第14話 取り引き
「やっぱり凄いわこの蔵書量。どうやってこんなにたくさんの闇の魔術の本を溜め込んだのかしら」
あれから、アルキバを何とか叩き起こしてマンドラゴラの煮汁を飲ませると豪語したテオドラを部屋に残し、私とトーマは一階の書庫に入らせてもらっていた。
手伝った方がいいのか判断に困ったけど、テオドラがむしろ私達には離れていてほしそうだったので。なんか友達を家に連れてったら父親がパンイチで出てきた女子中学生みたいね。吸血鬼の館でこんな微妙な気持ちになるとは思わなかったわ。
テオドラを通して本の持ち主であるアルキバに尋ねたところ、眠気に抗えないのか「勝手にしろ」とやけっぱちに許可をもらえたので、今度は心行くまで読書を楽しむことが出来る。
早く人間に戻りたいだろうトーマには申し訳ないけど、肝心の吸血鬼が目を覚まさないんじゃどうしようもないしね。
夜の森は危ないし、あんまり遅くなるとソフィアが心配するから、暗くなる前にあのアルキバとかいう吸血鬼にちゃんと話が聞ければいいんだけど。
「…ま、もうちょっと様子を見ましょう」
床に寝そべり、読書中の私の背もたれになってくれているトーマのふかふかの毛並みを宥めるように撫でる。
望み薄だと思っているのだろうか──トーマはやや複雑そうな顔で、哀れっぽく鼻を鳴らした。
寝そべっていたトーマが不意に顔を上げたのは、それから二時間ほど経ってからのことだ。
てっきり眠っているのかと思っていたから、急な動きに少し驚いてしまった。
「トーマ?」
私の呼びかけには応えず、トーマは何かを聞き分けるようにピクピクと黒みがかった耳を動かしている。何かが書庫に近づいているらしい。
やっと目が覚めたのかしらあの吸血鬼、と思い、本を閉じて顔を上げると、書庫のドアが重たげな音を立てて開き、ひら……開…………
開かない。
開きそうで開かない。
「重い…………テオ、何とかしてくれ……」
「ホンッットにダメダメなんだから!お客様の前で恥ずかしいところ見せないでよね!」
アルキバという吸血鬼の声と、元気いっぱいにやかましいテオドラの声が聞こえる。
ていうかそんなに重たくなかったわよそのドア。どんだけ眠気に苛まれてんのよ。
やがてドアが開き、姿を現したアルキバは部屋の中まで入ってくると、テオドラが引きずってきた椅子に崩れ落ちるようにして腰かけた。
改めて見ても美しい相貌の男だったが、やけに肌が青白く、随分と不健康な印象を受ける。長いこと血をのんでいないとは聞いてたけど……何か今にも死にそうじゃない?この人。
椅子の肘掛けに肘を置き、頬杖をついたアルキバが、うっすらと目を開けて私とトーマを見つめる。
「それで、客人だったか」
形ばかりは“客人”と私達を呼ぶアルキバの言い方は、突然の訪問者にまるきり興味がないように聞こえた。歓迎されているわけではないらしい。
侵入者というわけでもないが、テオドラとの話を眠っていた彼が承知していたわけでもないので、ぞんざいな主人の態度を無礼と咎めるわけにもいかない。
「ヴァイオレット・クインズヴェリと申します。こちらは従者のトーマ。突然お邪魔してしまい申し訳ありません」
私は貴族令嬢らしく礼をした後、庭に忍び込んだテオドラに怪我をさせてしまったことを詫び、これまでの経緯について話した。つまり、テオドラと私が交わした取り引きについて。マンドラゴラの薬の対価にトーマを人間に戻してほしいとお願いすると、アルキバは酷く大儀そうに、椅子に座ったまま、トーマに向かって手を持ち上げる。
何かするのかと思ったら、そのまま何も動きがない。戸惑っていると、横からテオドラが出てきて、力なく伸ばされたアルキバの徐々に下がり始める腕を支える。
「何やってんの!早く来なさいよ」
「え、あぁ、ほら、トーマ」
トーマはまだ僅かに毛並みを逆立てていたけれど、テオドラと私に促されて渋々アルキバの手のひらに近寄る。
そして血の気のない手のひらが狼の頭に触れたかと思うと、一瞬の後に、トーマは見慣れた半獣人の姿に戻っていた。衣服も『転身』した当時に着ていたであろう制服のまま、床に座り込んだトーマが、驚きに満ちた目で人間に戻った自分の手のひらを見つめている。
「あ……」
「…………今の感覚を忘れなければ、今後『転身』した時は自分の意思で元の姿に戻ることが出来るだろう。……もっとも、どちらがお前の本当の姿かは、私の知るところではないが…………」
「あ……ありがとうございます!」
トーマが頭を下げるが、それに対する返事は返ってこず、代わりに聞こえてきたのは漫画のような豪快なイビキだ。「zzz」っていうアレね。
