第2話 死亡フラグその1②


ソフィアには「買うなら普通の動物にしましょう」とか「猫や子犬はいかがですか、お嬢様お好きでしょう」とか様々な手で説得されたけれど、私は頑としてこの子供を引き取ることを譲らなかった。

子供もここが自分の運命の分かれ道だとしっかりわかっているのか、ずっと私にしがみついていたし。


やがて根負けしたソフィアが男に支払いを申し出ると、男は私が身分のある家の娘であることを察して逆に恐怖心を抱いたらしい。子供を買う時に支払ったのと同じだけの金額を払うことで、取引に応じてくれた。

半獣人の子供一人程度の値段なら、わざわざお父様へお伺いを立てなくとも、私への誕生日プレゼントの値段として十分ソフィアにも扱える。四歳の時にねだったホブゴブリンの爪は高額すぎてお父様に一筆したためる必要があったからね。そんなもん欲しがんなや四歳の私。


ソフィアがさらさらと小切手に記名している間、私は私にしがみついたまま、石畳にうずくまっている子供に声をかけた。

あちこち擦り傷だらけで痛々しいけれど、傷が痛むというより、怒濤の展開についていけていないらしく呆然としている。無理もないけど。


「大丈夫よ、怖いことは何にもないわ。私のお家に帰って、お風呂に入って、怪我の手当てをして、一緒にご飯を食べましょう。嫌いなものはあって?」


努めて落ち着いた声音で問いかけると、子供はゆっくり振り向いて私の顔を見た。

質問に答えてはくれなかったけれど、色素の薄い髪から覗く犬のような黒耳が、私の声を聞き取るみたいにぴくぴくと微かに動いている。話はちゃんと聞いているらしい。

手続きを終えて戻ってきたソフィアが、店主から受け取ったらしいリードつきの首輪を子供につけようとするので、私はビックリ仰天した。優しい彼女が平然とそんなものを持っていること自体に耐えられない。ファンタジー世界の倫理観怖い。


「いらないわそんなもの、この子私のスカートをしっかり掴んでいるもの、はぐれやしないわよ」

「お嬢様、これははぐれないようにするためではなくて、逃げ出さないようにするための……」

「いーらーなーいってば」


人間の形をしたものに首輪をつけて歩くなんて、悪趣味すぎて私のほうが無理だ。

この子だって逃げ出したところで行き場がないことくらいわかっているだろう。最悪さっきの男のところに逆戻りさせられる可能性だってあるんだから、ちゃんとついてきてくれるはずだと思った。


「大丈夫よね?」


振り返って確認すると、子供はこくりと頷いた。







「…まったくお嬢様ったら、いくら亜人の子供といっても、ただ犬や猫を買うのとは話が違うのですよ? お父様も獣人はあまり好まれませんのに……」

「お父様はどうせ屋敷には来ないんだから大丈夫よ」

「ですが……」


馬車に戻った後。

クドクド言うソフィアの小言を聞き流しながら、私は馬車に乗らずに戸惑っている子供に向かって、自分の隣に来るようにと座席のシートをぽんぽんと叩いた。

子供は躊躇いがちに馬車に乗り込むと、きょろきょろと中の様子を窺いながら、恐る恐る、といった感じで私の隣に腰かける。くんくんと鼻を鳴らす仕草が犬っぽい。犬の半獣人なのだろうか。

座席の柔らかさが落ち着かないのか警戒しているのか、身の置き場がないような仕草で縮こまっている。ふーむ、これはこれで何だかかわいそうね。


「私の隣は落ち着かない? 貴方の楽なようにしていいわ」


警戒心いっぱいの子犬に語りかけるようなつもりで、何なら私の膝の上に来ても……と言おうとしたけど、おっと私は七歳児。いくら目の前の子供が痩せこけていても膝に乗せたら絵面が面白いことになってしまう。

好きにしていいと言われた子供は、伸びきった前髪の隙間からおずおずと私の顔色をうかがって、そろそろと私の足元へ踞った。馬車の座席の間、俗に床と呼ばれる場所へ。そう来たか。まぁ良いでしょう、地ベタリアンも嫌いじゃなくってよ私は。


「よっこいしょ」


私が一緒になって床に腰を下ろすと、跳ねるように立ち上がったソフィアが驚愕の悲鳴を上げた。

「お嬢様がそんな……ドレスが汚れてしまいます!」とか何とか金切り声をあげるので、子供の獣耳が物凄いぴくぴく動いている。ちょっとかわいいけど、たぶんうるさいってことなんだろうな。


