第8話 悪役令嬢、飛ぶ





顔合わせをすっぽかされて以来、私が再び呼び出されることはなく、後日、クインズヴェリの本邸には、きちんと王子殿下の名前で非礼に対する詫び状が届いた。


結局、アーサーと言葉を交わさずとも私達の婚約は問題なく成立したらしい。お父様からお叱りを受けることがなかったことだけは幸いというべきか。

何とも複雑だったけれど、どうせもともと婚約回避自体は難しいだろうと思ってたからそこまで衝撃でもない。アーサーという核ミサイル級の死亡フラグと顔を合わせずに済んだことを吉とすべきか凶とすべきかは、まだちょっと判断がつきかねる。


……まぁでも結婚まで交流のない名前だけの婚約者なんて、貴族ならよくある話だし、そもそもゲームでのアーサーとヴァイオレットだって、そんなに親しく交流しているようではなかったし。これからちょこちょこ顔を合わせることにはなるのかもしれないけど、今回のことはそんなに気にしなくても大丈夫だろう。

むしろお互いに情のない、名前だけの婚約者……というスタンスでいられるなら、婚約解消に持ち込む時も面倒なことにならずに済む。



──そう思っていたのに。



「や、こんにちは」


美しい金の髪、若草を思わせるエメラルドの瞳。

まだ七歳の子供だというのに、まるで天使のような美しさを誇るその少年に見覚えがありすぎて──顔のついた林檎(相変わらずキモい)を片手に私は絶句した。見覚えというのは液晶の中でのお話ですが、それでも。


「……お人違いでは?」


ようやく絞り出した声は我ながら掠れていて、思わず喉を整えてしまう。少年はそんな私を見て、美しい顔にニッコリと笑みを浮かべた。






王宮でのゴタゴタから幾夜か明けて。

アルタベリーの屋敷の皆にお土産を買わなくてはいけないし、せっかく王都までやって来たのだからと、本邸の侍女を連れ、様々な魔法グッズが並ぶ王都の商店街に遊びに来ていた時のことだ。

不意に声をかけられて振り向くと、まさかまさかの、こんなところにいるはずのない身分の子供が立っていた。


平民の子供と言ってもおかしくないような衣服に身を包み、金髪が目立たないようにするためか、ハンチング帽を深く被ったその少年は、まぎれもなくアーサー・ルクレティウス・ユグドラシル王子殿下その人である。

……であるが、今世の私は彼とは完全に初対面なので、それを知っているような反応を返すことも出来ない。いやいや、まさかのエンカウント以前に、何でお供もつけずにこんなとこにいるのかなこの王子様は。


「あの……お嬢様、こちらの方は……?」

「さぁ~まっったく一ミリも存じ上げませんわ先程も申し上げました通り人違いではないでしょうか~?」


まだ年若い侍女のリズがおずおずと訊ねてくるが、答えられるはずもなく、我ながら白々しいにも程がある大根芝居で返す。

撤収よ撤収。想定外の事態よ今すぐ帰りましょう。これ何イベント?予想してないとこにぶっこんでくるのヤメテよ神様!


しかしアーサーはあまり気にした様子もなく、ハンチング帽をとって、七歳とは思えぬ優雅さで私達に対してお辞儀をした。


「これは失礼しました、レディ。僕はアーサー。先日の件でお詫びに伺いたかったのです。本来なら正式にクインズヴェリ邸を訪問すべきでしたが、僕のせいで貴方のような人を悲しませたままにはしておけないと、こうしていち早く参上させていただきました」


なんてスラスラと大人顔負けの口上を述べて、イタズラっぽくウインクなどしてみせる。


参上って言ったって一体どうやって?

何か背後に謎の薔薇が見えるんだけど、何だそれはオーラか?美少年だけに許されたオーラなのか。リズなんかかなり年下の男の子に対してちょっとポッとなっちゃってるし。これが『ユグハー』三大人気キャラクターの実力……アーサー……恐ろしい子っ……!

王子としての教育が行き届いていると言えば聞こえは良いけど、私からすると何とも子供らしくない子という印象だ。お前が言うなって感じだが、私は良いのよ今世での年齢がどうあれ中身は二十歳過ぎてるんだから。


何はともあれ、王子に名乗られてしまってはこちらも名乗り返さないわけにはいかない。


「これは失礼いたしました、でん……」

「あっ、殿下はやめて。城の占い師に貴方の居場所を聞いてこっそり出てきてるんだ。もしバレてたら近衛兵がこの辺を探してるかもしれないから」


笑顔のままシーッと唇の前で人差し指を立ててみせるアーサー。

こいつマジで言ってんのか。前言撤回、行き届いてるどころかとんだハチャメチャ破天荒王子である。この国の第三王位継承者ともあろう人がこっそり城を抜け出してくるって城の警備はどうなってるのそれ?

