第10話 魔導装飾




アルタベリーの町に爽やかな春の風が吹く。

季節は巡り、年月は往く。私が王都でトーマを拾い、アーサーの婚約者兼ペンフレンドとなって、早いものでもう三年。


「お嬢様ーーーッ!!」


今日もまた、町外れにあるクインズヴェリの屋敷には、ソフィアの勇ましい怒声が響き渡る。










キッチンの床、マットの上で正座させられる私とトーマ。

その正面に立ち、わなわなと震えるソフィアの優しげな顔は、今日も今日とて怒りに歪んでいる。


「も……もう十歳になられたというのに……お嬢様、ソフィアはお嬢様に淑女足るものこうあるべきと、貴族令嬢としての嗜みというものを、私なりにお伝えさせていただいてきたつもりでございます……!」

「そうねソフィア。貴方のおかげで私はいつも本当に助かっているわ」


神妙な顔で頷く私を、ソフィアがカッと鋭い眼光を光らせて一喝する。


「それならば何故、庭の樹にドレスのまま登ろうなどとお思いになったのですか!?」

「それはこの子に聞いてくれないと……」


私の腕の中で「ニャー」と猫が一鳴きした。

首の下をかいてやるとゴロゴロ喉を鳴らす様は、朝から人に一仕事させてくれたとは思えない図太さを醸し出している。おーかわいい。野良猫のくせに運動神経が悪いなんて、困った子ね。


「降りられなくなった猫がいたからと言って、ご自分で樹によじ登ったりする貴族の令嬢がいますか!いつも言っておりますが、人を呼べばよいでしょう、トーマは何をしていたんです!?」

「……すみません、ソフィア。僕がもっと……」

「トーマは怒らないであげて、私が自分が行くって言ったのよ」


獣人のトーマが行っては猫を怖がらせてしまうかもしれないと思い、渋るトーマを置いて勝手に樹によじ登ったのは私だ。

木登りなんてしたことがなかったから、案の定猫を捕まえてから落ちてしまったけれど、そんな私をトーマは猫ごとしっかり受け止めてくれたし。逞しくなったわねトーマ。 伸びたといってもまだまだ小さかった背丈はずいぶん前に私を追い越してしまって、お姉さんは嬉しい半分寂しい半分よ。


「トーマがいなかったら、猫はともかく、私は首の骨を折ってたかもしれないわ。ありがとう」

「お嬢様をお守りするのが、僕の役目ですから」

「ええ、ええ、それは結構なことですけれどもね、お守りする前に、もう少しお嬢様の無鉄砲も制御していただけますと助かりますよ、トーマ!」

「すみません……」

「もういいじゃないの、無事だったんだから」

「よくありません!」


人間の大声にウンザリしたのか、抱かれているのに飽きたのか、猫がするりと軟体動物のように私の腕から抜け出して逃げていく。

振り向きもせず勝手口の隙間から外に出ていく様はいっそ笑えるほどに堂々としていた。見習いたいわ、あのふてぶてしさ。


「……とにかく、もう二度と庭の樹に登ったりなさらないとソフィアと約束してください!」

「えぇ、ソフィア。もう登らないわ」


そこに猫がいなくて、仮にいたとしても、私以外の人が何とかしてくれそうなら。

後半部分だけは胸中で呟き、ニッコリ笑って微笑むと、ソフィアはとりあえず落ち着きを取り戻したようだった。


「……よろしいでしょう」


これでやっと本題に入れると、こほん、と喉やら気持ちやらを整えて、私とトーマの正座の罰を解除してくれる。

心配してくれるのはありがたいけれど、私だって自分から望んで出来もしない木登りにチャレンジしたわけじゃない。そもそも猫が困ってなきゃ登らなかったんだから、不可抗力よ不可抗力。お説教が思ったより早く済んでよかった。


