第18話 早朝のピクニック




「大きくな~れ~」


翌朝、いつものように庭でマンドラゴラの世話をしていたときのこと。

可愛いマンドラゴラ達に柄杓でトマトジュースをぶちまけていると、ふと誰かの視線を感じた。トーマかと思い振り返ると、朝日の下、手にバスケットを提げ、ラフな服装のアーサーがにこやかに立っている。

こんな朝早くにどうしたのだろう。ていうか、どこを見ても奇々怪々な植物が植わっている、腐海さながらのこの裏庭を見ても百点満点の笑顔でいられるのはもう才能と言っていいと思うわ。私が言うのも何だけど。


「おはようヴァイオレット」

「おはようございます、アーサー様。夕べはよく眠れまして?」


私がニッコリ微笑むと、歩み寄ってきたアーサーは途端に拗ねたような表情になった。


「アーサーって呼ぶって言ってくれたのに」

「あら、言いました?」

「ヴァイオレット」


ぐぬぬ。


ずい、と美しい顔に詰め寄られてつい言葉に詰まる。

子供相手とはいえ、自分より上背のある相手にこうしてじっと見つめられると、流石に困った。居心地の悪さが勝って頑なな態度を取り続けていられなくなる。

私自身、今世では綺麗な顔に産んでもらってはいると思うけれど、規格外は話が違う。美形って得だわ。


結局、渋々ながら承知するしかなくなってしまった。何か悔しい。


「……わかりました、アーサー」

「敬語は?」


容赦なしかこの腹黒王子は。


これだけあからさまに壁作ってるんだから距離をとりなさいよ距離を。アーサーくらい察しが良ければ私が意図的に距離を置こうとしていることくらい簡単にわかるだろうに、強引なまでのこの距離の詰め方は何なのだろう。

にこにこと微笑まれて思わず舌打ちしそうになったが、流石にそういうわけにもいかない。不敬罪で打ち首とかマジ勘弁だもの。


──それに、もし仮に、友達になろうと持ちかけたのが嬉しかったのだとすれば、あまり無下にする気にもなれない。前にも言ったが、彼個人のことが嫌いなわけではないのだ。私よりトーマと仲良くしなさいよとは思うけれど。


「お願いだよ、ヴァイオレット」

「…………わかったわ、わかったから。離れてちょうだい」


近いわ、と観念した私が溜め息をつきながら言うと、アーサーは鼻先が触れ合うほどになった私との距離に気付いたのか、ちょっと頬を赤らめて体を引いた。流石王子あざとい。今の表情で落ちない乙女ゲープレイヤーはいないだろう。かく言う私も命がかかってなければガッツポーズくらいはした。実際はそれどころじゃないというのが本音だけれども。

それで結局何の用なのかと訊ねると、アーサーは気を取り直したように笑って、手に持ったバスケットを持ち上げてみせた。


「朝ごはんのお誘いに来たんだ。ソフィアさんがサンドイッチを用意してくれたから」

「朝ごはんって、お屋敷で食べればいいのに」

「屋敷の裏手に綺麗な湖があるから、お嬢様と是非そちらでどうぞって。料理も美味しいし美人だし、いい人だね」


ソフィアめ余計なことを。

私とアーサーを二人きりにして、少しでも婚約者としての仲を進展させようとしているに違いない。昨日は本当に家族の晩餐って感じだったから、ちょっとでもロマンチックな展開を期待してるのね。普通の貴族令嬢としてはナイスとしか言いようがない従者の機転だが、私としては勘弁してくれと言いたいところである。いくらアーサーが大人びていて、私が子供らしからぬと言っても、せいぜい十歳よ私ら。

しかし、わざわざ王子にバスケットまで持ってきてもらって断るのもおかしな話だ。詰みである。


固まってしまった私を怪訝そうに見るでもなく、アーサーはきょろきょろと興味深げに裏庭を見回している。

その目が、ふと、私がトマトジュースをぶちまけたばかりのマンドラゴラ畑に留まった。赤い液体にまみれたおどろおどろしい顔の植物が、土に半端に埋まった状態で呻き声をあげている。


「ここの植物は君が育ててるの?」

「え?あ、えぇ……そうね、ずっと私が育ててるわ」

「マンドラゴラは育てるのが難しいって聞くけど、こんなにたくさん育ててるなんて凄いなぁ。ヴァイオレットは植物を育てる才能があるのかもしれないね」

「いや…………たぶんそうでもないわよ」


「そう?」とキョトンとするアーサーに頷く。


マンドラゴラを普通の植物と同じと侮ってはいけない。

奴らは環境が気に入らなければ土から脱走するし、肥料の好みにも(物理的に)うるさい。ここまで何とかうまく行っているのは、もしかしたら、それこそ私の闇の魔力に彼らが興味を示してくれているからなのかもしれないと思うほどだ。


