第12話 テオドラ
巨大な狼が屋敷を歩き回っては使用人が怖がるということで、しばらくの間、トーマの定位置はキッチンの勝手口の側ということになった。
これはこれでキッチンを使うことに難があるのでは?と思ったけれど、トーマはあのコウモリから目を離したがらなかったし、もともとうちのキッチンはいつ私がマンドラゴラを煮詰めている場面に出会すとも知れない危険(?)な場所である。ちょっとくらいビックリ要素が増えたところで大丈夫でしょう。うちの使用人は何だかんだ鍛えられてるし。
「こんなんだから嫌われるのかしら……」
「はい?」
膝の上に顎を乗せたトーマの毛並みを堪能しつつ呟くと、朝食の準備中のソフィアが、怪訝そうな顔で振り返った。
「コウモリって何を食べるのかよくわからないわ」
トーマの牙で傷ついたコウモリは、意識を取り戻してから一貫して大人しかった。
トーマが手加減していたのか、出血のわりに思ったほど傷は深くなかったから、この調子ならそう何日もかからず完治するだろう。
私が自分のサンドイッチからハムを抜いて持っていくと、コウモリはよほど飢えていたようで、必死な様子でハグハグとハムに食らいつく。あまり良いイメージはない生き物だが、黒々としたつぶらな瞳が愛らしい。
トーマはコウモリをやたら警戒しているらしく、コウモリが食事をしている間ずっと、鼻面に皺を寄せてグルグルと唸っていた。撫でてあげると「ウルル……」って感じでちょっと声が小さくなるのが可愛いけど。
「トーマがこのコウモリを噛んだってことは、このコウモリが畑を荒らしたってことだと思うんだけど。コウモリってマンドラゴラなんか食べるの?」
「……本当に、どうしてコウモリなんかがあんな気持ち悪い植物を盗もうとするのでしょう……」
「気持ち悪いとは何よ!魔力栄養価メチャクチャ高いのよ!それによくよく見れば可愛いところがある気もしてくるわ!」
「そうでしょうか……」
紅茶を飲みながらソフィアが疑わしそうな目で私を見るけど、毎日欠かさずマンドラゴラの世話をしている私からしたら我が子を貶されたような気分である。
見た目がちょっとアレなのは認めるけど魔力回復薬としてホントに優秀なんだからねマンドラゴラは。
「すみません、ソフィア様……」
その時、ノックの音がして、恐る恐る、という感じでメイドがキッチンへ顔を出した。
私と狼姿のトーマを見て小さく「ヒッ」と声をあげる辺り素直だが、何べんでも言わせてもらうけど、我お嬢様ぞ?怖がるのはこの際しょうがないとしても、もうちょっと気を遣ってほしいわ。
メイドはソフィアに何か用事があるらしく、紅茶のカップを片付けたソフィアが「はいはい」と言って席を立つ。この屋敷のほとんどのことを仕切っているのは実質ソフィアなので、屋敷の者は困ったことがあれば皆彼女に相談するのだ。屋敷の者って言っても、うちはソフィアの他にお爺ちゃん執事が一人と、後は若い子が三人くらいしかいないんだけど。
「お嬢様、トーマも、いつもとは色々勝手が違うのですから、危ないことはなさらないでくださいね」
「はーい」
心配そうな台詞を残し、キッチンを後にするソフィアに適当に返事をしながら、サンドイッチに入っていたハムの残りを全てコウモリにやってしまう。
ソフィアの言い方じゃ私がいつも自分から危ないことに首を突っ込んでるみたいじゃない。むしろ私ほど危機管理に熱心な人間はそうはいないわよ、死亡フラグ的な意味で。
……しかし、どうやってトーマを人型に戻したものか。
マグカップに並々と注がれたカフェオレを飲みながら、椅子の上に置かれた大皿のサンドイッチを器用に牙で噛んで食べるトーマを見下ろして思う。
私としては可愛いからこのままでも全然オッケーなんだけど、本人は戻りたがってるし、流石にそういうわけにもいかないだろう。ローウェン先生は来週まで来られないとして、書物を調べてみるにしても、半獣人の獣化なんて、聞いたこともない事象について記したものがうちの書庫にあるかしら。
「ねぇ」
「……いっそアーサーに連絡を取って、王家の書庫から何か……流石に無理か……」
「ねぇちょっと、聞いてる?」
「そもそもあんまり人に言い触らしたりするのもどうなのって話よね……はい、何?」
「朝ごはんはありがたいんだけど、喉が乾いたわ。出来たら水を一杯貰えない?」
バスケットの中のコウモリに催促されて、私は「あぁなるほど、気が利かなかったわね」と思い席を立った。
そりゃ昨日から飲まず食わずでは喉も乾くだろう。蛇口を捻り、コウモリに飲みやすいよう皿に水を溜め出した時点で、言い知れない違和感を感じて振り返る。
「……………………?」
「ちょっと、溢れてるわよバカ!」
コウモリが、ジャバジャバと水を溢れさせる私の手元を見てキーキー騒いだ。私の幻聴でも目の錯覚でもない。
コウモリが、喋っている。
トーマが毛を逆立てて唸り声を上げている。
どんどん大きくなる唸り声に、コウモリはやたら人間くさい仕草でバスケットの中で頭を抱えるようにうずくまった。
