第3話 これからの事
さて、勢いに任せて死亡フラグその1を家に連れて帰ってきてしまった私こと悪役令嬢ヴァイオレットだけれども。
……まぁ連れ帰ってきてしまったもんはもう仕方がないってことで。
人生開き直りが肝心。むしろ死亡フラグを生存フラグに変えるくらいの気持ちでやってかないと、これから先いくつ襲いかかってくるともしれないフラグの全回避なんか出来ないかもしれないしね。そうよかかってきなさいよこんちきしょー。
「痒いとこなーい?」
「ない、けど……耳が気になる……」
わしゃわしゃと髪を洗髪料で泡立てながら訊ねると、泡立ったお湯でいっぱいになった浴槽の中、トーマはぴるぴるっと犬耳を震わせた。
耳が気になると言いつつ気持ち良さそうで、シャンプー自体が嫌なわけではないらしい。伸び放題だった髪の毛を切った時も大人しかったし、人に頭を触られるのが極端に苦手ということはないようだ。
「流すよー」
桶に溜めたお湯で何度か髪を流すと、終わった瞬間、犬が体毛の水気を散らすようにトーマが思い切り頭を振った。
「ぶっ、あはは、めちゃくちゃ濡れたんだけど!」
「ん……」
部屋着の前がびっしょりだ。
こんなこと言っちゃアレだけど、ホントに大型犬か何か洗ってるみたい。
顔にかかった水滴を拭っていると、トーマの耳がピクピクとまた動く。…何かを聞き分けてる?
そう思った矢先に、ドスドスドス、と床を踏み抜くかと思われるような音が私の耳にも聞こえてきて、バァン!という激しい音と共に浴室のドアが開け放たれた。
「お嬢様ーッ!!」
カンッカンに怒ったソフィアの怒声付きで。
「だってトーマがシャンプーしたことないって言うんだもの」
「だってじゃありません!そんなものは召使いにでも任せていればよろしいでしょう!」
「トーマが唸るから召使いの子が怯えちゃって。流石に犬じゃないんだから噛んだりはしないと思うけど、怖がってるのに無理やりさせるのもかわいそうでしょ?」
「だからと言ってお嬢様が……っ!お父様に何とお詫び申し上げれば……!」
「いやいや私服着てるし、お湯は色ついてるから見えないし、体は自分で洗ってもらうつもりだったし。髪洗ってあげるくらい問題ないって」
「問題大有りですッッ!!」
ゼーハーと肩で息をするソフィアは今日は声を荒らげっぱなしでだいぶお疲れのようだ。いくらかラフな室内着に着替えた私と違って、まだお出掛け用のドレスのままだし。
絶望的陰キャだった私が妙に朗らかなことに加え、いつものんびり優しい彼女が怒鳴るので、若干「どうなってるんだ…」みたいな雰囲気が屋敷内に漂ってるのを感じる。まぁまぁ落ち着いてお茶でも飲みましょうよと元凶(私)が申しております。
お風呂を済ませたトーマはソファに座る私の足元にうずくまっていて、召使いの子のお古を着せられた今はすっかり細身の美少年という感じだった。薄幸な感じが漂っているので、ご飯いっぱい食べてほしい。
彼のキャラ設定を思い出す限り、犬っていうか狼なんだろうけど、こうして見ると犬耳と尻尾も可愛らしくていい感じ。でも知らない人に唸るのはちょっとやめてほしいかな。私のこと気味悪がってるうちの人達が更に怖がっちゃうから。
「…とにかく!その子供を側に置かれるのでしたら、その子には最低限のマナーを覚えてもらわなくては困ります」
頭痛がする、という顔を隠さずにソフィアが言った。
そうね、本人が楽なら別にと思ってたけど、いつまでも床に座らせとくわけにもいかないしね。
「そうね、お願いするわ。トーマの怪我が治ってから」
「いらっしゃい、トーマ。私が礼儀というものを叩き込んでさしあげます」
「ソフィアソフィア、聞いてた?怪我治ってから…」
「大丈夫」
ツッコむ私の声を遮ったのはトーマだった。
「もう治った」と言って、すっかりアザの薄くなった背中や、擦り傷まみれだったはずなのに綺麗に治った腕を見せてくる。
あらビックリ。お風呂の時も「あれ?こんなもんだったかな」と思ったけど、こんなに傷の治りが早いもんなんだ、獣人って。それもあってあの店主は容赦なく彼のことを傷つけていたのかもしれないと思うと、やっぱりちょっと胸くそ悪いけど。
