到着


 車を止め、山を歩くこと十分。

 ロケ地に到着した頃には日が暮れかけており、周囲は薄青に沈んでいた。

 べたつく生暖かい風、茂る緑の匂いが満ちている。

 足元はシダ植物に覆われており、土はふかふかと柔らかく道の痕跡もない。

 シュワシュワシュワシュワシュワシュワ……と、蝉の声は時雨どころか、豪雨のように降り注いでいた。


 そんな自然の中に不自然に佇んでいる人工物――件の『自殺アパート』はすっかりツタに覆われていた。緑の大箱というシルエットである。

 三階建てが二列。全部で六部屋だ。小さな窓穴と赤さびたベランダの手すりが並んでいる。

 ツタの浸食を免れた一階の外壁にはスプレーで落書きされており、ガラの悪い連中が出入りした痕跡もある。

 建物からはすでに、霊的な力を持った加害者というより、生きた人間に弄ばれた被害者という様相が漂っていた。


 ピピ、と不躾な音が何度か鳴った方を見る。

 美和がスマートフォンのカメラを自分に向けてピースサインをしていた。


「友達に送るだけでぇす」


 ぼくがものを言う前に、彼女は液晶画面に向かいながら親指をせっせと動かす。

 この態度も彼女が売れなくなった理由なのだろうが、親切に教える気はすっかり削げていた。


 さらに、美和の後ろでは赤城まではしゃいでおり、今では珍しい折り畳み式のガラケーのカメラをアパートに向けている。きっと彼女の長話のネタになるのだろう。

 今度こそぼくは口を挟まなかった。

 カメラ越しとなれば彼らは登場人物に過ぎない。いちいち腹を立てても徒労に終わるだけだ。


 両手に抱えた機材を下ろし、撮影の準備に取り掛かる。

 その間、演者の美和と赤城、監督の中西は台本を広げて段取りを確認していた。


 台本の流れでは、霊能力者役の赤城が都市伝説などを語り恐怖を煽りながら各部屋を五分ほど探索、〆のトークの最中に美和に霊が憑依され除霊――という流れだ。あまりにもオーソドックスな内容であるが、中西曰く、「ホラーに小難しい設定いらんねん。一生懸命頭使ってたら怖なくなる。バンバン幽霊出んのもしらける」という話だった。それには大いに同意する。


 そんな中西はいままさに、血走った目で自らの番組方針を語りはじめた。


「この廃墟はまだや。島袋美和、おまえが取り憑かれる、除霊バトルする。番組配信と同時にSNSで噂を流したる。呪われたアイドル、呪われたビデオって。俺らのビデオが都市伝説になるんや。おまえ、伝説になるんや! よかったなあ!」


 肩を掴まれた美和は


「除霊バトルで、呪われたアイドルで、伝説ですか」


 と引きつり笑い。

 赤城はひとしきりに中西を褒めそやした後、


 「ぜひパート2にも呼んでくださいね」


 と商魂たくましかった。

 かくいうぼくも、中西の"除霊バトル"と"伝説"は内心で笑ったクチである。


 実際のところ、中西は自身を伝説にしたいのだ。オカルトブームを再燃させ、生きた証を残したい、歴史に名を刻みたい、過去の栄光である心霊番組で自分を見下してきた連中を見返したい。それが彼の根源だ。酔ったついでの長話でそう聞いた。

 美和や赤城も同じだろう。自分が有名になるため、もっと誰かに知ってもらうためにアイドルや役者をやっている。


 力を認めさせたい。

 認知されたい。

 忘れられたくない。


 自己認証欲求や同調欲求は、残念ながらぼくには到底理解できない動機だ。

 ゆえに、彼らを別の生き物のように感じていた。

 それどころか人間がいる場所は人間社会で、居心地が悪い。


 ぼくは盾を構える心持でカメラを肩に添え、一息つく。これで全部、カメラの向こうの他人事だ。

 安堵に付け込むように、それは起きた。


「おお」


 ぞっとしたにもかかわらず、ぼくの口からは悲鳴ではなく、とってつけたような感嘆が飛び出た。

 カメラの液晶に映った黄色い枠があちこちで浮かんでは消えている。

 黄色い枠は顔認識機能の反応範囲だ。中西、赤城、美和の顔を囲む黄色は彼らの顔を追従しているが、それとは別に彼らの背後、樹々の中で黄色枠が浮いては消えてを繰り返す。そのせいで三人にはなかなかピントがあわない。

 まるで『なにか』がようだ。


 気持ちが悪いと思いながらも対岸の火事の心持で淡々と作業を進めた。

 ヘッドセットをつけ、いましがた録画した映像を再生した途端、またぎょっとして今度こそ身を縮める。


『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』


 会話する三人の口がパクパクと動いているが声は聞こえず、代わりにマイクのすぐそばで早口に呪詛を唱える声が聞こえた。

 ぼくは停止ボタンを押したが、その声の正体にすぐさま気が付き胸を撫でおろす。


 シュワシュワシュワシュワシュワシュワ。

 シュワシュワシュワシュワシュワシュワ……。


 蝉時雨が重なりあい、微妙な波長なずれが空耳を引き起こしたのだろう。


 不気味ではあるが、ありがたいことでもあった。

 ちょっとした機械トラブルや自然の織り成す不思議な現象を、霊障だと言い張らなければ間が持たないほどにぼくたちの作る番組は退屈だ。こういったは大歓迎である。むしろ幸先が良い。