悪戯っ子のような笑みはゲームのアーサーを思い出させるが、今頃城内でどれだけの人間がパニックになっているかと思うとミス・フェネットに同情せざるを得ない。いろいろ言いたいことはあるが、その全てを包み隠して、私も引きつりかけた顔面を完璧な笑顔に作り替えた。


「失礼いたしました、アーサー様。私はヴァイオレット・クインズヴェリと申します。お体の具合はもうよろしいのですか?」

「えぇもうすっかり。レディにはご迷惑をおかけしました」

「いえ、ご迷惑だなんて。こうしてアーサー様御自ら私の下まで足を運んでくださっただけで身に余る光栄ですわ」


はっはっは。

うふふふふ。


何だろう、この猫を被った子供同士の薄気味悪い応酬は。

こいつさては私と同じように外面はいいけど腹に一物抱えてるタイプだな?『ユグハー』で見たヒロインとのイベントでは紳士的なところばかりが目立っていたけど、結構腹黒タイプなのかもしれない。いきなりの事に事態が飲み込めないリズが背後でおろおろしているのを感じる。

アーサーの方も私から同族の匂いを嗅ぎとったのか、お姫様扱いを私が喜んでいないことを察したらしい、それ以上うわべだけの“王子様”な態度をとるのはやめたようだった。子供らしく肩をすくめて、困ったように眉を下げる。


「……ごめんね、本当に謝りに来たんだ」

「疑ってなんていませんわ。それより、本当にお一人でここまでいらしたんですか?」

「うん、暇な時よく抜け出すんだよ。ここは面白い物がたくさんあるだろ?その、今君が持ってるみたいな」


アーサーが私の手に持っている、顔のついた林檎のような謎の果実を指す。

これに面白みが感じられるのは中々ユーモアのレベルが高いと思うぞ。


「ミス・フェネットが心配されているのでは……」

「まぁでもいつものことだし、こうして変装もしてるし、危ないことはしないから」


そう言って、アーサーはハンチング帽のつばを持ち深く被り直した。

目立つ髪色を隠してしまえば、そりゃ人目にはつきにくくなるかもしれないけど、それでもここにはいろんな人間がいる。城壁の中と違って危ない大人に声をかけられることだってあるかもしれないのに。ていうか、確かアーサーは幼少期に誘拐されたことがあるって何かのイベントで言ってなかったっけ?

そりゃこんなこと繰り返してたら誘拐もされるだろう。何でわざわざこんな危ない方法で私なんか探しに来たんだろうか。


謎の不吉な予感が胸をよぎり、私は林檎を店の籠に戻し、呑気に口笛を吹いているアーサーに向き直った。


「アーサー様、とにかく今すぐ……」


城に帰るか、クインズヴェリの屋敷に──そう私が言い切る前に、突然、アーサーの背後に一台の馬車が止まる。


「えっ?」


その後のことは、まるでコマ送りになった動画のようだった。


いきなり馬車のドアが開いて、手が伸びてきたかと思うと、その手がアーサーの首根っこを掴み、馬車の中に引きずり込む。

そしてそのまま、私とリズが呆然としている間に、凄まじいスピードで走り出した。石畳に砂ぼこりだけを残して。


「えーっと……」


ぽつり、と口から零れた言葉はどこにも着地せず宙に漂った。

私は隣のリズと目を見合わせる。今の見た?という感じで。見ましたお嬢様、と彼女の瞳が訴えていた。つまり今の光景は白昼夢でも何でもないということだ。




「ゆ……」



(誘拐されやがったーーーーーーーっ!!!)




まさかのいきなり、それも私の目の前で。

何をやってるんだあの猫かぶり王子!私は呆然としたままのリズを残し、咄嗟に後からやって来ていた辻馬車を止めると、ほとんど勢いでそれに飛び乗った。

どうするか決めてそうしたわけではない、ただ勝手に体が動いていたのだ。その場の勢いというやつである。


「お……お嬢様!?」

「おじ様、今すぐ前の馬車を追って!お金はいくらでも払うから、絶対見失わないで!」

「は……はい?」

「リズ、この辺りの近衛兵を見つけて、経緯を説明して!とにかくアーサー様が危ないって伝えて!」

「お嬢様ーーーーっ!?」


リズの叫びをあとに残して、馬車が出発する。

いくらでも払うと言ったのがよかったのか、それとも御者のノリか馬の体調が良かったのかはわからないけれど、私の馬車はアーサーの乗っている馬車にすぐに追いついた。いやいや、追いついてどうするんだって感じではあるけど!


