閑話 吸血鬼と狼の子


ヴァイオレットをニーピングルに任せ、『土塊と岩窟亭』の二階の部屋で眠りについてからしばらく。

目蓋を開けると、室内に複数の生き物の気配を感じた。



「…………?」



ソファに横たわったまま首だけを動かし、空き部屋だったはずの室内を見渡すと、部屋の北側に位置するベッドでヴァイオレットが寝息を立てているのが見える。

一階の酒場に残してきたはずなのに何故──と思った矢先、ベッドとは別の方向から、「目が覚めましたか、アルキバ」と楽器の音色のような女の声が聞こえてきた。


聞き覚えのあるそれにゆっくりと首を巡らす。

声の主はすぐに見つかった。部屋の入り口付近に置かれた椅子に座るエルフの女は、数百年前と変わらぬ琥珀色の瞳でこちらを見つめている。


「……サリュミエル」


随分と懐かしい顔だった。






名を呼ばれたエルフの女は、何かを記していた手帳を閉じ、真っ直ぐに私の方を見やった。


「……死んではいないと思っていましたが、まさかまだ人間の血を飲まないでいるとは思いませんでした。強情っぱりですね、貴方も」

「………………いや。屍も同然だ……私は」



人の血を飲まぬと誓いを立ててから、幾百年の年月が経っただろう。

今この肉体は全盛期のそれとは程遠く、魔法を使えば抗いがたい睡魔に襲われる。


ヴァイオレットのおかげで、このところはマンドラゴラの煮汁を安定的に摂取できているが、それより以前は数十年に一度、トロールやホブゴブリン、テオドラが手に入れてきた何らかの魔物の血液を飲むことで命を繋いでいた。

もともと人間の血しか飲めない吸血鬼にとって、魔物の血はマンドラゴラの比ではなく不味いし、取り入れたところで大した栄養にもならない。

だが、だからと言って拒否すれば体は弱っていく一方だ。そうなればテオドラが悲しむ。


いい加減、ひたすら眠ることで悠久の時間を潰すのも飽きた。

いつ飢え死にしたところで構いはしないのだが、中途半端に半死半生の状態で生き続けているのは、こんな老いぼれに尽くす従者の健気さがいじらしく、死にきれずにいるというだけだった。


「お前こそ……この街に……いや、この国にいるとも……思わなかったが」

「星の導きがあったのです」


サリュミエルは静かに呟く。

琥珀の瞳は、眠るヴァイオレットを見つめていた。相変わらずわけのわからないことを言う奴だと思ったが、占星術師──エルフの星読みは、この世界にとっての僥倖や災厄についての様々な予言をもたらすという意味で、他種族にとってとても無視はできない存在である。

あの子供にまつわる星の導きがあったということは、この女は、ヴァイオレットに絡んだ予言を辿ってここに現れたのだろう。星読みは読まれる方も大量の魔力を消費するから、ヴァイオレットが眠っているのは恐らくこの女の占星術のせいだ。


……しかし、よく知りもしない相手の魔法に自らかかりに行くとは。

好奇心は猫をも殺すと言うが、この子供は好奇心が勝ってか、危機管理能力的に危うい部分が少しある。だからこそあの妖精を置いていったというのに。


「……ニーピングル」

「そう睨まないでくれ、俺は止めたんだよ!」


名前を呼ぶと、ポンッという軽快な音と共に妖精ノームがベッドサイドのデスク上に姿を現した。

嘘をつく時、決して悪びれないのが妖精という種族だ。眠るヴァイオレットへ送る奴のばつが悪そうな視線を見る限り、下手な嘘はついていないらしい。ご苦労だったと労うと、この部屋にいたくないらしい妖精はまたすぐに姿を消した。


「……数奇なものです」


ふと呟いて、サリュミエルが膝上の手帳に指先を滑らせる。


「私のもとに“彼女”が、そして貴方のもとにヴァイオレットがいること。彼女がこの世に誕生した瞬間から祝福されているように、ヴァイオレットが産まれながらに呪われていること……」

「……………」

「気づいていたのでしょう?この人間の子供……ヴァイオレットに強力な死の呪いがかけられていることには」


それは、口振りばかりは問いかけめいた確認だった。



サリュミエルの言う通り、ヴァイオレットにたちの悪いものが憑いていることは、初めて見たときからわかっていた。


魂に染みついた黒い影。

詳細はわからなかったが、それがこの女の言う“死の呪い”なのだろう。闇の魔術の類いであれば私にどうにか出来ないはずはないから、ヴァイオレットを死に導く力は、呪いと言うより、もっと大きな力を持ったものだ。

