《DAY1 7月15日》 噂なきものの噂

捏造


「カメラマンさん、お饅頭食べる? ええっと、あなたなんていったかしら」


 ワゴン車の最後尾列、白い法衣姿のおばさんはビニール袋をまさぐると、自らのような個包装の白饅頭を突き出しにこやかに笑った。

 顔の肉が下瞼を押し上げ、目は漫画のキャラクターのように上向きの弧を描いている。


 ぼくは人間のくせに、人間という種族が苦手だった。とくにこういう、親切な――お節介で馴れ馴れしい人間はとくに。

 聞こえないふりでもしようと思ったが、二列目からハンディカメラを向けたぼく以外にそれらしい人間もいないので、誤魔化しようがない。


「吉瀬拓郎です」


 ぼくが三回目の自己紹介をすると、おばさんは


「これまた失礼しました」


 とおどけ、それでも饅頭を突き出してきた。

 彼女からしてみれば、三十路に手が届きそうなぼくでさえ子どものようなものなのだろう。

 断るタイミングを失い、ぼくは致し方なしに突き出された饅頭を受け取った。


「それで、どこに向かってるんだっけ? 心霊スポットの」


「『自殺アパート』です」


「そうそう、それそれ!」


 おばさんは膝を叩くとゲラゲラ笑い、話を続けるでもなくまたビニール袋をまさぐった。


「はい、美和ちゃんもどうぞ」


 最後列の隅、おばさんの隣にすっぽりと収まった小柄な女性に饅頭が差し出される。

 ぼくとは違い、女性は両手をちょこんと出して、


「わあい」


 と受け取りさっそく白い塊を口に運ぶも、数回咀嚼するとお茶で流し込む。

 おばさんはそんな様子も気にせずに


「おいしいでしょ。近所の和菓子屋さんでね」


 と自分語りをはじめた。

 若干、空気のズレが生じているものの、恐怖の心霊スポットに向かっているとは到底思えない、和気藹々とした雰囲気だった。


 それもそのはず。

 早い話、ぼくたちはヤラセ心霊番組の収録に向かっていた。


 おばさんは霊能力者役の売れない役者で、役どころは霊能力者の赤城エツ先生。白い法衣と輪袈裟はこちらで用意した衣装であり、見る人が見れば宗派がどうとか文句がつくかもしれない。本名は町田絵梨と霊能力者役にしては素朴すぎるので、ぼくらは彼女のことを赤城先生とインプットしている。良く言えば明るくて柔和そうな、悪く言えば饅頭のように丸くて小うるさいおばさんだった。


 その隣は賑やかし役の売れないアイドル・島袋美和。派手な花柄のワンピースも着こなす華やかで可愛らしい顔立ちの美人だ。

 一時期はゴールデンタイムの番組にも出ていたが性格に難ありで干され、現在はバイトの日給に等しい金額でヤラセ番組の片棒を担ぐところまで落ちてきた。残念ながら、事前の台本読み合わせで途轍もない棒読みを披露しており、ぼくは二度と出演依頼を出さないと心に決めたので、彼女はさらに下へ落ちることになるだろう。


 余った座席には、血糊やマネキンの頭などの小道具、ベニヤ板やのこぎり、両口ハンマーまでが積み込まれており、台本さえ用意されている。

 目的地に廃アパートは実在するものの、幽霊が出るだとか、怪現象が起きるだとか、怪談めいた噂はない。人里離れているが国道から歩いて十分と、樹海というほど深い場所でもない。

 ネット上では、ガラの悪い若者に荒らされたであろう室内の写真が何枚か残っており、物騒ではあるが心霊番組で扱うにしてはいまいちパンチに欠けるスポットだった。


「ちっ……」


 車内に舌打ちが響いて、ぼくは考えていることが外に漏れだしているのではないかと身を小さくして運転席を見た。


 いまいちパンチに欠けるスポット――だが、その点を『新しい都市伝説を作る』としてたいそう執着しているのが、このワゴン車のハンドルを握る男。売れない心霊ビデオの監督でぼくの上司、中西栄吾である。


