第16話 開通工事



「暗くて助かることですか?」


朝食時に訊ねると、ソフィアはマーマレードジャムの瓶を私に寄越しながら首を捻った。


「さぁ……暗くて困ることなら思い付きますけど……真っ暗では何も見えませんし」

「そうなのよねぇ」


スクランブルエッグをフォークで口に運び、不思議そうなソフィアにうんうんと頷いてみせる。

吸血鬼の館でアルキバにアドバイスを貰ってからというものの、しばらく自分なりに考えてみたけれど、闇が役に立つ場面というのはいまいちピンと来ないままだった。だって真っ暗だったらソフィアの言う通り、普通困ることの方が多いじゃない?


「身を隠す……?見えなくなる?いや……それなら目眩ましの呪いがもうあるし、平時に役に立つかっていうと微妙だわ……」


こうして改めて考えてみると、炎魔法や水魔法といった人の暮らしに即した魔法がその派生を大きく広げているのも納得というか。

火ってだけで明かりをともす、物を焼く、暖をとる、いろいろプラスになるイメージがわんさと沸いてくるもの。水もおんなじ。


「何かズルいわ……」

「……よくわかりませんが、考えが煮詰まっているようなら、一旦考えるのをやめてみるのも手ですよ。来週は春の聖誕祭ですし、ごゆっくりなさっては?」

「もっともな意見ねソフィア」

「上物の七面鳥を手に入れておきますし、お嬢様のお好きなラズベリーのパイもご用意しますからね」

「ありがとう、でもそんなに豪勢にしなくてもいいわよ、どうせ皆にもお暇を出すんだし」


春の聖誕祭というのは、かつて世界を救ったとされる聖女、アルストロメリアの誕生した日を祝う年に一度の祭日だ。

人々は家族でご馳走を食べ、プレゼントを贈り合う。現代日本というか、前世現代社会でいうクリスマスみたいなものである。

貴族の場合、使用人にはその翌日に休暇を用意するところも多いと聞くけど、うちはそこまで豪勢にやるわけでもないし、使用人はソフィアとトーマ以外は皆、アルタベリーの町から来てくれてる人達だから、家族のもとに帰してあげることにしている。すぐ側の暖かい家で家族が待ってるのに、気味の悪い主人の家で年に一度の聖誕祭を祝いたくはないでしょうし。


「ヴァイオレット様、お手紙が届いています」

「ありがとうトーマ」


お茶を飲んでいると、トーマが新聞と一緒に私宛の手紙を持ってきてくれた。

エメラルド色のインクで宛名が書かれているから、誰からの手紙かはすぐにわかる。年に似合わぬ流麗な文字で綴られた、アーサー・ルクレティウス・ユグドラシルの名前。


「珍しいわね、この間貰ったばかりなのに」


アーサーからの手紙は月に一度だけだ。特に取り決めたわけではないけど、そのくらいの頻度で届くから、私も同じペースで返信している。

一月に二回も届いたのは初めてだけど、何かあったんだろうか。


「素敵ですねぇ、婚約者との文通なんて」


便箋の封を切っていると、うっとりした様子でソフィアが呟く。

どうも夢見がちというか、恋愛小説好きな性格ゆえか、甘酸っぱいロマンスに飢えているのだ、この人は。まだ十歳やそこらの子供の文通なんてソフィアが期待するような甘いやりとりは全くないわよ。アーサーはレディファーストが骨の髄まで染み付いてるから、褒め言葉はこれでもかと書いてくれるけど、肝心の手紙の内容は妹姫のマリアベルのことだったりすることが多いし。


