第21話 ニーピングルとラーズスヴィズ



ニーピングルを片手に持ったままのアルキバの後についていくと、先ほど私が「陰鬱極まりない」と失礼な感想を抱いた妖精──ラーズスヴィズの座るテーブルへと辿り着いた。

年老いた小柄な妖精。ニーピングルの相方だと店主が言ってたけど、この人がアルキバの言う“細工職人”なのかしら。


私達が近づいても、ラーズスヴィズは空になったジョッキをテーブルに置いたまま微動だにしない。顎を引いたまま、チラッと視線だけを上向かせてアルキバを一瞥すると、あまり礼儀正しいとは言えない顔でため息をついて、胸ポケットから出したパイプに火をつける。

パイプからは紫の煙の輪っかが上がっていて、ヨモギのような葉っぱの濃い匂いがした。


「久しいな……」


アルキバが呟く。この人も旧知の仲なのだろうか。

少なくともこの妖精は、ニーピングルのようにアルキバを恐れていたりはしないように見えるが、どういう関係なのだろう。


「珍しいじゃねぇか、ご隠居。思い出話でもしに来たのか」


見た目通りの重々しい、疲れはてたようなしわがれ声。

外見だけなら青年と呼べるアルキバが、しわくちゃの老人のような姿をしたラーズスヴィズに“ご隠居”呼ばわりされるのはどこかちぐはぐで、滑稽なようにも聞こえる。

アルキバは「違う」と愛想の欠片もなく切り捨てると、片手に握っていたニーピングルをテーブルの上に解放した。アルキバは気に留めなかったようだが、ニーピングルが小さな声で口汚く罵ったのを私は聞き逃さなかった。ホントに口悪いわね。


先程の怯えようから、解放しては逃げ出してしまうのではないかとも思ったが、その心配は不要のようだ。

アルキバが切れ長の瞳で睨み下ろすだけでニーピングルは一歩も動けないらしい。一体何をそんなに怖がっているのかわからないが、正に蛇に睨まれた蛙である。不憫なノームを睨みながら、アルキバが口を開く。


「お前達に……仕事を……頼みたいのだ。ニーピングルには石の選定を…………ラーズスヴィズには、魔導装飾の細工を」

「魔導装飾?」

「この娘の……魔力と精神に合うものを」


そう言ってアルキバが、何となく前に出づらく、背後にぼけっと立っていた私を前に押し出す。

だって何か、大学の友達と遊んでたら友達の中学時代の同級生と出会して、友達がその人達と話し込み始めた……みたいな微妙な気まずさがあったんだもの。貴族令嬢だから社交性も身につけてはいるけど、基本ステータスは隠キャよ私は。


「この人間のお嬢さんの?」

「……初めましてお二方、ヴァイオレット・クインズヴェリと申します」

「クインズヴェリって言うと……」


じろじろと改めて私を見回して、ニーピングルが器用に片方の眉を上げる。この国の貴族なら知らない者はいない我が家の家名だが、妖精でも聞き覚えがあるものだろうか。

私が貴族の令嬢らしくドレスの裾を軽く持ち上げて礼をすると、ラーズスヴィズがふん、と鼻を鳴らした。


「話にならん。どんな気まぐれかは知らんが……ワシは人間の飾りなんぞ作るほど落ちぶれてはおらんぞ、ご隠居」


忌々しい、と言わんばかりの──どころか憎しみすら籠っていそうな目で睨み付けられ、きっぱり断られてしまう。

ニーピングルはそうでもなさそうだったけれど、ラーズスヴィズはだいぶ人間が好きでないらしい。いやだってものごっつ睨まれたんですけど。話にならんって言われちゃったけど、どうすんの?

ニーピングルがアルキバの様子をチラチラと窺いながら、不機嫌そうなラーズスヴィズを見て、困ったように私を見る。


「ミルクの借りもあるし、親切なお嬢ちゃんと石を巡り合わせてやんのは俺ァ構わねぇけどよ、ラーズスヴィズがこう言ってんじゃ仕方ねぇやな。俺達、これでも長いこと仕事は一緒にやってるからよ」

「……いいのよニーピングルさん。誰にだってどうしてもやりたくない仕事はあるもの」


断られる理由が“人間である”ということだけだというなら、もやっとしないでもないのだけど。

何とも世知辛い話だが、うちの父は獣人が嫌いだという理由で獣人を一切雇っていないし、人間嫌いの妖精が人間相手に商売したくないのも当然の感覚なのだろう。「すまねぇなァ」とニーピングルが本当に申し訳なさそうに謝る。


