閑話 死亡フラグその2から見た彼女




「……マリー、マリー!」


下にいる妹に呼び掛けると、小さなマリアベルは上を見上げ、僕のことを見つけてぱっと顔を綻ばせた。


「アーサー!」

「かくれんぼは僕の勝ちだったね」


得意気に言いながら樹の枝から飛び降り、風をまとって柔らかい草の上に着地する。乱れた金髪を更にくしゃくしゃにしながら頭についた葉っぱを落とし、マリアベルに笑いかけると、可愛い妹は拗ねたようにつんと唇を尖らせた。


「アーサーずるい、樹の上なんて……」

「殿下!!アーサー様ッッッ!!!」


マリアベルが言い切る前に、特大の雷をまとったミス・フェネットの怒号が響き渡る。

しまった。姿が見えなくなったから降りてきたのに、くだんの令嬢を見送った後、すぐ部屋に戻ってきたらしい。


「こんなところにいらっしゃったんですか!私が殿下のことをどれだけ探したと……!!」

「マリーも探した!」

「アハハ、石の裏まで探してくれてたね」


良い子良い子、と腕に抱きかかえると、マリーは嬉しそうにすり寄ってきた。

僕ら兄妹の様子に自分の怒りが受け流されていることに気がついたのか、ミス・フェネットが僅かに冷静さを取り戻して、それでも肩を震わせ、歯を食い縛りながら言う。


「……レディ・クインズヴェリにも大変なご無礼を働いてしまいました。殿下のお父様とレディの父君であらせられるクインズヴェリ公は古くからのご友人でいらっしゃいます。今回ばかりは王子殿下もお叱りは免れませんよ」

「うん、わかってる」

「いくら嫌がられたところで、婚約はどなたかとは結ばなければならないのです。しかるべき時に、しかるべき方と。王子も逃げようなどとは考えず……」

「わかってるって、大体父上とクインズヴェリ公が友人なら、わざわざお茶なんて飲まなくたって婚約は成立してるも同然じゃないか」


そう言って笑ってみせると、「それは……そうですが……」とミス・フェネットが黙りこむ。

僕に対して、今回のお茶会はただの顔合わせで、正式な婚約ではない、という説明をしたのは彼女だから、少し気が咎めているんだろう。七歳になったばかりの子供だからって何もわからないわけじゃない。ミス・フェネットが思うよりずっと、僕は自分の立場というものがよくわかっている。





アーサー・ルクレティウス・ユグドラシル。

ユグドラシル王国の第三王位継承者にして、父王アレクシスより風の魔法の加護を最も色濃く受け継ぐ者。

齢七歳にして五つ上の兄を凌ぐほどに聡明で、その発言には既に城の中で一定の影響力がある……とされている。


が、実際の僕は、イタズラ好きで、可愛い女の子が好きな、四つ下の妹を宝物のように思っているただのお兄ちゃんだ。

猫を被るのが得意だったせいで、城の中では神童とかいろいろ好き勝手言われてるけど、僕自身は兄達を蹴落として玉座につくことには全く興味がない。何かと僕と比較されがちな兄達は僕を嫌っているけど、僕はどんな形であれ、将来的に兄達のサポートが出来る立場に就ければ、それで十分だと思っている。



雁字搦めの王になるより、僕は少しでも自由でいたい。



だから七歳になったばかりで貴族令嬢と婚約を結ばなければいけないと聞かされた時は、いかにそれが尊敬する父の命令であったとしても、正直うんざりした。

女の子は可愛いから好きだ。金の髪や翠の瞳が綺麗だと、ちやほやされるのも悪い気はしない。でも、それと結婚するっていうのとはまったくの別問題であって。



嫌がったところでどうしようもないことはわかっていた。

だから、婚約者になる予定の令嬢が来る日に、妹のマリアベルとかくれんぼをすることにしたのだ。



どうせこの婚約は初めから成立しているも同然だ。結婚はその時期も相手も王である父が決めるもの。当事者である僕に拒否権なんてものはない。

だからまぁ、率直に言って、これはただの、非常にたちの悪い嫌がらせだった。王子と婚約すると聞いて浮かれているだろうお嬢様の気取った顔が困惑に歪めば、振り回されているのは僕だけじゃないと、いくらかは胸のすく思いがするだろうと。



ヴァイオレット・クインズヴェリ。



現れた少女は、見た目は確かに美しく、同年代の少女にしてはひどく落ち着き払っているように見えた。

冷静なのか図太いたちなのか、僕が姿を消したことに動揺したミス・フェネットが部屋を飛び出していった後も、ひたすら優雅に一人でお茶を飲んでいたし、マリアベルが現れて、予想外に彼女を庭に連れ出してきたときも、彼女は小さなマリーが“探し物”をするのをただ穏やかに眺めていた。

