第1話 死亡フラグその1①


前回のくだりから行くと、唐突に自分の部屋から馬車の中に吹っ飛ばされたような気がしていた私だけれども、まさか現実そんなことがあるわけもなく。



馬車が予約していたレストランに到着し、テーブルに温かい料理が運ばれてくる頃には、ちゃんと自分のこの七年の人生を振り返ることが出来ていた。


「さっきはごめんねソフィア、ちょっと寝ぼけてしまったの」

「そんな、とんでもございませんよ!」


対面で昼食をとりながら、私が小さな声で謝ると、馬車に同乗していた女性──うちのお手伝いさんであるソフィアはひどく驚いたようだ。

それもそのはず、私は貴族家の令嬢で、たとえ七歳だろうと簡単に召使いに謝るようには教育されていない。けどまぁ、さっきのあれは心配かけたし。ついさっき現代日本の価値観を脳みそにぶちこまれた身としては、謝罪せずにはいられないというか。


「さぁ、温かいうちに頂きましょう」


そう言って微笑んでくれるソフィアにニッコリと微笑み返してから、私は脳内で自己分析を始める。


今世の私は、クインズヴェリ家の令嬢、ヴァイオレット・クインズヴェリ。

うん、そこはもう大丈夫、おk、把握した。全然オーケーではないけれども。


前世の記憶は全てが明確に戻ったわけではないようだ。

馬車の中で私が思い出したのは、このユグドラシル王国を舞台にした乙女ゲーム、『ユグドラシル・ハーツ』のヒロイン目線の各攻略対象ごとのざっくりしたストーリーと、私が現代日本を生きる、しがないゲームオタクだったということだけ。

その他のことはわりとぼんやりしていて、どちらかといえばヴァイオレットとして生きてきた七年の方が記憶には色濃く残っている。私にはごくごく自然に“自分がヴァイオレット・クインズヴェリである”という自覚があるし。まぁ全部思い出したりしたら脳みそパンクするかもしれないし、前世の記憶ってのはそんなもんなんだろう。



……しかしまさかヴァイオレットに転生するとは思いもしなかったけど、そもそも前世の私は何故死んだのだろうか。まだ二十代前半だったはずなんだけどなぁ。飲み過ぎ?まさか。弱いって言ったってそこまでじゃなかったはず。

ていうか前世のことはまぁいいとしても、このままだと私、また若い内に死ぬんじゃない?だってヴァイオレットだよ。死にキャラで有名な生存ルートが一個もないあの悪役令嬢だよ。何てこったよ。

寄りによって、前世の自分が「しょっぱい人生」と評した人間として生を受けることになるなんて。因果応報ってこのことですか神様。


深刻な顔で仔牛のローストを口に運ぶ私の顔を見て、向かいに座ったソフィアがまた「お嬢様…?」と不安そうな顔をしている。「お口に合いませんでしたか?」いえいえメッチャ美味しいです。

私は口の中のものを飲み込んで笑顔を作った。


「ごめんなさい、違うの。この後のプレゼントを何にしようか考えていたら、何だかぼうっとしちゃって」

「あら、今年は呪いグッズではないのですか?」


げっほけほけほ。


途端にむせこんだ私にソフィアが慌てて水の入ったグラスを差し出してくれる。ありがとう。



呪いグッズ、はい、そうでした。

去年までの私は大層陰気臭い子供だったので、こうして王都まで自分の誕生日プレゼントを選びに来る際、当然のように魔物の指だの目玉だの人を呪う闇の魔術の原料になるようなものを要求していたのだった。

去年の誕生日プレゼントはトロールの骨髄液だったかな。おい六歳児そんなもん欲しがるな。そして買い与えないでよソフィアも。お金出してるのはうちのパパンだけどさ。


「う……うん、今年は、ちょっと違う系統のものにしようかな…」

「そうですか、そのほうが旦那様も喜ばれると思いますよ」


不思議そうな、でも言葉通り嬉しそうな顔をしたソフィアはそう言って私に微笑みかけてくれた。

さぁどうだろう、娘の誕生日にもお金だけ送ってきて、おめでとうの一言も、手紙すらくれない私のお父様が興味があるとは思えないけどね。



お父様。ヴァイオレットの父親である、我が家のご当主、クインズヴェリ公爵その人。

人に忌避される闇の魔法の適正が高いヴァイオレットを、実の父親であるクインズヴェリ公爵はあんまり愛してくれていない。

まぁ闇の魔法に適正があるって言われたら大抵の人は嫌な顔をするだろうし(だからゲームでもヴァイオレットは人を呪う時以外は氷の魔法を使っていたのだ)、呪いばっかり覚える娘を可愛がれるかって聞かれると私も微妙な気がするから、無理もないことかもしれないけど……生まれると同時に母親も亡くしているヴァイオレットは、使用人からも気味悪がられ、遠巻きにされている。ソフィアみたいに屈託なく接してくれる人のほうが稀有な存在なのだ。


