第7話 死亡フラグその2、回避?




見上げるほど大きな、華美なだけでなく、古くからこの国を見守ってきた歴史を感じるロイヤルキャッスル。


ユグドラシル王国の王族が住まう城は、現代日本人が“お城”と言われて想像するような、いわゆるヨーロッパ圏のお城の形をしていない。王族の方々の住まいは大きな円を描くように建設され、堅牢な石造りの城壁が、更に大きな円を描くようにそれを取り囲んでいる。

そして円の中心には、この世界で最も大量の魔力を蓄えていると言われる伝説の魔法植物──この国の名前の元ともなった、大樹ユグドラシルが悠然と鎮座しているのだ。





はい、というわけでとうとうやって来てしまいましたユグドラシル王国は王都、エル・ユグドラシル城。

実況は私、由緒正しき氷一門クインズヴェリ家が次女、ヴァイオレット・クインズヴェリが行わせていただきます。



(……帰りたい)



何よりもそれに尽きる。

いきなりやる気の欠片もない実況で申し訳ない。

ソフィアに厳選してもらったドレスを更に屋敷の侍女に厳選してもらい、七歳の誕生日にも着ていた菫色のドレスに身を包んだ私だけれども、今この瞬間、城の門を潜り抜けようとしている馬車を今すぐ飛び降りて脱兎のごとく駆け出したいくらいには帰りたい。そんなことしたら脱兎どころかウサギ鍋にされるからやらないけどさ。




「レディ・クインズヴェリですね。本日はようこそおいでくださいました」


馬車を降りると、美しい巻き毛の貴婦人に出迎えられた。


「私はアーサー王子殿下のお世話役の名誉を賜っております、フェネットと申します」

「クインズヴェリ家が次女、ヴァイオレット・クインズヴェリと申します。ミス・フェネット、お会いできて光栄ですわ」


お互いに微笑みを交わしあい、ドレスの裾を軽く持ち上げて礼をする。

相手が七歳の子供であっても、一人前のレディを相手にするようなこの丁重な態度。

社交界デビューもまだで、その上普段は田舎に引っ込みっぱなしの私は、意外と貴族令嬢としてちゃんと扱われた経験は少ない。この対応はお城の文化というのがこういうものなのか、それとも私が公爵令嬢、果ては自分の仕える王子の婚約者になるかもしれない相手だからだろうか。


「王子は先月レディと同じ七歳になられまして、お年頃の近いお二人ならきっと仲良くなれるだろうと、国王陛下も仰っておりましたわ」

「それは……畏れ多いお言葉でございます」

「どうぞレディも緊張なさらずに。王子は少しやんちゃなところもございますけれど、とても聡明で活発な……」


長い廊下を歩きながら、ミス・フェネットがアーサーをべた褒めするのをひたすら相づちを打ちながら聞く。この人何かソフィアと同じような匂いがするな。つまり親馬鹿の匂いだけれど。

しかし、私の知るゲームでのアーサーはひたすら穏やかで優しくて、ちょっと女たらしな一面があるというか、女性に対して紳士的であるというイメージが強い。そんなにやんちゃで活発なエピソードはなかった気がするけど、幼い頃はやっぱり多少性格が違ったりするものなんだろうか?不思議。




(…………うん?)


しばらく廊下を歩き、ミス・フェネットが王子とのチェスが自分の連戦連敗であることを誇らしげに語っていた時のことだ。


ふと、進行方向とは別の廊下の影に、小さな人影が見えたような気がして、私は一瞬足を止めた。

その影は一瞬で身を隠してしまったけれど、これ見よがしに隠れたことで、むしろやたらと印象に残った。何、今の小さいの。いや、私だって小さいんだけど、あれはたぶん私より小さい……というか、私の腰ほどまでしかなかったような。


(……子供…………?)


それも、まだ三つか四つくらいの。

そりゃお城には何百人って人間が暮らしてるんだから、使用人の子供とかはいるんだろうけど。使用人の子供って、あんな風に自由に城内を歩き回ってるものかしら。


「レディ?」

「ああ、いえ、何でも……」


いずれにせよ今の私には関係のないことだ。

足を止めた私を怪訝そうに振り返ったミス・フェネットに謝罪して、私は促されるまま、王子殿下と顔合わせがてら、お茶会をするという部屋に入った。






華美すぎず、品のある調度品が揃えられた部屋はとても居心地が良さそうだ。

天井から床まである大きなガラス窓の向こうはテラスのようになっていて、手入れの行き届いた庭が広がっている。

テーブルにはすでにお茶の準備がされているようだけど、アーサーの姿はない。ここで待てということかしら?と思ってキョロキョロと辺りを見回すと、何故かミス・フェネットの顔が青ざめているのが目に映った。えっ何?


