第4話 悪役令嬢の魔力事情





「あっれー?配合間違ったかな……」


ぐつぐつと煮えたぎるお鍋をかき混ぜ、私は首を捻った。

材料も分量も間違ってないはずだけど、何か書物に載ってるものと微妙に色味が違うような気がする。

ホントはもっと毒々しい紫にならないといけないんだけど、鍋の中の液体は明るい紫色だ。


「ま、これはこれでいっか」


色の明度くらいは誤差の範囲内でしょう。

家にあった本がそもそも古いし、挿し絵は紙の劣化でこういう色味になってるのかも。入れるもん入れてれば大丈夫よ。


「よーし出来たっ!」


出来上がったものをお玉でジャーに注ぎ、きゅっと蓋を閉めたところで、キッチンのドアが大きな音を立てて開いた。あんまり荒々しい開け方だったから、驚いて出来たばかりの煮汁が入ったジャーを取り落とすところだった。

部屋に飛び込んできたのは鬼のような顔をしたソフィアだ。ここ数ヶ月でもうすっかり見慣れた赤ら顔。片腕にはぐったりした少年、黒い犬耳を銀髪の隙間から覗かせた半獣人のトーマを抱えている。何かすっかり逞しくなったわね、ソフィア。


「──お嬢様ッ!!」


この雷にももう慣れたものだ。

屋敷がぐらっと僅かに揺れたような気がするのは流石に気のせいだと思いたい。






「こんな臭いがするものをキッチンでなんて!トーマがかわいそうだとはお思いにならないんですか!?」

「い……一応、極力離れていてねってお願いはしたのよ?」


テキパキと水魔法で私が荒らしたキッチンを片付けながら、怒り心頭、という感じでソフィアが煮汁入りのジャーを握りしめた私を怒鳴る。

出来れば他の部屋で仕事をしていてほしいと伝えたつもりだったのだが、トーマはキッチンの外で死にそうになりながら待機していたらしい。健気な彼らしく主人である私の側にいたかったのだとか。鼻の利く狼の半獣人にマンドラゴラの煮汁の激臭はさぞ拷問だったことだろう。


「ごめんね、トーマ。まだ辛い?」

「いいえ、……ヴァイオレット様に離れていろと言われたのに聞かなかったのは僕ですから……」


謝りながら背中をさすると、トーマはクゥン…と悲しげに鼻を鳴らしながら私にすり寄ってきた。何かすまん。





王都の通りでの出会いから、早いものでもう三か月。

しっかり栄養がとれるようになったトーマは少しずつ背も伸びてきて、お古ではない、彼のために誂えられた制服もしっかり着こなせるようになった。ソフィアの一番弟子である彼は仕事の覚えも早いし、見知らぬ人に唸ったりもしなくなったから、今のこの屋敷ではたぶん、主人の私よりも使用人の皆に信頼されている気がする。

というより、私の方は相変わらず不吉な子供として滅茶苦茶に遠巻きにされてるしな。別にいいけど、何故産まれたときからこの屋敷にいる私よりトーマの方が信頼を勝ち取るのが早いのだろう。我、お嬢様ぞ……?


「──そもそもお嬢様はまだ小さな子供でいらっしゃるのに、お一人でキッチンに立たれるなんて!何かあったらどうされるおつもりですか!」


ソフィアが腰に手を当て、改めて私を叱りつける。

優しそうな垂れ目の目尻を吊り上げて怒るソフィアの言葉からは、本当に私のことを心配してくれる気持ちが伝わってくるから、ありがたくはある。あるけど。

実年齢はともかく私は中身は結構大人である……ということは抜きにしても、キッチンの使用を咎められるのは心外だ。そんなこと言うなら見てごらんなさいよソフィア、今もそのザルの中で「ア……ァ……」と呻きながら微かに蠢いているこの煮汁の材料を。煮るのがアレじゃなければ私だって誰か使用人に頼んだわよ。


