わからせ


 救急車への同乗は必然的にぼくがつくことになった。


 美和は命には別条ないものの、救急車の中でも自分の歯を噛みしめて割るなど、あきらかに異常行動が続いていた。挙句、病院では美和の両親まで登場して「あんたは何者なんだ」「どうしてこんなことになったんだ」と問い詰められるはめに。

 除霊バトルの末に自分の上司が娘さんを二度も蹴りました――などとは口が裂けても言えない。

 ぼくは責任を逃れたいあまり、彼女が仕事のことで追いつめられて自傷行為をしたと説明した。


 すると彼女の両親はなにか思い当ったのか、今度はお互いを誹りあった。美和の目立つことへの強い執着心は、彼らも知っていたようだ。

 いずれにしろ、身体が回復したら精神病院に移ることになる。顔面にあれほどのダメージがあっては彼女がこだわっていたアイドルへの肩書も取り戻すことはできない。

 そのあたりで島袋美和への同情を切り上げ、自分の心配をすることにした。


 ぼくが会社に戻ったのは夕方だった。他の社員はいつも通り働いている。

 中西は、ぼくの定位置にいた。特に何をするでもなく、小指で耳をほじっていた。


「死んだんか」


「いいえ」


「さよか」


 ぼくはその隣でノートパソコンを開いた。

 開いたものの、どんな作業も手につきそうになかった。


「言わんかったけど、俺んとこにも変なの来てたわ。玄関前のは借金取りかと思て無視しとったけど、おんねん。家ン中にも、なんかが。直接目の前くるわけと違うから、はっきりとはわからんけど。決まってなんかの向こう側とか、視界の端っことか、ぼんやりとしたとこにおる。おるってわかんねん」