城にやって来てもう一時間は放置されているのに、まったく怒った様子が見られない。普通なら、客人扱いされていないと怒り狂ってそのまま帰ったっておかしくないはずなのに。

これまで僕が見てきた貴族の女の子達は、気取り屋でわがままで、自分が何よりも丁重に扱われていないとすぐに機嫌を損ねるような子達ばかりだった。



だから、不思議な女の子だな、と思ったんだ。



僕やミス・フェネット以外には人見知りの激しいマリアベルが、自分から彼女に近づいたのも意外だった。

一体マリーとどんな話をしているんだろう、と思って、僕は樹の上に潜んだまま、木陰に座り込んだ女の子達の会話を聞いた。




そして、驚きの言葉を耳にすることになる。




「絶対誰にも内緒だけどね、私、王子様とは結婚したくないの」




(…………は?)


結婚したくない。

ヴァイオレットがそう言っているのが聞こえて、本当に驚いた。王子の婚約者っていうのは、当たり前だけど、貴族令嬢にとってはこれ以上ないステータスで、家名を高める何よりの名誉だ。

それをまさか“したくない”とまで言い切る令嬢がいるとは。


「……? レティ、アーサーが嫌いなの?」


僕はその子に会ったこともないよ、マリー。


レティというのは愛称だろうか?いつの間に愛称を呼ぶ仲に。

妹の容赦のなさにちょっと傷つきながら、何故彼女が僕との結婚を嫌がっているのかが気になって耳をすます。

僕は不細工じゃないし、能力も身分も申し分ない。会ったこともない女の子にこうもはっきり嫌がられると、それはそれで理由が気になるのは仕方ないことだと思う。


「嫌いというのとは違うんだけど……とにかくいろいろあって本当は婚約したくないの。だから、もし私が婚約者になったとしても、本当に結婚する前に解消してもらうつもりよ」

「かいしょ?」

「なかったことにしてもらうってこと」


何だそれ。


一体どういう理由があってそういう事態に持ち込もうとしてるのかわからないが、わざわざ婚約して解消させるとはどういうことなんだろう。もし僕がその気になったら一体どうしてくれるつもりなんだろうか。いや、僕だって婚約はしたくないんだから、そうはならないはずだけど。

というか、婚約解消なんてよっぽどのことがなければしようとは思わないけど、一体どうやって僕にそうさせるつもりなんだ?


「そんなこと出来るの?」

「そこはもうあれよ、色々頑張るの」

「がんばる?」

「たとえばマンドラゴラの煮汁を……」


(──マンドラゴラの煮汁を……!?)



何だそれ──と再び思った瞬間、パキッと手元の枝が折れた。


音が鳴ったことに一瞬ドキリとしたけれど、ちょうどそれに被せるようにミス・フェネットが部屋に戻ってきて、ヴァイオレットの名前を呼んだ。

ミス・フェネットが、恐らくは何かしら僕の不在を誤魔化すようなことを言って──やはりヴァイオレットは、約束をすっぽかされたことも、そのまま放置されたことについても、声を荒らげて怒ったりはしなかった。ミス・フェネットと二言、三言話したかと思うと、そのままさっさと、帰っていってしまった。



……しまった?

帰っていってしまった、って何だろう。



あの子を放置して無駄足で帰らせたのは他でもない僕なのに。

まるで帰ってほしくなかったみたいじゃないか、と思って、何とも言えない感情に首を捻る。

これまで僕は女の子に袖にされたことがなかったから、あんなにはっきり結婚したくないと言われて逆にあの子のことが気になってしまってるんだろう。可愛い子だったし。あとマンドラゴラの煮汁っていうのが何なのかも気になるし。



「あぁ……クインズヴェリ公のお宅にお詫び状を……それから、もう一度お二人のご挨拶の場を設けなければ……」

「ねぇミス・フェネット、挨拶っていうのは何もお城でなくてもいいんだよね?」

「…は、それはまぁ……」

「今度はお詫びもかねて、僕が会いに行くよ。レディ・クインズヴェリに」


僕がにっこり笑ってそう言うと、ミス・フェネットは今度こそ硬直し、驚愕に目を丸くした。言葉が出てこないらしい。


「持っていく花束はやっぱりヴァイオレットがいいかな?ね、マリー、どう思う?」

「マリーはダンゴムシが好き」


腕の中の可愛い妹は、嬉しそうにそう言った。




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