「その代わりによぅ、俺が他のいい職人を見つけて……」

「ラーズスヴィズ」


ニーピングルの言葉を、唐突にアルキバが遮った。

青白く冷たい手が私の肩に置かれる。黒曜石の目がじっと私を見下ろして、流れるような仕草でラーズスヴィズを見つめる。


「この人の子は……闇の石を必要と……しているのだ。その細工を……ドヴェルグの……お前の他に、誰に頼めよう?」

「…………ドヴェルグ?」


また出てきた聞きなれない単語に私はアルキバを見上げて聞き返したけれど、その時、彼の言葉を聞き返したのは、私だけではなかった。


「闇の石だって?」


ラーズスヴィズの思いのほか大きな声が響き渡って、しん、と騒がしいくらいだった店の中が静まり返る。


……ややあって、何事もないとわかったのか、喧騒は戻ってきたけれど──どうしてだか再び私を見るラーズスヴィズの目には、先程までの憎しみとは違う、奇妙な光が宿っていた。

信じがたいと言うような目でアルキバを見、そして、視界に入れるのも嫌だという風だったはずの私をまじまじと見る。頭のてっぺんから爪先まで。やがてしわしわの唇から漏れた声が、微かに震えているような気がしたのは、気のせいだろうか?


「本当にか?」

「それも……一度の、魔法で……森中の魔物を、眠らせるほどの……魔力がある。力を高めるよりも……指向性の補助や、魔力量を適切に調整するために……お前の技術が、必要だ」


そういえばそんなこと、ここに来る前も言ってたけど、改めて聞くと驚きである。

やっぱり血の加護のある魔法って全然違うのね。しかし、闇の魔法云々ってだけでラーズスヴィズの気が変わるものなのか。

じろじろと眺め回されるのを若干居心地悪く感じていると、




「イザベル………!」




「……えっ?」


気がつくと、ラーズスヴィズが、目元を手で覆って大粒の涙を流していた。イザベルって誰よ。不機嫌そうな表情を崩し、身を震わせる彼の指の隙間を、ぼろぼろと涙の粒が滴っていく。

ギョッとした私が思わずポケットからハンカチを出して差し出すと、ラーズスヴィズはそれにも一瞬言葉を詰まらせて、けれど私のハンカチは受け取らぬまま泣きに泣いた。


「……どうしちゃったの?」

「爺さん、良い年して泣くなよ」


ニーピングルが「うへぇ」という顔を隠さずにラーズスヴィズを覗きこむ。

私はニーピングルの胴をそっと掴むと自分の方へと引き寄せた。二人の関係性がどんなものかは知らないが、号泣しているところを覗き込まれていい気分がする者はいまい。


そしてまた驚くことに、アルキバが、あの魔法に関する問答以外のコミュニケーションには難があるとしか言い様のないアルキバが、労るようにラーズスヴィズの背中に触れた。

「落ち着くまで離れていろ」と言われて、ニーピングルを握ったまま、少し離れた席に座る。人間妖精問わず、目の前で誰かに号泣されたのは初めてだったから、少し心臓がドキドキしていた。


「誰なのかしら、イザベルって」

「おやお嬢ちゃん、黒魔女イザベルのことを知らんのかい?」


テーブルに座ったニーピングルが私を見上げる。


「知らないわ。というか知らないことばかりよ、此処に連れてこられてから。ドヴェルグというのも何なのかわからないし」

「はぁ、そりゃあ……人間ってのはモノを知らないんだなぁ」


ちょっと哀れむように言われ、何とも言えず肩を竦める。

不名誉な言われようだけど、妖精の知識に乏しいのは否定できない。


「イザベルってのは、随分昔生きてたっていう人間の魔女の名前さ。“妖精の友”なんて風にも呼ばれてたらしいけど、ま、俺みたいな若いノームにとっちゃおとぎ話の中の存在だよ。ラーズスヴィズの奴、もしかしたら本物に会ったことがあんのかもしんないな。俺よりだいぶ年寄りだから」

「……そんな凄い呼び名があるわりには、聞いたことない名前だわ。黒魔女ってことは……闇の魔法を使う人だったのよね?」


今は魔法を使う人間は、公的には一律に“魔導師”と表記される。

“魔法使い”とかは聞かないわけじゃないけど、表記揺れの扱いというか、ちょっと古い感覚で、“黒魔女”とか“白魔女”というのもそうだ。

闇魔法が大衆に忌み嫌われるようになってから、かつての黒魔女はその多くが歴史書から名前を消されてしまった。

反対に白魔女たちは“聖女”の呼び名を与えられ、今この国で最も有名な白魔女は、聖女アルストロメリアである。『ユグハー』だと名前しか出てこない程度のキャラだけど、これがヒロインの生まれ変わり前の人ね。


黒は闇、白は光。

おとぎ話の中の名前。


もう長いこと、そのどちらの属性についても、強い魔法力を持った人間が産まれていない──あるいは表舞台に立っていないことにも、この言い回しが廃れてしまった原因があるのかもしれない。

ラーズスヴィズはそのイザベルって人と仲が良かったのかしら。もしかしたら妖精の中でだけ有名な人だったのかも。闇の魔力を持つ私を見て、その人のことを思い出したとか?