「いい人がいるならソフィアもやったらいいじゃない、うちは別に恋愛禁止じゃないんだから」

「そっ、わ、私はいいんです、そんな、えぇ!もう二十も半ばですから……」

「まだ二十も半ばでしょ。町の粉屋の息子はソフィアに気があるらしいってこの間風の噂に聞いたわよ」

「なっ!?……ねっ、根も葉もない噂です、そんなの!」


ソフィアが顔を赤くさせながら、らしくなくガチャンと音を立ててカップをソーサーに戻した。

私が生まれてすぐ、十代半ばでうちの屋敷に来たというソフィア。気が利くし家事も万能だし、本当なら引く手あまただとは思うけど、彼女は何ぶん度を越した堅物である。恋愛ものの読み物は好きなくせに、自分が当事者になると逃げ腰なので中々ロマンスが始まらないのだ。粉屋の息子については真偽のほどは定かでないから、変に意識して冷たく振る舞ったりしないといいけど。


「……好意を持たれていると聞いたのに、何故ソフィアはあんなに怒っているのでしょうか」

「怒ってないわ。照れてるのよ」

「照れてません!」


『ユグハー』世界では女性の結婚適齢期っていうのも現代日本より比較的若めだから、その辺りも気になっているのだろう。

私からすれば、結婚がある種の義務である貴族ならともかく、ソフィアみたいな立場の人は自分が必要だと思った時にすればいいと思うけど――何ていうか、どこで生きていても同じ人間、他人の目が気になるのは変わらないんだろう。世間一般の常識っていうのは、窮屈だけれど安全な檻だ。人は人、自分は自分と、そう簡単には割り切れない気持ちもわからないではない。

トーマにはまだ複雑な乙女心というのは理解できないらしく、赤い顔でお茶を飲むソフィアを不思議そうな顔で見つめている。うん、まだもうしばらくはそのままの君でいてほしいかな。


なんて呑気なことを考えつつ、お茶を一口含んでアーサーからの手紙を開く。

いつも通りマリアベルのこと、魔法の訓練のこと、要所要所に挟みこまれた年々語彙が増えていく口説き文句を読み流しながら、流麗な文字にさっと目を通して──


最後に書いてある一文に含んだお茶を吹き出しそうになった。


「げっほごほごほっがふっ」

「ヴァイオレット様?」


ソフィアとトーマが急に咳き込んだ私を覗きこむ。

何てことなの。


「……ソフィア」

「はい?」

「今年の聖誕祭は豪勢に行きましょう。必要なものがあれば何でも揃えてもらって構わないわ」

「えっ?いいんですか?」


一転した私の発言にソフィアが戸惑いながら目を輝かせる。

私があまり食事に拘らないたちというか、要らないと言うから普段は自重しているだけで、ソフィアは手の込んだものや豪勢な料理を人に振る舞うのが大好きなのだ。本邸のシェフとは勿論方向性は違うけれど、家庭的な味わいは王都に店が開けるくらいだと保証する。つまり今から料理人の手配をする必要はない。


「ヴァイオレット様、手紙に何が?」


様子のおかしい私にトーマが心配そうに声をかけてくる。

察しがいいわねトーマ。そう、手紙だ。この手紙の送り主。一見能天気でありながら、何を考えているかわからない腹黒さを持ち合わせた――見るもの全てを虜にするような、金と翠の色彩を持つ少年の笑みが脳裏に浮かぶ。


