第13話 吸血鬼の館



「さ!準備万端出発よ!」


肩にかけた鞄には新鮮なマンドラゴラの煮汁入りジャー。


動きやすいパンツルックに着替えた私は、アルタベリーの町外れ、深い森の入口でビシッと腕を組んでポーズを決める。

件の吸血鬼は町外れの森に住んでいると聞かされた時には驚いたが、アルタベリーはそもそも人の出入りの少ない田舎町。その外れにある整備も整っていないような森なんて魔獣まみれで普通の人は誰も寄り付かないし、確かに身を隠すにはうってつけの場所なのかも。


いざ森に足を踏み入れようとしたところで、誰かにぐいっと後ろに引っ張られてつんのめった。

私が体勢を崩したせいで、頭の上、私の帽子にしがみついたテオドラが「落っこちちゃうじゃないの!」とキーキー不満を漏らす。


「ごめんごめん」


彼女に謝りながら後ろを振り返ると、狼なのに不機嫌なのが丸わかりの表情をしたトーマが、私のベストの裾を噛んだ状態でお座りしていた。随分恨みがましそうな目で私を見つめている。

ここに至るまでありとあらゆる手段で私のことを止めようとしていたのだが、力及ばずここまでついて来てしまったことを口惜しく感じているらしい。いくら私を止めるよう訴えても、屋敷の人間には狼が吼えているようにしか聞こえないし、色々と察してくれそうなソフィアが用事で町の外へ出ているのも、彼としては不運なところか。


「離してトーマ」

「うるる」

「お願いよ」


下手に出てお願いすると、何だかんだと口を離してしょんぼりしてしまうところが人間時のトーマを思わせる。

よーしよしよし。頭を撫でても垂れ下がった尻尾が力なく若草を揺らすばかりだ。


「まぁまぁ、危なそうならテオドラに煮汁を渡してすぐ帰るから」

「がふ……」

「大丈夫よ、アルキバ様は恐ろしい吸血鬼だけど、十年ぽっちしか生きてないような子供に襲いかかる方じゃないわ」

「ほら、テオドラもこう言ってるし」


ね、と帽子の上のテオドラを指差すと、しかめっ面のトーマがフスッと鼻を鳴らした後、立ち上がって私達の前に移動した。

森の入口を見つめた後、着いてこいと言うように振り返って一声吼えるので、トーマにビビっているらしいテオドラがこそこそと私の耳元で囁く。


「急になぁに?あのワンちゃん、あれだけ森には行きたくなさそうだったのに」

「諦めたんでしょ。“先導は僕が務めます”って」

「貴方、あの狼の言ってることがわかるの?」

「言ってることがわかるんじゃなくて、言いそうなことがわかるの」


もう三年一緒にいるし、家族みたいなものだからね。

一般人が森に立ち入ることは禁じられているけれど、トーマが一緒ならまず大丈夫でしょう。頼もしい銀色の背中をわしゃわしゃと撫でて、私は深い森に一歩足を踏み入れた。









「……それにしても、テオドラはコウモリの姿でも喋れるのに、何故トーマは喋れないの?」


森に入って小一時間ほど経った頃、ふとテオドラに訊ねてみた。


木々のトンネルを抜け、急勾配の斜面を滑り降り、小川を渡り。

トーマが道を選んで先導してくれるので多少歩きやすいけれど、初めての散策は中々に大変で、ちゃんとズボンに野外活動用のブーツを選んできて良かったと心の底から思う。前世で見た『白雪姫』とかそうだけど、ドレスのまま森に置き去りとか終わってるわよねマジで。