見た目の美しさに対してなかなかギャップの激しい人である。というか今の一瞬で寝落ちたのだろうか、この人は。の○太くんより寝付き良かったわよ今。
しかし、眷属であるテオドラに怪我を負わせたのに何を言うこともなくトーマを元に戻してくれた辺り、寛容と言ってもいいのか何なのか。
「……この人はいつもこうなの?テオドラ」
「あんた達が今生で見る初めての吸血鬼がアルキバ様であったことを誇りなさい、と言いたいところだけど……眷属としてはもう少し格好いい姿を見てほしかったわ。血さえ飲んでいれば、この方だってこんな風では……」
私が首をかしげると、腕組をして、ため息をついたテオドラがやれやれと首を振る。人のことは言えないけど、何ともクセのある主従関係のようだ。
「そっか、もう長いこと血を飲んでないのよね」
「……お嬢様、ダメですよ」
「まだ何も言ってないわ」
言われたことを思い出しただけだというのに、人間に戻ったばかりのトーマに咎められた。言葉を取り戻した後の主人に対する第一声がそれってどうなのよ。
そんな別に、ちょっと血を飲んでもらったらマトモに話が出来るんじゃないか……とか、思ってないとは言わないけれど、仮に思ったところでそんな危ないこと実行しないわ。相手が吸血鬼だってことは忘れてないもの。
「どっちみち食欲がないんでしょう?この人は。煮汁はちゃんと飲めたのかしら……あれ結構エグいけど」
「飲んだわ。“活きのいい味がする”って褒めてらしたわよ」
「ホント?よかった」
やっぱりね、わかる人にはわかるのよ私のマンドラゴラの質の良さは。
丹精込めて育てたもの、と鼻高々にする私だけれど、どうしてだかテオドラは、少し元気がない。アルキバが椅子に座ったまま眠りこける様を見て顔を曇らせている。勝ち気な彼女に珍しく、どこか寂しそうな表情だった。
「……本当に凄いわ。今までどんな滋養強壮の薬も効かないか、頑として飲まなかったアルキバ様が、ご自分で起きてここまで歩いてこられたんだもの。一瓶じゃ、そんなに長くはもたなかったけど……久しぶりにお話も出来たし」
「テオドラ……」
「ありがとう、ヴァイオレット」
そう言って、初めて私に向かって私の名前を呼ぶ──しおらしいことを言う彼女に、従者を持つものとして何だか主人心がキュンとする。
もともとウチの畑に忍び込んでまで薬を手に入れようとしていたテオドラだ。トーマを元に戻しただけで再び眠りについてしまった主人に対して、色々と思うところがあるのだろう。ウチのトーマも健気なたちだけど、この子も大概ね。
「……もう一本いっとく?」
鞄を探ってもう一本、真紫の液体に満たされたジャーを取り出すと、テオドラは目を丸くして驚いた。
「あんた二本も用意してたの?」
「用意してたっていうか、私用だったんだけど、まぁ別に飲ませてもらって全然いいわよ」
「あんたが飲むの???あんたが???」
テオドラが絶句する。何よ。
もし万が一何か危険なことがあって魔法を使う場合、魔力の枯渇は致命的だから一応自分のぶんも用意していたのだ。
危険な場所に従者を連れていく以上、主人である私にはトーマを守る義務があるし。まぁトーマの方がどう考えても私より物理的に強いから、色々頼っちゃうところもあるんだけれど。頼りがいのある可愛い従者を持って私ってば幸せ者よね。
うーりうりと久方ぶりに人間になったトーマの頭を撫でる。
「ヴァ、ヴァイオレット?」
唐突に私に撫でられて疑問符を浮かべるトーマも可愛い。いやホント、これで死亡フラグに成長する可能性さえなければ言うことないんだけどな。ははは。
テオドラが眉根をぎゅっと寄せて、葛藤するように私の手の中にあるマンドラゴラの煮汁を見た。
「……ありがたいけど、でも、マンドラゴラって、本来とても貴重なものなのよ。わかってるの?」
「あら、最初は堂々と持っていこうとしてたクセに」
何を迷っているのかと思えばそんなこと。
今さら遠慮なんてしなくていいのに、と思って言った言葉だったが、ハッと口をつぐんでしまったテオドラを見て少し焦る。
ちょっとかわいそうなことを言ってしまったか。朝ごはんの時は反抗的なくらいだったから、ウチに盗みに入ったことをテオドラが気にしてるとは思わなかった。
「ごめんなさい、意地悪な言い方だったわ。責めてるわけじゃないの、貴方だって少なからず痛い思いをしたのだし」
「……ヴァイオレット様の畑を荒らしたのだから当然の報いです」
私に頭を撫でられたまま、トーマが僅かにばつが悪そうな顔で呟いた。うんそーね。うりうり。
「貴方がちゃんと仕事をしてくれただけだっていうのは勿論わかってるわ、トーマ。そもそも畑の番は私がお願いしたのだしね。テオドラ、ご存じの通りマンドラゴラはデリケートな植物だから、畑を荒らされるのは困るけど……でも私はもう怒っていないし、過ぎたことを理由に私があげるというものまで遠慮する必要はないと思うのよ」