これはこの世界に産まれて、ヴァイオレットとして過ごしてきたこの七年で、初めて理解した“私”のこと。

ゲームだとヒロイン目線でしかストーリーは進まないから知らなかったけれど、実は苦労してたのね、ヴァイオレット。






食事のあと、ソフィアと連れ立って歩く街は非常に華やかで、通りは人で溢れていた。

科学に代わって魔法が発展したこの世界では、生活のあらゆる部分に魔法が溶け込んでいて、今こうして見ているだけでも魔法グッズがたくさん店頭に並んでいる。この辺のお店は流石王都の店なだけあって品揃えも抜群、面白そうなものからキモいものまで勢揃いって感じだ。


「魔法植物の苗を買って育ててもいいし、何か新しい書物を買ってお勉強なさるのもいいかもしれないですね。お嬢様、氷魔法を練習してらっしゃるのでしょう?」

「うん? うん……」


初めて私が呪いグッズ以外のものに興味を示したのが嬉しかったのか、ソフィアが色んなものを私に勧めてくれる。


しかし正直なところ、プレイヤーとしての記憶を取り戻したばかりで、どうすればこの先、破滅ルートを辿らずにすむのかで頭が一杯な私は心ここにあらずだった。

何の因果か、今日この日にヴァイオレットとしての自分の行く末を知ることが出来たのは、ある意味では幸運だったと言えるだろう。

しかし、ヒロインを苛めない、そもそも関わらない道を選んだとしても、果たしてそれだけでちゃんと私は生き残る──幸せに生きることが出来るのだろうか?原作中でちょっと台詞をもらっては死に、立ち絵で登場しては死に、“死にキャラ”として名高かったヴァイオレットのことを思い出す。


七歳の私は、まだアーサー王子と婚約は結んでいない。


けれど、幼少期からの婚約者という設定だったはずだから、近い内にお父様が――たぶんクインズヴェリ家の格を高めるためとか、王家とのパイプを太くしたいとか何とかで――アーサーと歳の近い私を王家に差し出すのだろう。闇の魔法に適正があるってところは隠すとか何とかして。

別に私はヒロインを目の敵にするほどアーサー王子が好きというわけでもないし、婚約破棄とかはこの際どうでもいいけど、そんなことで今生死にたくはない。どうぞ私には構わずお二人でご自由に幸せになってください。

ゲーム本編のヴァイオレットの死にっぷりからして、アーサー以外の攻略対象も恐らくは全員もれなく死亡フラグ。出来ればメインキャラクターの誰とも関わり合いになりたくない。仮にもクインズヴェリ公爵家の娘として魔法学園への入学は避けられないだろうから、せめて教室の隅のいちモブキャラとして無事に卒業を迎えたい。今から存在感を薄くする練習をしとくか。


いずれにせよ、せっかく思わぬ形で未来を知ることが出来たのだから、何とか私の生存フラグを立てないと。

謎に渋い顔のついた林檎のような果実(キモい)とにらめっこしながら考え込んでいると──


背後から、突然、怒号のような声が聞こえてきた。



「──薄汚ぇ獣風情が!」



続けて、べちん、という石畳に柔らかいものが叩きつけられたような音がする。


お嬢様、とソフィアがそっと私を自分のスカートの影に隠したけれど、何が起きているのか気になった私は、背伸びをするようにして通りの向こうを見た。

飲食店の前に大柄な男が立っていて、地べたに這いつくばった、手足の細い子供に怒鳴りつけている。子供の煤けた髪の間からは、人間のそれではない、犬のような獣の耳が生えていた。


「ソフィア、あれって……」

「亜人の子供のようです。半獣人かしら。かわいそうに、何か粗相をしたのね」


──亜人あじん


『ユグハー』の世界には、私やソフィアのような普通の人間の他に、少しだけ人間とは違う姿をした、人型の生き物がいる。

亜人というのは、言ってしまえばそういう、“姿形は人間に似ているけど厳密には人間と違う生き物”全般を指す差別用語だ。エルフなんかもこの亜人に分類されるけれど、あまり面と向かって彼らをそう呼ぶことは推奨されない。失礼だもの。


「そうよね、ぶっちゃけエルフからしたら逆に耳が短い人間のほうが亜エルフだろって感じだものね」

「お嬢様、何のお話ですか?」


ううん、ちょっと思っただけ。

ソフィアがあの子供のことを獣人でなくて半獣人と言ったのは、容姿が限りなく人間に近いからだろう。純血の獣人はどちらかといえばもっと獣に近い姿をしていると本で読んだことがある。

……それにしてもお店の人は物凄い怒りようだけれど、あの子は一体何をしたのかしら。怒鳴りつける男の言い分を聞いてみると、半獣人の子供はつい最近奴隷としてこの店に買われたらしいが、それ以来失敗続きのようだった。


