オカルト
喫茶店などと小洒落た単語を用いたものの、結局のところ駅前のファーストフード店のテーブル席に向かい合って座った。
体力的、精神的な休憩はもちろん、これまであったことのすべてを情報共有する時間も必要だった。
「あの、恥ずかしいのであまり見ないでもらえますか……」
頬を赤くしながら、プレートをテーブルに着地させた燈子。
四人掛けのテーブルにハンバーガー三つとカレーライスの大皿、Lサイズのポテト三つが陳列する。全部、燈子の注文だった。
「もしかして、それもメビウス症候群と関係が? それとも霊感のほうでしょうか? あ――力を使うと、空腹になる描写は本当だったんですね」
「吉瀬さんは漫画の見過ぎです。ただの胃下垂です。そんな残念そうな顔しないでください」
燈子も、ぼくが十四歳くらいから深刻に患っている病については薄々感じ取っているらしい。
移動中、ぼくは堪えきれずとうとうメビウス症候群についてあれこれ聞いたが、最終的には、
「ウィキペディアっていうサイトに詳しく書いてありますよ」
と、丁寧な『ggrks』を食らってしまったので、もしかしたら『薄々』どころか『はっきり』かもしれない。
ぼくは小声で謝罪してから、咳払いを一つしていままで起きたことを時系列順に説明した。
燈子は話を聞きながら、テーブル上のそれらを上品に、淡々と口に運ぶ。ああは言ったが、遅いランチを味わうというよりも、これから戦うためのエネルギー補給作業に見えた。
すべてを話し終える頃には、目の前のカロリーが燈子の華奢な身体に収められる。
両手を合わせると、燈子はまず、ぼくに悪い知らせを告げた。
「実は昨日、わたしのところにも来たんです。あれが」
「……昨日? 美和さんのところから帰った後ってことですか?」
「はい。わたしの家です」
東雲先生のお祓いの条件を飲むために、燈子と美和は言い合いをして、喧嘩別れのような形になってしまったらしい。その先で彼女たちの身に起こることを考えると、あまりにも気の毒だ。
そんな別れのあと、自宅に帰るや否や、美和がいつも通りの調子で燈子の家に尋ねてきた。すぐに美和の姿を借りた何者かだと確信した燈子は、これまで同様、東雲先生に相談して自らも除霊の予約を取り付けたが、今朝になってキャンセルされ、事態を把握したらしい。それでも美和の無事を案じた燈子が病院へ向かうと、ピーピー泣きつかんばかりのぼくが居合わせた、ということだ。
『自殺アパート』に行ったことのない燈子のもとにあいつが来た。
つまるところ、それは……。
東雲先生も去り際に口にしていた。
感染、と。
「わたし、ここのところ美和さんの家に泊まってましたし、それで呪いが感染したのかもしれません」
病院で鉢合わせたとき、燈子が口を開かなかったのは気まずさからではなく、ぼくを――ぼくの姿をしたぼくを警戒していたのだ。
「知人の姿でやってくるなんて……怖いです。とくに、生きている人だったら」
「……亡くなった人ではなくて?」
「生きている人のほうが、怖いです。恐怖というよりも、危険と言う意味で」
燈子の言っていることに遅れて気が付き、悪寒と疲労感が走った。
いままで連中はいるはずのない場所、夜の自宅に、不自然な人影として現れていた。
街中で赤城や美和として現れるなら、ぼくはすぐに恐怖するだろう。そして懸命に知らぬふりを決め込む。
しかし、もしも燈子の姿をした何者かが、違和感のない場所とタイミングで現れたりでもしたら、ぼくは気が付くどころか何も知らず、挨拶を交わしてしまうのではないだろうか。
生きている人のほうが怖い。
死者よりも、親しい生者の姿を模されるほうが恐ろしい。その通りだ。
そんなことを大前提とした神経衰弱必死な生活を、眠れもしなければ判断力も落ちているぼくがこれから何日も耐えられるとは思えなかった。
燈子はぼくの顔色を読み取りながら、話を推し進める。
「ビデオで見た鏡……やっぱり、あの鏡が呪いの原因なんでしょうね」
あの化け物は自殺者たちのカタマリだ。
誰かに恨みがあるわけでもない。無念が残っているわけでもない。
携帯電話の首吊り少女と同じように、漠然と"世の中"を敵視し、敵を見つけては嬲り殺す――実に人間らしい群れだ。ぼくにとってもっとも忌むべき化け物だ。
だからこそ、どうにか落とし前をつけさせなければ。
対してぼくたちたった二人の群れは、小一時間情報をすり合わせたが、ぼくがオカルト知識をひけらかすだけで具体案が出なかった。ぼくは早口な上に喋りすぎたし、燈子は単語の半分も知らないという有様だった。
