帰路


 ぼくたちは転がるように山を駆け下りた。

 正確には、中西だけが意気揚々の足取りだった。


 下山の間、すっかり怨霊の仕業だと決めつけた赤城は危険な場所に招いたぼくたちを訴えると言い、中西はやれるものならやってみろという罵り合いを繰り広げる。

 どちらも己の正当性を口にするばかりで、機材と汚物臭い美和を背負ったぼくがぬかるんだ山道によろければ「男なんだからちゃんとしなさい」「機材いくらすると思てんねん」と空いた手でぼくの肩を叩いた。

 ぼくは言い返さず、全部投げ出して走り出したくなる気持ちを抑えるのに努めた。


「あなた、こんな男のところで働いてたらおかしくなっちゃうわよ」


 途中、赤城はぼくに対して同情的な態度を示す。

 ぼくのことを心配しているのなら荷物の一つや二つ引き受けてほしいが、彼女は「壊したらいけないじゃない」と妙な気の回し方をした。口先だけのお節介だった。中西との口喧嘩の上で味方に引き込みたかったのだろう。辟易する。


「こいつはもともと頭おかしいんや。カメラ持ち歩いてる盗撮趣味の変態や! なあ、変態オカルトオタク!」


 中西は、日頃からカメラを持ち歩き、ストレスが溜まればカメラ越しになるぼくのことをそう解釈しているらしい。否定も弁明もしないが、ぼくは歯を食いしばった。

 中西はひとりゲラゲラと笑って先を下り、赤城は「そんなことないわよ」と訳知り顔で息が上がったぼくの肩に太い手を乗せてぼんぼんと叩いた、


 ぼくはどちらにも加担せず、美和を背負って黙々と山を下り、ワゴン車にたどり着くとハンドルを握る。

 どちらにも任せられなかった。


 現実的に考えるなら、島袋美和はなにかしらの病状が発症した可能性がある。一刻を争う事態かもしれない。

 暢気にカメラを向けていなければ助かった、なんて後味が悪すぎる。我ながら馬鹿なことをしたものだ。

 もし美和が死んでしまったら、ぼくはカメラを覗き込むたびに自己中心的で不愉快な彼女のことを思い出すだろう。そうなればカメラを捨てることになるかもしれない。


 それだけは嫌だ。

 手に汗を握りながら暗い山道を急いだ。


 *


 拍子抜けすることに、麓の病院へ到着するころには美和はぐったりしながらも一人で歩けるほどに回復しており、己の身体よりも検査・入院費用のほうを気にしていた。

 赤城はこれ見よがしに


「そんなの監督さんに請求すればいいわ」


 と吐き捨てる。

 廃アパートの一室に入ったら急に嘔吐して錯乱状態になった……なんて理由での請求を、ブラック企業の弊社経理が受理するはずもない。ともかく、経費についてはぼくのあずかり知らぬ話だ。


 赤城の提案が耳に入っていたかは定かではないが――気まずさもあっただろう――げっそりとした顔で美和は会釈だけ残し病院スタッフに連れられて裏口へ消えていった。

 続いて、赤城は憤慨をあらわにして汚れた白法衣を脱ぎ捨てると「これ以上、同じ空気は吸えない」と同乗を拒否。こんな郊外から自宅までタクシーで帰るという。その金額も請求書に乗せられてぼくらのところへ送られるのだろう。受理されるかは、あずかり知らぬ話だ。


