第5話 王都からの手紙




「ヴァイオレット様、お手紙です」

「あぁ、ありがとうトーマ。そこに置いておいてくれる?」


書物から目を離さないまま言うと、部屋に入ってきたトーマは机に便箋を置いて私の方にやって来た。


「ヴァイオレット、もうずっと本を読んでる。朝食にも降りてこなかったってソフィアが心配してた」

「あら、ほんと?悪いことしちゃったわね」

「僕も心配だったけど、従者は主人の邪魔をしてはいけない……から、大人しく待ってた」


本を読む私の手元を覗きこみながら、トーマがちょっと恨めしそうに言う。

あまりにも素直な言葉につい顔を上げると、耳を伏せた拗ねた表情のトーマと目が合う。頭を撫でると黒い尻尾がパタパタと揺れる辺りも、可愛らしくてつい笑ってしまった。もともと下働きとして雇い入れる予定だったトーマは、器用さとマメさ、その忠実さを買われて、正式に私の従者として側に付くようになった。ソフィアから従者の何たるかを徹底的に教え込まれているらしいけれど、この分だと生徒としても彼は優秀らしい。


……私と違って。


「また闇の魔術の本を読んでる?」

「うーん……何かこう、闇属性の魔法でも、有効に使えるものがないかなぁと思ってね、探しているんだけど」


先日の氷魔法のレッスンでは、ついに「今のお嬢様のご年齢では、これ以上の上達は見込めません」と家庭教師から匙を投げられてしまったし。

そこを何とかするのが一流の家庭教師でしょーが!とは思ったけど……先生にとって私はお給料源みたいなものなんだから、無理にでも続けさせた方が利益になるところ、わざわざ止めてくれたのはたぶん私の体を慮ってのことだ。一概には彼女を責められない。ギィ悔しい。

今の私は精々タライ一杯の水に薄氷を張るくらいのことしか出来ないし、それをやると疲弊して一ミリも動けなくなってしまう。



──氷でなくて闇なら、血に通う加護のある属性の魔法なら、きっともう少しくらいは伸び代があるはずなのに!



そう思ってうちの書庫を漁り、ちょっとでも闇の魔術に関わりのありそうな本を積み上げ、夜なべして役に立ちそうなものを探しているのだが……


「腱鞘炎の呪い……虫歯の呪い……骨粗鬆症の呪い……こむら返りの呪い………何っでこうセコくていやらしいというか、人体に悪影響を及ぼすような魔法しかないのかしら、闇魔法って!」


しかも病を誘発するようなものはともかく、こむら返りの呪いはあまりにもセコくないか。

これくらいならたぶん今の私にも使えるから、たぶん闇魔法の中では比較的初歩の魔法なんだろうけど……氷の低級魔法が氷の結晶を生み出す美しいものであるのに対して、闇魔法、こむら返りって何なの?バカなの?