「心配かけたのは申し訳ないけど……でも、頼んでも誰もやりたがらないと思ったのよ」

「それは当たり前です!!お嬢様が見たこともないような奇怪な植物を煮込んでいてキッチンに近づけないとメイドが震え上がっていましたよ!?」

「なっ、何が悪いのマンドラゴラの煮汁の何が!確かに流行りのポーションほど“映え”はしないけどメチャクチャ効くのよこれが!」

「何がバエですか!闇の魔術への興味はすっかり無くなったのかと思えば、古めかしい本の知識ばかりを実践して……それも闇の魔術に通じるようなものばかり」

「別にマンドラゴラ自体は危ないものじゃないわよ。収穫の時に油断すると気絶するけどね」


机の上に置かれた書物は、私が最近よく参考にしている“闇の魔術・魔法に使える植物入門編~マンドラゴラの栽培から抽出、魔力回復から暗殺用の劇薬まで~”である。

表紙に描かれたキモい顔のついた植物がマンドラゴラ。収穫する時、うっかりすると身もひきちぎれんばかりに泣き叫ぶのだが、その泣き声が人や動物を失神させたりする可愛いやつだ。


強力な力を持った植物なので、確かに使いようによっては危ないけれど、今日私が作った煮汁はただ単に魔力回復用のエナジードリンクみたいなものである。

見た目及び味はまぁちょっとアレだけど市販のポーションなんかより断然効果があるのだ。飲む時は鼻をつまんで一気にいくのがコツね。


「闇の魔術によく使われる植物だからってそんなに敬遠することないじゃない。ねぇ?」

「僕は臭いが嫌いです」


トーマに訊いたら眉をひそめられた。

人間である私にはもうわからないけれど、トーマにはまだ悪臭が感じられるのかもしれない。そんなに臭い?でも煮汁用ってわかってて私の畑を魔獣から守ってくれてるのはトーマなんだから、マンドラゴラの方はわりとトーマが好きかもよ。

笑いながら言ったら、「別にマンドラゴラのために守ってるわけじゃ…」とか何とか、不満そうに尻尾を揺らす様子が可愛らしくって、つい頭を撫でてしまった。


ゲームプレイしたから知ってたけど、ホントに忠犬というか、私の所にいるのが勿体ないくらい健気で優しい子だよ君は。

これが将来的に私を噛み殺す死亡フラグに育つかもしれないっていうのが信じられないくらい。いやー怖い。ほ、絆されんぞォ……。


「でも、どうして煮汁が必要だったんです?」

「うん? うーん、氷魔法の練習がね、最近ちょっと、だいぶ効率悪くって」


片づけを終えたソフィアの問いに、私は少しだけ決まり悪くなって呟いた。

貴族であるクインズヴェリ家の令嬢である私には、学校に通う前から週に一度、魔法を学ぶための授業の時間がある。


『ユグハー』の魔法は、ちちんプイプイ☆と魔法の呪文を唱えれば何でも出来るってわけじゃない。火や水、氷や雷といった属性に分かれていて、個人が使える魔法というのは、生まれつき本人に備わった魔力量と、その人が持っている魔力の属性に大きく左右される。


わかりやすくソフィアを例に挙げると、彼女は水属性の魔力を持っているから水の魔法を、あと少しだけ火の属性も持っているから、火の魔法も使えるという感じ。それから、元が平民出身の彼女は生まれつきそんなに魔力量が多くないから、料理や掃除の手助けになる程度の魔法しか使えない。いやそれでも十分スゴいけどさ。


複数の属性を少しずつ併せ持っている人はそんなに珍しくない……というか、平民のほとんどはそんな感じだ。


代わって、特定の属性に突出した特性を持つのは、古くからの血筋を重んじる貴族の人間に多い。

攻撃や大規模な魔法が使えるほどの魔力は、貴族や王族といった特権階級だけしか持っておらず、平民はごく稀に生まれる特殊な例を除いては、極々些細でありふれた魔法と、あらかじめ魔力の込められた魔法具を使って生きている……というのが、『ユグハー』世界での常識。


ついでに言うと半獣人であるトーマは、そもそも体の規格が人間と違う。獣人は魔力を身の内に蓄えておくことが出来ないのだ。トーマは人間の血が濃いから、その分、魔力を少量しか使わない魔法具の使用くらいは出来るかもしれないけど。

魔法が使えなくても、獣人は人間とは比べ物にならない治癒力や身体能力がある。たぶん彼らはもともと強いから、魔法という加護を必要としない生き物なのだろう。




──そして私、ヴァイオレット・クインズヴェリの魔法属性は何かというと。

大変珍しいことに、私には生まれつき、『闇』というたった一つの属性しか備わっていなかった。




これが結構、わりと、物凄く由々しき問題だったりする。

何故かって?