「そんなに難しいなら、どうしてわざわざ?」

「回復用よ。煮汁にして魔力補填の薬に使うの」

「煮汁…………」


何故か意味ありげに呟かれた。

煮汁というキーワードの何が引っ掛かったのだろう、アーサーはずいぶん神妙な顔をしている。少し考え込むようにして、彼はひどく真面目な顔で私を見た。


「それって、僕も飲んでみたりとか」

「何を言っているの」



本当に何を言っているのだこの王子様は。

熱があるんじゃないかと思って咄嗟に額に手を当てるも、しっかり平熱である。そんなチャレンジ精神の持ち主だったっけ。



マンドラゴラの煮汁の飲みにくさは、はっきり言って罰ゲームみたいなもんだ。青汁なんて目じゃないし、何なら魔力が回復したぶん味のエグさに体力を持っていかれる。やむにやまれぬ事情があるならともかく、興味本意で手を出すと後悔しか残らない恐ろしい飲み物(?)なのである。

ていうか、畑に植わってるのはいいけど顔が半分以上土からはみ出したマンドラゴラ見て、よく自分もチャレンジしようと思ったわね。私でもたまに「ヤベェな」って思うわよ好きで飲んでるんじゃないんだから。


「ダメ?」

「オススメしないわ。ソフィアの紅茶が冷めない内に行きましょう」

「ちぇー。せっかくヴァイオレットが育てた野菜(?)なのに……」

「ラディッシュなんかと同じ扱いで考えないでくれる?」


名残惜しそうなアーサーの背中を押して湖の方へ促す。

体調でも崩されるより、一緒に朝ごはんの方がまだマシだ。








湖を眺めながら朝食をとった後、アーサーが気まぐれに魔法を見せてくれた。

この三年もずっと訓練していたのだろう、魔導装飾の石がなくとも、彼の風魔法はかなりのレベルまで達しているようだ。風が湖の水をすくいあげ、形を変えてこぼれていく水流の美しさに目が安らぐ。さわさわと髪を撫でていく、彼の魔力が巻き起こした風の中に、クスクスと小さな笑い声が紛れているような気がした。



(──風の精霊……エアリエルだわ)



優れた魔法の使い手は、精霊に愛される。


魔法とは、人間の願いを聞いてくれる精霊たちの気まぐれが起こす奇跡。時に彼ら彼女らは、当人の実力以上の魔法の力を私達に与えてくれる。やがてこの国で最も優れた風使いになるアーサーなら、子供の内から精霊達に好かれていてもおかしくない。

一般に、精霊は男性より女性の目に映りやすいとされるから、私の目でもその気配を見つけることが出来たのだろう。アーサーを守るように吹く風の中の煌めきに、アーサー自身はまだ気づいていないようだった。


草原についた手の中で、手慰みに花を凍らせながら思う。

アーサーのような人間はほんの一握りだ。私のもとに氷の精霊が遊びに来たことは一度だってないし、闇の魔法についても、アルキバにアドバイスをもらってから、未だに答えは見つからない。



「──ヴァイオレット?」



アーサーに覗きこまれてハッとする。

心ここにあらずな状態になっていたらしい。心配そうな彼に何でもないのだと微笑み返して、素晴らしい魔法だったと称賛する。羨ましいだけに素直な気持ちだった。

アーサーは少しだけくすぐったそうな笑みを浮かべたけれど、複雑そうな顔で自分の手のひらを見下ろす。


「でもね、決め手に欠けるってよく言われるんだ」

「?」

「貴族の子達との間で、魔法の試合をするんだよ。風魔法は炎や水ほどの攻撃力はないし、今は相手を場外にするとか、工夫で何とかなってるけど、すぐに力で負かされる日が来てしまう」

「もうそんなことまで……」


『ユグハー』をプレイした限り、魔法を使った試合は、マギカメイアでは授業の一環として行われていたように記憶しているが、王族はこんな年から魔法を使って戦うことを要求されるのか。私はまだ攻撃魔法の1つも扱えないのに。アーサーが英才教育を受けているのか、私が呑気にやりすぎているのか。たぶんそのどちらもだろう。


魔法の力はそのまま国力に直結する。

王族の人間が、それぞれの属性の魔法に優れた多くの貴族を御するためには、彼ら自身が強い魔法の力を示すことが必要だ。今現在、この国で最も優れた風使いとされる現国王は、その片腕で嵐すら巻き起こすのだという。


「兄さん達を追い落とすような真似をする気はないけど、僕の気持ちとは関係なく、王族って言うのは色々面倒なことも多いんだ。我が儘ばかり言ってられないのはわかってるんだけど」


珍しい、愚痴のような彼の言葉を聞きながら、それはそうだろうと思った。

アーサー自身の意思とは関係なく、精霊に愛された彼を次期王にしようという動きだって城内には勿論あるだろう。その時に彼の兄王達がどんなことを考えるかってことくらい、田舎で呑気に育った私にだってわかる。彼自身というより──