「……アーサー様が王都から来られるそうよ」

「は……!?」


驚いたソフィアがカップの中身をソーサーに溢すのが見えた。

まったく、嵐を運んでくる王子様である。








 ▽▽▽



「嵐って言うけど、悪気なく周囲を巻き込むっていうところではあんたも同じようなもんなんじゃないの?」

「やーねテオドラ、私をそんな典型的鈍感乙女ゲーヒロインみたいな言い方しないでちょうだい。イベント全般お断りよ。そもそも悪役令嬢だし」

「?????」


私の言ったことがよくわからなかったのだろう、テオドラが不思議そうな顔で首を捻った。


聖誕祭前の大掃除を終えた吸血鬼の館、アルキバの部屋でお茶を嗜みながらの“嵐の前触れ”報告会。

持参したクッキーがお気に召したのか、一つ二つと摘まみながらテオドラが言う。


「それにしても、あんたが国王の息子の婚約者だなんて意外だわ」

「……それ、ヴァイオレットへの侮辱なら許さない」

「侮辱なんかしてないわ!そう、何ていうか、ちょっと驚いただけよ」


じろっと睨んだトーマの視線を鬱陶しそうにしながら、テオドラが言い募った。

最近じゃトーマの『転身』の練習にテオドラが付き合ってくれてるとまで聞いたけど、いつまでたっても微妙に仲悪いわよね貴方たち。まぁここでの私って胡座で本読んだり雑巾がけしたりで全然貴族令嬢って感じじゃないから、テオドラが驚くのも無理はない。アルタベリーの館だって二、三人で管理できる程度の小ぢんまりとしたもんだし、田舎貴族にありがちな、躾がなってない山猿令嬢か何かと思われてたかも。本当にそうならどれだけ良かったか。


「とにかく、そういうわけだから、アーサー様が来る聖誕祭の数日前からしばらくこっちには来れないわ。マンドラゴラに関しては予めストックを置いていこうと思うけど、寂しくさせてしまうことは先に謝っておくわね」

「べっ、別に寂しくなんてないわよ、バカ!」


私の言葉にテオドラがツインテールを逆立てて反論する。

どうなってるのその髪の仕組み。


「口を慎めコウモリ娘!」

「うっさいわね主人がバカならあんたもバカよバカ犬!」


またどうでもいいことでバチバチと火花を飛ばし合う従者二人は置いといて、私は少し離れた場所で、肘掛け椅子に腰かけている吸血鬼の方を見た。

こちらの話は聞こえているのだろうか、長いまつげが血色の悪い頬に影を落としてピクリともしない。側のデスクに置かれた紅茶に手をつけた様子もない。

相変わらず起きているのか眠っているのか──何なら生きているのかさえ疑問に思えるような姿だ。


マンドラゴラを定期的に摂取することで、アルキバはだいぶ起きていられるようになったけれど、まだまだ一日のほとんどは寝て過ごすことが多い。

さっきまで起きていたのに、ふとした瞬間眠りについて、そのまま半日以上目覚めないなんてことはままある。というか、仮に起きていたところで口を開くのも億劫なのか、あまり喋らないし、吸血鬼っていうのが元々そうなのかもしれないけど、普通の食事も一切とらないから、寝てるのとそんなに変わりない。


それもあって本当は、今年の聖誕祭は、午前中だけでもこっちで過ごせたらと思っていた。


何故ってそりゃ、主がこの様子じゃテオドラが寂しいんじゃないかと思って。アーサーが来るってことで、それは難しくなってしまったけれど。

トーマだけでもこっちに寄越そうかとも少し考えたけど、見ての通りトーマとテオドラは二人きりにさせるとすぐ喧嘩するし、聖誕祭にトーマがいないことをソフィアが何とも思わないはずがないし。……そもそも提案してみた時にトーマが“絶望”としか言いようがない表情をしたので、この案は却下。

そうね、私も考えてはみたけれど、うちの聖誕祭はいつも通り、ソフィアと貴方が一緒にいてほしいわ。どういうわけだか今年はまさかの死亡フラグその2もやって来ることだし。



しかしそうなるとやっぱり、せっかくのお祝いの日に、一人ぼっちになってしまうかもしれないテオドラが気になる。



「……ねぇ、聖誕祭だけ、テオドラもうちの屋敷に遊びに来るっていうのはどう?」

「はぁ?」


私の提案に、トーマと睨み合っていたテオドラが目を丸くした。


「テオドラは半獣人としての特徴がトーマほど目立たないし、町で出会った私のお友達ってことにして。身内がいないってことにしておけば、ソフィア……うちの使用人は喜んでご馳走すると思うわ。ソフィアのラズベリーパイは凄く美味しいのよ」


言っている内に、テオドラの瞳が一瞬、きらりと輝く。付き合っているうちにわかったことだが、どうも甘いものに目がないらしいのだ、このコウモリ娘は。

ところが、見守っているうちに、やがてその顔がじわじわと赤くなっていく。まるで喜んでしまったこと、それ自体に恥じ入っているようだった。


「いっ……いいわよそんな!私達には人間のお祝い事なんて関係ないし、私はアルキバ様の従者だもの、たとえお話できなくたってお側にいるのが当然よ!ずっとそうして来たんだから!」