「気に入らない奴をこむら返りにできる」

「うん、まぁ、そうね……」


トーマが励ますように言ってくれた。

まぁその、うん、あんまりカッコよくはないけど、たぶん使えなくはないわね。せっかくだから練習しておくか。幸いうちには魔法の練習用の人形デコイは腐るほどあるし。


「……それはそうと、お手紙があるんだっけ?何処から?家庭教師のローウェン先生かしら」

「わからない。王都からの手紙だった」

「…………え?」


王都からの手紙。


「封筒に、クインズヴェリの紋章の蝋が……」


それを聞いた瞬間、私は転げ落ちるようにしてテーブルの上に置かれた便箋に飛び付いた。

驚いたトーマがギョッとして尻尾を膨らませるのにも構わず、何の変哲もないが、私の目には異様な威圧感を持って映るその便箋を手に持って、ガタガタと震える。


「どうしよう……」

「ヴァ……ヴァイオレット?」

「来てしまったわ……」


今の私にとっては、未確定の死亡フラグなんてものより断然恐ろしいもの。



「王都の本邸にお住まいの、お父様からお手紙が……!!」









 ▽▽▽



「王子様とのご婚約ですか? ──ヴァイオレットお嬢様が!?」


キッチンで私から手紙の内容を聞かされたソフィアは、口許を手で覆い、目を輝かせて喜んだ。

まぁそうね、そういうリアクションになるわよね。


「まだ決定じゃないわ、ソフィア……」

「あら。では、どういう……?」


私は黙ってお父様からの手紙をソフィアに差し出した。今の私にはそれ以上のことを説明する気力がないので、詳しいことは手紙を読んでほしい。

彼女の喜びようとは裏腹に、テーブルに突っ伏して絶望する私の背中を心配そうにトーマが撫でてくれる。うぅ、優しい子。


「──“この国の第三王位継承者であるアーサー・ルクレティウス・ユグドラシル王子殿下の婚約者探しに我がクインズヴェリ家へお声がかかり、私としては、二女のヴァイオレットを推薦することを考えている”…………まぁまぁまぁまぁ!お嬢様、素晴らしいことではないですか!」

「すば……うん、そうね、そうよね……」

「決定でないと言っても、公爵であるクインズヴェリ閣下が推薦されるのでしたら、もう決まったようなものですわ!」

「そうなのかしらねぇ………」


まるで我がことのように興奮するソフィア。

そりゃ、王子様との婚約なんて言われたら諸手を挙げて喜ぶのが普通だ。貴族令嬢としてこれ以上ない名誉だもの。

私の反応は、アーサーが『ユグハー』の看板キャラクターであり、私にとって最大の死亡フラグ(ヒロイン)吸引機であることが原因なのだから、ソフィアにそれが理解できるわけはない。



トーマと並ぶ『ユグハー』の三大人気キャラクターの一角、アーサー・ルクレティウス・ユグドラシル王子。


いかにも王子様らしい金色の髪に翠の瞳。

女性に優しく、穏和な性格と甘いマスクで断トツの人気を誇るアーサー王子が私も大好きでしたとも、ゲームのプレイヤーだった時はね。


『ユグハー』のアーサールートは、マギカメイアに入学し、貴族社会に慣れずに右も左もわからないヒロインに対して、紳士的なアーサーが親切心から手を差しのべるところから始まる。

そこから二人の交流がスタートし、今まで気取った貴族令嬢しか見てこなかったアーサーは、段々と素直で素朴な魅力を持ったヒロインに惹かれていく……という、『ユグハー』屈指の胸キュントキメキ☆ストーリーが展開されることになるのだ。

因みに婚約者だけあってヴァイオレットの出演回数も各ルート内で一番多く、ヒロインに対して死の呪いを使うことになるのもこのルートだけ。学期末パーティーでアーサーに婚約を破棄された彼女は逆恨み的にヒロインへ呪詛を吐き出し、ヒロインの光魔法で呪いをそっくりそのまま跳ね返されて死ぬ。



(ついに来てしまったわ……)



ソフィアが読んだ手紙を開き、お父様のきっちりとした文字を目で追う。

婚約者候補に私を推薦するつもりであることと、王子との顔合わせのため王都へ来るようにということ以外には何も書かれていない簡素な手紙。産まれてから数度しか顔を合わせたことのない娘の近況はどうでもよいらしい。

まぁ私だって極力会いたくない人ではあるけど……。


「…ヴァイオレット様、大丈夫ですか?」


トーマが私を覗きこんでくる。

滅多に表情筋が動かない彼がこうも心配そうなのは、私が終始難しい顔をしているからだろう。


「大丈夫よ、すぐに来いとのことだから、準備しなくてはならないわね。ソフィア、ローウェン先生にはお手紙を送っておいてくれる? 今週のレッスンはお休みしなければならないわ」

「手配させていただきます。旅支度の方もお任せください、お父様とお会いするのもしばらくぶりですもの!美しくなったお嬢様のお姿を見ていただけるよう、全て完璧に準備させていただきますわ」

「あー、うん。ありがとう」


ハシバミ色の瞳にメラメラと炎を灯すソフィアに頷く。

うん、もうこの際ドレスとかは全部ソフィアに任せるわ。


「……大丈夫、僕がついてる」


相変わらずぐったりした私を励ますように跪いたトーマがそう言ってくれる。

あぁトーマ、その言葉は本当にめちゃくちゃ嬉しいんだけど。将来的死亡フラグの可能性にさえ目を瞑れば貴方の存在は癒しに他ならないから、今から襲い来る諸々の心労を考えると、私だって貴方をトランクに詰めてでも一緒に連れていきたいんだけどね!?