「強くなって、マリーと母上を守らなくちゃいけないからね」


彼の周りの大切な人達は、同時に、彼に対する人質のようなものなのだ。





「あ、勿論、ヴァイオレットのことも守るから安心して!僕の婚約者だからって、危ない目に遭わせたりしないから」

「……アーサー」


パッと明るい顔で笑ってみせる彼に、何とも言えない気持ちになる。

平民であるヒロイン視点からゲームをプレイしていただけではわからなかった。この世界に生まれて、この国の貴族事情も理解した上でようやくわかる、彼の生きづらさへの共感と同情。この感覚は、この世界で生きて初めて“ヴァイオレット”の孤独に気付いた瞬間に抱いた気持ちにも似ている。

恋をして結婚して、ハッピーエンドで物語は終わりではない。彼も私も、この世界ではゲームの中のキャラクターではなく、生きている人間なのだ。


だからきっと、目の前の人を励ましたいと、私が思ってしまうのも無理はない話で。


「大丈夫よ、アーサー」

「うん?」

「風は炎を強く出来るし、水の流れを操ることだって出来るわ。貴方は凄く魅力的な人なんだから、その、貴方の周りにはこれからどんどん人が……味方が増えていくだろうし、きっと、一人で何もかも、頑張りすぎる必要はないわよ」


うん、まぁ、その最たる存在は、やっぱりヒロインなわけだけれども。


未来を知っている以上、余計なことを言い過ぎないよう言葉を選びながら伝えると、アーサーは黙りこんでしまった。

私の発言に対して特に何を言うでもなく、翠の瞳で、隣に座る私のことをじっと見つめている。何か考え込んでいるようだけど、何を考えているのかよくわからない。どうしてだか、いつか、同じような彼の顔を見たことがあったような気がした。

何か気に障ることを言ってしまったか、アーサーのキャラ的にあり得ないだろうけど、わかったような口を利く奴だとでも思われたか、と若干不安になってきた頃──



「君も?」



ぽつりと、アーサーが呟いた。

突然だったので、一瞬訊ねられたことすらわからなかったが、質問されたのだと気づいて瞬きする。……君も?って、私もアーサーの味方かってこと?


「そりゃ、敵に回ることはないでしょうけど、でも私なんか大した魔法は使えないわよ」

「でも君は勇敢な人だ」


にっこり笑われて、咄嗟に言葉に詰まった。


「僕は君を尊敬してるから、味方でいてもらえると嬉しい」


作り物でない、素直な笑顔と共にそう言われて、適当な言葉を返すことが出来なくなる。

勇敢って、私のどこを見てそんな風に思ってもらえたのかわかんないけど、私、一応悪役令嬢なんだけどな。その辺わかってんのかしらこの王子様。どう考えてもわかっているはずがないので、たぶん私も若干動揺しているのだろう。私を味方にしようと口説いてどーする。

私が何とも答えられずにいるのを察してか、アーサーが妙に真面目な雰囲気を切り替えるように、イタズラっぽくウインクした。


「僕の婚約者が安心出来るよう付け加えておくと、僕にはもう一つ使える魔法があるんだよ」

「もう一つ?」


何か別の属性の加護を持っているということだろうか。

そんな設定、アーサーにはなかったはずだけど……


「子守唄の魔法。まぁ、マリーにしか効かないんだけど」

「なぁにそれ」


あまりにも堂々と、得意気な顔で言うので、ぷっ、と吹き出してしまう。アーサーの子守唄で眠るマリーは、想像しただけで文句なしに可愛い。


「結構大変なんだよ、マリーが寝床に忍び込んでくるんだけど、真っ暗だと怖いって言うからさ」

「小さい頃は怖いわよね、ベッドの下とか」

「そう、でも僕、真っ暗じゃないと眠れないから。灯りを消す代わりに唄を歌ってあげるんだ。一節歌い終わる頃には……」



その瞬間、何かが引っ掛かったような気がした。



「アーサー」

「うん?」

「……もう一回言ってくれる?」

「一節歌い終わる頃にはマリーが夢の中ってこと?」

「いいえ、その前」


アーサーが不思議そうな顔になる。


「暗くしてないと眠れないって?」


それを聞いた瞬間、冗談でなく、目の前がパアッと開けたような気がした。


暗くしないと眠れない。アーサーだけでなく、きっとそういう人は多い。

人は夜眠る生き物だから、眠りというのは暗闇のイメージともちゃんと繋がっている。あった。あったわ。闇が助けになる瞬間。というか私もそうなの。何故気づかなかったのだろう。灯りがついてると中々眠れないのよ。



──真っ暗でないと眠れないの!



「アーサー!」

「えっ?」


驚いているアーサーの手をガッシリと掴む。


「貴方って最高よ!!」

「……うん?あの──ヴァイオレット!?」


そして、呆気に取られている様子の彼を残してダッシュで屋敷へと戻る。

書斎と館を繋げてもらっていてよかった。着替えて森の中を一時間も歩く必要がない。こうなっては一分一秒が惜しかった。



──早くアルキバの下へ行って、答え合わせをしなくては。



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