翌日は雨が降った

 翌日は雨が降った。

 辻売りでは屋根がないから客は来ないし、雨が降ると山の地面も緩むため、リンネは髪を結わえて洞窟の中で薬を作っていた。すりこ木ですったり、粉をふるったり、服用しやすく丸めたり。

 一応は弟子としてマオも手伝わされることも多かったが、今日はさすがに声をかけて来ないし、マオから声をかけられもしない。

 いつかここから出て行くと、フィエスラには言った。しかし、リンネには言えなかった。保留にして、近日中に答えを言うということにしてあるが、やはり理由を知らなければ決められない。

 どうやって聞き出そうかと考えながらマオは、昨日リンネが漁った骨山の周辺の片付けをした後、あの革袋の中身の整理をしていた。使うにしても使わないにしても、中身を把握しておかなければ、何が起こるか分からない。財宝は一見ただの高価そうな飾りに見えて魔道具であったり、呪いがかけられていることがある。危険も多いのである。

 中身はどれも古い品だった。一箇所で出た物でもないらしく、様々な種類の金貨がある。単なる宝石もあれば、魔力を持つ物もあり、そしてやはり魔道具もあった。財宝の中に混じるような魔道具は製作者が判然とせず、由緒も不明になってしまい、製作方法や使い方すら失伝していることが多い。しかし、地面にガラクタのように埋まっていた物が失われた王家の遺品であったりする。歴史的価値を思えばどれも値のつけられない品であることに変わりはないが、失われた技術が復活する契機となることもあり、他に代えがたい品である。

 蛇ももしかしたら、この由来不明の財宝の一つなのかも知れない。

 総ざらいしていると、中に一つ、奇妙な物があった。指先程の小さな板状の宝石。海より深い青色をしている。隅に空けられた穴に細い鎖が通されて、首にかけられるようになっていた。片面はのっぺりと何もなく、もう片面だけに、鏡文字が刻印されている。正しい向きで考えてみても意味をなさない文字列だった。

 他の宝石と比べれば小さく、単体の価格は他には劣る。しかし、見るべき者が見れば分かる。魔術師たちの間で、自身が魔術師だということを知らせるために用いられる鏡文字の印の描かれた札だった。

「リンネ、交ざってた」

 作業中のリンネの前に鎖を持って立つ。

「ん、あぁ……。そこに、あったか」

 受け取ろうと手をのばしたのに、リンネは札に触れる直前で手を引っ込めた。

「それもやる。持っていたら、変な知り合いが出来る、かも」

「……魔術師の?」

 上目遣いにいたずらっぽく微笑む。

「何だ、知ってたか」

「噂話程度に。材料屋にも少しだけ聞いた」

「私が魔術師だと?」

「……一応。ちゃんとした魔術師ではないとも言っていた」

「ちゃんとした魔術師、なんて、見たことないけど」

「それも言ってた」

 何だ、とつまらなさそうに言って、札は受け取らないままで作業に戻ろうとする。マオはしゃがみ込み、リンネの顔を覗き込んだ。

「これが何なのか、聞いてもいいか」

 少し沈黙していたリンネは、隣を軽く叩いた。座れという意味だと理解し移動すると、すり鉢とすりこ木を渡された。立ち上がったリンネは代わりに杯を手にして戻って来る

 すりこ木でする音と雨音が響く中で、リンネは杯を傾けつつ、穏やかな声で話し出す。

「それは、魔術師の系譜を伝える印。どの魔術師の系譜にあるか、その文字列で、分かる者には分かる、らしい」

「魔術師は系譜という程、歴史を持つのか」

「詳しくは知らない。系譜がない、者もいる。魔法使いを始祖に、持つ者もあれば。突然変異のように。なってしまった者も、いる」

 魔法使いもまた伝説上の存在だが、魔術師よりは有名である。創世記に出て来るからだ。世間一般の扱いで言えば魔法使いはどちらかと言えば魔物だが、魔物にしても特異で、姿形から来歴、末路も何もかも不明である。ただ魔法使い同士の争いによって現在の地形などが生まれたという言い伝えが各地に伝わっているのみ。それを始祖に持つとなると、ほとんど世界の歴史と共に在ると言っていい。思いの外長い歴史を持っていることに驚きながらも、当然のように言うので疑問を差し挟む機を失い、リンネもさらりと流して語り続ける。

