第15話 吸血鬼の知恵



アルキバの館に通うようになって、私の一日のスケジュールは中々にハードなものになった。

朝早くに起きてはマンドラゴラの世話をし、ストックを煮ては煮汁をジャーに詰めて、テオドラの所まで持っていく。


ソフィアはこれまで二、三日に一度だった私のキッチンでの“儀式”がほぼ毎日の習慣になったことを少しいぶかしんだようだったけれど、魔法の練習が本格化してきたから自主練のために必要なのだと言えば、それ以上探りを入れてくることはなかった。下手に心配かけるのも悪いから、森に出かけている間も町外れの原っぱで魔法の練習をしてることになってる。

共犯のトーマが心苦しそうなのがかわいそうと言えばかわいそうだけど、アルキバの館に大量の魔物ハンターを送り込むわけにもいかないから仕方ない。いい人なんだけど堅物というか、変なところで融通が効かないタイプなのよね、ソフィアは。


週に一度の氷魔法の訓練も、もちろん放り出すわけにはいかないから続行していて、正直なところ、これがとにかく滅茶苦茶にしんどかった。

求められる氷の生成スキルも上がってきてるから、マンドラゴラ汁で魔力バフかかってないと本当に失神するレベル。トーマのことでは結局何も力になれなかったことを気にしているのか、ローウェン先生もやたら指導に熱が入ってるし。熱が入るだけ周囲の温度が下がるっていうのが氷使いの面白いところよね。春先だっていうのに寒くて凍え死にそうだわ。


魔導装飾の件は結局、保留のままになっているけれど、訊ねられるたびに誤魔化していたら、段々ローウェン先生は突っ込んでこなくなった。何か私に考えがあると思ったのかもしれない。今のところ何もないんですけど。

一般的に魔導装飾は長く身につけるほど持ち主の魔力によく馴染み、強い力を発揮すると言われている。つまり後回しにすればするほど、入学前から周囲に差をつけられるってことだから、これについても、いつまでも保留にしてはおけない。


選択肢は二つ。

この際、原作のヴァイオレットのように闇魔法はすっぱり諦めてクインズヴェリ家の石を使うか、それとも。







「………毎日飽きもせず……精が出るな、人の子」


今日も今日とて館の書庫で闇の魔術に関する本を読み漁っていると、珍しく館の主であるアルキバに声をかけられた。

顔を上げると、いつからそこにいたのか、書斎の肘掛け椅子に座ったアルキバの黒い瞳に見下ろされる。彼が入ってきたことに気づかないほど本の内容に集中していたらしい。


「アルキバ、今日は起きてたの」


最初はテオドラにならって“アルキバ様”と呼ぼうとしたけれど、この吸血鬼は眷族以外に敬称付きで呼ばれることをあまり好まないようだった。

本人がその方がいいと言うのなら遠慮なく呼び捨てで呼ばせてもらう。もともと田舎では好きなようにやらせてもらってるけど、ここではわざわざ貴族令嬢らしくする必要もない。ズボンだからって今めっちゃ胡座だしね私。ソフィアが見たら失神しそう。


「お陰様で捗ってるわ。お加減はいかが?」

「…………見ての通りだ」


挨拶がてら訊ねると、深い溜め息と共にアルキバが呟いた。

何だか今にも寝落ちちゃいそうだけど、そこで眠るとまたテオドラにどやされるわよ。


いまだに顔色が悪いこちらの吸血鬼さんは、マンドラゴラの煮汁を飲み続けることで、自分の足で館の中を歩き回るくらいのことは出来るようになった。

死ぬほど眠そうなのは相変わらずだが、それは吸血鬼の特性上、人間の血を飲まなければどうにもならないらしい。不老不死の体が省エネに省エネを重ねた結果なのだそうだ。

何故こんな状態なのに血を飲まないのか、気にならないわけではないけれど、とにかくアルキバという吸血鬼が――身体的にはともかく、心情的には――血を欲していないのは本当のようだった。下手に質問して薮蛇になっても困るし、私が調べものを終えるまで彼の気が変わらないことを祈る。


「お前の、狼は…………」

「トーマ?たぶんテオドラの掃除を手伝ってると思うわ。怪我させたこと気にしてたから」


この館にいる間、私の側を頑として離れようとしないトーマを追い出すのは骨が折れた。

そういえば何かあったらすぐに呼ぶことを条件に手伝いへ行ってもらったけれど、今この瞬間、書庫にアルキバと二人きりなのが知れたら掃除も中途半端なまま飛んで戻ってきそうね。正直もう普通に会話しちゃってるから、すぐに呼ばなかったことを怒られそうな気もするけど、危険なことは何も起こってないから約束は破ってないってことでひとつ。