 二十年ほど前、一九九九年に人類滅亡と予言したノストラダムスや、ホラー映画『リング』のヒットをはじめとしたオカルトブームの波に乗り、数々の心霊番組制作に携わっている。いまでこそブームは過ぎ去り下火だが、まだコアなファンもいる……と本人は語っていた。真偽は不明だ。


 今回の『自殺アパート』はとくに、オカルトブームを自分の手で再燃させたい――そんな意気込みが嫌と言うほど感じられた。

 だからといって、ありもしない都市伝説を捏造するのは見栄っ張りで安直な中西らしい発想だ。大胆不敵、荒唐無稽である。しかし、唯一の部下であるぼくが異を唱えることはなかった。

 ぼくらが撮る番組は動画サービスでひっそりと配信され、検索しなければ出てこないような代物だ。ブームを起こすなど、たいそうな夢物語である。

 だが、中西はそう思っていなかった。感情的になって番組作りの在り方やオカルトブームがいかに良い時代だったかを散々聞かされ、ぼくは説得するのが気の毒になった。面倒になった、ともいう。


 そもそも、中西とぼくの関係は上司と部下というよりも、支配者と奴隷に近い。どんなに論理的に説明できたとしても、ぼくの言葉など聞き入れはしないだろう。

 上司の彼が運転している状況も、長時間運転を考慮したわけではなく、彼の横暴にすぎない。


 無論、東京を出発したときは下っ端のぼくがハンドルを握っていたが、中西はたびたび赤城に話をふられて鬱陶しくなったのか寝たフリ。それも飽きたらしくサービスエリアに到着するなりとくに意味も無くぼくのスネを蹴りながら、


「おまえ運転代われや、代わったるちゅうてんのや」


 といつものエセ関西弁で脅したのである。

 ぼくは身長だけなら中西より一回り以上大柄だったが、四十路半ばにもかかわらず出世の機会を逃し、機材を担いで現場を走り回ってきた中西の体つきははた目から見てもがっしりしている。もし暴力沙汰が起きるとなれば、ぼくはものの数十秒でサンドバッグにされるだろう。

 だから、ぼくは中西が怖くて「はい」「ありがとうございます」を繰り返した。


 ちょうど、そのシーンを美和に目撃され気まずい空気が漂ったが、ぼくは本日も


「いつもこうなんで」

「コミュニケーションです」


 と苦笑いで誤魔化した。

 もちろん嘘だ。れっきとした暴力だ。中西はこの気性のせいで離婚し、慰謝料による多大な借金まで抱えたのだから法的にもお墨付きだ。

 えてして、横暴な支配者に対し、奴隷は考えるのをやめた。


 真剣にオカルトブームの再来を望んでいる暴君中西は、車内の和やかで遊び半分な空気を歓迎するはずもなく、すっかり苛ついている。ガードレールの向こうは切り立った崖の道だというのに運転も荒い。

 奴隷のぼくは見て見ぬふりをしながら、支配者の機嫌の悪さとハンドルさばきに怯えて過ごすだけだった。


「ふふ、監督さんも緊張してるみたいね。わたしも役者稼業は久しぶりだからどきどきしてきちゃった!」


 舌打ちをどう解釈したのか、赤城は見当違いなことを言って豊満すぎる胸をおさえておどけてみせた。


「あー……だいぶ山の中に入ってきちゃったなあ」


 美和はマイペースに窓の外にスマートフォンを向け写真を撮る。流れるように液晶画面上に両の親指を滑らせた。

 たしかに窓の外にはノスタルジックな色彩が広がっていた。

 黒い山稜。空は昼から夜のグラデーション。写真には納められないが、ガラス越しに蝉時雨がじゃぶじゃぶと溢れている。誰かに見せたくなるような光景だった。都会生活に慣れたぼくたちからしてみれば、なおさらだ。