「ねぇちょっと、その駄犬を静かにさせて!怪我に響くわ!」
「トーマ、ちょっと唸るの待って」
私が言うと、トーマがピタリと唸るのをやめる。
「この駄犬!アホオオカミ!」
「ちょっと、もう一度トーマをそう呼んだら次は止めないわよ」
よっぽど怖かったのか、バスケットの中で悔しまぎれにトーマを罵っていたコウモリは、私の言葉で不承不承に口をつぐんだ。
コウモリなのにずいぶん表情豊かだ。というか今まさにこの瞬間、疑わしくなってきたけど、本当にコウモリなんだろうかこの生き物。
「……私の記憶と認識が正しければ普通のコウモリは喋らないと思うんだけど、貴方ってコウモリで合ってる?」
水を注いだ皿を近くに置いてやりながら訊ねる。
コウモリ(?)は恐る恐るバスケットから身を乗り出し、小さな舌でペチャペチャ水を掬いながら、私の質問にキュッと鼻面に皺を寄せた。ちょっと可愛い。
「私の何処が普通のコウモリに見えるって言うの?貴方の瞳って色はキレイだけど節穴なんじゃない?」
「生意気なコウモリね。威勢がいいのは嫌いじゃないからフルーツ切ってあげるわ」
「やった!」
「グルルルルルル」
私がバカにされたことに憤っているのか、トーマが鋭い牙を剥き出しにしながら唸る。
哀れなコウモリはまた小さな悲鳴をあげてバスケットの底に潜り込んでしまった。
「やめてあげてトーマ」
オレンジの皮を剥きながら嗜めると、トーマが珍しく私の命令に不満げな顔をした。
唸るのはやめたものの、尻尾がばふんばふんとキッチンの床を叩く。自分のことはともかく主人である私を小馬鹿にするような態度は看過しがたいということらしい。貴方たち、動物の姿のくせに表情が豊かすぎてちょっとずるいわ。
このコウモリも生意気なのは確かだけど、ちょっと小物っぽくてあんまり怒る気がしないというか、姿が姿なので生意気なのもむしろ可愛いというか。
さっきまで悪態ついてたのに剥いてあげたオレンジ嬉しそうにチューチュー吸ってるし。一体何者なのだろう?
「普通のコウモリじゃないなら、貴方は一体何なの?」
率直に訊ねると、コウモリはオレンジの汁で口許をベタベタにしながら顔を上げた。だから可愛いって。
「そこの狼と一緒よ」
「トーマと?じゃあ、貴方も獣人なの?」
「そう。コウモリの半獣人で、名前はテオドラ」
「半…………」
半獣人って、貴方は半分って感じじゃないけど──
と言おうとして躊躇ったのが伝わったのか、テオドラは小さい体を揺らしてぷりぷり怒った。「オレンジもう一個食べる?」と訊ねると怒りながらもシッカリ受け取ったけど。
「獣の姿に『転身』してるんだから、獣なのは当然でしょ?人間になったら貴方もビックリするような美少女なんだから!」
「てんしん?」
「そうよ、そこのおバカな狼さんもしてるじゃない!」
聞きなれない言葉に、私とトーマの目が合う。
このテオドラという名の半獣人は、トーマの身に起きていることについて少なくとも私達より知識があるらしい。私はしゃがみこんでテオドラに顔を寄せた。
「ねぇテオドラ、『転身』ってなぁに?」
「何よあんた、獣人の主のくせにそんなことも知らないの?」
「不勉強で申し訳ないわ。こんなことになったのは初めてだから私もトーマも困ってるの。ね、トーマ」
「わふん」
トーマが鳴き、私が肩を竦めると、テオドラは「ふぅん」と小さく呟いた。
そして少し思案するように黙りこんで、やや時間を置いてから、つぶらな瞳で私を見上げる。
「……庭の」
「うん?」
「庭のマンドラゴラを一匹くれるなら、『転身』の解き方について、教えてあげてもいいわよ」
「マンドラゴラを?」
そういえば、テオドラは私の庭を荒らしてトーマに返り討ちにあったんだっけ。
トーマが不服そうに一声吼える。テオドラの出してきた交換条件が気にくわなかったのだろうか。私としてはトーマの件が解決するなら、別に一匹くらいあげたって構わないのだけど。
「そもそも何でマンドラゴラが欲しいの?」
「……何でもいいでしょ」
「良くはないわよ。マンドラゴラは一応“危険魔法植物”に分類されるんだから、私が栽培したものは私に責任があるわ」
マンドラゴラは調合次第で協力な薬にも毒薬にもなる万能植物。悪用された時のことを考えれば、「くれ」と言われたからって理由も聞かずに誰にでも分けてあげられるものではない。人間の法律なんか半獣人には関係ないと思うかもしれないけど、私と取引をしたいなら私の提示するルールは守ってもらわなきゃ。
そんな感じのことをやんわり伝えると、テオドラはつまらなそうな顔になったが、私の譲らない雰囲気を感じ取って、不承不承ながら納得したようだった。
顔を俯かせ、“マンドラゴラが欲しい理由”をぼそっと呟く。
「…………薬を飲ませてあげたい人がいるの」
「怪我……病人?」
「いいえ、でも弱ってる。無理もないわ、もう長いこと人間の血を飲んでないんだもの」
「……………血?」
………………血??????