「……そうか」


アルキバは深く肘掛け椅子に体を預け、そう言って瞳を閉じる。

どことなく嬉しそうな気配がするのは気のせいだろうか。何だかこうして彼とのんびり会話などしていると、人間を襲い、死ぬまで血を啜るという吸血鬼のイメージがぼやけてくる。


「……正直、私は……あまり起きていたくは、ないのだが……」


半分夢を見ているような口調でアルキバがぽつぽつと呟いた。


「テオドラが……楽しそうにしているのは……良いことだ……」

「そりゃ、ご主人様がずっと眠ってて一人ぼっち、話し相手もいないんじゃかわいそうよ」

「逃がしてやっても、いい……だが、あれはそれを……望まない。以前にも一度、提案したが………断られてしまった」


でしょうね。


そりゃ、テオドラが貴方のことを大好きなのは私から見たって一目瞭然だし。眷属をやめさせられたりした日にはまず間違いなく泣きわめくだろうしごねるし暴れまわるに違いない。

人間とは比べ物にならない魔力を持つ不死の吸血鬼、その眷属であるテオドラは、アルキバが生きている限り年を取らない。アルキバが眠っている間、彼女が長い孤独をどう持て余していたのか考えると、逃がしてやりたくなるアルキバの気持ちもわからないではないけれど。


「……人の子」

「ずっとスルーしてたけど人をツチノコみたいに呼ばないでちょうだい。私はヴァイオレットよ」

「私は……マンドラゴラを必要としない……が、私の眷属を……喜ばせてくれたことには…………礼を言う」

「無視なのね別に良いけど」


たまに話が通じないってテオドラが言ってたけど、たぶん眠すぎて耳に入ってないんじゃないかしら。しかし、そのわりには狙って聞こえなくなってるような。まぁ別にツチノコでもタケノコでも構いやしないんだけど。

アルキバはうっすらと瞼を開いて、黒い瞳で、沢山の本に囲まれる私のことを見つめた。


「もし……お前が望むなら、知恵を貸してやろう」

「……知恵?」

「知りたいことが………あるのだろう?」


あくびをするアルキバの言葉に、心臓がどきりと高鳴る。

今のところ、この館の本に載っている闇魔法も、そのほとんどが人を殺めたり病にかけるような呪いの類いで、何ならウチの屋敷にある書物よりもエグめのものが勢揃いって感じだった。

闇の魔術に精通している吸血鬼なら、人の役に立つ闇魔法について何か知っているかもしれない。そんなものないって言われたらそれまでだけど。


「……人の役に立てるような“闇の魔法”を探しているの」


逸る気持ちを抑えながら、私が白状すると、アルキバはそれならば考える必要もないという風に答えた。


「そんなものなら、そこかしこに…………あるだろう。死をもたらし……名誉を傷つけ……病にかける。役に立つからこそ……育まれてきた、闇の魔法だ……」

「私も闇魔法の加護を頂いている以上、先達を悪く言いたくはないけど……残念なことにこのご時世、そういう役立ち方をするっていうのは、表社会で生きるのを諦めるってことなのよ」


魔法の才能があるならそれを活かしたい。持って生まれた強みを、出来るものなら人生の基盤にしたいというのは、誰しもが抱く願いだと思う。

表社会では汚らわしいとまで言われる闇の魔法が、それでも一部の方面では、決して無くならない需要があるのは知っている。ただ私が、人を呪って食い扶持を稼ごうとは思えないだけで。


だいぶ我が儘なことを言ってる自覚はあるけれど、悪役令嬢なんて我が儘言ってナンボでしょ。

死亡フラグを回避するのは大前提。『ユグハー』の本編終了後もこの私、ヴァイオレット・クインズヴェリの人生は続く予定なんだから、一人でもやっていける力が必要なのよ。




「ならば、考えることだ……」


私の言葉を聞いたアルキバが、そう言ってまた目を閉じる。

その瞬間、アルキバが掲げた手のひらの中で、紫の炎が揺れ、水流が渦を巻き、草花が生い茂ったかと思えば、凍りついて砕け散った。

魔力の残滓がふわりと香る。人間のように属性の加護に縛られない、吸血鬼だからこそ使える魔法。その美しさに思わず釘付けになってしまう。


「魔法は、今ある魔法が全てではない。それらは本来、流動的で、絶えず姿を変える、目に見えないエネルギーのようなものだ。……お前達人間は、何かと言うと、この世の事象を決まった枠に押し込めたがる妙な癖がある…………エルフや妖精の魔法は、もっと自由で柔軟だろう。ドワーフは……まぁ、癖が強いという意味ではお前達とさして変わらんが……」