「皿を割ったり料理をこぼしたり…!挙げ句の果てに盗み食いまでしやがって!獣臭くない人間寄りの半獣人だから買ってやったのに、飛んだ買い損だった!」


ははぁなるほど。

店主の言うことが全て本当なら、損をしたという言い分もわからないではない。働き手として雇った者がミスばかりしていてはお店側が損をするっていうのは確かだろう。一時期管理職も経験した身から言わせてもらうと、お給金払ってる以上しっかりやってもらわないと困るわよ、それはそう。


それはまぁ、理屈としてはわかる。わかるんだけども。


店主の暴力から身を守るためだろう、体を小さく丸めて堪える子供を見ていると、流石に「仕方がない」の一言で納得することは出来なくなってきた。この世界の労働環境に関する感覚が、一応は労基なんかで守られている前世現代社会とは大きく異なっているとしても、だ。



流石に、ねぇ。それはちょっとやりすぎじゃない?



実際のところ、この程度のことはこの世界では日常茶飯事である。

あの男が買った亜人はあの男の所有物。他人がその扱いにとやかく口を出す権利はないし、今私が複雑な思いを抱いているのは、現代日本人としての私の記憶が、“私”の精神に影響を来たしているに過ぎない。

だってゲームに登場するヴァイオレットは、悪役令嬢らしく、極普通に亜人を差別していたもの。彼女に限った話ではなく、そういう差別は今後私が行くことになる魔法学園内でも横行しているはずである。それだからこそ差別をしないヒロインの善性とか純粋さが際立つわけで。

「行きましょうお嬢様」とソフィアが嫌なものを見たというような顔をしながら私の肩を押す。優しいソフィアだってそうなのだ。道行く人達も、中には痛ましそうな顔をする人もいるけれど、みんな見ないふりをしている。


そうだ、この世界ではそれが普通。

存在感を薄くするためには、この程度のこと、貴族として流せるようにならないと──



バシン、と殴打の音がした。



「くそったれが、亜人の風俗店に売り飛ばしてやる!」


振り向くと、石畳に這いつくばる子供を男が蹴りつけていた。ギャンッ、という痛々しい悲鳴が響きわたる。

獣耳を男が乱暴に掴んで引きずり起こし、子供が痛みで呻き声を上げた辺りから後のことは、正直あまり覚えていない。


つまりそれが、私の我慢の限界だったということだ。







「チェストーーーーーッ!!」

「ぎゃーーーーー!?」


気づいたら石畳を蹴り、店主の脛に硬いブーツの踵をめり込ませていた。


遠くの方でソフィアが「お嬢様ーっ!?」と悲鳴を上げているのが聞こえる。

ごめんソフィア。何かもう我慢の限界っていうか、見てられなくなっちゃって。というか、これを見て見ぬふりして置いていっいたら間違いなくこの先ずっと今日のことを夢に見る。百円拾ったらすぐさま交番に届けるレベルで小心者なんだから。

七歳児の脚力とはいえ、男女を問わない急所を硬いもので蹴りつけられればそれなりに痛かろう。男は呻き声を上げながら子供を取り落とした。何かを察したのか、本能的なものか、地面に落ちた子供がさっと私の背後に隠れる。


「いてっ、いっ、何だお前は!?」

「何だチミはってか!!!」

「??????」


あダメだこのギャグこの世界じゃ伝わらないや。


私は諦めて偉そうに腕を組むと、たぶん七歳にはとても見えないであろう高慢ちきな笑みを浮かべた。

お貴族様特有の整った顔立ちに映えるヤツ。虚勢を張ったとも言う。


「私はヴァイオレット・クインズヴェリよ!」


ふん、と鼻を鳴らし、胸をそらしながら、二メートルはありそうな男を気持ちだけで見下ろす。

やっべ怖ェー。殴られたらどうしよう。心境はまさに生まれたての子鹿だが、自分から喧嘩を売っといて泣くような無様な真似は出来ない。そこはほら、この世界では私も一応貴族の生まれなので。……貴族関係あるかな?まぁいい、とにかく虚勢は最後まで張り通してこそだ。


「さっきから子供相手に見苦しいのよ!罰と言うならもう十分でしょう?」

「な……何だこのガキ……!?」

「お……お嬢様、いきなり何を……!?」


慌てふためいたソフィアが駆けてくる。

私はふんぞり返ったまま、高らかに告げた。勢いだろうが何だろうが、一度首を突っ込んだ以上、この子の手が私のスカートの裾を握って離さない限り、私はここに立ち続けなければいけない。

異世界だろうが関係ない。それはもう、そういうもんだ。


「ソフィア、私この子にするわ」

「はい?」


私は飛びっきり子供らしく、それこそ我が儘な貴族令嬢そのものに見えるような笑みを浮かべた。

そして、突然のことに理解が追いついていない様子の大人二人に向けて言い放つ。


「誕生日プレゼントはこの子がいい!」



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