「……血って言うのは、いわゆる、体に流れる血液的なもののことで間違いないのかしら」
私が眉をひそめながら訊ねると、テオドラは「そうよ」と頷いた。
「私の主人のアルキバ様は吸血鬼なの」
「ほう」
──吸血鬼って、それはまたファンタジーな。
なんてモノローグで余裕をかましてはいるが、正直かなり驚いた。
吸血鬼という予想外に不穏な単語に反応してか、トーマがそわそわと落ち着きなく動き始めたのが視界の端に映ったけれど、それに構ってやれないくらいには。
いかにファンタジーな『ユグハー』の世界観と言えど、少なくともここ、ユグドラシル王国では、吸血鬼なんて存在には滅多にお目にかかれない。
ドラゴンやユニコーンのようなファンタジーの代名詞もそうだが、吸血鬼のような、かつて人間の生活の影に潜み、人間に危害を加えてきたとされる闇の生き物たちも、この頃はその数を減らしつつある。
ファンタジー生物っていうのは、この国に限っては、現代日本人にとってのライオンとか、ベンガルトラみたいなものだ。彼らは秘境に生きるもの。出会えば間違いなく危険だが、日常的に出会すことはまずあり得ない。
「血が飲めてないって、力の弱い吸血鬼なの?」
「まさか!アルキバ様は偉大な方よ。ただ、お歳のせいか、あまり食事そのものに対して気が進まないみたいなの」
「吸血鬼の高齢者にも食欲不振とかあるのかしら……?」
「会話が噛み合わないこともままあるわ……」
「年齢的なものなら仕方ないわ、テオドラ、泣かないで」
くすんくすん、と鼻を鳴らしながら、羽の生えた小さな手でつぶらな瞳の辺りを押さえるテオドラ。面白がっちゃいけないんだろうけど、何か人間味があって面白いなその吸血鬼。
私が面白がっているのを察して、さっきから落ち着きなくうろうろしていたトーマが、しきりに何かを訴えかけてくるように頭を背中の辺りに押し付けてくる。
思うに、この辺りから私が何を言い出すか薄々察していたのだろう。もう結構長い付き合いになるものね。
「狼とコウモリじゃ違うもの、他人の『転身』の解き方なんて私にはわからないけど、アルキバ様ならそのくらい、きっと簡単に出来るはず」
「なるほど、その吸血鬼に頼んで、トーマを元に戻してもらうってことね?」
「そうよ。アルキバ様は吸血鬼で、偉大な闇の魔法使いなんだから」
──ほほう?
ぐいぐいと、話の展開に焦り始めたトーマが最早頭突きの勢いで私の背中に頭をぶつけている。痛いって。
いやトーマの言わんとすることはわかるけど、いやいや、でもホラ、その吸血鬼は随分お歳で、しかも食欲不振なわけでしょ?話噛み合ってなくて、人間の血吸わないんでしょ?マンドラゴラの煮汁飲ませればいいんでしょ?
私だって危ない目には遭いたくないけど、テオドラから理由を聞き出しておいて──しかもそれが思いがけず健気な理由だったものだから──マンドラゴラをあげませんとは言えないし。
どうせあげるなら、せっかくだからトーマも元に戻してもらいたいしさ。聞いた感じそこまで危なそうでもないし、狼のトーマ凄く強いみたいだし、大丈夫じゃない?たぶん。ねぇ。
別に、“偉大な闇の魔法使い”に会ってみたいとかいうわけじゃなくて。
「オーケー、テオドラ。取引成立よ」
コウモリの小さな手と握手を交わすと、背後でトーマが「キャイン!」と尻尾を踏まれたかのような声を上げた。
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