「それ、何か聞いたことあるわ。妖精には私達には使えない魔法が使えるって」


エルフやドワーフの持つ魔法は、人間が使う魔法とは違う。

それを専門に研究してる人もいるらしいから、アルキバの言うことはよくわからないなりに的を射ているのだろう。


「考えろ。……この世に想像力という力を持つ生き物がいる限り、魔法の可能性は広がり続ける」


もう一度、アルキバが手のひらに紫の炎を灯した。

黒曜石のような黒い瞳に、揺らめく炎の輝きが反射している。


「人の子よ、何かを燃やそうと思って起こした火も、暖をとろうと灯した火も、その根元は同じ炎なのだ」



…………というと、つまりどういうことなのだろう。



「……アルキバ、抽象的すぎて難しいわ?」


理解力に乏しくて申し訳ないが、具体的に何をすればいいのかさっぱりわからない。

もう少し簡単に、とお願いすると、アルキバは馬鹿にしたり面倒そうにするでもなく、もう一度言葉を選び直してくれた。


「そうだな、つまり…………闇を根元とし、そこから生じたイメージが、今この世にある闇の魔法を創った。暗闇から忍び寄るもの、暗殺、汚れから来る病、恐怖の象徴」


アルキバが手に灯した炎の中で、黒い影がゆらゆらと揺らめいて悪魔のような姿を作り出す。

闇から連想するもの、と言われて私も考えてみたけど、確かに怖いものが多いのかもしれない。


「……魔法を生み出すのは、想像力だと言った。ならば……人の助けになる闇魔法が欲しければ、どうすればいいと思う」


まるで教師に質問されてるみたいだ。

ローウェン先生はひたすら理論より実践スタイルだから、こういう問答って前世の大学のゼミ以来だわ。話してる内容はだいぶファンタジーだけど。

私は頭を捻って、自分なりに思い付いた方法を口に出してみる。



「闇があって助かるシチュエーションっていうのがどんなときか、っていうのを、考えてみる……とか?」



どう?と思って首を捻ったけど、目を閉じたままのアルキバからは返事がない。


「アルキバ?」


まさかと思って近寄ってみると、血色の悪い唇を半開きにして寝息を立てている。……魔法を使ったのがマズかったんだろうか。

動かなくなってしまったアルキバを眺めつつ、じっと言われたことについて考えていると、騒がしい声と共に書庫の扉が開け放たれた。


「ヴァイオレット、本の虫!書庫の掃除をするから、しばらく外に──って、アルキバ様?」

「あら、テオドラ。トーマもお疲れ様」


入ってきたのはバンダナを頭につけたテオドラと、箒とバケツを持ったトーマだ。

珍しい場所で眠りこける主の姿にテオドラが目を丸くする。そんな彼女を追い抜くように書庫に入ってきて、咎めるように私を睨み付けるのは勿論トーマだ。近い近い近いわよトーマ。


「ヴァイオレット、何かあったら呼ぶって言った」

「だ……だって何もなかったもの」

「ヴァイオレット」

「ごめんて」


普段いろいろ振り回してるだけに、トーマに本気で詰め寄られるとソフィアより堪えるのよね。圧がすごい。この調子だとしばらく目を離してもらえないかもしれない。

そうなったら一人でこの館を掃除するテオドラが大変だし、トーマが落ち着くまでは私も掃除に参加するのもアリかも。最近書庫に籠りっぱなしで肩が凝ってたからちょうどいい。


「過保護な犬ね、心配せずともアルキバ様はヴァイオレットに噛みついたりしないわよ」

「万が一ってこともある。コウモリの手伝いのためなんかにヴァイオレットの側を離れたのが間違いだった」

「人の主を見境のないそこらの野良吸血鬼と一緒にしないでちょうだい!」


何をいがみあっているのか、バチバチと迸るものが見えそうな睨み合いを繰り広げる従者二人。

さっきまで仲良く掃除してたんじゃないの君ら。私のせい?


「えーと……とりあえず、掃除、する?」


言ってみるけど誰も聞いてないし。

おーい、我、お嬢様ぞー。



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