料理出来たけど
「料理出来たけど。運んでいいか?」
卓で話す二人に呼びかけると、二人ともひらりと手を上げて応えた。
少し目を離した隙に、その卓には既に酒と杯が並んでいる。そしてリンネが片手で杯を包んでいる。
「もう飲んだのか……」
「うん。土産の酒、美味い」
「それは良かった。ヒモトは米酒が主に飲まれていますし、麦酒では口に合わないかとも思ったのですが」
「何でも飲む。それに麦酒は……旅の時、飲んだことが、ある。苦かったな。美味かったけど」
「そうでしたか。今はあまり苦くないものが好まれます。次は飲み比べ出来るよう、両方持って来ましょうか」
「ん。良い」
ひとまず雰囲気は悪くないようである。むしろ親しげとすら思える。安堵しつつ、マオも卓についた。
「で、何の話をしてた?」
早速料理をつつき始める二人に問いかけると、二人は目を見合わせた。二人とも表情に出ないので何も読み取れない。
「お前の話と、昔の話」
「私の口から、どこまで話していいものか、分かりませんが。その蛇は……という話を尋ねましたら、結果的に、リンネ様の半生を聞くことになったような気がいたしますね。戦争の頃の話もいたしましたし」
口いっぱいに詰めた食べ物を飲み込んでから、リンネはふわふわとした口調で答えた。
「今、話したのは……誰にも、隠したことはない。聞かれたら、答える。疲れるから、多少端折りはする、けど」
「それはそれですごい。まあ、実際この私が聞かされましたから、本当なのでしょうが」
色の違う目が一瞬マオを見た。その後は食事を口に運びながら何でもないことのように言う。
「私の中での整理は、ついている、から。私は変わらん。あと、お前らがどう思うかは、お前らが決めろ」
「はい。……しかし、本当に良いのですか? 例えば過剰に気を遣われるのは、あまり好まぬ性質であるように見えますが?」
「仕方がない。私がいくら、憐れむな、と言ったところで。己の罪と思うな、と言ったところで。ならいいか、となるものでも、なかろ。その時にいた立場も、違うだろうし。正直そこまで、面倒見切れん」
リンネの考え方を聞くのは初めてだったが、リンネらしかった。良くも悪くも、という面だが、リンネは他人に対しての線引きがはっきりしている。だから治療のついでの長話をしたがるような客はマオを選んで話しかけて来る。同情を引こうとしてもリンネは話を聞いてすらくれないから。ミシェラのように構われるのが好きな子供もリンネを避ける。逆に、深入りされたくない事情を持つ人々にはリンネは評判が良い。
「嫌と思ったら、嫌と言う。その後のことはその時に任す。それで終わる縁なら、それで終わる縁だったと、それだけのこと」
妙に胸に刺さる言葉だなと嫌な予感を抱いていると、リンネは今度こそマオをまっすぐに見た。
「お前のことだから。ちゃんと聞いてる?」
さすがにむせた。
「聞いてるけど。……フィエスラお前、何か言ったか」
「いえ、私は何も。本当ですよ?」
「フィーに聞かれて、思い出した。お前、いまだに、蛇のことすら聞かない。私もさすがに、驚いた。普通、人間の首に蛇の目、うろちょろしてたら、聞く。聞かないか?」
「……お前だって、俺のこと聞かなかっただろ。魔王だぞ」
「興味がなかった」
図星を指されたから言い返したのではなく、本当に単にそれだけだったに違いないと思わせる平坦さだった。追い詰められたような気持ちで顔をしかめていると、リンネが首をかしげた。
「けれど……そうか。最初の頃、お前に、この蛇や、私のことを、聞かれていたら。手が滑る、くらいはあったかも」
「おや。では聞かないで正解でしたね」
「うん」
リンネは笑った。
「良かったのかも知れない。良かったよ、今で」
気を遣われているのか、本心から言っているのか。どちらにしても聞かなかったことが優しさではなく、マオの情けなさの結果であったことに変わりはない。
「じゃあ……これからは、聞くようにする」
聞きかけて飲み込んだことは大量にある。十五歳の時に何があったのか。蛇、不老不死、魔術師。師匠と呼ばれると嬉しそうにすることも、市ではなくこの洞窟に一人で住んでいる理由も、洞窟の奥に取っておいてある骨の山も。幽境と呼ばれる谷のことも。
正面切って聞けと言われたからには、聞くしかない。
「好きにしろ。ただ今日は、話し続けで、疲れた。次はお前らが話せ」
リンネは涼しい顔で答えた。
「それなら今度は私めが、魔王様の昔の話でもいたしましょうか」
「自分の話をしろ」
「何でもいいや」