そう言って、フン、と鼻を鳴らしそっぽを向く。

短い付き合いだがわかる、こうなっては頑として聞かないのがテオドラだ。

まぁ、正直初めから、提案してみたところでテオドラはそう言うような気もしていた。アルキバの側を離れたくないと言う彼女にこんな提案をするのもむしろ酷だったかもしれない。どうせ寝てるんだからちょっとくらい離れてもいい気はするけどね。

本人が断るなら、これ以上無理に誘うものでもないだろう。ラズベリーパイはまた別の機会に持ってきてあげよう、と思った時。



「…………行きたいか?」



ふと、低い男の声が部屋に響いた。

見ると、さっきまで瞼を閉じていたアルキバが、うっすらと目を開けて、ソファでお茶を飲んでいる私達の方を見ている。何だ、今日は起きてたの。

主人に問われ、ぴんと背筋を伸ばしたのはテオドラだ。


「いっ、別に、行きたくなんか……」

「テオドラ」

「掃除が……掃除が大変になるってだけで……」


アルキバに一言名前を呼ばれるだけで、しおしおといつも威勢のいいテオドラの語尾がしぼんでいく。

誤魔化しが効かない相手なのは承知しているのだろう。寂しいものは寂しいわよね。しかし、私の方だって別に無理に二人を引き離したいわけではない。いつ目覚めるともしれないアルキバを遠く離れた場所に置いてきたテオドラが、呑気にご馳走なんか楽しめるわけもないだろうし。


「……まぁ、無理にとは言わないわ。テオドラがアルキバの側にいたいっていうのも本当だろうし、ソフィアのラズベリーパイなら後からでも作ってもらえるから、また今度持ってくるわよ」


慰めるように言うと、テオドラはちょっとだけ素直に眉を下げて頷いた。


「それでいい、アルキバ?…………アルキバ?」


アルキバから返事はなかった。

また僅かな間に眠ってしまったのだろうと、その時は気にも留めなかったのだが。







翌日。再び訪問した際、喜び勇んだテオドラに館の地下室へと案内された。


「見て!アルキバ様が私のために作ってくれたの!」


そう言って、テオドラが地下室のドアを開けると、ドアの向こうには見慣れた光景が広がっている。…………というか、まんまうちの書斎である。


「あらま」

「なっ……何を、何を勝手に……!?」


知らぬ間に行われた開通工事にトーマが絶句する。

吸血鬼の館とうちが繋げられてたらそういうリアクションをとる方がたぶん正解よトーマ。


「どうなってるの?これ。ていうか、こんなことが出来るならもっと早くやってくれれば楽だったのに。ね、トーマ」

「ヴァイオレット、こんな、ソフィアに、うちの使用人にバレたら、大騒ぎに……」

「バレたりしないわ、ちゃんと知っているものにしか認識されないよう、認識阻害の魔法がかかってるの!ドアノブを捻る者が“この扉がこの館の地下室とヴァイオレットの屋敷の書斎を繋げている”っていうことを意識しない限り、こっちとあっちが繋がることはないわ!」

「そ──それは凄いけど、そういう問題じゃ──」

「よくわからないけど、何だか凄い魔法なのね。一晩でこんなものが創れるなんて本当に凄いわ」


これなら気軽に行き来出来るようにはなるだろうけど、空間と空間をドア一枚で繋げるなんて、一体どんな魔法を使ったのか、まるで想像もつかない。

吸血鬼にとってどうなのかはわからないけど、私達人間からすればとんでもない大魔法なのは間違いない。このドアを創ったっきり寝込んでいるというアルキバのことを思い浮かべる。あの吸血鬼もだいぶ親馬鹿よね。


「当然よ!アルキバ様は世界一偉大な方だもの!」


しげしげと黒塗りのドアを眺める私に向かって、頬を紅潮させたテオドラが、実に誇らしげに笑った。



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