それにしたって仕事に対するこの意気込みは何なのだろう。あの店主は彼のことを「使い物にならない」とまで評していたが、正直そんな感じは全くしない。
「でもまだ完治したわけじゃないでしょ?来たばかりだし、ちょっとくらい休んでからでも…」
「大丈夫。早く働きたい。ヴァイオレットのために」
「えぇ……そう……?」
超絶働き者なんですけど。
表情筋はピクリとも動いてないけど、尻尾がブンブン激しく揺れてるのでたぶん本気でやる気に満ちあふれてるんだろうな。私のためっていうのはよくわからんけど…。
「いい心がけです!」
ソフィアはソフィアでトーマのやる気を気に入ったのか、やけに熱が入っちゃってるし。まぁこの屋敷での仕事は彼女に任せておけば全部わかるようになるだろう。何せ私が産まれたときからこの屋敷にいてくれてる人だから。
トーマは私を容赦なく怒鳴り付けるソフィアにヒエラルキー的な意味で一目置いているらしく、背丈の違う両者はしっかりと握手を交わした。
「まぁあの、ウン、いいけど、何か食べてからにしたら……?」
トーマとか来たばっかりだし、お腹すいてるんじゃない?
私の声をよそに、謎の師弟関係を結んだ二人は早々に部屋を後にしたのだった。何なの貴方たち意外と仲良しなの?無視しないで寂しいから。我お嬢様ぞ?
「…まぁいいわ」
使用人からの放置プレイはともかく、私は私で、今は未来の破滅ルート回避のためにどうすればいいのか、それをきちんと考えることが重要だ。
今回はちゃんと事前に情報を整理してなかったから、うっかりトーマという死亡フラグを連れ帰って来ちゃったわけだし。……まぁ事前に知ってたからと言ってあの場で見て見ぬふりは出来なかっただろうけど…それはそれとして準備は大事でしょう、準備は。山を甘く見たら死ぬのと同じで乙女ゲームのルート分岐ナメてたら死ぬわよ。狙ったルートに修正するの大変なんだから。
とにかく必要なのはゲーム本編の情報だと、机に向かい、羊皮紙にペンでさらさらと今覚えている限りのことを書き出していく。誰かに読まれると面倒なので日本語で。
私ことヴァイオレット・クインズヴェリは、十五歳で王立の魔法魔術学園、マギカメイアに入学することになる。今日が私の七歳の誕生日だから、あと八年後。
本当は死亡フラグの温床であるこの学園に入学すること自体避けたいところだけど、いくら能力値がほぼ闇魔法全振りとはいえ、せっかく魔法の才能があるのにそれを伸ばさないのは非常にもったいない。それにいくら私が実家では蛇蝎のように嫌われているとしても、仮にもクインズヴェリ家の娘が魔法学園に通わないなんて選択肢はお父様が許してくださらないだろうし。鬼のような眼光が脳裏をよぎって背筋がぶるりと震えた。ははは。
入学する前のいずれかの時期でアーサー王子と婚約することになるはずだけれど……田舎の屋敷に隠すように押し込まれている私には、王都の本邸でお過ごしのお父様がいったいいつ、どのタイミングで私にそれを命じられるかは不明だ。
いやでも待てよ、婚約を結んでしまったらメインキャラクターとの絡みを回避するのは難しくなるだろうし、何よりアーサーの婚約者ともなればヒロインとの接触は避けられない。それはマジで嫌です。そうなると私の死亡率も跳ね上がる気がするし。
…あれ、色々問題ばっかり浮かび上がってくるけど、正直八方塞がりじゃない?
どうする私、ヴァイオレット・クインズヴェリ。
ドン詰まりの思考にハ~~~~~と地の底を這うような溜め息が出て、私は勢いよくテーブルに突っ伏した。ごちんと良い音が鳴るが痛くはない。私は石頭なので。
何が死亡フラグになるかわからない以上、やっぱり現時点で出来るのは極力メインキャラと関わり合いにならないことだろう。
まぁ既に一人出会っちゃってるけど、裏を返せば今からトーマと仲良くしていれば、トーマに噛み殺される未来っていうのはたぶん……恐らく……回避できるわけで?