「ミス・フェネット、お顔の色が優れないようですが……」

「えっ!?あ、いいえ、何でもございません、レディ・クインズヴェリはどうぞこちらでお茶をお飲みになってお待ちくださいませ!王子はすぐ、きっとすぐにこちらにお連れいたします!」

「は……はぁ……」


ミス・フェネットのあまりの剣幕に押され、令嬢としてまともな返事の一つも返せなかったが、ミス・フェネットはそういった一切合切を気にする余裕がないようだった。

「ごゆっくりなさいませ!」と私をソファに座るよう促して、自分は足早に部屋の外へ出ていってしまう。「殿下ーッ!」とか何とか叫びながら。……何というか、やっぱりあの人ソフィアに似てるわ。


しかし、何かトラブルがあったのだろうか。


ゆっくり待つようにと言われてお茶を飲み出した私だったが、待てども待てどもアーサー王子も現れなければミス・フェネットも帰ってこない。完全な放置プレイである。呼び出しておいて放置とはなかなかやりおる。



――これはクインズヴェリ家の令嬢としては、無礼を働かれたと怒るべきところなのかしら。



まぁお茶は美味しいし放置でも別にいいけど。

何ならこのまま婚約の話がお流れになってくれれば私としては万々歳だ。私に粗相があってのことなら命の心配も必要だろうが、殿下の方で何かトラブルがあってということであれば、流石にお父様も私に責任をとれとは仰らないだろう。だって私は言われたとおり部屋に通されて座ってお茶飲んでただけだし。

クインズヴェリの人間が恥をかかされたことをどう扱うかについては、公爵であるお父様と王家の問題だ。


(あれ、これ行けるんでは?)


もしかして生存フラグ見えた?

王子と婚約せずに家に帰れる?


思わぬ展開に、ぐふふふふ、とお茶を飲みながらひっそり笑みを漏らしていると、突然小さな手が横からひょいっと伸びてきて、テーブルの皿からクッキーを一枚取っていった。


「え?」


驚いて隣を見ると、いつの間にか、小さな女の子が私の隣にちょこんと座っている。

金色の髪を肩まで伸ばした、翠の瞳のとても愛らしい女の子だ。年の頃は3つか4つ程だろうか。女の子はパクリとクッキーを頬張って、私に「食べないの?」と訊ねてきた。いや……そんな……いきなり食べないの?って言われても。


「……どなたでしょうか?」

「私マリー。貴方こそどなた?」


マリーと名乗った女の子が、可愛らしく小首をかしげる。


「私は……ええと、クインズヴェリ家の者で……」

「くい?」

「えっと、はい、ヴァイオレットです」

「ヴぁ?」


うん、ごめんね名前も名字も言いづらくて。


「……レティとお呼びください……」


レティというのは、私がうんと小さい頃にソフィアがそう呼んでいた、愛称みたいなものだった。レティお嬢様、って流石にもう恥ずかしいけど。


「レティ!」


今度は呼びやすかったのか、クッキーの食べかすを頬にくっつけて、マリーはにっこり笑った。あらかわ。何かいきなり現れたけど、すごく可愛いぞこの子。


しかし、金髪に翠の瞳というのは、この国では王家か、それに連なる貴族家のごくごく一部の人間にしか受け継がれない色だ。

この子が高貴な家柄の人間であることは間違いないけれど、少なくとも王のご息女に“マリー”という名前の女の子はいないはず。というか、お姫様だったらこんなところで一人でいるわけないし。


じゃあこの子は、王家のご親戚に当たる貴族の令嬢か何か?


そうだとしたらいよいよもって私の隣でクッキー食べてる理由がわからないんだけど。何なんだろう。

マリーは二、三枚クッキーを平らげて満足したのか、私の手をとって、ガラス窓の向こう、小さな庭があるテラスの方へと引っ張っていこうとする。


「マリー、ちょっと待って、どこへ行くの?」

「お庭!ここはまだ見ていないから」

「見てない……?」

「そう!たくさん探したけど見つけられないの、いろんなところ見に行って、最後にそういえばお庭を見てなかったって思い出したのよ!」


えーっと、一体どういうことなんだってばよ。

このくらいの歳の子の言うことが無茶苦茶なのはまぁ仕方がないとしても、さっぱりわからん。つまり何?マリーは探し物をしているの?


「……もしかしてさっき廊下にいたのって」

「廊下の向こうも見たわ」


やっぱり、さっきの廊下の人影はこの子か。


マリーはしばらく庭の花壇の植え込みを覗きこんだり、石をひっくり返して裏を見たり、何かを探しているようだったけれど、やがて諦めて、庭の真ん中に植えられている大きな樹の木陰に座り込んだ。探し物が見つからなくて拗ねているのか、唇を尖らせた表情が愛らしくて、それに、何だかトーマを思い起こさせる。


「……見つからなかったの?」


隣に座って話しかけると、マリーは拗ねた表情のまま頷いた。


「何を探しているのか、聞いても?」

「……ダメなの。人に言ったり、誰かを頼ったらマリーの負けなんだって」

「ふぅん、探しもの勝負ってことね?」


誰と遊んでいるのか知らないけど、つまり隠したものを見つけるゲームをしてるってことか。石の裏を見てたってことは小さなものなのかな。マリーは探し物をするのは飽きてしまったのか、足元の草をぶちぶちと引き抜きながら私の方を見た。