 小道具や工具を入れたボディバッグを背負い、機材チェックのOKサインを出す。

 ちょうど前説教が終わったのか、中西は画面外に下がり、脈絡もなくぼくの肩を殴った。


「時間もないしな。そいじゃ、いいもん作ろうか!」


 機嫌が悪いわけではないのか、景気の良い大声を張り上げてキューを出す。

 ぼくはモチベーションとテンションに深い溝を感じながらも、やはり他人事で彼らにカメラを向けた。


「えー、ちょっと待ってくださいよお」


 さっそく、美和が出鼻を挫く。

 唇を尖らせてぼくに――カメラに駆け寄ってきた。

 すでに無関係な視点の気分でいたぼくは、いきなり視界いっぱいに手を伸ばされたのに怯み、逃げるようにカメラを持ち上げる。常人の感覚ではないかもしれないが、ぼくからしてみれば眼球に触れられそうになるのと同じだ。

 しかし、美和の腕力はそこそこで、ぼくの腕は引き戻される。


「うわ」


「は? うわ、とか失礼じゃないですか? あたしアイドルなんですけど」


「……すみません」


「ふん。まあ、いいですけど。ほら、画面見せてください。カメラ映り確認したいんで」


 しぶしぶカメラの側面についている液晶を裏返す。抵抗してべたべたと触られるよりはマシだった。

 レンズは美和を映し出し、その映像を画面が表示する。ぼくの視界であるはずのカメラは、美和の鏡代わりにされていた。

 髪型をわずかに、それから胸の谷間を豪快に調整すると美和はいたずらっぽく歯を見せて笑う。


「カメラさん、特等席ですね。良かったですね」


「はあ」


「あれあれあれ~、もしかしてそっちのヒト?」


 そっちとこっちの境界線など知ったことではないが、少なくとも美和とぼくの間に境界線があるのは確かだ。

 それを懇切丁寧に説明して彼女を納得させる時間と労力は計り知れない。

 なによりも、境界線を超えて話しかけてほしくはなかった。


「もういいですか」


 ぼくが液晶画面を元に戻すと、美和はにやつき「はあ~、はあ~、そうなんですね。あたし、理解あるんで大丈夫ですよ」と一人で納得した様子だった。


 ようやく全員が配置につく。

 再びぼくは肩を殴られ、中西がキューを出す。

 まごついていたが、やがて美和のたどたどしいオープニングトークがはじまった。


「こんばんは! 島袋美和です! いえーい! 今日は……見てください、S県のとある廃墟にきています! 夜の廃墟って不気味~!」


 拳銃でも突き付けられているのかと思うほど感情のこもらない棒読みである。顔が良くても売れないはずだ。

 これはこれで伝説になるのでは。ぼくは皮肉めいたことを考えていた。

 その間にも美和が、この自殺アパートにまつわる都市伝説を説明する。

 あまりにもたどたどしいのであとでテロップを入れることになりそうだが、中西が作った都市伝説はこうだ。


 樹海にぽつんと残されたアパートの三〇一号室にある鏡の前で自殺すると、世の中に恨みを晴らせる怨霊になれる。その怪談を聞きつけた自殺志願者が続々と死んでいったため、いまでは世の中に恨みを持つ怨霊たちの巣窟となっている、といった話だった。

 中西は、十五年ほど前にそんな話があったような気がしなくもない……とはぐらかしていたので、要するにパクりである。

 少なくとも、本当に何人も自殺したのならいくつも死体が見つかっており、すでに警察沙汰になっているはずだ。もちろん、過去にそんな事件は起きていない。この話は最初から破綻しているのだ。


 カメラが外観を舐める間もなく、美和はどんどん進行する。台本上に書かれていたセリフをしゃべるのに精一杯の様子だった。


「こんーな怖い場所は、か弱い美和だけだと心もとない……と、いうことでー! 最強霊能力者の赤城リツ先生に同行してもらっています! 拍手~、ぱちぱちぱち~!」


「こんばんは」


「こんばんは~! あのお、赤城先生。さっそくなんですが、どうですか? このあたりは~」


「非常に危険な状態です」


 美和の棒読みが聞くに堪えないせいで、赤城の演技がより自然に見えた。

 ぼくには演技のことはわからないが、神妙な面持ちの彼女は少なくともロケバスでぺちゃくちゃ喋っていた饅頭おばさんとは別人だ。

 裏を返せば、美和の不自然さが際立っていた。


「あのですね、さっきからおかしいんですよ」


 赤城はそう言いながら段取りにない方向を指した。


「あそこだけツタが枯れてるでしょ。霊の影響が出ている証拠ですよ。気を付けてくださいね」


 そういうアドリブは歓迎しないのだが、と思いながら赤城の演技に合わせてアパートの三階部分にカメラを振る。向かって右側の一室の窓。青々としたツタの一角に茶色が目立っていた。

 一説によると、そういった場所は霊が生気を吸い取っているといわれている。最強霊能力者の赤城リツ先生にはいくつか心霊ビデオを見てもらったので、過去の設定に則っているのだろう。

 だが、生きやすい場所、生き辛い場所があるのは自然の摂理だ。生きづらい場所に生まれてしまったのなら、生気がなくなり枯れていくのも然り。

 なんならぼくに生気がなく無気力なのも霊障だとでもいうのだろうか。


「ほんとだ~! コワ~イ! でも、勇気を出して中に入ってみましょう。レッツゴー!」


 ネガティブな考えが雪崩れ込みそうになったところで、キンキンと鼓膜に響く美和の声に引き戻された。


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