懐かしい話をしている内に、日が傾いていく。リンネは昔の話が出来て上機嫌そうにしていたし、フィエスラは昔よりも朗らかに生き生きとしていた。マオにとっても、過去が全く消えてしまったのではなく、その延長線上に今があることをしみじみと実感出来る快い時間だった。
涼しい風が吹く頃、翌日には仕事があるフィエスラは帰ることとなった。今回は市に移動の魔術を使える送迎のための人員を用意しているため、市から一飛びに帰れるという。ならばせめて市まで送ろうかというマオの申し出は断られた。いまだ中央では魔王の存在は秘匿されている。信頼出来る人員とは言え、出来る限り情報が広まるのを防ぐための措置だった。
リンネは珍しく酒に飲まれて卓で沈没していた。いつもとそう酒量は変わらないように見えたが、慣れない酒のせいか、それとも緊張でもしていたのか。フィエスラは「お気になさらず」と笑い、軽く挨拶だけして洞窟を出た。
坂の上に立つ。
「ところで、魔王様。つかぬことをお聞きいたしますが」
フィエスラは洞窟の中にいるリンネに視線を送ってから、マオに目を向けた。今までの会話の続きをするような穏やかな瞳をしていたから、マオは何気なく相槌を打った。
「――再びその御姿を、皆に見せる気はございますか」
息を詰まらせる。
「今はまだ、玉座のご用意がございません。貴方が仰るのであればどうとでもなるでしょうが、貴方抜きに決める訳にはいきません。まずは、貴方の意志をお聞きしたい」
この場で何もかもが決まる訳ではない。しかし、適当に答えることも出来ない。ここでの答えを、フィエスラは念頭に置くことになる。
腕を組み、思う。
名前をもらうよりも前であれば、悩んだとしても、この場でうなずいていたかも知れない。形は違えどいつかは再び魔物たちのために生きなければならないと思っていた。それが今も昔も変わらない魔王の存在意義である。
しかし、今は別の道もある。当然魔王としての過去が消えることはなく過去故の面倒事や困難は付きまとうのだろうが、それもいつかは月日と共に流れ去る。ただ、リンネの弟子で、細工を作るだけのただの人、マオとして生きることは不可能ではない。
「……お前はどう思っている? 俺がそうすべきだと思って言っているのか?」
「私は魔王様の願う通りに動きますから。あくまで希望をお聞かせ願えればと思いまして」
「そういう御託はいい。お前にも希望はあるだろう。言え」
マオに対してからかうようなことは言ったり、マオの知らないところで企てをすることはあっても、マオの言うことに逆らったことはない。ここでマオがどちらを選択したとしても、フィエスラは結局はその言葉に従うだろう。だから、その前に聞いておかなければならなかった。フィエスラは片側の牙だけを剥き出しにした。
「そ、れは……。……希望を言えば、再び貴方の元で……」
目の淵を拭う。
「あの日から、貴方がいれば、と……願わぬ日は、ありませんでした。苦労だけではありません。今、目の前にある光景を、貴方と共に見れたら。貴方がどれだけ喜ぶかと……。恐らく皆、そうでしょう。貴方の喜ぶ顔が見たくてあの革命に参加した者も多くありました。しかし、顔が見たいというのはただ、我々が安心したいというだけのこと。貴方には何の益もないこと」
その声は濡れていたが誇り高く、第一側近と定めた時のことを思い起こさせた。元々、側近など持つつもりはなかった。武功をあげたフィエスラに「側近の肩書がほしい」と言われた時には、他にそんなことを言う魔物はいなかったので面食らったが、与えるとフィエスラは泣いて喜んだ。あの戦争の頃は立場の他に与えることの出来た物はそれ程なかったのに、今に到るまで、忠誠を捧げてくれている。
「今の我々が願うのは、何より貴方の幸せでございます。あえて表に出ることはないと存じます」
その忠誠が、魔王という存在に対する、習性に近いものだったとしても。
報いたいと思う。
報いなければならない。
ただ、その思いは以前持っていた魔王としての義務感とも少し違っていた。
マオはあくまで人々の中にあって、名前を求められることで存在し得るものだった。昔の争いの中ではけして生まれるはずもないものだった。これからもマオが在り続けるには、魔物か人間か関係なく、知り合った人々が皆憂いなく過ごしている日常がなくてはならない。
自分の幸せのためにも、皆が笑っていなければならない。
「お前らが幸せであれば、俺は幸せだから。色々と気を回さなくていいんだよ」
実際のところ、これから先どうなるかは誰にも分からないのだから、考えても仕方がない。