私の頭の上で毛繕いをしていたテオドラが、パタパタと羽根をはばたかせた。


「そんなの知らないわ、私は初めっから喋れたもの。その狼に人の言葉を喋ろうって気合いが足りないんじゃない」

「はぁ……そういうもの?トーマ、私の名前、ヴァイオレットって言える?」

「ヴぁふん」


惜しい。


「……こんな近くに吸血鬼なんて伝説の存在が隠れ住んでるとは思わなかったわ。もっとこう、霧深い古城とかに住んでるものかと」

「安直ねぇ。伝説っていうのも安っぽくて嫌な感じ。昔ほど表だって活動してるのは少ないけれど、私達はどこにでもいるし、アルキバ様は一時期王都に住んでたこともあるのよ」


呆れたようにテオドラが言うけど、吸血鬼が王都にって、それはかなりすごい話だ。

王都むこうには凄腕の魔導師も、闇の魔物を狩る魔物ハンターも大勢いるだろうに。


「アルキバ様は血を飲まない代わりにほとんど眠っていらっしゃるから、人間に見つかる心配も少なかったのよ。見つかったって人間の魔導師ごとき、アルキバ様の敵じゃなかったとは思うけど……向こうはあんまりにも人が多くてうるさいじゃない?空気に悪酔いしそうだからって、静かなこっちに越してきたの」

「……何だかほんとにご隠居さんって感じなのね、そのアルキバっていう吸血鬼」


お爺ちゃんかな?

私の中で、黒いマントを着て、角のような妙な髪型をした吸血鬼のイメージが、くたびれた様子の白髪の老人に変わる。偉大な闇の魔法使いであるとも聞いているけれど、テオドラの話からは随分……老いというか、厭世的なものを感じるし、一体どんな人物なのか。

とは言え、生まれて初めて自分以外の闇の魔法の使い手に出会えると聞いてテンションが上がらないわけもない。危険だとわかっていてわざわざこうして出向いているのは、呪われた生まれだと散々噂されてきたせいか、我ながら、まだ見ぬ吸血鬼とやらに親近感のようなものを覚えているのかもしれなかった。


せめてちゃんと、口が利ける状態だといいんだけど。






「見えてきたわ!」


不意に、テオドラがべしべしと帽子越しに私の頭を叩いた。


言われて顔を上げると、鬱蒼と繁っていた木立が開けて、随分と古い洋館がポツンと佇んでいるのが見える。

アルタベリーの私の屋敷より少し小さいくらいのその建物は、洋物のホラゲーとかホラー映画に出てきそうな、いかにも、という雰囲気だ。ギャアギャアと鳴き声を上げてカラスが飛び去って行くのがまたいい感じにおどろおどろしい。


「吸血鬼の館って感じねー」

「グルル」


呑気な感想をこぼす私に、トーマが洋館を見上げて唸り声を上げる。

何かしら不吉な気配を感じ取っているらしいけれど、まぁ見るからにお化けとか出そうだものね。ゴーストにこむら返りの呪いって効くのかしら。


「すみませーん」


一応ドアノッカーで数度ドアを叩いてみるけど、まぁ想像した通り誰も応対してくれる人はいない。

テオドラが構わず入っていいと言うので、重いドアを開けると、安全確認のためか、トーマが私より先にするりと中に入っていった。頼もしい背中の後に続き、キョロキョロと辺りを見回す。



エントランスはそれなりに広く、外観の様子から想像したほど埃っぽくはない。

灯りはついていないけれど天井のシャンデリアは綺麗だし、窓枠にも埃は溜まっていなかった。古びてはいるが、廃墟ではない。何となくだけど、確かに誰かが住んでいる気配がある。


「ちゃんと綺麗にしてるのね」

「当然でしょ?私が毎日掃除してるんだもの」

「テオドラ一人で?」

「勿論よ」


コウモリにこの館の掃除は大変だと思うから、その場合やはり人間に戻って掃除するのだろうか。

そういえばテオドラの人間の姿って結局どんなのかしら、と思いながら、探索がてら屋敷の奥に続く一階のドアを開ける。中を覗き込むと、その部屋は書庫になっていて、うちの屋敷に勝るとも劣らない無数の本がきっちりと名前順に本棚に納められていた。立ち並ぶ黒い背表紙のあちこちに見覚えのあるタイトルを見つけて、私は思わず部屋の中へ飛び込む。


