恐怖の大王


 田邊が白状したことにより、ことのあらましは掴めた。

 しかし、目の前が拓けるような事実もなく、むしろ最悪な予想が的中し、自分たちが不必要な犠牲だったと思い知らされただけだった。


 ホテル街の裏の駐車場に停めてあった車に戻るなり、燈子は、


「わたし、大丈夫じゃないです。少し休ませてください」


 と、言ったまま水のペットボトルを片手に助手席でうなだれていた。


 どうしたものかと思いながら、ふと思いついてコンソールボックスを開く。中西のタバコが一本だけ残っていた。

 田邊に勧められた時は勢い余って断ってしまったが、金も健康も気にせずもらっておけばよかったと今になって後悔していたのだ。


 中西のライターとタバコの箱、携帯灰皿を持ち出し、駐車場の片隅で火をつけた。

 慎重に、深く、ゆっくりと吸い込むと、舌と喉がしびれた。肺に収めた煙を同じテンポで吐き出すと、苦みが口内に広がっていく。

 久々に吸うものだから我慢しただけ美味いのかと思っていたが、そうでもなかった。中西が助手席でぷかぷかやっている、その臭いが巻き上がるだけだ。

 それでもぼくの脳は喫煙行為そのものに懐かしさを覚えていたのか、昔のように焦りと陰鬱さの靄が晴れていく。


 この際だ。

 山積みになっていた事象を頭の中で掻き分け、並べ直した。


 まずは原因。

 十五年前に田邊が『自殺アパート』という都市伝説を捏造した。

 このときはまったく噂にもならなかったが、田邊はネット掲示板を使って自殺志願者を送り込んでいた。携帯電話の首吊り少女またはその友人『水島 瑠璃亜』も田邊にそそのかされたのだろう。この時点でも噂が広まらなかったのは、心霊スポットというよりも『実践場所』としての意味合いが強かったからだ。死を考えている人間にとって聖地だったのだ。

 彼らはそれぞれの理由で死を選んだ。だが、彼らに共通しているのは、思考停止、他力本願、現実逃避、自己顕示欲……世の中に対する期待と諦め――矛盾した感情だったのかもしれない。

 噂と化け物の発生が前後しているが、こうして『自殺アパート』という都市伝説は、人為的に産み落とされた。


 あそこにいる化け物は、自殺者のカタマリだ。

 人間を模倣し、惑わせ、苦しませ、殺す。

 燈子の口ぶりでもそうだったが、ぼくが実際に直面した印象からしても、漠然と世の中を恨み、そこで生きる人間を『ずるい』『苦しめていい』と捉え、子どもが虫の翅をむしるように虐めてその死体をまた別の誰かに投げつける……残虐な相手だ。


 呪い。

 あの部屋に入り、生きて出たものはあの化け物に付きまとわれ取り殺される。自殺を強要する部屋だ。

 田邊は呪われたことを逆手にとって、中西を呪った。ぼくたちは、中西への報復に巻き込まれ、自殺を強要する部屋に踏み込んだ。無関係で不要な犠牲だった。


 ――まてよ。

 そうだ。燈子には、どうやって呪いが感染した……?

 美和の家に寝泊まりしていたのだ、なにかきっかけはあったかもしれない。

 そうなると、ぼくたちは解除どころか、生活しているだけで呪いを伝染させる可能性があるのではないか。

 生きていること自体が、呪いを広げる手伝いとなっているのではないか?

 ならば、ぼくたちが出来ることは――やっぱり……。


「……自死、か」


 気が付けばタバコは根本まで灰になっていた。

 肺の中の空気を吐き出し、吸い殻を灰皿に収める。美味くはなかったが、名残惜しい。どうもタバコとは縁が切れていないようだ。


 疑問はあれどぼくたちに迫られた選択肢はもっとシンプルだ。

 諦めて自死を選ぶか。

 田邊同様に利用するのか。

 あるいは、妙案などないが件の鏡を壊しに化け物の巣へ向かうのか。

 ぼくは運転席に戻り、燈子の横顔をうかがった。彼女は人形のように綺麗な姿勢で座り、前を見据えていた。


「わたし、行きます。鏡を壊しに。例の場所まで送ってもらえますか? もし、うまくいったら褒めてくださいね」


「いやです。未成年者を夜の山に連れていけません」


「それなんですけど」


 燈子の白い指先が正面のデジタル時計をトントンと叩いた。

 時刻は二十二時を指している。


「あと、二時間くらいで二十歳になるんです」


「うそでしょ。いくらなんでも最悪すぎませんか」


 呪い云々抜きにしても、こんな薄汚い車内で、アラサーのオカルトゴリラと一緒とは……と、思ったが言葉は飲み込んだ。

 ぼくが驚いたのにしてやったり、というところか。燈子は得意げだった。


「一九九九年、七の月生まれなんです。恐怖の大王なんですよ、わたし。だからノストラダムスの予言だけは知ってるんです。恐怖の大王とアンゴルモアの大王がいて、なんかすごいことになるって――吉瀬さん、いま鼻で笑いましたよね」


「コンビニのケーキでいいですか?」


「誤魔化さないでください」


「食べないんですか」


「食べます。あと――さっき吸ってましたよね。匂い、します。コンビニ寄るならタバコも教えてください」


「いやです」


「けち」


 まるで塩を渡されて呆然とした、あのときの会話の続きのようだった。

 ぼくは必死に誤魔化しに誤魔化しを重ね、どこに向かっているのか、これから何をしに行くのか、何が起きるのか、そんな話題を避けながらアクセルを踏んだ。


 到着する頃には、午前十二時を過ぎていた。


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