闇魔法っていうのは、その響きからもわかる通り──人を呪ったり貶めたり、傷つけたり殺したり、そういう、人間の負の部分を司るような類いの魔法だと考えられているからだ。

色々あって今はもうほとんど存在しないという、闇の魔力の持ち主であること。それが私が実家からは厄介者扱いされ、使用人には遠巻きにされる根本的な原因である。私が暗殺を家業にしているお宅の娘とかだったらすごいちやほやされたかもしれないけど、我が家は古くから王家と親交のある由緒正しきお家柄だ。王家に忠誠を誓い、代々魔法騎士を輩出していることを考えれば、汚らわしいとまで称される闇属性持ち……どころか、それ以外の属性をほとんど持っていない娘の存在っていうのは、ぶっちゃけ恥さらしもいいところなのだー。ぬははははー。泣いていい?




……クインズヴェリ家の人間には、代々、氷属性の魔力を持った人間が産まれることが多い。


私を産み落とすと同時に亡くなってしまわれたお母様も、氷魔法に強い適正を持った女性だったそうだ。何でヴァイオレットだけこーなっちゃったんだろうねーもうイヤんなるわほんと。

家庭教師の先生も、もちろん私には氷の魔法を練習するように言ってくるし、私も欠片程度なら備わっているかもしれない自分の氷属性の素質を信じて頑張っているのだが……これが中々にキツい。



「属性の加護がない魔法使うのってめちゃくちゃ疲れるのよねー」



鼻をつまんでグイッと一気にマンドラゴラの煮汁を飲み干し、私はぷはぁと息を吐いた。うーんマズイ。もう一杯。


血に流れる属性の加護がない──簡単に言うと“素質”がない魔法の行使というのは、非常に魔力の消耗が激しい。

あとスゴい面倒くさい。私が呼吸をするのと同じように闇の魔法を扱えるとして、氷の魔法を使う時は、針の穴に糸を通すくらいの集中力と神経を使う。めっちゃ疲れる。グラウンド三十周したくらい疲れる。



……今思えば、ゲームの中でヴァイオレットが使っていた氷の魔法は、彼女の血の滲むような努力の成果だったのだろう。



彼女はたぶん、婚約者であるアーサーを愛していたから、父親の期待に応えたいと心から願っていたから、こんなマンドラゴラの煮汁でも飲まなければやってられないようなキツい魔法の訓練を頑張ることが出来たのだ。あ、いや煮汁は飲んでないと思うけど……大事なのはそこじゃなくて。



(そりゃ、こんだけ頑張ってるのに、ぽっと出のヒロインに婚約者の心を奪われそうになったら)



呪いくらいかけてやりたくなるのも無理ないのかもしれない。

人を呪わば穴二つ。ゲーム内での彼女の行動を肯定するわけじゃないけど、それだけ彼女には余裕がなかったのだと思えば。だって、ゲームの中の“ヴァイオレット”にとっては、アーサーに選ばれないっていうのは、それまでの人生の努力全てが水の泡になるってことだものね。

でも、逆に言えば、自分の持つ属性に苦労しながらも、氷の魔法を使い続けたあのヴァイオレットだからこそ、ゲームでも終盤ギリギリまで――アーサーから婚約破棄というギロチンの刃を落とされるまで――死の呪いを、彼女自身が得意とする、闇の魔法を使うことがなかったんじゃないかな、とも思うのだ。



(……結局全部、私の推測でしかないんだけど)



ヒロイン視点でゲームを進めていた私には、“ヴァイオレット”がこの境遇で何を考えて生きていたかは、推測することしかできない。ここにいるのは現代日本人としての記憶を併せ持った“私”で、ゲームの中の“ヴァイオレット”じゃない。

そして私がここにいる以上、私こそがまぎれもなく、ヴァイオレット・クインズヴェリだ。


それは変わらないけれど──


ヴァイオレットとして生きる内に、一人の孤独な少女の人生の輪郭が透けて見えてくるような気がして。

何だか少しだけ、やりきれないような気持ちになった。








「そんで頑張ってるのにやっぱ一ミリも凍らないしぃぃぃ……!」


一応家庭教師の先生が置いてった課題もやるけども、タライの中に溜めた水に手を突っ込んで凍らせる訓練とか、どうなのこれ。


「頑張って、ヴァイオレット。少し鼻先がひんやりしてきた気がする」

「あっありがとうトーマ、煮汁飲む?」

「いらない……」


味と見た目がアレなだけで、体には間違いなく良いのよ。


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