いやどうかな……ゲームのトーマもヒロインにはめっちゃ優しかったけどヴァイオレットの前では態度豹変してたからな……ポメラニアンかと思ったら実は土佐犬だったのかお前?ってくらい画面越しの圧が違った。
そりゃヴァイオレットがヒロインにねちねち嫌味を言うのが悪いんだけど、そこまで嫌う?ってくらい救いようもなく嫌われてた気がする。
……いくら“私”が彼と親交を深めたところで、私とヒロインの間に何かイベントが起こったら終わりと考えていい。
燃えるような恋が人を変えるってことも十分ありうる。お前には世話になったが俺の愛する人に危害を加えるなら容赦はしないぜ!みたいな?ハハ。笑えないから。
………とにかく。
まず第一の目標として、ヒロインこと光の聖女と出会わない。話さない。
引いてはメインキャラクターとも極力関わらない、婚約や入学等、回避不可能なもの以外の目ぼしいイベントは総スルー!
その後の人生の安全の保証のためにも、ラストイベントまでに少しずつヒロインと関係のないところでアーサーの好感度を下げて、恋愛とはまったく関係なく幻滅してもらい、流れるような自然さで婚約を解消してもらう!私は田舎に帰って細々と暮らす!万一婚約解消でお父様に勘当されても生きていけるよう、魔法の勉強だけはしっかり気合いをいれてこなす!
……これが一番の勝ち筋では?
うむ、と頷いてその為の作戦を二十通りくらい考えていると、ノックの音が聞こえてきた。
気づいたらもうだいぶん時間が経っていたらしく、窓から見える外はとっぷり暮れて暗くなっている。
「どうぞ」
声をかけると、現れたのは召使いの制服に身を包んだトーマだった。あら可愛い。
特別にズボンに穴を開けてもらったのか、お尻のところからちゃんと尻尾が出せるようになっている。よく似合っていると褒めると、わかりやすく尻尾が左右に揺れた。
言伝てを言い遣ってきたのか、トーマがきちんと背筋を正して私にお辞儀する。
「…夕食の準備が出来ました、ヴァイオレット様」
「わ、何それ堅苦しい!そういう風に喋れってソフィアに言われたの?」
訊ねると、トーマがこくりと頷く。
私はふぅん、と顎に手を当てて考え込んだ。前みたいな喋り方の方が友達が出来たみたいで嬉しかったんだけどな。まぁ使用人として雇うならあんまりラフなのも示しがつかないかもね。
でもゲームでは確か、トーマは主人であるアーサーのことを呼び捨てで呼んでいたような気がするんだけど。そういう主従を越えた絆みたいなのいいよね。うっかり噛み殺されたりしなさそうだしさ。
「出来れば、私も呼び捨てがいいかなぁ……」
「? ヴァイオレット、が望むなら」
思いのほかすんなりと要求が通った。
トーマは尻尾を振ってくれるけど、これはこれでまたソフィアの雷が落ちそうだ。うん、まぁ、二人きりの時は呼び捨てっていう風にしてくれると嬉しいかな。
トーマにそうお願いすると、彼はちょっと不思議そうな顔をして、それでも「わかった」と頷いてくれる。耳も鼻も人間よりずっといいトーマなら、周囲に人がいるかいないかの判断は容易だろうから、大丈夫だろう。
よっこらしょ、と年寄り臭い掛け声と一緒に立ち上がって、トーマと一緒に食堂へ向かう。ゲームでヒロインを庇い、悪役令嬢ヴァイオレットの喉笛を喰いちぎった彼は、ソフィアの教育の賜物か、実に紳士的な態度で私のためにドアを開けてくれた。
じっと見つめると、彼の紅い瞳が私を見つめ返す。
「……これからよろしくね、トーマ」
「うん、ヴァイオレット」
死亡フラグ的な不安要素も当然スルーはできないけど――
この世界での私のお友達第一号として、絆は深めていきたいと、思う。
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