「えーと……」

「貴方はお嬢様とご一緒には行かれませんよ、トーマ」


私が言い淀んでいると、ソフィアがバッサリ言い放った。

トーマが驚いたように耳をピンと立てる。


「何故ですか?僕はヴァイオレット様の従者です」

「貴方は優秀ですが、屋敷に来て半年足らずの者が王宮やクインズヴェリ閣下の本邸に立ち入れるはずがないでしょう。亜人を重宝される貴族の方もいないではないですが……はっきり言いますが、高貴な方々の亜人を見る目は、ここのような田舎とは比べ物にならないほど厳しいのですよ。今の貴方など連れていってはお嬢様に恥をかかせるだけです」

「ソフィア、そんなに厳しく言わなくても……」

「いいえ、今回は事が事ですから」


ソフィアの言い分は厳しいが、トーマがまだ礼儀作法や貴族のいろんなルールに明るくないのは確かだ。私が恥をかかされるとかはどうでもいいとしても、変な貴族の目に留まってトーマが苛められないとも限らないし。

それに何より、一番の問題は。


「何より、クインズヴェリ閣下の獣人嫌いは有名ですから」

「あああああソフィア……」

「隠していても仕方ないことです」


そうなんだけど見てよホラ、トーマの耳と尻尾がシュンってなっちゃったじゃないシュンって!


ソフィアの言う通り、お父様は昔から獣人がお嫌いなのだ。

どういう理由があるのかわからないけど、クインズヴェリの本邸には獣人の使用人は一人もいないと聞いている。今は王宮にも獣人の使用人がいるのにそうなのだから、よっぽどお嫌いなのだろう。あの氷のような視線の前にトーマをさらすと思うと、拝んででもついてきてほしい気持ちも堪えようというもの。


「……大丈夫よトーマ、お父様は私にはあまり干渉なさらないから、私の従者としてここで働くぶんには何の問題もないわ」


俯いてしまったトーマの手を握って励ますも、トーマは落ち込んでしまったままだ。

垂れてしまった耳と尻尾に対する罪悪感がすごい。


「でも、従者はいつもお側にいられなければ意味がありません」

「そんなことないわ、私は……」

「いいえ、ヴァイオレット様」


トーマが顔をあげる。

幼い彼の紅い瞳が、真摯な光を湛えて私をじっと見つめた。トーマは本当に素直で健気だ。蔑む意図などまるでなくとも、犬が人に向けるような、主人への一途な愛情を感じずにいられないほど。

まだ幼いはずの彼がその一瞬、ゲームで見た、成長した姿と重なる。


「僕は貴方をいつ何時も、あらゆるものからお守りしたいのです」








「トーマ……」

「………………………グスッ」

「えっ?」


今回は連れては行けずとも、その気持ちはとても嬉しい。

ありがとう、と言おうとしたら、何故か傍から鼻を啜るような音が聞こえてきた。

何かと思ってトーマと同時に音のする方を見ると、さっきあれだけ幼いトーマに厳しく現実をつきつけていたソフィアが、ハンカチを目に当てて涙を拭っている。


「ソ……ソフィア?」

「トーマのような幼い子供が……まるで、騎士のような……従者として何て立派な心がけでしょう………!」


そのままソフィアは「ブーーーン!!」と大きな音をたててハンカチで鼻をかむと、私に跪いていたトーマと目線を合わせるようにしゃがみこんだ。


「トーマ、今回は我慢してもらうしかありませんが……私が責任をもって、貴方を一人前の従者にしてみせます。お嬢様が何処へ行かれるにしてもお側に居られるよう、えぇ、たとえ旦那様でも文句のつけようがないほど、完璧な従者に!」


そう言ってガッシリとトーマの肩を掴む。

ソフィアの熱がこもった言葉に、トーマも真剣な表情で「はい」と頷いた。垂れていた耳はピンと立ち、目の錯覚だろうけど、謎に燃え上がる炎のようなものが二人の背後に見える、ような。


「ヴァイオレット様のために頑張ります!」

「その意気です、トーマ!」

「う……うん、よろしく、二人とも……」



薄々感じてはいたけど、二人、だいぶ相性いいよね。





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