「ソフィア、いいから、しー」

「今日は一体どうなさってしまわれたんですか…?」

「私は産まれたときからずっとこの私よ」


これまでの陰気臭かった私も日本人時代の記憶がなかっただけで、別人格ではなく、ちゃんと今のこの“私”だ。今までの方がある意味猫を被っていたと思ってもらったらいい。

ゆっくりと馬車が動き出す。疲れはてたというようにへなへなと座り込んだソフィアは置いといて、私は子供に向き直る。


「ねぇ、物を買うように連れてきてしまってごめんなさいね。家族はいるの?」

「…いない」


細いけれどしゃがれた声だった。

久しぶりに話をしたというような声で、自分でも気になったのか、子供は喉の調子を整えてから、もう一度「いない」と今度はさっきよりもハッキリ答えた。

そっか、それじゃまぁ、連れて帰るのはこの子一人で問題ないわね。私は一人で納得して頷く。家族がいるなら無理に引き離すのは良くないかと思ったけれど、手を回す必要はなさそうだ。


「貴方の名前は?私はヴァイオレットよ、さっきも言ったけど」

「名前……」


訊ねると、子供はぼんやりとした口調で呟く。

少し考えたあと、何か古い記憶を思い出すような顔で、


「トーマ」


と小さな、掠れた声で呟いた。


「そっかトーマか!トーマ……


トーマ……



…………トーマ!?」



ぎょっとして声を張り上げた私に驚いてか、トーマのふさふさの尻尾がボボボ、という感じで膨らむ。ゴメン。

しかし私が驚いたのにも理由がある。


「ご……ごめん、ホントにごめんけど、ちょっと貴方の顔、見せてもらってもいい……?」

「? いい、けど」


許可をもらい、ゆっくりとトーマの伸び放題の前髪を上げる。

きゅっと目をつむった彼が目を開くと、ルビーのような紅い瞳と目があった。幼いながらに整った顔立ちには、確かに私の知っている人物の面影があるし、銀色の髪に、黒い犬の……否、狼の耳も原作通り。そしてトーマという名前。


間違いない。

この子、ヒロインの攻略対象の1人、獣人族のトーマだ。



――ピシャーン、と、雷鳴の音が脳裏に響いた。



(い……いきなりエンカウントか~~~~い!!)



それも『ユグハー』の三大人気キャラクターの一角。


トーマは本来、王子であるアーサーの従者で、性格は主人に従順な忠犬タイプのキャラクターだ。

アーサーの命令でヒロインを守ったりしているうちに、獣人だからといって差別をしない純粋な心を持ったヒロインと恋仲になっていく……という、彼のルートはそれはもう、涙無しにはエンディングが見られないストーリー展開となっている。

ちなみにトーマルートだと私ことヴァイオレットはヒロインに危害を加えたことで彼の怒りを買い、獣人本来の力を発揮した彼に噛み殺されます。仮にもヒロインと同じうら若き乙女だというのに、殺され方がエグすぎる。


……そういえば子供の頃は奴隷の身分だったけど、そこをアーサーに救われたとか何とかいうエピソードもあったような。

しまったな、あんまりちゃんと覚えてなかったや。極力メインキャラと関わり合いにならずに生きていこうと決めた矢先から何やってんの私。完全にミスった。でもあそこで見て見ぬフリをするのはさぁ、それはそれで人間としてさぁ、問題があるじゃないですか!?違うんですか神様!?

一人で頭を抱え、半ギレで神を呪いながら身悶える私を黙って眺めていたトーマが、不思議そうに首をかしげる。そーよね、変な奴に見えるヨネー。


「…あの」

「う……ううん、その、い……衣食住は私が保証するわ、うちで使用人として働いてくれるなら……」


私が苦しみながら絞り出した言葉に、トーマが目を見開いた。


「…いいの?」

「勿論よ……」


いやていうか正直ゴメン。

王子様の従者っていう出世ルートを私みたいなぽっと出の悪役令嬢が潰しちゃってゴメン。これほんとのこと言ったらそれこそ今すぐ噛み殺されるんじゃないの私。「貴方は本当はこれから王子様の従者になる予定で……」とか言ったらただの頭のおかしい奴だけど。

突然の私の申し出にトーマ以上にソフィアが驚いているけど、このくらいの保証はむしろさせてほしい。お願いだから噛み殺さないで今現在も将来的にも。


「お嬢様、いきなり何を仰るのですか!?奴隷の獣人なんて、お屋敷に入れるだけでも……!」

「違うのソフィア、彼のこれからのキャリアと生涯賃金との差を考えると私はむしろこれくらいはして当然なのよ……!!」

「????? ど、どういう……?」


混乱を極めた表情のソフィアに詳しい事情を説明するわけにもいかず、とにかくご飯だけは食べさせてあげるからね、と私は半泣きでトーマを抱きしめて頭を撫でた。恨まないでくれという一心である。



……かくして私の悪役令嬢ライフは、死亡フラグその1と早速エンカウントを果たしたばかりか、まさかの身内に引き入れてしまうという最悪のスタートを切ったわけだけれど──


トーマの古びた衣服の裾から覗く尻尾がパタパタと揺れていたところを見るに、今すぐ食い殺されることはないと思う、たぶん。



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