「すごい、これ全部、王都の書店で見つけられなかった闇の魔術に関する書籍だわ……!」


さすが吸血鬼の館。

あれもこれも、絶版になったり発禁処分になったという闇の魔術本のオンパレードである。私が興奮して本棚に手を伸ばすと、帽子の上のテオドラが抗議するように私の前髪を引っ張る。


「ちょっと!アルキバ様にマンドラゴラの薬を持っていく約束でしょ!貴方の狼も人間に戻してあげたいんじゃないの!?」


……そうでした。


我に返って振り返ると、トーマが大人しくお座りしたまま「きゅうん」と何とも罪悪感を煽る声で鳴いた。ごめんて。忘れてたわけじゃないのよ、ちょっと興奮しただけで。

そもそも持ち主の許可なく勝手に館の物に触るべきではない。後で書庫を見学する許可を頂けるかしら……と思いながら、後ろ髪を引かれるような思いで部屋を後にする。

ここなら、私が長年探してきた“人の役に立つ闇魔法”が見つかるかもしれない。



「それでテオドラ、アルキバさんはどこに?」

「上よ。アルキバ様はいつも二階の棺桶の中で眠っていらっしゃるの」

「棺桶ってこれまたベタな……」

「?」



よくわからないという風に首を捻ったテオドラをよそに、暗がりの中、足元に気を付けながら階段を上って二階へと向かう。こういう時炎魔法が使えれば灯りには困らないのに。せめてランプなり屋敷から持ってくるべきだったわ。相変わらず先導してくれるトーマが、心配そうに度々振り返ってくれる。


何とか無事足を踏み外すこともなく階上に辿り着くと、上りきったところで、ふと頭の重みが消えた。

テオドラを落としてしまったかと咄嗟に階段を振り返ってみるが、何も見当たらない。あんな小さな生き物、下手に動いて踏んでしまったら大変だ。



「テオドラ?」

「なぁに?」



少し焦って名前を呼んだら、背後から声がした。

耳元で聞こえた声に、何だ、飛んでたの?とホッとして振り返って──



目の前に立つ黒いワンピースドレスの少女に、私は驚いて飛び上がった。

そのまま階段から転げ落ちそうになったところを、咄嗟にトーマが鞄をくわえて引っ張ってくれる。ナイスファインプレー。九死に一生っていうか、いやほんと助かったわトーマ。


「何やってるのよ」


ドキドキしながらトーマに抱きつく私を見下ろし、小バカにしたように鼻を鳴らすその声には、確かに聞き覚えがある。


少女は私より少し年嵩で、そこまで長くない黒髪を頭の後ろ、高い位置で二つに結んでいる。

こっちの世界ではあまり見ないけれど、こういう髪型は日本だとツインテールと呼ばれるのだろうか。暗がりで足元はよく見えないけれど、ずいぶん底の厚いブーツを履いていて、立ち上がった私より少しだけ背が高い。

パッと見たところ、人間と違うのは、耳の縁がエルフのように少しだけ尖っていることだろうか。


隣のトーマも驚いたのだろう、牙の生え揃った口をあんぐり開けていた。


「アルキバ様のお部屋はここよ」

「……テオドラ?」


驚く私達をよそに、ドアを指し示して、さっさと中に入ろうとする少女の背中に呼びかけると、少女は目尻のつり上がった瞳を瞬かせた。


「当たり前でしょ?」

「ほんとにテオドラなの?」

「何なの今さら。人間になれるって言ったでしょ」


言ったけども。

ドアを開ける少女の後に続きながら、半信半疑で彼女の──人間の姿になったテオドラを眺める。

そう言われてみれば、つぶらな黒い瞳だったりとか、どことなくだけど、コウモリの時の面影が感じられるような。トーマも銀色の毛並みといい赤い瞳といい、人間の時の特徴とカラーリングは変わらないから、本当に彼女なのだろう。

