ぱかぱかぶらぶら


 勤務時間が迫ったので心身と後ろ髪を引きずり定位置の機材倉庫に入ると、そこでは中西が乱暴にダンボールの中をひっくり返していた。

 ぼくがいつも座っている場所には、黒いコードの山が出来上がり、それを蹴り散らかしながら何やら物色している。


 嫌なところに出くわしてしまった、と思いつつ「中西さん、明日のことなんですが」と燈子が持ち掛けてきた除霊について話した。

 断られると踏んでいたので二の句を用意していたが、意外にも――そして妙な事に中西は「除霊バトル2やんけ! やろうや!」と乗り気だった。


 もしかして、中西にも霊障が起きているのか。はたまた番組作りの詳細についてはぼくに押し付けきりなのか。

 質問して素直に答えるはずもないので、考えないことにした。


 一方的に盛り上がりと悪態を見せ終えると中西はふと我に返り「遊んでる場合やないやろ」とぼくの脛を蹴る。


「何か探していたんですか?」


「おまえ、知っとるやろ。コードの。充電するやつ。変換の」


「何を充電するんです?」


「パカパカのやつ」


「はい……?」


「ケータイ。これや、これ!」


 中西は手の中で転がしていたピンク色の塊を印籠のように掲げた。


「端子はどんな――」


 受け取って折り畳み式の携帯電話を開いた瞬間、どことなく腐臭を感じて『自殺アパート』を思い出す。

 間違いない。これは、三〇二号室に置いてあった携帯電話だ。

 手のひらからひりつくような気配が染み入る。


「中西さん、廃墟から持って帰ってきたら泥棒じゃないですか!」


「やかましいわ。誰がほしがるっちゅうねん、こんなもん。あの管理人のじいさんのこっちゃ、どうせ知らん知らん言うわ。それよか全然尺が足らん。ネタ探さんといかんのや、わかっとんのか」


 尺が足りない。わかっている。努力している。常々ヤラセはグレーゾーンに収まっているが、犯罪に手を染めたとなると面倒なことになる。

 頭の中では言いたいことが次々に浮かんだが、寝不足の身体からは中西を説き伏せるだけのエネルギーが捻出できなかった。

 そして、携帯電話に眠っているであろうなんらかの記録(データ)に興味を持っている自分もいた。それで尺が埋まるなら儲けものだ。せめて番組内容だけでも心配事をなくしたい。


「わかりました。防災グッズのほうにあるかもしれません」


「さよか。じゃ任せたわ」


 中西は自分で散らかしたコード類を跨ぎ越えて倉庫を出ていった。


 いつも通りの横暴に呆れつつ、ぼくは携帯電話に接続できそうな端子を探す。

 わが社がブラック企業であることが幸いしたのか、必要としている古い端子は避難袋の中から出てきた。賞味期限切れの乾パンや水と共に。

 一見して携帯電話自体は保存状態が良く、電池パックも正常であるが、長年放置されたものは放電などの関係から電源がつく可能性は極めて低い。誰かが定期的に電源を入れては切ってをしていない限り。


