第20話 亜人街



「うわぁ!?」


身体の中身がひっくり返るかと思った。

アルキバの外套に包まれたと思ったら、次の瞬間、ブーツの踵がカツン、と音を立てて石畳の上に着地する。

一体何が起こったのか――辺りをキョロキョロと見回すと、どう考えても館の中でない、どこか薄暗い、細くて狭い路地裏のような場所にいた。何故だかわからないけれど、生まれてこのかた嗅いだことのないような空気の匂いがする。


「ア……アルキバ?ここ何処……」

「…………ついてこい」


眠気に耐えかねているのか、眉間のしわを険しくさせ、切れ長の瞳をショボショボと瞬かせるアルキバが歩き出す。テオドラも言ってたけどほんとに人の話聞かないわねこの吸血鬼。

しかし私はここが何処かもわからないのだ、こんな薄暗い場所に一人置いていかれては堪らない。


「ちょっと待ってよ!」


慌てて後を着いていくと、路地を出た瞬間、アルキバではない、ちょうど通りを歩いていた誰かにぶつかった。

しまった、と思ったけれど、向こうの体幹がかなりガッシリしていて、跳ね返されるように体勢を崩してしまう。


「わっ」

「おっと!」


固い石畳に尻餅をつく前に、逞しい腕が体を支えてくれたので、すんでのところで腰を痛めたりすることはなかった。ありがとう知らない人。そしてすみません知らない人。


「す、すみま……」

「何だ、人間かァ?ここは人間の子供がほっつき歩くようなところじゃねェぞ」



…………人間の子供?



まるでそう言う言葉の主は人間でないかのような台詞に、ピクリと肩が震える。

瞑っていた目を開け、恐る恐る顔を上げると──目の前には鋭い牙の生え揃った、巨大な熊の顔があった。


「……………………」

「聞いてんのか、ガキ」




熊だ。

熊が喋っている。




それもハチミツ大好き例の彼のような可愛らしい感じではなく、ゴリゴリの武闘派感漂うグリズリーさんである。私の体を支えてくれている毛むくじゃらの手にもガッツリ爪が生えていて、本能的な恐怖にさっきから心拍数がヤバイ。


そしてこのグリズリーさん、さっき喋ったことにくわえて、普通の……いわゆる動物である熊と異なっているのは、二足歩行かつ、トゲの生えた重厚な鎧をその身に着込んでいるという点だ。片目が塞がっているらしく、かつて小さな黒スグリのような目があったであろう場所には、古い傷跡が残っていた。いや……何つうかもう歴戦の勇者感半端ないっスね。


察するに、彼は恐らく、厳密には熊ではないのだろう。

つまり何かって?



亜人だ。

それもトーマやテオドラのような半獣人とは違う、本物の獣人。



「見習い魔導師って言うにゃ若すぎるなァ……迷子か?妖精にでも拐われたか?」

「えっ……と」



妖精っていうか、吸血鬼に拉致されて。

そしてその吸血鬼は私が熊の獣人と喋っていることにも気付かずにフラフラと奇妙な店に入ろうとしている。ちょっと待ちなさいよアンタ子供と一緒に出かける時はもうちょっと周りに目を配るもんでしょーが!私が言うのも何だけど!!


「違うの、吸血鬼の知り合いと来たんだけれど、あぁ入っていっちゃった……」

「吸血鬼ィ?お前さんみたいなチビがかい。お前みたいな小さいのをエサにするなんざロクでもねぇ野郎だなぁ、おじさんがとっちめてやらァ」


何だこの熊の人優しいぞ。見た目怖いけど。

熊のおじさんはそう言って私を放した後、爪の生えた拳を掌に打ち付けた。熊要素を差し引いても不良ハンターみたいな装いの人だが、見かけによらず人情派らしい。

しかしアルキバがとっちめられても困るので、慌てて誤解されないように弁明する。


「エサとかじゃなくて、友人なの。先生みたいな人よ」

「友人んん?」

「ありがとう親切な熊の人、連れが店に入ってしまったからもう行くわ。ぶつかってしまってごめんなさい」

「あっ、おい」


ガキんちょ!と叫ぶ熊を置いて、アルキバが入っていった店の前へと急ぐ。

けれど、走る間も通りの至るところに視線が持っていかれて仕方がなかった。まるで王都の商店街のような賑わいを見せる通りは、さっきの熊の人を初め、大小様々、色んな種類の獣人達や、エルフにドワーフ、私がこれまでに見たこともない種族の亜人達がひしめいている。



(す……すごいわ)



私の考えが間違っていなければ、ここはたぶん、“亜人街”と呼ばれる場所だ。


『ユグドラシル・ハーツ』ゲーム本編は基本、魔法学園マギカメイアの中でストーリーが展開するから、あくまで世界観を補強する設定としてそういう場所があると知っているだけだった。けれど、“ヴァイオレット”として生まれてから、屋敷の本で読んだり、人伝に話を聞いたりしたことがある。