なんにせよ、燈子は霊感はあるものの心霊素人、なんならぼくは肉体労働以外に役に立たないヤラセ番組の三流カメラマンでしかないのだ。
東雲先生が匙を投げた化け物相手に、簡単に打開策が見つかるはずもない。
ひとつ幸いなことといえば、ぼくが思っているよりも遥かに燈子にネームバリューがあったことだろう。
「田邊さんという方にお会いしてみませんか?」
というのは、燈子の案だった。
自殺アパートの記事を書き、中西にあの場所を教えた、いわば震源地。
田邊についてはぼくもきな臭いと思っている。
しかし、中西でさえ連絡が断たれている中でどうやって会うことができるだろう。
その疑問に燈子は、
「わたしが連絡します。もしかしたら、わたしのことを知っているかもしれません」
と、自らが囮になる作戦を申し出た。
そうと決まれば、他に手段のないぼくたちは本社へ向かい、地下駐車場に停めてあったワゴン車に場所を移した。
ぼくが使える機材は一通り積んである。移動もできるなら本拠地として上々だろう。
中西が置いていったノートパソコンや名刺入れから田邊の連絡先を割り出し、すぐさま燈子が連絡をした。
結果からいって田邊は見事に食いつき、すぐにでも取材したいと新宿にあるバーを指定した。
時間は本日の二十一時。二時間後だ。
「吉瀬さん、少し仮眠をとりませんか?」
これは燈子の要望というより、ぼくを気遣ってのことだろう。
厚意を素直に受け取って、ワゴン車の三列目を倒し、横になることにした。
化け物はここでも来るのだろうか。
誰の姿で来るのだろうか。
なんにせよ、ぼくに出来ることなどなく、ただ素知らぬフリをするだけだ。
駐車場の天井から煌々と光が降り注いでいるが、敷地の隅に停めた車内にはほとんど光が入らない。
二列目のシートに落ち着いた燈子も、眠っているのか、薄暗い車内にエンジン音だけが淡々と響いている。
目を閉じながら様々なことを思い出し、後悔し、終わったわけではないと自分を奮い立たせた。
いままで散々戦うことから逃げてきたぼくが、本物の化け物を相手にするとは。
自問自答とうたたねを繰り返すうち、ふと布ずれの音を耳にして、ぼくは咄嗟に息を殺した。
「吉瀬さん」
燈子の声だった。
薄く目を開けると、狭いワゴン車の中を何かが蠢いていた。中腰になりながらこちらに向かってくる。
これが本物の燈子なのか、あいつが化けた姿なのか、ぼくには判別することはできない。
燈子のようなシルエットは、ぼくの寝ている三列目のシートに手をかけ、ひざをかけ、乗り上げてくる。
心臓が唸りを上げ、呼吸は不規則になっていた。
「起きてますよね。わかってますよ」
それでもぼくは知らぬふりをした。
ここで死んでしまえば、もっとも屈辱的なのは燈子だろう。
「そうです、吉瀬さん。気づいていない、知らないふりをしていてください。絶対に応じないでくださいね」
並ぶように横たわる気配。
しばらくそうして時間が過ぎた。
怯えながら聞き耳を立てていると、燈子が乾いた声で囁いた。
「夢、見たんです……吉瀬さんの夢。わたし、迎えに行くんです。玄関が開いて、そしたら……よく頑張ったねって褒めてもらうんです。でも、わたしが吉瀬さんを……滅茶苦茶にしてしまって。怖くなって目が覚めたんです……」
取り留めなく、ぼそぼそと、消え入りそうな声が続いた。
「……ごめんなさい。わたし、心配性なのかいつもこうで……。なにかの予兆なのか、ただの夢なのか、どうしたらいいのか……一生懸命考えているんですけど全然わからなくて、誰にも伝えられなくて」
とうとう声は震えて、萎んで、消えた。
見開いた視界の中に見えた燈子の白い手がある。迷った末に、ぼくは彼女への信頼と自分なりの覚悟を込めて手を重ねた。
細い指先が大袈裟に跳ね上がり一度はじかれるも、もう一度手を置く。
「オカルトというものは、そういうものですから」
「……だめじゃないですか」
「よくわからないから怖いし、よくわからないから惹かれるんです」
「吉瀬さん……」
「そもそも、オカルトという言葉はラテン語の『隠されたもの』という意味で、古くは――」
言ってる間に、今度こそ、冷たい指先がすぽんと抜けた。
「お邪魔してすみません。吉瀬さん、ゆっくり休んでください、おやすみなさい。もう喋らないでください」
がさごそと無遠慮に音を立てて黒いシルエットが前の席に戻っていく。
この襲撃は、これだけに終わった。
眠れるわけがないし、逆に疲労感が増した。
でもぼくは、もはや特攻ともいえるこのタイミングで、大事なものができるのが怖かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます