第19話 闇の魔法
「アルキバ!」
書斎のドアを開け、館の地下を駆け上がり、アルキバの部屋のドアをノックする。
中に居るのか、テオドラの返事が聞こえると同時に中へ転がり込んだ。私のあまりの勢いにテオドラが驚いて悲鳴をあげる。眠っているのか、目を閉じて椅子に座るアルキバの髪をとかしていたらしい。とかさなくっても半永久的に艶々じゃない彼の髪は。
「なんっ、朝から何なのよヴァイオレット!?」
「わかったわ、闇が助けになる瞬間!」
「はぁ!?」
一体何の話をしているのか、というような、呆れ返ったテオドラを制するように、アルキバが片手をあげる。
起きてたのね良かった!私が起こしたのかもしれないけど!
「アルキバ様、でも何かこいつ、いつもより様子がおかし……」
「いい、テオドラ……私が、出した…………宿題だ」
宿題?
あれって宿題だったのか、てっきり魔法に関するアドバイスをくれただけだと思っていたんだけど。
アルキバの動きは、テオドラに下がるように伝えるものだったらしい。
訝るような目で私を見ながら、テオドラが部屋を退出する。目から「変なものでも食べたんじゃないの?」という私に対するあらぬ疑いがヒシヒシと伝わるが、主人の命令に逆らう気はないらしい。
部屋には、私とアルキバの二人きりになった。
大きな声を出すのが億劫なのだろう、「こちらに来い」とアルキバが言うので、椅子に座る彼の足元に踞る。
令嬢としては無作法だが、ここではもう散々無作法をやっているから今更だ。それより早く魔法の話がしたい。肘掛け椅子に深く身を横たえながら、アルキバが私に問いかける。
「それで……人の子、お前が辿り着いた答えは……何だった」
「私が自分で辿り着いたというか、人の話を聞いていて、気付いたんだけど」
「……構わない。何かに気付く、という力は……無意識に生み出す力よりも、むしろ、万人に与えられざる……ものだ」
そういうものだろうか。
アルキバの言うことはいちいち小難しいけれど、彼は私を否定するようなことを言わない。今まで私の周りは、必ずしも悪い意味ではないけれど──つまり、私のためを思ってくれている人達を含めて、ということだが──私を否定する人ばかりだったから、何となく新鮮だ。
前にも学校の先生みたいだと思ったけれど、アルキバの性質はたぶん、どちらかといえば大学の教授のような、学のある知識人と言うほうが近いのだろう。彼は私の答えを、どう思うだろうか。
「暗い方がいい状況、っていうのが中々思いつかなかったんだけれど……眠るときはね、暗くて静かな方がいいでしょう?」
「……眠り…………」
「そう、だから何か対象を眠らせるような魔法は、闇魔法として扱うことが出来ない?そういう闇魔法があれば、不眠症の人の助けになるし、魔獣を生け捕りにしたり、少なくともこむら返りの呪いなんかよりは、いろいろ汎用性があるんじゃないかと思って」
興奮のままに伝えると、アルキバは黙って考え込んでいた。
私の答えを採点しているのだろうかと思うと、何となく背筋が伸びる思いがする。
「……眠りの
「可能かしら?」
そわそわする私を、黒曜石の瞳がじっと見下ろす。
静かな瞳は、逸る私を諌めようとしているようにも見える。……あまり良い答えではなかったのだろうか?
少し不安に思っていると、アルキバは少しだけ間を置いてから、
「……不可能では、ないだろう」
と呟いた。
「というより……その手の……人を眠らせる魔法は、古くから……存在する、魔法だ」
「そうよね!思い付いてから気付いたんだけれど、そういう魔法、おとぎ話で見たことがあるわ」
『いばら姫』とか、『白雪姫』のリンゴとか。
この世界にも、まんまではないけど、似たようなおとぎ話はたくさんある。出てくる眠りの魔法については、どれもこれも悪い魔女や妖精がお姫様相手に使うシチュエーションがほとんどだったけれど。真実の愛のキスをすると目が覚めるっていうお約束のやつね。そう考えるといよいよもって悪役スキル獲得の道を突き進んでる気もしなくはないけれど、物は使いようよ、たぶん。
「まぁ……いいだろう」
アルキバがそう言って頷いた。
「イメージが出来たなら、実践して……みるといい。私を……眠らせてみろ……」
「え、いきなり?」
ていうかそれ魔法必要ある?っていうのは置いといて。
「お前は……貴族の娘なら、魔法の基礎は……叩き込まれているのだろう」
「それはそうだけど……」
自分の中の魔力を扱うイメージは、苦手な氷魔法だと難しいけれど、闇魔法の簡単な呪い程度なら、それこそ自分の手足を動かすように自然と出来るようになっている。
けど、妖精やエルフでもあるまいし、本でその呪いの魔力の練り方を勉強したわけでもないのに、ただやりたいと思ったことが、いきなり実践で出来るものだろうか。
私が躊躇っていると、アルキバが、根気強く諭すように私に言葉を投げかけた。
「……魔法に大事なのは、想像力だと……言ったはずだ。……思考しろ、人の子よ。……だが、お前達には、とても難しいことだろうが………………檻には、囚われるな」
「檻?」
「魔法を……使うなら、……よく、覚えておけ」
アルキバの黒い瞳が、じっと私の目に見合わされた。
眠たげだが、思慮深く、テオドラのそれのようにキラキラと光を弾かない、底知れない深い闇色の瞳だ。
「出来ないかもしれない、と思うことは……既に不自由の檻に囚われているのだ、ということを」
深い溜め息と共に、アルキバは目を閉じる。
どうしてだか、彼はこれまでに、何度も誰かに向かって、繰り返し同じことを口にしているのではないかと感じた。それが誰なのか、何故なのかはわからないけれど。
「……出来ないかも、と思っちゃいけないってこと?」
「でなければ……そこが……お前の、魔法の限界になる…………“想像”し、己の生み出した
もしかしたら、は否定ではなく、可能性に繋がるときに使う言葉だと彼は言った。
魔法の力──非現実を思い描き、それを信じる力がなければ、幻想は現実になり得ないのだと。
「……ドラゴンが蜥蜴なら、アルキバはじゃあ、大きなコウモリ?」
魔法が使えない彼を想像し、思わず言うと、アルキバは少しの間沈黙した。
見上げる私と見下ろす彼の間に、言い知れない空気が漂う。
しまった、調子に乗りすぎただろうか。気まぐれなのかもしれないけど、親身になってくれるからつい。
馴れ馴れしく軽口を叩いてしまったことを謝った方がいいのか悩んでいると、ふっ、と吐息を漏らしたような笑い声が頭上から聞こえてくる。見ると、アルキバが笑っていた。
「……そうだな、コウモリかは、わからないが…………魔法が使えなければ……テオドラには、今以上に苦労をかけるに違いない」
「……貴方って」
目を閉じたまま頬笑む吸血鬼に、テオドラが彼を慕う理由が、何となくわかったような気がする。
何故人間の血を飲まず、こんなところで、半ば死人のような隠居暮らしをしているのか──今まで気にもならなかったけれど、初めてアルキバの個人的な部分に興味が湧いた。
彼やテオドラは『ユグハー』のネームドキャラでないから、設定などの先入観がなくて、付き合いやすいというのもあるのだろう。いつか、偶然出会ったに過ぎない人間の子供である私にも、彼自身のことを教えてもらえる日が来るのだろうか。
吸血鬼が私に微笑みかける。
「さぁ……お前の魔法を……見せてみろ」
とにもかくにも、私は頷いて、立ち上がった。
具体的に何をどうすればいいかはわからなかったけれど、私の中の、闇の加護を受けた魔力の流れる血が、何をすべきか知っているような気もする。途中の式がわからなくとも、ただ私がそうあってほしいと願う答えをイメージすればいい。
今なら信じられる。思うことが出来る。自分に使える力と、うまく絡めて“想像”することさえ出来れば――もしかしたらきっと、私は、何だって出来るんじゃないかと。
アルキバに向かって手をかざす。
魔力を練り始めた瞬間、沸々と、体の中に沸き上がるものがあるような気がした。
血が喜んでいるとでも言えばいいのだろうか。これまで、練習用の
わからない。
けれど、闇が意識を奪うイメージが頭の中に広がっていく。
アーサーがマリーに子守唄を歌う話を聞いたからだろうか。誰かの子守唄が聞こえたような気がする。
声の主が男か女かもわからなかったけれど、優しいメロディだと思った。とても心地いい唄。
(──眠れ、眠れ、かわいい子……)
もっと聞いていたいと、思うような。
気がついたら、黒い何かに視界を包み込まれていた。
「………………?」
「……もういいだろう」
「えっ、アルキバ?まだ眠ってない……」
黒い何かは、アルキバが常に纏っている外套だった。
珍しく立ち上がった彼に、正面から、支えるように肩を持たれている。アルキバの足取りはしっかりしていた。
魔法なんかかけなくても眠ってしまいそうな彼のこと、初めてでも眠らせるのはそう難しくはないと思ったのに、やはりまだ私には少し厳しかったのだろうか。
ダメだったのかと肩を落とすと、アルキバは首を横に振る。
「いや、魔法を使って対抗していた」
「えっ、そんなのアリなの?ズルいわ」
「……本当に眠ってしまっては、出来を判断出来ないだろう」
それはそうだ。
でも、対抗するなら対抗すると教えていてほしかった。
教えてもらったからって、私が吸血鬼の彼に魔法で勝てるわけはないんだろうけど、何ていうか、気持ち的にさぁ。
「それで、どうだった?」
ちょっとは眠くなっただろうか、と思い、期待を込めてアルキバを見上げると、アルキバは切れ長の目で私をじっと見下ろした。
これまで、私に物を教えようとしてくれていた時のそれとは違う、何か観察するような視線である。ちょっとコワい。
「……アルキバ?」
「気まぐれ……とはいえ、お前に宿題を出した……のは私だ。ならば、私にも、責任の一端は…………あるのだろう」
「え?は?何の話?」
疑問符を浮かべる私に対して、アルキバは珍しくはっきりとした、深刻そうな口調で呟く。よくわからんが私の話は全然耳に入ってないっぽい。通訳が必要だわ。テオドラへるぷ。
「……人間は、鉱石を使って……魔法の指向性を高める……そうだな?」
「え、えぇそうね、魔導装飾……そういえば、それについても相談しようと……」
アルキバが、ふむ、と頷いた。
「人の子、お前はそれを一刻も早く……身につける必要がある」
「……そうね、早い方がいいって先生も……でも何で?」
どうしていきなり、アルキバが、人間の魔導装飾の話なんかしだすのだろう。
吸血鬼は石なんか必要としないけれど、アルキバは博識だから、石の選び方についてもし知っていることがあれば相談出来ればとは、前々から思ってはいたのだが。
「でも、うちの石は氷の石で……」
「そんなものは何の意味もない。必要なのは闇の石だ。お前自身と、周りの……者のために。……お前の家に無いのなら、手に入れに行くぞ」
「はっ、えっ、今から!?今から行くの!?アルキバと!?」
「ノームの若者に……つて、がある」
「ノームって何!?」
怒濤の展開についていけないけれど、アルキバは本気も本気のようだった。
肩をつかむ手が、乱暴ではないけれど、逃がさない程度にしっかりと私を捕まえている。それだけ、事態は急を要するということらしい。一体何がどうなっているのか。
「……森の静けさに耳を澄ますといい」
ひたすら混乱する私の肩を抱き、アルキバが、謎の言葉を口にする。
森の静けさ?
言われて私は耳を澄ませた。鳥の囀り一つ聞こえない、静かな、静かすぎる、木立の音。何も聞こえない。
これが何だと言うのだ、一体。
「闇の加護を持つ人の子よ。
……お前のたった一度の魔法で、アルタベリーの森の全ての魔獣が、半日は目覚めぬことだろう」
「……え?」
アルキバはそう言って──
私の肩を抱いたまま、外套を翻し、呆ける私を闇の中に包み込んだ。
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