「……本日はローウェン先生がいらっしゃる日です、お嬢様、魔導装飾用の石はもうお選びになったのですか?」

「ううん、まだ」

「まぁ!何故です?あれだけ楽しみにしていらしたのに!」

「何故と言われても……」

「……“魔導装飾”?」


聞きなれない言葉だったのだろう、思わず、といった感じでトーマが首を捻る。


「トーマは見たことない?」


訊ねると、トーマはふるふると首を横に振った。

まぁ、大体がとんでもなく高価な代物だし、そもそも魔法を必要としない獣人にはあまり縁のないものではあるから、知らなくても無理はないけど。



──“魔導装飾”、とは。



「ある一定のレベル以上の魔法技術を持った人間が使う、魔法をサポートする装飾品のことよ」


私はトーマに頼んで自分の部屋から木箱を取ってきてもらうと、キッチンのテーブルの上に木箱の中の装飾品を並べた。

銀細工のネックレスやイヤリングに加工されたアウイナイト──美しい瑠璃色の藍宝石が、ソフィアが作った家庭的なランチョンマットの上で静かに煌めいている。


「お嬢様、こんなところでお出しになっては…」

「誰も盗んだりしないわよ、みんな私を怒らせたらマンドラゴラの肥料にされるって思ってるんだから」


十歳になっても、ソフィアやトーマ以外の使用人からの私の評価は相変わらずである。

神に誓って苛めたりはしてないのだけれど、暇さえあればキッチンでマンドラゴラを煮たり、肥料と称してマンドラゴラ畑にトマトジュースを撒いてるのが問題らしい。私が庭に血を撒いていると勘違いした新米のメイドが悪夢に魘されたとか。

失礼しちゃうわホント。マンドラゴラは個体によって成長の元となる好物が異なるから、うちの庭に生える子達がやたらとトマト好きなのは別に私のせいじゃないってのに。むしろ私自身はトマトの山に突っ込んでから苦手よトマトジュースは。


「ヴァイオレット様?」

「ああゴメン、説明の途中だったわね」


首をかしげるトーマの頭を撫でると、トーマは少し気恥ずかしそうに目を伏せた。

男の子のプライドみたいなものが芽生え始めているのか、この頃は七歳の時みたいに素直に嬉しそうにはしてくれなくなってきたけど、相変わらず尻尾はしっかり揺れていてかわいい。



「んーと、一部の鉱石が魔法道具の材料として使われるのはトーマも知ってるわよね?」

「はい、僕が見たことがあるのは、町の工場にあるようなものばかりですが」

「衣服を縫ったり、文字を印刷するための魔法道具ですね。ああいったものは核となる屑鉄や銅に魔力を溜め込むことで稼働していて、定期的に魔力の充填が必要となるのです」



ソフィアが説明を引き継いでくれた。

この世界は科学技術というものがあまり発展しておらず、人々の生活はかなり魔法の力に依存している。

安価な鉱石が動力源──現代日本で言うバッテリーのような形で使われる一方で、日常的に魔力を使うことになる私達貴族、魔法医学に携わったり、魔法騎士の称号を得て戦ったり、魔法研究者になる可能性を持った私達が、ある一定のレベルの魔法を扱えるようになると身に付けるよう推奨されるもの、それが高価な宝石を使用した“魔導装飾”の品々だ。



「こういうお高い宝石はね、ちょっと難しい魔法を使う時に魔導師の手助けをしてくれるの」



高難易度の魔法や、使いなれていない魔法を使う場合、指向性を持たせたり、効率よく、かつイメージ通りに魔力を具現化する補佐をしてくれる……とでも言えばいいのか。

人間の体に蓄えられた魔力量はたかが知れているから、相性のいい鉱石を身に付けることは貴族間ではごく普通のことだ。



「サポートアイテム……うーん、魔法使いの杖みたいなものって説明が出来れば楽なんだけど……」

「杖?ですか?」

「使わないのよねー、こっちのいわゆる“魔法使い”はさぁ」

「????」



ソフィアとトーマが二人して不思議そうな顔をする。

ついでに言うと『ユグハー』では箒に乗って空を飛んだりもしない。元が日本のゲームだからか、どっちかというと額に傷がある生き残った男の子の話より『ドラ○エ』とか『ファイ○ルファ○タジー』に近いのだ、魔法的な世界観が。


「要はこれがあると魔法がうんと使いやすくなるってことよ。しっかり身につけて訓練すれば、私でも氷の槍くらいは撃てるようになるかも」

「ローウェン先生からやっと魔導装飾を身につけるお許しが出た時はあんなに喜んでいらしたのに、何故迷っていらっしゃるのですか?意匠が気に入らないようなら、細工師に言って作り替えさせますが」

「うーん、デザインっていうか……」


怪訝な顔のソフィアに言われて、机にずらりと並んだ鮮やかな瑠璃色の宝石達を眺める。

ローウェン先生との授業は、そもそもが素質のない氷魔法のレッスンだ。魔導装飾をつけるレベルの魔法が使えるところに来るまでも本当に大変だったから、こうして、我が家伝統の石の力が借りられるのはありがたいんだけど。



