第6話 グレアム・クインズヴェリ



「……気が重いわ」


馬車に揺られる私の口から、幸せが裸足で駆けていきそうな深い溜め息がこぼれた。



数ヵ月前も訪れた王都。

あの時はソフィアが一緒だったけれど、今回は私一人での訪問だ。

しかも前は自分の誕生日プレゼントを選ぶだけでよかったけれど、今回はまず本邸のお父様に会い、王宮に行って死亡フラグ吸引機に会うという、一体今世の私がどんな罪を犯したのかと神様を問いただしたくなるようなイベントが目白押しである。しかも漏れなく回避不可能っていうね。こむら返りの呪いかけたろか神様このヤロー。




馬車の窓から見える通りは以前訪れた時と同じように人や物で溢れ帰っていて、私の屋敷がある田舎町、アルタベリーの街道とは、道行く人の装いからして比べ物にならない華やかさだ。

私の心模様とは裏腹に空が澄みわたるような快晴なのがまた恨めしい。何で晴れてんのよ空。今すぐ吹雪か砂嵐でも吹いて交通渋滞引き起こしなさいよ。


「お嬢様、そろそろ旦那様のお屋敷に到着いたします」

「……ありがとう」


いっそこのまま永遠に着かなければいいのに……。

なんて我が儘を言って御者の人を困らせるわけにもいかない。徐々に近づくその建物を、せめてしばらくの間だけ視界から締め出すべく、私は馬車窓のカーテンを力強く引き下ろした。








しかしいくら現実逃避をしても、屋敷は逃げていってはくれない。


「お待ちしておりました、ヴァイオレット様」

「お出迎えありがとう、ターナー」


馬車から降りる私に手を貸してくれたのは、本邸の使用人の中でも一番の古株であるターナー・ワレットだった。

白髪を首の後ろで束ねた品のよい老人で、流石本邸の使用人と言うべきか、仕草の一つ一つが洗練されている。


私が名前を呼ぶと、眼鏡の奥の瞳が驚きに見開かれた。


「おや、前にお会いした時はお嬢様は四歳でいらっしゃいましたのに……この老いぼれの名前を覚えておいていただけるとは」

「流石に全員は覚えていないわ。ターナーはお父様が一番信頼を置いてる人だもの」

「光栄ですな。……旦那様が首を長くしてお待ちです」

「……お仕事中なのでは?」

「お嬢様が到着されたらすぐにでも書斎にお通しするよう仰せつかっております」


ホッホ、と食えない笑みを浮かべるターナー。

笑顔のまま硬直する私。──くそ、昼間のうちにつけばお父様は仕事中のはずだから、少しは心の準備をする時間がとれるかと思ったのに。

ここでは父の命令に対して「イエス」以外の返答は許されない。まさか「ちょっと疲れたので少し休憩を……」なんて言い出すわけにはいかないのである。

私はにっこりと完璧な笑みを張り付けたまま、否応なくターナーの案内に従った。やべー今すぐ逃げ出したい。



人生で数度しか訪れたことのないクインズヴェリ家の本邸だけれど、屋敷の中の様子は、記憶とちっとも変わっていなかった。

ソフィアと数人の召使いで切り盛りしている、アルタベリーの小ぢんまりした屋敷とは、その辺に設置してある家具一つとっても全く違う。私にはインテリアの良し悪しはわからないけど、なるほど、絢爛豪華とはこのことかって感じ。お金がかかっているのね。

壁には今は亡きお母様の肖像画がかかっていて、ターナーに「お嬢様は奥様と生き写しですな」とずいぶん懐かしそうに言われた。額縁の中、紫の髪と赤い瞳が美しいその女性は優しくこちらに微笑みかけていて、屋敷全体を明るく照らしているような気がする。



お母さまの肖像画がなくとも、この屋敷はどこも白く輝いて明るい。

──ただ唯一、記憶の中の父の書斎だけは、いつも何処か重苦しく、陰気な雰囲気が漂っていたような気はするけれど。



「旦那様、ヴァイオレットお嬢様をお連れしました」

「入れ」


ドア越しでも耳に響く、久しぶりに聞く父の声音。

どうにかして逃げられないか……いっそ自分自身にこむら返りの呪いをかけてみるか否か迷っていた私は、その声を聞いてようやくこの場からの逃亡を諦めた。腹をくくったとも言う。

いや最初から逃げられるわけないのはわかってるんだけど、誰にでも現実を受け入れたくない時ってあるでしょ。


「……お父様、ヴァイオレットです。お呼びと窺い参りました」


ターナーに促されて書斎に入り、スカートの裾を持って恭しく礼をすると、椅子に座っていた父、グレアム・クインズヴェリ公爵が振り返る。


厳めしい顔つきのわりに、父はいつまでも若々しい。もう四十代も半ばを過ぎているはずなのに、せいぜい三十かそこら程度にしか見えない。上流階級の中でもごく一部、大貴族特有の強大な魔力の恩恵なのだという。

新雪を思わせる白髪はきっちりとまとめられ、深い青紫の瞳が冷たく私を睨み付けている。い、威圧感。相変わらず威圧感の文字をその背中に背負っていらっしゃる。実父の威圧感に押し潰されそうです。助けてトーマ。それからソフィア。


居心地悪く佇んでいると、氷のような視線が私の全身をくまなく点検しているのがわかり、ちょっとだけ焦りを覚えた。

何か父のお眼鏡にかなわないものがあっただろうか?いやいや今日の装いは完璧なはず、ソフィアが選んでくれた勝負ドレスなんだから大丈夫なはず。


やがて父は、一通り私の全体を“点検”したあと、椅子ごと体をこちらに向ける。



「それにしても久しいな。随分大きくなった」



っしゃコラ。

とりあえずドレスは問題なかったらしい。アルタベリーのソフィアに心中でガッツポーズを送る。ありがとうソフィア!お土産に貴方の好きなワインを買って帰るからね!