 とはいえ、ロケは秘密裏に行われている。


「あの、写真のアップロードは――」


「カメラマンさんだってずーっと撮影してるじゃないですか」


 ぼくが彼らに向けていたカメラを、美和は顎で示した。


「いや、これはシーンを繋ぐ素材を集めてるだけで……」


「へえ。じゃあわたしも友達に送るだけでぇす」


 黙っていろと言いたげな美和の態度に、ぼくは溜息を返すのみに留めた。


 粗暴な中西、緊張感のない赤城、マイペースな美和。

 ぼくは心霊スポット云々よりも、この三人と一緒にいることに疲れていた。

 ああ、嫌だ嫌だと心の中でケチをつけることすら、贅肉に押しつぶされた赤城の声に割り込まれる。


「カメラマンさん、カメラマンさん。ええと」


「吉瀬です」


「あなたもなんだかワクワクしてきたでしょう?」


「ぼくは……はい」


 げんなりしている、なんて口に出せるわけがなかった。


「ねえ、あなた。どうしてカメラマンになろうと思ったの? その眼鏡、ちょっと野暮ったいわ。背も高くてシュっとしてて、背筋を伸ばしたらきっと見栄えするわよ。役者志望とかじゃないの? わたしの知り合い、劇団長していてね。そこの若い子はみんな背が高くて痩せててね、わたしみたいな体型の人なんていないわよ、うふふふ。ダイエットしようとおもってはいるんだけどね、それでね」


 美和がスマートフォンいじりに専念しているので、ターゲットをぼくに変えたのだろう。

 散々、質問を投げかけられ、ぼくはうんざりしていた。


 ぼくがカメラマン――ひいては暴君中西の奴隷を続けられている理由は一つ。

 ぼくという寄生虫根性の奴隷にとって、中西はちょうどいい主(あるじ)だからだ。


 ぼくは、人生を諦めていた。

 人とかかわるのも、将来設計も、なんなら努力も面倒だった。

 人間社会貢献になる夢や目標などがあるはずがなかった。かといって山にこもる胆力もなく、むしろインターネットに依存し、薄給と税金年金に苦しむ、絵にかいたようないまどきの若者である。

 これがいわゆる、社会の消耗品として飼われている畜生――社畜というやつなのだろう。少数派で悲観的かもしれないが、珍しい話ではない。


 唯一と言っていい趣味がカメラだったが、知識や技術を身に着けようという気は起きなかった。

 世界をレンズ越しに見ていると他人事のような気がして楽だった。それだけだ。

 趣味というより、心の拠り所といったほうが正しいのかもしれない。


 そんな動機で映像の世界に片足を突っ込んだ、興味も信念も熱意もない落ちこぼれのことである。

 大学の先輩に言われるがまま映像制作の会社に就職し、無能を晒し続け、劣悪環境に流れ着くのは不思議でもなんでもなかった。


 中西にしろ、言うことを黙々と聞き、サンドバッグ替わりにもなる、いわば『意思なき奴隷』が都合よいのだろう。先述のとおり、彼の人間性は粗暴で、態度は横柄そのものだがエンターテイメントを追い求める情熱だけは本物だ。

 そして、その暴走気味なバイタリティーは今度、目標を失ったぼくにとっても都合が良かった。


 暴走と無気力。

 野心と腑抜け。

 ぼくたちクズは、人としての相性こそ最悪だったが、どうしてか事情が噛み合っていた。


 ――と、こんな話を模範的社会人の赤城に話したところで理解されず、むしろ「人間は素晴らしい」とか「未来は明るい」などの使い古されたお説教がはじまりそうである。

 ぼくからしてみれば、社会性や同調に汚染されきった赤城こそ遠ざけたい人種であるが、やはりそんなことも説得しようがなさそうだ。


 ぼくは自分の話題にされないよう、当たり障りなく解答し、ただただ気のない相槌を打ち続けた。

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