「レティは何でここにいるの?」

「私?私は、うーんと、王子様の婚約者になりに来たのよ」

「こんやくしゃ?」

「アーサー様の結婚相手になる約束をしに来たの」


まぁずっと放置されてるんだけどね。

アーサー様の結婚相手、と聞いた瞬間、マリーはとても驚いたようだった。愛らしい顔をくしゃくしゃにして、私のスカートの裾を掴む。


「だめ!アーサーとはマリーが結婚するの!」

「え?」

「アーサーは取っちゃダメ!」


そう言ってポロポロと泣き出してしまう。

天使のような美少女を自分の発言で泣かせてしまい、私は内心大慌てである。何だどうした。もしかしてこの子もアーサー王子の婚約者候補に推薦されたどこかの貴族令嬢だったのだろうか。七歳と三歳なら普通にありえる話だし、そもそも王族貴族の結婚というのは年齢差というのはあまり重視されない。年の頃が近いに越したことはないだろうが、それ以上に重視されるものはいくらでもある。


「だ……大丈夫よ、マリー」


とにかく泣き止んでほしくて、小さな女の子の金髪にそっと手を滑らせる。側に抱き寄せると、マリーは潤んだ翠の瞳で私のことを見つめた。ちょっとこの子持って帰りたいわ。ダメかな。ダメか。

幼女のあまりの愛らしさに真顔になった私に、「レティ?」とマリーが首をかしげる。ごめん。えーっと、そう、婚約についてだっけ。


「その……絶対誰にも内緒だけどね、私、王子様とは結婚したくないの」

「……?レティ、アーサーが嫌いなの?」

「嫌いというのとは違うんだけど……とにかくいろいろあって本当は婚約したくないの。だから、もし私が婚約者になったとしても、本当に結婚する前に解消してもらうつもりよ」

「かいしょ?」

「なかったことにしてもらうってこと」


それもごく自然とそうなるよう、穏便にね。

何なら、アーサーとヒロインが結ばれる手助けをしたっていい。フラグが乱立する危険があるから、ヒロインとは極力関わり合いにはなりたくないけど、もしその方が事が上手く運びそうならそういう手法もありだろう。


たとえそのことでお父様に勘当されて、ヴァイオレット・クインズヴェリとして生きていくことが出来なくなったとしても、魔法の力さえあれば私は一人でもきっと生きていける。魔獣ハンターになってもいいし、魔法薬ショップを開いてもいいかも。

今はまだ言うなりになるしかないけれど、未来の私ならきっと何とかなる。


「そんなこと出来るの?」

「そこはもうあれよ、色々頑張るの」

「がんばる?」

「たとえばマンドラゴラの煮汁を……」





「──レディ・クインズヴェリ?」


その時、部屋の方から、やけに憔悴しきったミス・フェネットの声が聞こえてきた。


「あら、帰ってこられたわ」

「ミス・フェネットだ」

「お知り合い?」

「仲良しだけど、怒ると怖いからマリーは隠れるね」


マリーはそう言って、ミス・フェネットから見つかないよう大樹の影に身を隠してしまった。いいのかしら…。

何となく尾を引かれるような思いがしつつ、部屋に戻ると、すっかり青ざめ、肩を落としたミス・フェネットがいる。


「本当に申し訳ありません、レディ・クインズヴェリ……アーサー様はその、今少し、体調が優れないようでして……」

「まぁ、そうだったんですか」

「本当に申し訳ありません……わざわざお招きしておいてこんな、どうお詫び申し上げればよいのか」


……流石に何かしら事情があることは察せられるけど、ここでミス・フェネットを責めるのは酷だろう。何より私は私自身が下手なことをしてなければね、アーサー王子と関わらずにいられるぶんには全っ然構いませんので。


「お体の具合がよろしくないのであれば仕方ありませんわ。本日はお暇いたします。アーサー王子殿下には、どうぞお大事にとお伝えください」

「レディ……」


私がにっこり微笑むと、ミス・フェネットはいたく感動したようだった。

いくら王族が相手と言えど、何より面子を重んじる貴族──それも大貴族であるクインズヴェリの娘が、こんな無礼を働かれて笑顔で許すことはまずあり得ないだろうから、無理もないけれど。

私としてはそんなことよりもですね。


「それからあの、よろしければ……王子殿下が体調不良でお会いできなかった旨をその、父に伝えるための正式な文書を頂けると……」

「あ……も、もちろんお詫びのお手紙を……」

「何卒、何卒、私はお茶を飲んでただけで一っっ切マズいことはしていないと、力強く書いていただけるととても助かります」

「あの、は、はい…?」

「お願いします!」


ギュッと手を握りしめて懇願すると、私の必死さに気圧されたのか、ミス・フェネットはかくかくと頷いてくれた。




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