「数ヵ月前に七歳になりました。いつもお誕生日にはプレゼントを選ばせていただいてありがとうございます」

「……そう、そのプレゼントのことなのだが」

「はい、お父様」

「亜人を買ったらしいな?」


──ぎくり。


流石に情報が早い。

いやそもそも、屋敷に使用人が増えれば、本邸に報告しないわけにはいかないんだから、知ってて当然なんだけど。


「はい、可愛らしかったので、つい」

「ああいう者はあまり信用できん。人間では駄目なのか?」

「とてもよく働いてくれていますわ。それに、近頃は王族の方も獣人を従者にするのが流行りだとか」


内心では滝のような汗をかきつつ、ニコニコと笑いながら言う。

ここでは父の命令への答えは「イエス」が絶対。なら、初めから飲めないような命令をその口から聞くわけにはいかない。今更トーマを屋敷から追い出すなんて出来るわけないし。


「そうか。まぁいい」


幸い、お父様は少し考え込むような素振りを見せたけれど、思ったほど亜人の使用人に否定的ではなさそうだった。

本邸に招き入れたわけではないし、私が田舎で勝手にやるぶんには構わないということだろうか?お父様の目に直接触れていないのが大きかったのかもしれない。……やっぱり今回は連れてこなくて正解だったわね。


今頃屋敷でソフィアにしごかれているであろうトーマのことを思い、ふぅ、と胸中で胸を撫で下ろす。

死亡フラグ予備軍って言っても数ヵ月一緒に過ごした仲だし、あれだけ健気な様を見せられては情もわく。下手に恨みを買うような真似はしたくないし、何よりも、自分の身勝手で引き取った彼を路頭に迷わせるようなことはしたくなかった。


「それから、手紙に書いた婚約のことだが」

「はい、お父様」


えーい来た来た。来ちゃったよこの話題が。

ニッコリ完璧な笑みを浮かべながら裏で百面相しすぎて脳が軽くパニックを起こしそうなんですけど。


「明日、お前にはアーサー王子殿下に会いに城に行ってもらう。くれぐれも粗相のないように。自分がクインズヴェリ家の者であることを忘れるな」

「はい、お父様。ですが」

「何だ」


アルタベリーを出る前から脳内で何度もシミュレーションしてきたこの会話。

婚約に対して果てしなく消極的な気持ちでいることを覚られてはいけない。父の怒りに触れないであろうギリギリのラインをどうやって攻めるか、屋敷にいる頃からずーっと考えてきたのだ。


「もしも……万が一……億が一……えー、無量大数分の一の可能性として……ですね」

「回りくどい言い方はよせ」

「はい、アーサー王子はその、複数の候補から婚約者を選ばれるおつもりなのでは?その……だから、つまり……?」

「何だ、お前が婚約者に選ばれない可能性を案じているのか?」


そうそれ。

それなんですよお父様。いやもしもですよもしも。うっかりそういうことになっちゃったらお父様的にどうですか?ついでに私ってどうなっちゃうのかなーって。


「何だ、そんなことか」


私が曖昧に笑うと、お父様は、それはそれは大変珍しいことに、ふっと目元を綻ばせた。

にっこりと優しく、私に向かって、この世のものとは思えない恐ろしい笑みを浮かべる。


「冗談はよしなさい、ヴァイオレット。私はお前を推薦したのだから、そんなことはありえないだろう」

「え……っと」


そして父はゆっくりと、確認するように、私の名前を呼んだ。


「違うか? ヴァイオレット・クインズヴェリ」











……書斎を出た後、どんな風にターナーに案内されて、自分の部屋に通されたのか覚えていない。

肩の辺りの筋肉が妙に引きつってガクガクと震えていたのは確かだ。ドアを閉め、一人きりになった瞬間、ずるずるとその場に座り込む。

ここまで根性で歩いてきたけど、全身に圧をかけてくるような実父への恐怖で腰が抜けていた。


(──違うか? ヴァイオレット・クインズヴェリ)


「はひ……」


お父様、目が全然笑っていなかった。

もしかしたらワンチャンここで婚約を結び損ねて、あわよくばアーサールートの死亡フラグ抹消……というのを、可能性として考えなかったわけではなかったんだけど。

お父様のあの感じは、仮にもクインズヴェリ家の令嬢がそんな扱いを受けていいと思っとんのかお前っていうニュアンスと毒と私に刺すための釘で満ち満ちていた。滅多うちだった。


(……わかっちゃいたけど、ヤッベェな……)


婚約そのものの回避は無理だ。

この時点でアーサーとの婚約を結ばないと、死亡フラグ云々より先にお父様に殺されるわ、これ。





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