はいこれ、とジャーを握らせて言うと、テオドラが顔を上げる。
「ヴァイオレット、でも……ホントにいいの?」
「もちろん。貴方の主人はこれで体調が多少良くなるんでしょ?何なら毎日だって持ってきていいわよ」
「ヴァイオレット様!?」
私の提案にトーマが驚いたように声をあげた。
毎日この館に通うとなれば、当然ソフィアにバレる可能性も高まる。
吸血鬼の館なんてものの存在がソフィアに知れたら、王都の退魔専門の魔導師か近隣の魔物ハンターに血相変えて連絡しちゃうかもしれないから、そこは最大限注意を払うとして。
森を通ってくるのはちょっと大変だけど、トーマがいてくれれば森の魔獣は姿を現さないってこともわかったし、そこまで命懸けの冒険を強いられるってわけじゃない。アルキバもテオドラも『ユグハー』のネームドキャラじゃないから、ヴァイオレットが近寄っただけで乱立するような死亡フラグなんてのも存在しないし。
「その代わりと言っては何だけど……もう少しこの書庫で調べものをさせてほしいのだけど、難しいかしら?」
「調べもの?」
「えぇ、ここには私が読みたかった本がたくさんあるの。今日だけじゃとても読みきれなくて……だから、もしここに通わせてもらえるなら、朝からマンドラゴラ煮るくらい何でもないわよ」
「ヴァイオレット様……」
トーマが青い顔になったのは、果たしてマンドラゴラを煮る時の独特な臭いのせいか、私の突拍子もない提案のせいか。
いちおう主人として鼻栓か何か用意してあげたほうがいいのかもしれないけど、それはそれとして。
「さっきと同じよ、交換条件、ギブアンドテイク。これならお互い損はしないと思うんだけど、どう?」
私が言うと、煮汁を見つめて悩んでいたテオドラは、椅子に座ったまま眠りにつくアルキバを振り返った。アルキバは深い眠りについているようで、微かに寝息が聞こえなければ本当に死んでいるようにしか見えない。
美しい彫刻のように動かない主人の姿を見て何を思ったのか、テオドラはもう一度私の方を振り返って、迷いを吹っ切るようにハッキリと頷く。
「もしかしたら、アルキバ様はそれをお望みではないかもしれないけど……あの方は私にとって家族みたいなものなの。だから、それで、アルキバ様が起きてくださるなら、私はいいわ。もし仮に後でお叱りを受けても構わない」
テオドラはそう言って、私の目を見て礼を言った。
「ありがとう、ヴァイオレット」
「ホラッ、アルキバ様!起きてってば飲んで!」
「あー…………何か手伝おうか?」
「結構よ!アルキバ様のお世話は従者である私の仕事なんだから!」
何て言うか、絵面がスゴい。
可憐な少女が美青年の胸ぐらを掴んで縦に横にとガックンガックン揺さぶっている。
見かねたトーマが恐る恐る声をかけるけれど、テオドラはそれを一瞬ではねのけた。
怪我をさせたこともあってテオドラにあまり強く出られないのだろうか、はねのけられたトーマが尻尾を丸めてすごすごと私のもとへ帰ってくる。かわいそうに。大人しく見物してましょう。たぶんあれは一種のコンビ芸みたいなものだから、手出し無用なのよ、きっと。
「……いいの?ヴァイオレット、こんな約束」
「ソフィアには内緒よ、心配かけちゃうから」
ニコッと笑うと、トーマは何か言いたげな顔をしたけど、結果的には口をつぐんだ。私が言うのもなんだけど、よく付き合ってくれると思う。
「たぶんここ以上に闇の魔術の文献が揃った場所はないもの、悪いけど付き合ってちょうだい」
「……ヴァイオレットが望むなら」
口ではそう言いながら、渋いものを飲み込んだような顔をするトーマの懸念事項が“私の身の安全”であることは十分わかっている。
アルキバが目覚めた瞬間に感じた、背筋も凍るほどの寒気は私も忘れてはいない。吸血鬼は人を餌にする生き物だということも理解している。
「でもね、トーマ」
心配なのもわかるんだけど──
「……………テオ…………テオドラ、もう二十年経ったのか…………?勘弁してくれ……………………」
「追加のマンドラゴラよ!さっき飲んだとき『マズい……もう一杯……』とか何とか言ってたじゃないの!飲みなさいよもう一杯!」
きゃんきゃん叫ぶテオドラを見ながら、私は呟く。
「何っか仲良くなれる気がするのよねー、あの吸血鬼。何でかしら」
「……………………」
それでトーマ、その微妙な表情は一体どういう意味。
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