それこそ、運命とでも言えばいいのだろうか。


「読んだ内容は……伝えたのか?」

「ええ。というよりも、ヴァイオレットは初めから知っていたようです」


知っていた。

死が待ち受ける自分の運命を、ということか。

サリュミエルは、ヴァイオレットの死と、その時期についての予言を告げた。少女自身がそれを聞いて青ざめはすれど、不思議と驚いたようではなかったことも。


「あの子が驚かなかった、と聞いても、あまり驚きませんね?」

「……不思議なところのある、子供だ。そうであっても……おかしくはないと思わせるような……」


貴族の子供にしては妙に柔軟な価値観も、心を許しているように見える従者の半獣人に対してすら、どこか壁を作っているように見えるのも。

奇妙な子供だと思っていたが、それらが全て、やがて訪れる自身の死を知っているからこそ生じる違和感だとすれば、むしろ納得が行く。



軋むソファから身を起こし、ヴァイオレットの眠るベッドに歩み寄る。


すやすやと眠る子供はまだ十歳になったばかりだという。

不老不死である吸血鬼の基準で考えずとも、まだまだ未熟で幼い命だった。闇の魔術の才能があることにくわえ、テオドラの友人になってくれたことを考えても、あまり死なせたくはないが。


「それでは、この子供は……早すぎる死を、受け入れている……のか?」


運命のもとの死を本人が受け入れているならば、他人が口出しできることは何もない。

そもそも死によって影響を受けるのは本人ではなく周りの他者であり、その本質を知るものにとって、“自らの死”はそれほど恐れるものではないのだ。死は穏やかな眠りと等しく、いつか来る友人である。自ら会いに行くものではないが、躍起になって遠ざけようとするものでもない。


視線をやると、サリュミエルが静かに首を振った。


「そういうわけではないでしょう。少なくとも、凶星を回避しようという意思はあるようです」

「……そうか」


ヴァイオレット本人に来たる死を回避しようという意思があるのなら、まだ運命は決まらない。

周囲に言い触らすものではないと判断しているのは賢い。だが、せめて一人でも注意深く、信用のおける者を──例えばあの半獣人の少年にヴァイオレットの運命を伝えることが出来れば、この先、少女が生き残れる可能性は高くなるだろう。


ふと、眠る彼女の枕元に光るものが置かれていることに気づく。


それはラーズスヴィズに頼んだ魔導装飾だった。

細い鎖を通されたブラックオニキスのペンダント。流石、闇の魔力を持つ細工物には一家言あるドヴェルグの仕事だけあって、王都の職人にも引けをとらない上質な出来になっている。

イザベルとの思い出をあれだけ懐かしんでいたくせ、彼女を連想させるヴァイオレットと言葉を交わさないまま、出来上がったものだけを置いていく辺りが偏屈なあの妖精らしい。


「行くのですか」


ペンダントを首にかけさせ、ヴァイオレットを抱き上げると、サリュミエルが呟くように呼び掛けてきた。

一眠りして、問題なく飛べるくらいの魔力は回復した。ヴァイオレットの魔導装飾も手に入れたし、これ以上このやかましい場所に留まる理由はない。サリュミエルが立ち上がって私に一歩近づこうとし、思い直してその場に留まる。


「アルキバ。貴方にもまた、幸運があることを祈っています」

「……必要ない」


祝詞を断ると、サリュミエルはほんの僅か、哀れむような顔つきになった。“飛ぶ”ための魔法を発動すると、外套の黒に女の悲しげな顔は隠れて、そのままかき消える。


(……幸運など──)


