだった。そして、自分は専門家だからと高額なお祓いや除霊の話をはじめたのである。

 ぼくらはそれをすべて断ってきた。霊障が起きてくれるのなら御の字だ、といった不遜な態度で。

 しかし、ぼくは今日まで元気に中西の奴隷をやっている。いわゆる得ダネも掴んでいない。

 いままで大したことなど起きなかったという事実は、信憑性が高い。今日初めて会った自称霊能力者の女性よりも、遥かに。


 ぼくはオカルト話は好きだ。ヤラセビデオも作っている。

 だが、別に好きでもないオカルトの浅い知識で不安を煽り、珍妙な肩書を騙り、ぼくらより楽に金儲けをしようという連中は嫌いだ。

 とくに、『ありもしないことを信じるやつは馬鹿』。そんな考えが透けて見えるのは最悪だ。


 表情のない燈子の考えはまったくといっていいほど読めないが、ぼくはいつも通りのカマかけを口にした。


「でしたら、ぼくらはどうしたらいいのでしょうか?」


「ん?」


 彼女は自分の話はとうに終わったと、ドリンクの太いストローを咥えて懸命に吸い上げていた。

 挙句、


「どうでしょう、こういう専門的なことは番組スタッフさんのほうがお詳しいと思って、相談させていただいたのですが……」


 と聞き返した。

 意外な反応に動揺して、つい模範解答を口にしてしまう。


「心霊写真ならお焚き上げとか、ネガになるものを燃やして……ぼくらはお祓いとか、除霊とかするんじゃないでしょうか?」


「お焚き上げ……聞いたことがあります。きっとそれがいいと思います」


 商売っ気のある単語は持ち出さず、話に乗っかるだけで、燈子はストローで口をふさいだ。

 まるでオカルトはよその庭といった態度だ。


 逆に、ぼくの意見に過剰反応を起こしたのは美和だった。


「え、撮影データを燃やってこと!? あんな怖いとこに行って病院送りにまでなったのにお蔵入りどころか焼却処分とか勘弁なんだけど!」


 どうやら二人の間でも話がまとまっていなかったらしい。

 データを消したくない。それはぼくだって同じだ。


 とはいえ、燈子が嘘をついているようにも、なにか別の要求があるようにも見えない。

 霊感が強いのでいままで霊障に悩まされたこともなく、だからこそオカルトにもまるで興味がないという設定も――納得はいかないが――一貫していた。

 こうなってくると、燈子には本当に霊感があって、彼女はわからないなりに親切心で『なんかヤバいのでお祓いとかしたほうがいい』という極めて曖昧な警告をしに来たということになる。

 蓋を開いてみればなんとも気の抜けた話だった。


 だが、奇病を患う霊感美人女子大生。番組のネタにはなるかもしれない。

 彼女の能力が本物ならなおさらだ。

 ぼくは悪魔に囁かれ、もう一つ、別のカマをかけることにした。


「そういえば、収録内容を見たいと仰っていましたね。たとえば、そこになにか映っていたら、わかりますか?」


「はい、わかるとおもいます。わたしもそう思って、無理を承知で参りました」


 望むところ、といった態度だ。

 疑念を悟られないよう平然を取り繕いつつ、もってきていたハンディカメラをテーブルに置いて、液晶画面を彼女たちのほうへ向ける。

 美和と燈子が仲良く左右から覗き込んだのを見計らい、ぼくは再生ボタンをタップした。

 建物に入ってからのおおよそ三十分の映像だ。音声はわずかに出ているが、喫茶店の雑音の中ではほぼ聞き取れないだろう。

 しばらく二人はただじっと映像を見つめていたが、美和の表情はみるみるうちに嫌気に歪み、とうとうソファ席に深く腰を掛けスマートフォンをいじりはじめた。

 一方、燈子は食い入るように見つめ、やがてはっと視線をあげて画面を指差す。


「ここ……」


 彼女は慌てて宙を掻いたあと、カメラごと反転させる。

 そこには中西にどやされ、美和に馬鹿にされるカメラマンの視点が映し出されていたが、燈子が指摘したのはもう少し前。三〇一号室を初めて映したタイミングだろう。ぼくが鏡に驚いて尻もちをつき、意味もなくコンクリート床を映していたシーンに遡る。


 何度か巻き戻し操作繰り返し、ようやく燈子が指したのは、ぼくがはじめて部屋の中を映し出したその瞬間だった。

 つまり、そこに映っているのは鏡に映ったぼくの黒い輪郭で――。


「……あ」


 違和感を覚え、画面から目を逸らす。

 理解したくなかったが、自分で指摘した違和感に首をかしげる燈子にもわかりやすく説明した。

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