「そ……それで、どうするんですか!?」

「そのまま走らせて!横につけられる!?」

「そんな無茶な!」

「ここから先の橋の手前!あの大通りなら二列になっても大丈夫よ、たぶん!」

「たぶん!?」


御者と大声で話しながら、私は馬車の、アーサーが乗っている馬車と面している方の窓を全開にする。


途端に暴風が私の長い髪を巻き上げ、なびかせた。

だぁもう邪魔っ!髪の毛邪魔!!何なんだこれ。何なんだこれ!?何で私こんなことしてんのほんと!?

アーサーはゲームのキャラクターで、十五歳の彼が『ユグハー』にヒロインの攻略対象として出てくる以上、彼がどんな心的外傷を負おうが、この誘拐はいずれヒロインによって癒される“過去設定”にしかならない。

何より、ここで放っといたってどうせお城の兵か誰かに助けられるのはわかりきったことなのに。こんなのどう考えたって七歳の、子供の、貴族の、悪役令嬢が──私が出張るシーンじゃないのに!


(……でも――)


アーサーの驚きに見開かれた瞳が脳裏をよぎる。

あんな風に、目の前で子供が連れ去られるところを見てしまったら。




大通りに差し掛かった瞬間、御者が私の指示通り車体をアーサーの馬車の横につけてくれる。

街道を物凄いスピードで並走する馬車に、歩道を歩く人達が何だ何だとざわついているのがわかる。窓枠に手をかけて足を出すと、ガタンと車体が大きく揺れて恐怖心が沸き上がった。いけない、ここで怯んだら何も出来なくなってしまう。


「大丈夫よ……大丈夫、私──私なら……大丈夫、私はヴァイオレット・クインズヴェリよ!!」



──ええいままよ!



「チェストォーーーーーーーッ!!!」



掛け声と共にブーツの踵で向かいの馬車の窓を蹴り割る。

子供の脚力じゃ一回では難しいかと思ったけど、私のブーツの踵は岩石のように硬い特注品なので何とかなった。数ヵ月前、トーマを苛める店主を脛アタックで退けて以来、何かあった時のためにとソフィアにお願いして作らせたものだ。


そのまま、蹴り割った窓の中に前転の要領で飛び込み、中にいた誘拐犯の男が何かする前に、咄嗟に本で読んだっきりのこむら返りの呪いをお見舞いする。

突然飛び込んできた女児に驚いた様子だった男は「ウッ!」と苦しげな呻き声を上げ、ふくらはぎを押さえてその場にうずくまった。――ウッソォ役に立った!役に立ったわよトーマ!


床に転がされたアーサーは、縛られて猿ぐつわを噛まされているようだった。

信じられないものを見るような目で私を見ているけど、私だってまさか悪役令嬢転生で自分がこんなダイ・○ードばりのアクションこなすことになるとは思わなかったわよ。



ほとんど引きずるようにしてその体を掴み、猛スピードで走る馬車のドアを開けて、アーサーの頭を胸に抱え込むようにして勢いよく外へ飛び出す。

それはそれで死ぬかもしれなかったが、誘拐犯の男はこむら返りになってるだけだから、自分の足が何ともなってないことがわかればすぐにでも何かしてくるだろう。ぐだぐだ迷っている暇はなかった。




宙に投げ出された子供二人の体を、ふわりと柔らかい風が包みこむ。



(──あれ?)



重力に従ってるにしては、滞空時間がやけに長い、ような。



飛んでる──?と思った瞬間。

そこそこの衝撃と共に、ぶちゅっと何かが潰れるような嫌な音がして、柔らかい感触と、全身に濡れた感触が染み渡った。


……人の悲鳴と怒号、衝撃で猿ぐつわが外れたらしい、隣でアーサーが「ヴァイオレット!」と焦った声で叫んでいるのが聞こえる。口の中で酸っぱい味がした。何これ。ぺっと吐き出して、視界が真っ赤に染まっていることに気づく。

石畳に突撃して血みどろ──というわけではなく、私とアーサーは、露店の野菜、山積みになったトマトのようなそれの上に飛び込んだらしかった。なるほどそりゃお店の人は怒るわ。食べ物を粗末にしちゃいけないもんな。



「あ……後で……弁償します……」



打ち所が悪かったのか。

はたまた、いろんな恐怖や極限状態を短時間で味わったせいか──


私はそれだけ呟いて、そのまま気を失った。



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