「そんでドヴェルグってのは、妖精の一種だよ。陰気臭い闇の妖精さ、奴ら蛆虫から産まれたんだ」

「闇の妖精?」

「手先だけは器用なんだが、岩山ん中から出てきやしねぇ。ラーズスヴィズはその中でも鼻摘みモンだったところを、同じノームのはぐれものだった俺が仕事に誘ったんだよ。他のはともかく人間相手の仕事はしたがらねぇけど、いい腕なんだぜあの爺さん」

「……アルキバが頼むくらいだからそうなんでしょうね。きっと貴方も」


私が呟くと、ニーピングルはわかりやすく機嫌を良くして、小さな胸を張った。


「そりゃ、ノーム以上に鉱石に詳しい奴はいねぇからな!ラーズスヴィズはあぁだけど、お嬢ちゃんなら色々見せてやってもいいな」

「見せる?」

「俺の大事な可愛い子ちゃん達さ」


そう言って、ニーピングルが何もない空間から四方十センチ大ほどのトランクを取り出した。

体に対してかなり大きいが、さすが力持ち、それほど重さは感じていないらしい。テーブルの上で広げると、中には黒く輝く宝石が仕分けられていた。


「闇の石を探してるんだろ?質もラインナップも、王都の宝石店に引けをとらないぜ!力のあるブラックオパール、優しいオブシディアンに冷静なスピネル、真面目なヘマタイト……ちょっとばかし偏屈だが、ブラックダイヤモンドなんかもある!」

「……凄い」


同じ黒い宝石と言っても、その輝きは様々だ。

トランクの中身を覗きこんでいると、ふわりと顔に柔らかい風が当たるような何かを感じた。屋敷でクインズヴェリの石を並べて眺めている時は一度もなかった感覚。──“石に見られている”なんて。

まるで無垢な生き物に四方から見つめられ、品定めされているようだ。石の一つ一つが息づいて私のことを探っている。私が自分を持つに相応しいものであるかどうか、私でなくて、石の方が考えている。


「何か……こうも大勢に見つめられると、恥ずかしいわね」

「ほう!人間で石の息吹を感じられる奴はそういないぞ。お嬢ちゃんは魔法の才能があるんだなぁ」


私が呟くと、ニーピングルが感心したように言う。

それは何気ない一言だったけれど――これまで初歩的な氷魔法もうまく使えず、マンドラゴラの煮汁に頼り、自分の才能のなさを嘆いてきた私には、随分と耳に残る言葉だった。

まさか私が他人から、魔法の才能がある、なんて評価される日が来ようとは。


「……本当にそう思う?」

「そりゃ、アルキバの言ってた森っつうのがどんだけ広いか知らんが、魔物を皆いっぺんに眠らしちまうなんてそうそう出来ることじゃねぇだろ?凄いじゃねぇか!」

「……ニーピングル、私貴方のこと好きだわ」


大真面目な顔でニーピングルの手を取り、勝手に握手すると、彼が何か言う前に、肩に冷たい手が置かれる。

振り返らずとも温度でわかる、この手の主はアルキバだ。顔を上げると、眠たげな目が私のことを見下ろした。


「ラーズスヴィズが……落ち着いたようだ。仕事を……受けると、言っている」

「ほんと!?」

「帰りの魔法を使う……ために、私は少し、この宿の上の部屋で眠る……から、……ニーピングル」

「はいっ!」


私に手を握られたままのニーピングルが背筋を正した。

軍隊かな?どんだけ怖いのだろう。


「ヴァイオレットのことは……任せる。石を選んだら……しばらく……見ていてやってくれ。危険に……巻き込まれないよう……」

「は……はぁ……」


ニーピングルの曖昧な返事を聞くと、アルキバは緩慢な動きで二階へと上がっていった。

……私のことはともかく、店主の許しとか色々得なくていいのだろうか。本当に自由人って感じね。


ニーピングルはアルキバの姿が見えなくなってから、全身から力が抜けたかのように深いため息を吐いた。握った小さな手も手汗が凄い。ハンカチ要る?

私が問いかけるとニーピングルは首を左右に振って、青い顔で私のことを見る。


「……お嬢ちゃん、ただの人間なんだろ?あのアルキバとどんな関係なんだ?随分目をかけられてるみたいだが……」

「……あのアルキバがどのアルキバかわからないけど、館の書庫を貸してもらっているの。たまに話が通じないけど、面白くて良い人よ」


屋敷の書庫、とニーピングルが愕然とした顔で繰り返した。


「無知って怖ぇんだなぁ……」

「?」

「いや、命令されちまったし、あのおっかねぇのが起きてくるまで、俺が面倒見てやるかんな、お嬢ちゃん」

「……ありがとう?」


無知が怖いのは否定しないが。

むしろ、ニーピングルにここまで言わせるアルキバの過去の方が私は気になるんだけど。



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