 十五分ほど電気を食わせたところで中西が倉庫のドアを開いた。ぼくたちはのけものだ。彼とて社内には居づらいのだろう。


「できてるやん。やるやん」


 言いながらぼくの横に座り、傍らに置いてあった携帯電話を操作した。

 新しいおもちゃを与えられたチンパンジーのような有様に、つい口を挟む。


「起動は電源ボタンを長押しです」


「わあっとるわ!」


 中西の人差し指が電源ボタンを押し込む。

 ぼくは、起動するな、起動しろ、と矛盾したことを願っていた。

 すぐに小さな画面が、白く点灯した。


 壁紙には、数年前に電撃結婚で世の中を賑わせ、いまではイクメンパパで知られる男性アイドルの写真が設定されていた。持ち主は若い女性だったのだろう。

 好奇心と怯えの板挟みになる感情を抑え込みながら、中西のぎこちない操作を横目で見る。


「お、写真あったで。ううわ、えらい画質や。懐かしいな」


 パソコンをいったん横に置き、中西が差し出す小さな画面を並んで覗き込む。

 正味、一人で確認しておけと言われていたら泣きたい気分だっただろう。いまばかりは中西が隣にいることを感謝した。


 小さな画面の中には若い女の子の日常が残っていた。

 最初に映っていたのは、男性アイドルのポスターで溢れた部屋だった。勉強机からして学生のようだ。

 可愛らしくデコレーションされたカップケーキ、ピースサインを並べる友人たちの写真、夕焼け空。

 それから――リストカットの傷。


「知っとるで、これ」


「なにがですか?」


「メンタルヘルスケアが必要な女、略してメンヘラや」


 中西は得意げだった。

 ぼくは、だからなんやねん、という言葉を飲み込み「言いますね」と話を流した。

 リアクションが面白くなかったのか、眉間にしわを刻んで携帯電話をぼくに押し付ける。


「俺、メンヘラ嫌いやねん。別れた女房、思い出す。自意識過剰のくせして努力もせん、そのくせヒトを悪モン扱いして癇癪起こす。めんどくさい」


 どちらが悪かったのかはすでに裁判で決着がついた話である。


 致し方なく、ぼくは一人で写真の確認を続けた。

 淡いピンク色を好む少女だった。特別仲の良い友人もいたようだ。何枚もの自撮りがあった。手首だけでなく、顔を傷つけてもいた。大量の薬の写真もあった。たしかに精神的に問題があるように思える。

 同情に値する境遇だったのかもしれない。

 だが、ぼくが知りたいのは彼女のことではない。

 鏡はどこから来たのか、靴はいったい誰のものだったのか、彼女は携帯電話を置いてどこへ行ったのか……だ。


 いっこうにその答えが見つからず、次第に内容確認もおざなりになってくる。

 血にまみれたリストカットの画像を何枚か見て、痛みの表現に慣れてきたと思っていたところだった。

 油断していた。


「――うっ」


 思わず携帯電話を落とした。

 おぞましいものだと、ぼくの身体は瞬時に理解したのだ。

 先ほどの悪寒とは比べ物にならない、まるで高いところから突き落とされたかのような浮遊感さえ伴う寒気が全身を駆け抜けていた。

 怪訝な顔をしてぼくを見ていた中西も、床に転がった携帯電話の画面を見てさらにシワを寄せ、らしくもなく言葉を失っていた。


 ぼくはおぞましさを摘み取るように一つ一つ思い出す。


 ピンク色のフリルスカートから伸びる二つの白い足先の画像だった。床に置かれたであろう携帯電話のカメラとフラッシュが、闇の中に浮いた足先を映し出していたのだ。

 服装からして、闇の中に浮いているのはこの携帯電話の持ち主だろう。

 どうやって宙に身体を支えているのか。ぼくの脳裏には、梁から垂らされた荒縄が少女の首に巻き付いている様がはっきりと浮かんでいた。


 少女が首を吊っている。スカートからのぞくふくらはぎの肉は灰色に変色し、黒く血管が浮いていた。

 傷ではない。死体の写真だ。

 しかし、戦慄したのは死体の画像だからではない。


「な……なんや、大げさにびびりよってからに! ただの足やないか! モノホンの死人やとしても、葬式で見たことくらいあるやろ!」


「そう、じゃなくて……」


「ああん?」


「……誰が撮ったんですか、これ」


「…………」


 問題は、この写真を、ということだ。

 これまで散々、捏造写真を作ってきたぼくにはわかる。少女の手が届くはずがない。それどころか、カメラはほとんど床に置かれた不自然なアングルだ。いたずらにしたって意味のない、不自然な角度だった。


「はっ……! こんなもん、手でぶら下がったら撮れるやないか! メンヘラは構ってちゃんするためにするんやろ、こういうの。どうせ写真写り気にして何枚も撮ってるんとちゃうんか!」


 中西はそういうが、ぼくには確信があった。

 臭ったのだ。

 鼻の奥まで貫通し、胃がぎゅうっと絞るような臭いが刹那に漂った。すさまじい死の臭気が浴びせかけられ、ぼくは無意識のうちに手の中にある禍々しい塊から逃げ出していたのだ。


「ほれ、次みてみい!」


「中西さん、自分で操作してください」


「いいから、やれや!」


 深呼吸をして、再び携帯電話を拾い上げる。

 臭いはすでに消えていた。もしかしたら、ぼくの嗅覚が恐怖から見せた幻で、そんなものは最初から無かったのかもしれない。

 もう一つ、送りボタンを押すと最初に見た彼女の部屋が映し出された。


「あれが、最後の写真みたいですね……」


「ふん、さよか。どうせいたずらに決まっとるわ」


 中西は口先では認めていないが、携帯電話からは目を逸らしたままだった。

 ひりつくような空気が漂う。


 そんな中、無遠慮にドアが開いたかと思うと、やっぱり芹沢が顔をだした。にやけている。

 見るのも鬱陶しい顔だったが、今日ばかりは、助かった。


「今度は何やらかしたんすか? なんか、警察の人きてますよ」


 きっと赤城のことだろう。

 次から次へと……。

 頭を抱えながら、ぼくらは来客対応に追われた。


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