その時、正しいと信じられることを、選ぶしかない。
「……願う声が一つでもあるのなら、俺はいつか、ここを出る。お前の声も例外ではない」
リンネは卓にうつ伏せて、微動だにしていない。
その背中に緩く広がる髪を分けて首を晒せば、蛇の目が少し慌てた様子で服の中に逃げていった。この蛇が何なのかは結局不明だが、経験則で言えば蛇が目を開いている時には大抵その宿主も目を覚ましている。寝たふりをして、逃げているだけだろう。
逃げるということは、言いにくいことがあるということ。
「リンネ。フィエスラと何を話した?」
「……」
顔を上げたものの、腕を枕にして顔を横に向ける。無言のままである。視界を遮るように垂れた髪を代わりに拾ってやると、くすぐったそうに肩がすぼまった。
「俺からは逃げるくせに、アイツには話せるのか」
「……お互い様」
「これからはちゃんと、気になったことは聞くから。実際今聞いてるだろ」
「……うん」
リンネは目を閉じる。
「お前は偉い」
子供に言うように言って、沈黙する。マオの問に答える気はないらしい。
ため息を吐いた。
「……たぶん、お前が何か言ったせいだと思うんだけど。フィエスラに、また魔王として世に出ないか誘われた」
それは、いつか選択を迫られる問いではあった。
まだ魔王の噂はこの市と周辺で留まっているが、徐々に広まっていく。噂が広まれば面倒事は増える。だから、いつかは選択を迫られるだろうと思ってはいた。身を隠しながら生活を続けるか、それとも思い切って魔王として世に出るか。あるいはもっと別の道を。
しかし、どれを選ぶとしても、少なくとも今ではない。まだこれからどうなるのか、何も分からない。統括局で魔王の身をどう扱うかも恐らく決まっていない。それにフィエスラ自身まだどうするのが最善か決めかねている様子だったのに、あえて最後に置き土産のように問うて行った。その理由として考えられるのはわざわざ話をする場を設けたリンネくらいである。
「そう。フィー、良い奴」
「やっぱり何か言ったな」
「……それで、出て行く?」
身を起こして、首をひねってマオを見る。感情の読み取りにくい、金色の目だけが見えた。
「リンネは、どうしてほしい」
「……」
少し視線がそれる。
「さっさと出てけ」
立ち上がったリンネは洞窟の奥の骨山の前に立つと、骨を蹴った。少し驚いたがしばらく見ていれば、蹴ることが目的でなく、足で山を掘っているようだった。
骨山の中にはガラクタも混じっている。
リンネは骨山の中から、年季のいった袋を拾い上げた。革で出来ているようである。中身のせいで大きくたわんでいるが、リンネはさして重そうにする素振りは見せず、まだ食器の残る卓に置く。
リンネが手を離すと袋が倒れて、卓に中身が溢れ出た。
金貨。宝石。装飾品。
人を一人どころか、市の人々全て養えるような財宝だった。
「ここを出て行くなら、くれてやる」
言葉よりも行動が、如実に伝える。リンネは本気でマオをこの洞窟から出て行かせたがっていた。
「金で……動くとでも?」
呆然としつつも言うマオの隣に立ったリンネは微かに笑った。
「まさか。言葉で言っても、上手く、絆される、だけだから。苦肉の策」
ぼそりと付け足す。「一度失敗したし」
「でも、気持ち、少しは伝わる?」
マオの気持ちは金では動かない。それを分かった上でも、出して来た。さらにフィエスラに何か吹き込んでもいる。
「……本気だと言うのは、分かった」
「良かった」
「でも理由を聞いてない。どうして俺に出て行けと言うのか」
「……」
その目が歪んだ。
泣きそうな気配を感じてそれ以上聞けなくなる。
「……とにかく、金はいらない」
金をもらってしまえば、どれだけ気持ちが違っても、金のために出て行くように思われる。
不意に冷えた指に、リンネの指が絡んだ。驚いて顔を見るけれどリンネは泣きそうな顔で微笑んでいるばかり。
「市に、家を持ってもいい。旅の路銀にしてもいい。魔物たちの、助けにしてもいい。ここから出て行くのなら、何に使っても、構わない。どの道、いつか。お前にやろうと思っていた」
「……じゃあ市に家買って、ここには遊びに来る」
「それはなし。……言い方が、悪かった」
優しい声をしていた。
「お前の側に居たくない、と。言っている。……それじゃ、意味、ないから」
リンネの指は緩く絡められたままだった。
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