「でもねぇ……そもそも石がねぇ……どうしたっても『氷』一辺倒なのよね~~」



顎に手を当てて悩む私の発言を聞いて、ソフィアが絶句する。

と思ったら、直ぐさま息を吹き返して叫んだ。



「あっ……当たり前です!クインズヴェリ家は代々氷の魔法を司ってきた家門!お嬢様が氷魔法に適したアウイナイトの魔導装飾を、お母様も使われたこれらの品々を身につけるのは、当然の──」

「いやわかってる、わかってるのよ~ソフィア」



『闇』なんて表だって使えない魔法属性を持ってる以上、私もそれが当然と思ってきたんだけど。

でもね、王都でアーサーを救出するために初めて呪いを使った三年前──あの時からコッソリ、氷魔法の特訓と平行して、こむら返りの呪い、さかむけの呪い、突き指の呪いなんかの練習をしてきた身としては、生まれ持った属性の魔法の使いやすさっていうのがこう、すっごく捨てがたかったりもするのよね。

この手の発想は私に現代日本人としての記憶があるからこそ生まれるのだろう。ゲームで見た“ヴァイオレット”の性格なら闇の魔法の素養なんて、隠すべき恥としか捉えていなかったような気がするし、たぶんこの世界に生まれた人間として、その感覚は間違いじゃないから。


青い顔のソフィアがごくりと唾をのんだ。


「お……お嬢様、まさか、闇属性の魔導装飾をお求めになるおつもりで……?」

「いや、うーん、結局ね、覚えても大っぴらに使えないなら、闇魔法を覚える意味ってないなぁとも思うんだけどね、うん」

「……氷と闇のための石を、どちらも身につけては駄目なのですか?」



トーマの赤い瞳が不思議そうに私を見る。

そこに気づくとは賢い子ね。でも、それは不可能だ。



「魔導装飾を身につけるっていうのは石との契約なのよ」

「契約?」

「そーそー。人間で言う婚約みたいなものね。だから、一人の人間が“魔導装飾”として身につけられる石は、少なくともその石が生きている間は、契約を結んだその石だけなの。長く身につければつけるほど効力は高まるから、貴族の子なら、私くらいの年で代々家に伝わってきたものを譲られるって子が多いわ」



つまり、これも一種のマギカメイアへの入学準備というわけだ。

そういえば先月辺りにアーサーから貰った手紙だと、彼は十歳の誕生日に王家に伝わるアレキサンドライトのピアスを開けることになっているのだとか。

やっぱりすごい盛大な儀式みたいな感じになるのかしら。どうでもいいけどピアスってめっちゃ痛そうよね。『耳たぶを労ってください』と返事に書いたら、『心配なのは耳たぶだけ?』と返ってきたのは置いといて。



「お嬢様がお求めになったとしても、『闇』の石などお父様がお許しになるはずが……」

「…………バレないように何とかならないかしら?」

「お嬢様ッッ!!」



私が首をかしげると、ソフィアがまた怒った。

冗談よ、冗談。そんな高価なもの、流石にお父様のお許しなしには買えないし、そもそも闇の魔導装飾なんてどこで用意してもらえるのかも定かじゃないもの。普通の宝石店にはまず置いてないだろうから、それこそちょっとヤバめの商売してる人を探すしかないかもしれないし。


じ、と机に並んだ瑠璃色の宝石を見下ろす。

結局私は、この内のいずれかを身につけてマギカメイアの門を潜ることになるのだろうけど、今はまだやはり、どうにも想像がつかないというか。

ヒロインは平民だから、入学当初は魔導装飾を持っていなかったはずだ。確か、マギカメイアに入学して暫くしてから、アーサーにブレスレットを贈られるイベントがあったはずだけど──


……『ユグハー』のヴァイオレットは、この内のどれを身につけていたんだったっけ?

それと同じものを選ぶべき?でも結局どれも同じ我が家に伝わる石なんだから、どれを選んだとしても……



「ヴァイオレット様……?」

「……やっぱり、まだもうちょっと時間をかけて選ぶことにするわ」



トーマが心配そうに私を覗きこんでいる。

この石を選ぶべきなのかどうか──引いては、この選択は果たして、私の生存確率に関わってくるのか否か。

よくよく考えて見定めなければならない。何故なら私はこの屋敷を旅立てば、ちょっと歩けば死亡フラグにぶち当たる女と言っても過言ではない存在になるのだから。


私はトーマにちょっとだけ微笑みかけてから、机の上の装飾品を全て丁寧に空の木箱に納めて、パタン、と蓋を閉じた。





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