除霊バトル-(2)
「し……に、ます……か……いつ、し……にま、すか……」
ぼくらは必死に息を潜めた。
しかし、闇からの声は次第に歯ぎしりに、唸りに変わる。
浅く激しい呼吸音は、怯えているようにも怒っているようにも聞こえた。
いよいよ何か起きそうなタイミングに、ふっ……と携帯電話の明かりが消え、再び暗闇と静寂が訪れる。中西はそれ以上、画面を操作することはなかった。
見てはいけないものを見てしまった、そして見なければならないタイミングで見えなくなってしまった。重い緊張感が限界まで張り詰めていた。
みし、みし、と誰のものとも知れない歩行の振動が迫り、美和の背後でぴたりと止まった。
美和の呼吸が乱れているのがわかる。それも当然だ。背後には知人を苦しめて殺した化け物が居座っているのだから。
こそこそと囁くような声が聞こえた。
うん、うん、と頷く声が響いた。
「いっぱい、いる……いっぱいいっぱいいる」
抑揚のない声は美和だった。
塩水はもう、口に含んでいないようだ。
「見たくない、いない、いないいない!」
この金切り声も美和だった。
いったい何が起きて――身構えたが畳みかけるように今度は光が差す。
電気が復旧したようだ。
白く塗り潰された視界に目がくらむも、瞼をこじあける。
目が鳴れる前に、耳が情報を拾った。
めりめりめりっ。
みりっ。
聞いたことも無い音だった。
音の出どころを追って首を横に向けると、美和の顔面の中央に真っ赤な液体がついていた。
鼻でも打ち付けて負傷し、血がついていたのかと思ったが、そうではない。
ついていたのではなく、無くなっていた。
上唇から鼻の付け根までの肉がごっそりと。
上あごに綺麗に並んだ白い歯と赤黒い肉がむき出しになっている。失われた肉片は、美和が腰かけるすぐ横に転がっていた。
ぼくは塩水を嚥下も吐き出すことも出来ず、思わず歯と唇の間に押し込んだ。
「いる、いる!」
美和が天井を仰ぎながら今度は両手で下唇を掴む。
まさか。
思っているうちに、マスクを脱ぐように下唇の肉が顎にかけてべろんとめくられた。血まみれの歯と歯茎が照らされててらてらと光っていた。まるで人体模型だ。
自分の力で自分の肉を引きはがせるはずなどない。頭がおかしくなっている。あるいは、頭の中にまた別の者が入っている。
ぼくと中西は咄嗟に見合わせ、美和を避けるようにして後ずさっていた。
助けを求めようと東雲先生の姿を探したが見当たらず、弟子二人は両脇に倒れている。
そうこうしている間にも紫の敷物の上で、美和の奇行が続く。次は、軟骨が割れる音とともに右耳が彼女の手の中に納まった。
「いる、いる。あ、あだじ見で……アア、ギギギ……い、ルゥ……」
次は左耳に手がかかる。
呆然としたぼくの前で、さらに理解不能な事態が起こっていた。
「やめんか、ボケェ!」
中西が美和に飛び蹴り、あまつさえ口の中に含んでいた塩水をブーッと吹きかけ、そう吐き捨てたのだ。
美和の身体がぼくのほうに倒れ、しなだれかかる。真っ赤な肉の茂みから眼球むき出しの目がぼくを見た。ぼくはあわあわと声にならない声と塩水を口から零しながら身をよじるほかなかった。
「おらあ! 悪霊退散じゃー!」
極めつけに中西はもう一度足を振上げ、美和の身体をぼくの上から蹴り掃った。
ごろん、と美和が仰向けに倒れる。
背中を逸らせて痙攣し……とまった。
またしても静寂が重なる。
ぼくと中西が、ぜえぜえと息を上げる音が何往復もした。
身体はオーバーヒート寸前で心臓が打ち鳴り、眩暈がする。下手に動いたらついさっき腹いっぱいに飲んだ塩水を吐きそうだ。なんならいっそぼくだって気を失いたい。
しばらくして祭壇のほうから布ずれの音がしたの。
視線をやると、その後ろから汗だくの顔を蒼ざめさせた東雲先生が這いつくばりながら現れたところだった。
彼はぼくらを――ぼくを見つめていた。どこか責め立てるような視線だった。
睨みつけたまま言った。
「私は何も知らない」
それがどういう意味なのか、ぼくにはまるでわからなかった。
言葉を口にしても、動いても問題ない、脅威は去ったのだと理解しただけだった。
だからこそ、東雲先生がどたばたと祭壇の上のものをひっつかみ、ようやく起き上がった弟子に「帰るぞ」と言って手早く片付け始めたことに安堵すら覚えていた。
ぼくらがその異常事態に気が付いたのは、東雲先生が自らが運び込んだ荷物を乱雑にまとめ、足取りのおぼつかない弟子二人が両手に抱えてからだった。
「おい、除霊バトルどうした! 失敗したんか!?」
追及は中西に任せ、ぼくは壁際まで四つん這いで進み、置いてあった荷物からスマートフォンを取り出して一一九番に連絡する。
「はっきりせいや! 除霊バトルはどうしたんや!」
「お代はもちろん結構。こちらからキャンセルです。私たちはここに来ませんでした。そして何も見なかったし、知りません。それじゃ」
「キャンセルて、おまえプロなんやろが! 偉そうな口ききよったくせして!」
東雲先生は少し感情的になり、むしろぼくたちに怒りをぶつけるニュアンスだった。
「あのね、これどう見ても普通じゃないでしょ!」
「普通な悪霊なんぞおってたまるか! 仰山おったやろが! ぶらんぶらんしとったやろが!」
「それだよ、それ!
「あ?」
東雲先生はそこで苦々しくも笑みを浮かべた。
「巻き込まないでもらえるかな。おおかた自分たちで産んじゃったんでしょ。それはさすがに自己責任だよ。最後まで面倒見ることだね」
「はあ?」
浴びせかけられる中西の暴言を無視して、東雲先生一行は足早に去っていく。
救急車が来るまで、ぼくと中西は顔を見合わせながらも言葉を交わすことは無かった。
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