「ただ。どちらにせよ、魔術師の……共同体? に登録すれば、その文字列が与えられる、らしい。そして、登録された魔術師に、弟子が出来れば。その系譜。同じ文字列に、ということ、らしい」

 魔術師同士の情報網があるという話は聞いたことがあった。しかし魔術師の管理をする人々までいるとなると、思っていたより組織めいている。

「……つまり、これは、お前……ではないな。師匠に当たる人物から、お前が継いだ物?」

 一瞬リンネ自身がその共同体とやらに受け取った文字列なのかと考えたが、リンネの話は伝聞や曖昧な情報ばかりである。リンネがその共同体とやらと直接が関わりがあれば、確信を持って話すはずだった。つまりリンネ自身がその共同体に登録されているのではなく、他に、これをリンネに渡すような、その共同体に登録された先代の魔術師がいたに違いない。何より、「師匠」と呼ばれる時のやけに嬉しそうなリンネの態度に納得がいく。師匠という存在に憧れか何かがあったから、あれだけ喜んだのではないか。

 しかし、リンネは首を振った。

「師匠はいた。けれど、私は……師匠を継いで、魔術師になったのではない。だからその文字列に、私の存在はない」

「は? ……じゃあ、これは?」

「師匠の死体から剥いだ」

 瞬間、雨の音しか聞こえなくなり、脳裏に洞窟の奥の骨の山がちらつく。

 リンネは遊ぶように杯を左右にゆっくりと傾けた。

「……殺されたのか」

「うん」

 返答の声だけが軽い。

「あぁ、殺したのは、人間だから。近くの村の……。知っているか知らないけど、魔術師の立場が、いやに悪い、時期があって」

 魔術師は元々、魔物からも人間からも忌み嫌われる存在だった。さらに戦争によって、魔術師こそが魔物を操り戦争を起こした首謀だという噂が流布して魔術師狩りとでも言うような事が起きた。魔術師ではない人間までもが疑いにかけられて殺されたという。魔術師ではない人間ですら被害にあったのだから、その疑義をかけられた本物の魔術師がいても不思議ではない。

 しかし、直接手を下した者が誰であれ、その原因には魔王が起こした革命がある。そういう意味ではリンネの師匠を殺したのは魔王である。

「知ってる」

 それ以上、何も言えなかった。

「……あぁ、そう。ならいいよ」

 声の調子が落ちる。リンネは淡々としていた。責めるでもなければ、悲しむでもない。

「まあ、その札は……それくらい、か。昔話、終わり」

 乾いた声を聞きながら焦燥する。覚悟はしていたのに言葉を失ってしまった。どの口がリンネに物を言うのかという気がしてしまう。

 しかし、謝ることは出来ない。謝れば、あの革命を起こしたことを否定することになる。それに謝っても、昨日の言葉通りならばリンネは責めもしなければ許しもしないだろう。

 リンネへの態度は、マオの中で決めなければならない。しかし、まだ、どうすればいいのか分からない。

「なら、これは、なおさらお前が持っているべきなんじゃないか……」

 辛うじて話題を繋いだ。

「言ったろ。私は師匠を、継がなかった。……継ごうという人は、もうない。それは今や、変わった意匠の掘られた、些末な宝石」

 手のひらに札を置いて見下ろした。美しい青に刻み込まれた、古から続く魔術師たちを指し示す文字。末は魔王の起こした革命によって錯乱した人間の手で殺された。

「……青」

 ふと思い出す。

「お前、青が好きだったな」

 今日リンネの髪を結わえているのは、リンネに頼まれて作った青の花細工のついた髪紐。あの頃はまだあまり違和感は覚えなかったが、既にマオが贈った赤い髪紐があるにも関わらず、色違いでもう一つ同じ用途の物を欲しがるというのはリンネにしては珍しい。しかも実用品や料理ならともかく、装飾品。自分の服すらどうでもよさそうにするくせに。好きな色があること自体、今思うと意外な気がする。