人間に友好的な亜人達が、人間の国に作った亜人の街。

昔は局地的だったそれらも今じゃ随分数を増していて、一部は治外法権化している所もあると聞く。中でもとりわけ大きないくつかの街には、人間主体の街では亜人に何かと横暴なことで有名な<管理局>もおいそれと手が出せないらしい。精々が居住許可証と呼ばれるライセンスを発行して、亜人の国内での行動に制限をかけているくらいだ。

普通の人間は滅多なことじゃ足を踏み入れないけれど、魔物討伐に獣人の力を借りたいハンターや、妖精の知識を頼りたい魔導師、はたまた人間の国では手に入らない珍しいアイテムを探す商人なんかは足を運ぶことがある、さながら種族の坩堝るつぼのような街。さっきの鎧を着てた熊の人も、もしかしたら獣人の魔物ハンターだったのかもしれない。


アルキバが入っていったお店の看板には、『土塊つちくれと岩窟亭』と書いてある。物々しいわね。ファンタジーっぽくてテンション上がるからいいけど。

木の開き戸を押すと、外と同じく色んな種族の亜人がいて、食事や酒を楽しんでいる。アルキバは奥で店主らしき人と話しているようだった。


「アルキバ」

「……ヴァイオレット」


近づいて声をかけると、アルキバは眠気のために剣呑になった目付きで私のことを見下ろした。

周りが亜人だらけだから注意を引かないよう気を遣ったのか何なのか、私のことを“人の子”呼ばわりしないのは珍しい。


「言い忘れていたが……あまり……私の側を、離れるな」

「肝に命じるわ」


凄く眠たそうなところ悪いけど、私が置いていかれてたのは本気で気づいてなかったのね。冗談抜きでちゃんとついていけるよう気を付けないと洒落にならない事態になりそうだ。

亜人街の亜人が人間に友好的と言っても、それは意思疏通の図れないトロールやホブゴブリンといった魔物と比べての話である。街によって治安の良さに差はあるし、さっきの人は親切だったけれど、人間嫌いの亜人に目をつけられないとも限らない。人間の街なら安全というわけでもないけれど、特別気を付けるに越したことはない。


「アルキバ?」


耳の尖った店の店主が、私の口にしたアルキバの名前を聞いて怪訝そうな顔をした。

ジロジロと亡霊のように立つアルキバを眺めた後、ニコッと鋭い牙を見せて、やけに人好きのする笑みを浮かべる。


「俺の甥っ子もアルキバって名前なんだよ。奇遇だなぁ」


そうなんだ。珍しい名前だと思うけど、亜人の間では結構人気な名前だったりするのかしら。

しかしせっかく愛想よく話を振ってくれた店主に対して、アルキバは完全にノーリアクションである。コミュニケーションを取ろうという気が無いらしい。テオドラちょっと来て。

私がどうしたものかとアルキバと店主を交互に見ていると、店主の方が困ったように私にそっと耳打ちしてきた。


「君、妹さんか何か?この人、何か飲むかって聞いても要らないって言うし、会話が噛み合わないし、さっきから困ってるんだ」


だいぶ切実だった。

店主を困らせていることを自覚しているのかどうなのか、アルキバは店内をゆっくり見回している。

動きは緩慢だけれど、眠すぎるのか若干イライラしているような気配を感じるから、相手をする方はそりゃ戸惑うだろう。眠気が極まってる時のアルキバはわりと普通に人の話を無視する。


「ごめんなさい、あんまり人の話聞かない人なの。亜人街に来るのは初めてなんだけど、人間のお金は使える?」

「そうなのかい?問題ないよ」

「マンドラゴラ……は流石に置いてないから、ミルクを貰うわ」


外出することになるとは思ってなかったけど、前世の癖で常に幾らかは小銭を持ち歩くようにしているから、少しなら持ち合わせがある。私がミルクを注文すると、店主は少し安心したようにミルクの瓶を出した。

私が席につくと、アルキバはいよいようつらうつらし始めた。さっき一度魔法を使っているし、限界が近いようだ。一体この店で何を探しているのだろう。

一応私のためにここに連れてきてくれているはずだし、探し物なら、私も手伝った方がいいのかしら。


訊ねようとした時──


店主マスター、俺にもミルクをくれよ」


甲高い声がして、いつのまにか、テーブルの上に小柄な妖精の男が座っていた。

小柄というより、十センチ程度しか背丈がない。三角帽子を被り、そんなに年寄りには見えないが、長い髭を蓄えている。


「ニーピングル、お前この間のツケを払ってないだろ」

「固いこと言うなよ、たかがミルク一瓶じゃないか」

「駄目だ駄目だ、前のツケを清算してからだ。お前の相方──昨日からずっと奥の席を占領してはいるが──ラーズスヴィズはきちんと払ってるぞ!」


店主はニーピングルと呼ばれた妖精の駄々を軽くあしらうと、店の隅のテーブルを指差した。

釣られて目で追うと、あれも妖精だろうか、暗がりの中にかなり陰気な顔をした小さな老人が座っている。失礼な話だが、「これが妖精よ」と言って幼い女の子の前に出したらトラウマ間違いなしの陰鬱さである。ニーピングルほど小さくはないが、立ち上がっても背丈は私の胸ほどまでしかないんじゃないだろうか。