そんなものは、未来ある命に与えるべきものだ。









「ヴァイオレット様!」


クインズヴェリ邸の一室に狙って現れると、部屋にいたヴァイオレットの従者──トーマという名の狼の半獣人が駆け寄ってきた。


突然現れた私とヴァイオレットの姿に、トーマの後ろで金色の髪の少年が驚いている。

どこかで見たようなその面影に目を細めて、なるほど、ユグドラシル王家の人間かと納得した。そういえばヴァイオレットは王家の人間の許嫁だと言っていたな。


「アルキバ、ヴァイオレットに何が?」

「……魔力の使いすぎで……眠っているだけだ」

「魔力の?ヴァイオレットが魔法を使ったの?」


トーマが身を乗り出して腕の中のヴァイオレットを覗き込む。主人の身を案じているのだろうが、きゃんきゃんと仔犬のようにうるさい。

だが、ヴァイオレットのような人間にはこの口煩さが必要なのだろう。危険に巻き込まれる人間の側には、本人以上に危険に目敏い人間がいてやらなければ。


「貴方が、ヴァイオレットの親戚の……?」

「……親戚?」

「あーっ、アーサー、そう、ヴァイオレットのその、お母上のお姉様の従兄弟の大叔父の……」


ギョッとしたトーマが必死に言い募る。


私とヴァイオレットは縁戚関係にはないはずだが。

しかし、吸血鬼と親交があるとなれば人間の社会では問題にもなろう。私の存在について適当に言い訳をしているのであれば、口裏を合わせることも必要か。


「アルキバだ」


一先ず名を名乗るに留めておくと、アーサーというらしい王族の子供はそれ以上突っ込んでは来なかった。

私に対して礼儀正しく挨拶をしながら、小さな頭で色々と考えているらしい。突然現れた黒衣の男の正体に納得はしていないようだが、何かしら事情があると見てあえて踏み込まないことを選んだとすれは、こちらも中々見所が――というよりも、ヴァイオレットの事情を考慮できる賢しさがあると言うべきか。


「トーマ。……お前に話がある。内密の」

「内密の……?」

「お前を……ここから、拐ってもいいが」


話を持ちかけると、トーマは、ちら、とアーサーの方を見た。

視線を送られたアーサーの方も、その意図を察してか、困ったように肩をすくめて笑ってみせる。


「それじゃあ僕はソフィアさんを捜してくるね。ヴァイオレットが戻ってきたなら伝えておいた方がいいだろうし」

「……ご、ごめん、アーサー。それから、アルキバのことは」

「オーケー、わかった、見なかったことにしとく。叔父さんでも又従兄弟でも、ヴァイオレットが無事帰ってきたんだから僕は構わないよ。十分くらいで戻ってくるから」


そう言って随分と物分りよく出ていった王子は、部屋を出る瞬間、見定めるような目で私を見た。

一瞬だったが、暖かい翠の光の中の底冷えするような視線は、彼の祖であるあの男によく似ている。見ただけでは吸血鬼であることまではわからないだろうが、私の魔力の強さにも勘づいているようだし、素質のある王子なのだろう。



「……さて」



これで部屋には眠るヴァイオレットとトーマ、私の三人だけになった。


「どうして急に魔導装飾なんて……ヴァイオレットと二人で亜人街なんて、わざわざ危険なところに」

「それについての詳しいことは……お前の主が起きてから、訊ねるといい」


ソファで眠るヴァイオレットに寄り添い、眉をひそめているトーマの言葉を遮る。

眠りを挟んではいるが、一日で二度、次元魔法を使って私も限界が来ている。無駄話をしている暇はない。


トーマの赤い瞳が、私を見る。



「……人と狼の子よ、お前は、主人に来たる運命を噛み砕く牙足り得るか?」



このままでは、お前の主人はいずれ死ぬ。



サリュミエルから伝えられた、ヴァイオレットの未来にまつわる断片的な情報。

やがて死すべき未来と、それが十五歳の年の終わりにやってくるであろうこと。少女の身に訪れる危険は、その周りの人間にすら牙を向くかもしれないこと。

それでも、全てを伝えてなお、主人を守る番犬となる道をこの少年は選ぶだろうか。狼の獣人は忠誠心に篤いと聞くが、命の危険に身をさらすことが出来るほどの主人であるとヴァイオレットが認められているのかもわからない。この子供が心からその道を選ぶと言うなら、協力してやれないこともないのだが。


突然の問いかけに戸惑うような表情を見せたトーマは、それでも、すぐに凛々しい顔になって首肯した。


「僕はヴァイオレットに命を救われました。だからこの人を、たとえ相手が何だろうとお守りすると誓っています」

「……その敵が、凶悪であってもか」

「はい」

「それでは、その敵が……善良であっても?」

「はい」

「逆らいがたい運命そのものであっても?」


黒い犬耳がピンと立つ。

側で眠る少女を起こさぬよう小声で、しかし少年は、いっそ誇らしげに宣言した。


「いつ何時も──あるゆるものからです」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪役令嬢に転生したけど死亡フラグが多すぎて絶望したので誰も近寄らないでください。 紺野司 @konno-T

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