 驚きはなかった。

 むしろ合点がいった。


 ぼくたち全員の前にあいつは訪れていた。

 赤城は扉を開いて招き入れてしまった。

 美和の状況はわからないが、精神的にかなり追い込まれていたようだ。

 ぼくは今のところ応じてはいないはずだが、もしかしたら今晩にも……。


「恐ろしい目にあうっちゅうなら、頭おかしなるほうがええんやろな」


 中西はそう言ったが、怯えるように叫んで暴れていた美和を思い返すと同意できない。

 ぼくは押し黙った。


「聞いとんのかい」


「次はぼくか中西さんか、どっちかですよ」


 それはぼくが初めて中西に反抗し、押し切った最初の言葉だった。

 中西の目に狼狽を見て、ぼくはそれ以上、具体的に何が起こり得るのか言うのをやめた。ぼくも口にはしたくなかった。


「はっ、家の前に固定カメラ置いたるわ。いいメシのタネや! なあ!」


 明らかに強がりだ。

 中西は続ける。


「あの東雲っちゅうのも役立たずやったな」


 たしかに東雲先生では歯が立たなかった。だが、それは彼が偽物だったからではない。おそらくは本物の霊能力者で、だからこそ身の危険を察して撤退していったのだ。

 燈子を遠ざけたように、自分や弟子を優先させただけだ。

 あいつは――あいつは、それだけ厄介で非常にマズいのだ。そしてぼくたちは孤立無援、遭難状態だ。


 今できることは……あの化け物の正体を探ることだけだろう。

 第一、『自殺アパート』は田邊という男が一五年前に作った偽りの都市伝説で――田邊。


「中西さん、田邊さんって何者なんですか?」


「あ? まえに言うたやろ。ただの三流記者や」


「本当にそれだけなんですか?」


 バツの悪そうな顔をして中西は逡巡した末に「んで、嫁の――元嫁の兄貴や」と口を割った。

 ぼくと思うところは一緒なのだろう。中西は先に答えた。


「俺らが『自殺アパート』行ったっちゅうてから、田邊とは連絡とれんくなった」


「田邊さんにはめられたんじゃないですか」


 二、三発殴られる覚悟で言った。

 この状況からして、それしか考えられなかった。ぼくたちは田邊に毒団子を食わされたのだ。

 いつもの中西なら、友人を悪者扱いされれば烈火のごとく怒っただろう。

 だが、らしくもなくぐっと下唇を噛みしめるだけだった。


 田邊には動機もある。中西の嫁、田邊の妹だ。

 暴力、離婚、そのあたりで恨みがあった。それこそ呪い殺したいほどの恨みが。

 田邊は『自殺アパート』に踏み込んだ者の末路を知っていた。だから中西にあの化け物を差し向けることにした。


 そうなれば……赤城も、美和も、ぼくも、無関係な巻き添えということになる。


「あんたの――」


 確証などないのに、腹のあたりでぐらぐらと煮えたぎるものが抑えられなかった。


「――こうなったの、全部あんたのせいじゃないですか! なんもかんも!!」


 中西の返答は早かった。

 胸倉が掴まれた勢いでノートパソコンは膝から落ちる。頭突きのような勢いで額を付き合わせ、ぼくのメガネレンズにツバが飛ぶほどの大声でまくしたてた。


「証拠あんのか! ああ!?」


「化け物相手に証拠あるわけねぇだろ! 責任とってどうにかしろ!」


 胸倉を掴まれたまま、上体が壁に叩きつけられ、さらにみぞおちに拳が食い込む。

 散々飲まされた塩水が少し喉を駆け上がった。

 成す術なく力が抜け、ぼくは腹を押さえながら床に顔を伏せていた。


「やかましいわ、寄生虫のオカルトオタクが! これまで散々選択放棄しとって都合悪くなったら責任押し付けて逃げよってからに! 俺に着いてくるん選んだのは自分やろ! だったら、腹括ってやれや! 無駄吠えする暇あったら仕事せいや、ボケェ! ああん? なに泣いとんのや、男のくせに。そないな汚い水で許されると思うなや!」


 中西の言葉通り、汚い水が顔面を流れていた。

 伏せながら眼鏡を下ろして手で拭う。

 上がった息を整えて言い換えずつもりだったが、情けないことにだんだんと嗚咽に変わった。言い返せなかった。


「あーあー、まぁた社長に"吉瀬泣かしたんか"て言われるわ。面倒臭いわぁ、むかつくわぁ」


 立ち上がった中西。

 そのつま先がとんとんと苛ついた様子で床を叩く。その高さで丸まっていたぼくは、自分の脇腹に向かってくる靴の先端を見て、思わず腕でガードした。代わりに舌打ちが叩きつけられる。


「詐欺霊能力者とメンヘラの次はおまえか、無能。いらん説教してしもて今日はもうぐったりや。帰って寝る。そこのゴミクソ、よーっく頭冷やしとき。島袋美和がガチモンの呪われたアイドルになりよったしな、次は俺らがやったらなあかん。命賭けてでもやらなあかんねん。バケモンに命もってかれるくらいなら、自分でつこたるわ」


 動揺と痛みが頭と体を駆ける。頭を抱えて怯え、泣いて、反論すら頭に浮かばなかった。

 中西の言っていることは、あまりにも正しい。啖呵に感銘さえしていた。

 ぼくはいままで選ばなかった。選択を放棄した――選択を放棄するという選択をし続けてきた。そのツケが回ってきたのだ。

 その上で、これだけ言われ、蹴られ、自分が情けなかった。


「あー。もし今日の晩にでもおまえ死んだら、クレジットに名前大きく書いといたるわ。だっさいポップ体で。お似合いや」


 嘲笑しながら中西が出入口のドアノブを握る。


「もしも、中西さんに何かあったら逆でいいですか」


 精一杯の反抗、精一杯の強がりで、番組を完成させる意思を伝えたつもりだった。

 だが、中西は舌打ちを響かせ、悪態をつく。


「おまえ、こんなときも言われた通りの事務対応しよ思てんのか。仕事する気ないほんまもんのクソ社畜根性やな。俺は伝説作る男や。死ぬわけないやろ。おまえ明日来やんかったら化け物の前に俺が殺したるからな」


 彼なりの叱咤激励と受け取った。両手をついて起き上がりながらいつも通り「はい」と返事する。


「いうたな。いうたことに責任もてや?」


 言いながら中西は倉庫を出た。

 ばたん、と労りのない力でドアが閉じられる。


 ここまできたら、金になる伝説を作るしかない。


 美和の犠牲を無駄にはできない。

 そして、中西を見返すためにも。


 中西の言ったとおり、命を奪われるくらいなら、自分で使ったほうがマシだ。

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