本当に、彼らは人間と獣、二つの姿を持っているのだ。


「……言ったけど、突然だったからビックリしたわ……」

「言った通りの美少女でしょ? さ、早くマンドラゴラ出して」


テオドラが手を伸ばしてくるので、鞄からジャーを取り出して、マンドラゴラの煮汁を彼女に渡す。

テオドラが奥に進んだことで気づいたが、ソファや本棚、机が置かれたどこにでもありそうな部屋の奥には、どう見てもそこだけ異彩を放つ馬鹿デカい棺桶が横たえられていた。

……どう考えても吸血鬼がここに入ってますよと全身でアピールしている。何ていうか、もうちょっと隠さなくていいの?もし万が一ハンターがこの洋館に迷いこんできたら一発でやられそうなんですけど。



「アルキバ様、お目覚めください、眷属のテオドラが帰りました。マンドラゴラの薬を持って参りました」



思わぬ不用心さに若干戸惑いながらも、テオドラがジャーを握りしめたまま、棺桶を雑に叩きながらそう言うのをトーマと並んで見守る。そんな……そんなガツンガツン叩いていいの?それ。

そのうち素手ではらちが明かないと思ったのか、テオドラが手に持ったジャーで棺桶を殴り付けようと振りかぶった時だった。




「うるさいぞ……テオドラ」




低い、胃の腑が震えるような、艶のある男の声が部屋に響いて──


その瞬間、今までのどこか間抜けな雰囲気が嘘のように部屋の温度が下がり、背筋が凍りついた。

隣でトーマが毛を逆立てて低く唸っている。私を庇うように前に出て、目の前の棺桶の中にいる、たった今目を覚ましたであろう生き物を、彼が酷く警戒しているのがわかる。

私が闇の魔力を持つものとして感じたように、トーマも何か、本能的なもので感じ取っているのだ。



この棺の中にいるものは、紛れもなく“別格”であると。



やがて、ゆっくりと棺桶の蓋が開き、上体を起こした吸血鬼アルキバの姿が露になる。

アルキバは、私がイメージしていたようなマント姿でも、白い髭を蓄えた老人でもなかった。




年の頃はせいぜい二十代後半くらいだろう。

肌は透けるように白く、長い黒髪を肩に流し、切れ長の目には黒曜石の瞳が嵌め込まれている。服装だけは少し懐かしさを覚えるような古めかしい装いだったが、男の落ち着いた雰囲気に黒ずくめの貴族衣装はよく似合っていた。


綺麗なひと、と私は思った。


──率直に言って、『ユグハー』の攻略キャラに出てこなかったのが疑問に思われるような美青年である。




まだ寝ぼけているのだろうか。

アルキバは眠たげな目で立ちすくむ私と、唸り声を上げるトーマを見据えると、テオドラに向かって一言訊ねた。


「……客人か?」

「ええ、アルキバ様。ヴァイオレットとトーマです」

「……そうか、なら──」


目を瞑ったアルキバが棺桶の蓋を掴み、




再び中に体を横たえたかと思うと、ずずず、と重たげな音をたてて棺桶に蓋をした。




…………………はい?




「ちょっとアルキバ様!お客様だってば!!」

「私はまだ眠い…………客人の対応はしておいてくれ……」

「いいからほら、起きてマンドラゴラの薬飲んでってば、あんたホントにいい加減死んじゃうから!!」

「あと五百年はいける…………やめろテオドラ開けるな、眩しい…………」



………………えーと。


どうすればいいのかわからなかったのだろう、トーマが困ったように私の方を見上げる。

……いや、私も何かよくわからないけど、たぶんそんなに、思ったほど危ない感じではないと思うよ。



「アルキバ様ーーッ!」



完全に閉まった棺桶の蓋に向かって、テオドラが叫んだ。






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