終幕

「いや。お前とは、行かない」

「もう諦めてくれ……」

 まぶたの腫れも目の赤みもしゃがれた声も、翌朝になれば綺麗に消えている。何一つ、出会った頃と変わらない。昨日どころか百年、千年経とうと、変わらない。

「……師匠を、待つのは……諦める、けど。それとこれとは別」

 変わらない。そのはずだけれど、表情は少し、柔らかくなった。

「このままじゃ、お前の隣に立つには、無様に過ぎる」

「魔王なんてそんな大したもんじゃねえよ……」

「それは関係ない。お前。マオ」

 リンネは眩しいものを見るように目を細める。

「お前は、偉い。過ぎた時から、目を逸らさず。失った物を受け止めて。新しい時間に、幸せに、自ら手をのばして。私と違って、少しも歩みを、止めなかった。過去に、固執しなかった。そういう人の隣に立つのは、今の私には、分不相応」

 リンネの目に映る自分は、ずいぶんと立派であるらしかった。

「……俺と言うか、フィエスラたちのお陰だし」

「そうかな。……まあ、だとしても、お前の人徳だろう」

 どれだけ食い下がろうと全く一緒に来てくれる気はないらしいことを悟りつつあったが、しかし未練は残る。リンネにこれだけ褒めてもらいながらみっともないとは思うもまだ食い下がる。

「また遊びに来ていい?」

「その時にはもう、空に、なっている、かも。余計寂しいよ」

 意外な言葉にひやりと心臓が冷えた。

「え。どこか行くのか?」

「さて。どこと、決まった訳では、ないけれど……。旅にまた、出ようかと」

「……どれくらいかかる?」

「百年くらい?」

「止めてくれ」

 そんなにかかるはずがない、と言えないところが恐ろしい。

「十年くらい、かも」遊ぶように、歌うように言う。「まあ、一年ということは、ないと思うけど」

 冗談と思いたいが、果たしてどこまで本気なのかも分からない。まだリンネの表情全てを正確に読み取れているとは思えない。

「……俺は、あいにくお前のように辛抱強くはないので」

 ため息混じりに言う。

「待ちくたびれて、旅の中にいるお前をさらいに行ってしまうかも知れないが、いいか?」

 驚いたように目をしばたたいた後、リンネはいたずらっぽく笑った。

「……ま、それも良かろ。出来るものなら」

 負けず嫌いの心に火をつけてしまったような気がしないでもなかった。

 昼頃から既に用事が詰まっている。そろそろ行かなければ、と自然二人は洞窟の外と内に立つ。

 約束はしたから寂しさはない。

「では。息災で」

「また会おう」


 気づけば、彼の姿はなくなっていた。

 ただ風の音だけが聞こえる。

 何か長い夢を見ていたような気がした。

 また師匠が戻るのを待つだけの不毛な日々が始まるような気すらした。

 けれど、夢ではないと、彼が私のために残した物が言う。

 息をつき、洞窟の中に戻って。

 彼の寝床のあった場所に財宝の入った袋まで残されているのに気がつく。

 これを取りには戻らないだろうと拾い上げて、ふと思い出して中を覗く。

 あの首飾りはなかった。

 無性に安堵して笑う。

 この私は不出来な弟子であったけれど、一つくらい次に繋ぐ物があったと、思ってもいいだろうか。

 もう答えは待たない。

 髪を結わえて、一日を始める。

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