 こうしてぼくたちは予定から二時間遅れて帰路についた。


「あのババア、調子に乗りよってからに」


 移動中、中西はしばらく赤城への侮辱をやめなかったが、機嫌としては上々だった。想定以上の"いいモン"が撮れたのだから、それも当然だ。

 一人で酒盛りするという中西を、彼の自宅近辺のコンビニまで送り届ける。


「いやー、今日は最高やったわ。吉瀬、カメラ失くしたらぶっ殺したるからな」


 もはや無意識なのかもしれないが、中西はなにか言うたびにぼくの脛を蹴った。


「はい」


「明日もいつも通り朝十時から。俺らの大嫌いな地元ドサ周りやぞ。時間きっかりに車出す準備しとけや。構成案も直して提出な」


 そうなってくると出社はいつもより少し早くなる。

 ぼくはそれにも「はい」と答えた。


「そんじゃお疲れ、イエスマン吉瀬」


「お疲れ様です」


「そこは"はい"やろが。つまらんやっちゃな」


 バシ、とジーンズが鳴るほどの蹴りをお見舞いされ、ぼくはよろける。

 中西は「リアクションだけは一人前やな」と吐き捨てながらコンビニに入っていった。


 ぼくはそれからワゴン車を会社の駐車場に停め、駆け込んだ終電でなんとか帰宅することができた。家に着いたのは、の時間だった。


 *


 思い返してみれば、これまでにも不可解な出来事がなかったわけではない。

 収録後、映像に謎の声や人影が入り込んでいるのを見つけたならば、ぼくは詮索するでもなく「お、ラッキー」くらいの感覚でメシのタネにしてきた。

 それもあくまでもカメラレンズの中の、ぼくには直接関係のない世界の話だったからだ。

 しかし、今回に関しては……あまりにも肌感にこびりついていた。


 ぼくはいつもより熱いシャワーを浴びて身を清めた気分になっていた。

 シャワーから出て時刻を確認すれば、午前二時。静かなはずである。


 体は疲れ切っていたが、あまりの急転直下、あまりの異常事態のせいで頭は興奮し冴えていた。ベッドに座り、買い置きの缶チューハイをあける。睡眠薬代わりだ。

 胃の奥まで冷えたアルコールが降り、頭まで駆け上がっていくと次第にもだえ苦しむ島袋美和の姿が思い浮かんだ。


 ふと、バカなことを考える。

 抜け駆けしてネットにアップしたら広告で一儲けできるかもしれない。金額によっては中西の下から逃げ出すチャンスでもある。


「…………」


 これが悪魔の囁きとういうやつなのだろう。

 正直、美和の意識が戻るやいなや、ぼくも中西に近い心境になった。緊張感のある映像が撮れていることにらしくもなく興奮を覚えていた。ありていに言えば、目の前のオカルトにワクワクしていた。

 つまり映像には、島袋美和が苦しんでいる様を楽しげに撮影し続けたぼくの悪行も含まれている。

 いまさらながらぼくは、自分の存在を認知され、自分の行いを誰かに批難されるのが恐ろしくなっていた。


「ぼくみたいな根性なしには……無理な話だよな」


 制するように、自分に言い聞かせた。

 いつもどおり、中西監督名義で世間に出すのが良いだろう。彼だけが称賛され、批判されればいい。良いことも悪いことも全部、カメラの向こうの他人事だ。

 ぼくは言われたまま動き、おこぼれを啜る寄生虫のほうが性に合っている。


 ガガガガガ――と、突然鳴り響いた音にぼくの心臓は大きく拍動する。

 テーブルの上でスマートフォンがのた打ち回っていた。

 友達もいなければ家族とも疎遠なぼくは中西としか思えず、相手を確認せずに電話を耳に当てた。


 シュワシュワシュワシュワシュワシュワ。

 シュワシュワシュワシュワシュワシュワ……。


 屋外だろうか。

 中西が酔っぱらって徘徊して、ついでに迎えに来いなどと言われたら面倒だな、と思いながら携帯電話の画面をみると、発信元は非通知だった。


 シュワシュワシュワシュワシュワシュワ。

 シュワシュワシュワシュワシュワシュワ……。


 音が重なっていく。人の声に聞こえてくる。

 ぼくはその先を思い出し、咄嗟に通話終了ボタンを押した。


 静寂がもどってくる。

 ぼくはその異様さに気づいた。

 清めて拭ったばかりの身体からじっとりと汗が噴き出してくる。


 蝉なんて家の周りにもいるが、この時間はすっかり沈黙している。気温が下がった夜には鳴かないからだ。


 思わず息を潜めて部屋の中を見回した。

 カーテンの影、鏡の奥、窓やドアの外の気配。

 五感を尖らせてそれらを感じようとしたが、ぼくには気配などよくわからなかった。

 神経をとがらせすぎたせいか、うわんうわんと耳鳴りまでしはじめた。


 最後に、中央のテーブルに堂々と座するカメラバッグが目に入った。

 島袋美和に何かが起きていたのだろうか。

 カメラは何か映しているのではないだろうか。

 これはカメラの向こう側で起きた面白おかしい他人事ではなく、いままさにぼくの身に起きていることなのではないか。

 これははじまりにすぎず、終わってはいないのでは――。


 やめよう。

 知りたくない。

 ぼくは部外者だ。


 ベッドに横たわる。

 思っていた以上に体が疲れていたのか、次の瞬間には起床時間がやってきた。


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