「ケチ!オーガの母親に喰われっちまえ!」


断られたニーピングルは店主が聞く耳を持たないとわかると、店主に対してあっかんべーと小さな舌を出して罵った。子供か。そんなにまでミルクが飲みたかったのだろうか。

妖精の口の悪さには慣れっこなのか、店主は特に気にした様子もない。私は少し考えて、まだ口をつけていなかったミルクの瓶をニーピングルに差し出した。


「あの、よかったら飲む?」


アルキバのこともあって店主に申し訳ないから注文したが、取り立てて飲みたいわけでもないし。

ニーピングルは私の顔を見上げて、驚きながらも、嬉しそうな顔でミルクの瓶と私に交互に視線をやる。


「いいのかい?」

「えぇ、私はそれほど喉が乾いていないから。飲みたくて堪らない人……妖精?がいるなら、そっちが優先されるべきだと思うわ」

「何てこった!親切な君に大地と鉱石の加護がありますように!」


私が頷くと、ニーピングルは歓声を上げて自分の背丈ほどあるミルクの瓶を豪快に煽った。

奢りがいがあるというか、体のサイズに対して非常にいい飲みっぷりである。


「妖精って見た目よりずっと力持ちなのね」

「そいつはノームだよ。ここじゃ“妖精”とか“獣人”でひとくくりにすると怒る奴もいるから気を付けな。まぁニーピングルに至っては、同じノームからも嫌われてるが」


呆れたような口調で店主が言う。

そうなんだ、気を付けないと。ていうか、ノームって、確かアルキバがここに来る前に何か言ってなかったっけ。つてがあるとか何とか。何のことかと思ってたけど、妖精の種族名だったのね。

隣のアルキバを見ると、器用なことに、カウンターにもたれかかって寝息を立てていた。さっきからやけに静かだと思ったら。


「ちょっと、ねぇ起きて、ノームの人がいたわ。ニーピングルさんっていうんですって」

「何だお嬢ちゃん、ノームを探してたのか?」


アルキバの黒衣を引っ張って揺すると、ミルクを飲み干したニーピングルが髭を袖で拭いながら言う。別にいいけど、ハンカチくらい持ってないのかしら。


「よくわからないんだけど、連れが言ってたのよ。ねぇ起きてって、アルキバ」

「……テオドラ…………あと三十年……………」

「むにゃむにゃ言ってないで起きてちょうだい。私はヴァイオレットよ」





「………………………………………アルキバ?」






ニーピングルのいやに戦慄く声が、背後で聞こえた。

かと思うと次の瞬間、ぱち、とアルキバの瞼が開いて──



それからのことは一瞬だったので、正直何が起きたのかよくわからない。



気づいたら、これまでの緩慢な動きが嘘のように素早い動きで、アルキバがテーブルの上のニーピングルを鷲掴みにしていた。

この一瞬で試みた逃走は叶わなかったらしい、哀れ青い顔をしたニーピングルはアルキバの手の中でじたばたともがいている。


「うっ……嘘だろ、本当にあんたか!?」

「ニーピングル……………お前なら此処にいると思っていた…………二百年ぶりか?お前が、一族を追放されてから…………」

「ほん、本物かよ……………」

「長生きなのねぇ二人とも」


流石妖精族のノームと不死の吸血鬼。

しかもアルキバはニーピングルのことを「ノームの若者」と言ってたような気がするから、二百年以上生きてるニーピングルも彼にとっては若い計算になるらしい。実年齢一体いくつなのよ。

どういう関係なのかは知らないが、二人の力関係は明確なようだ。アルキバが本人だとわかってから、ニーピングルがすっかりゲッソリしてしまっている。店主も驚いて心配そうに二人のことを眺めているし。


「な……何だ、あんたそいつの知り合いだったのか?喧嘩なら外でやってくれよ?」

「ニーピングル、お前と……お前の相方の、細工職人に用があるのだ…………席に案内しろ」

「清々しいまでの無視ね」


店主に恨みでもあるの?


何はともあれ、アルキバに「来い」と言われて、私は店の椅子から飛び降りた。

ごめんね店主マスター。無礼はいろいろ申し訳ないけど、真っ青になって震えているニーピングルを見る限り、少なくとも喧嘩にはならないと思うわ。



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