 そうは言っても、まさかこればかりが理由ではないだろう、と思うものの。リンネは沈黙してしまった。おずおずと問いかける。

「これが理由?」

「……まさか。それだけじゃない」

 杯を地面に置くと、肩に頭を預けて来た。触れた髪は少し冷たい。

「目の青い人だった。魔術書の、研究で。目が魔器に、なったって。本当か、知らないけれど」

 その声は夢見るように浮き立っていた。顔を見なくても日差しを眩しがるように笑っているのが分かる。きっとマオが初めてリンネを師匠と呼んだ時と同じ顔をしている。

「この青より、もっと薄くて、透明な青だった。一番綺麗な空に似て。大好きだった」

 雨音に吸い込まれていく声を聞きながら、遅まきながら気がついた。

 リンネにとってその人は、革命の余波で死んだ人ではない。

 その死よりも語るべき、生を残した人。

 本当に気がつくのが遅かった。ただ自分が楽になるためだけの謝罪をするか悩むより先に、知るべきことがあった。恥じ入って、まだ間に合うかと、願うように問いかける。

「リンネ。お前の師匠がどういう人だったのか、教えてくれるか」


「無口な人、ではあったけれど。良い、人だった」

 たったそれだけの言葉に、リンネの様々な感情が込められていた。言葉を探す沈黙があって、それからぽつぽつと語り始めた。

「私は。……昔、蛇はいなかったけれど。それでも、この赤目と赤髪は、魔物と思われるに、充分で。生まれた村では、嫌われて」

 そう言うということは赤は生まれつきの色らしい。人間にしては珍しい色だと考えたことはマオにもあった。しかし、けして魔物とは言えない。リンネには魔器の存在を感じない。ただ、人間には魔器の有無など感じ取れない。見た目の上で自分たちと大きく違っているところがあれば魔物と呼ぶ人々は珍しくはなかった。

「いくつ、だったか。忘れたけれど。いつか、村の側に棲んでいた魔物の、生贄になった」

「……生贄?」

 さすがに聞き捨てならない。

「百五十年より、もっと前。大きな魔物には、人間を差し出すことで。満足してもらおう、という時代も、あった……らしい。その風習が、残る村だった」

 人間を食べる魔物は確かにいた。しかし、あくまで肉の選択肢の一つである。人間を襲おうとすると面倒事が多かったため、恨みを持つか他に選択肢がないか、何かしら切羽詰まった理由がない限りは食人する魔物はなかった。より厄介なのは人間の精神に住処を持つ夢魔や獏だが、彼らは生贄として捧げられるような人間を好んで食おうとはしない。

「その魔物は何だった?」

「……龍? でも食われなかったから、良い奴だったと」

「食われてたらここにいないだろ」

「……食われそうな感じは、しなかったから」

 言い直してから「まあそれはともかく」と鬱陶しそうに話を戻す。

「生贄になった私を、助けてくれたのが、師匠だった。はじめまして、だったのに。しかも、村に帰れない、と言ったら、養ってくれた。ちょっと嫌そうでは、あったけど」

 その目は在りし日を見ている。

 リンネは宝物を数えるように、思い出を話した。初めて料理をした時のことや、師匠について採集に出かけた時のこと、二人で住む家にあった書棚が地震で倒れて押し潰されそうになった時、師匠に助けてもらったこと。多く話すのは疲れるからといつもは避けるのに、師匠に関する話ならばいくらでも出来るようだった。リンネに押し付けられた作業も終わったけれど、マオはずっと聞いていた。

「料理も、字も、魔術も、他にもたくさん。手伝いもさせてもらって、生きるのに必要なこと、皆師匠から。教わった」

 気分が上がったのか急に伸び上がって顔を近づけて来る。

「良い人。ね?」

 最初に比べて大分表情が柔らかくなったこともあるが、今までに見たことのないような満面の笑みだった。

 圧されてうなずくも、何か複雑な気分になる。しかしリンネは上機嫌である。

「今の生活も、少しあの頃を、思い出す。今の方が、賑やか、だけれど」

「……そっか」

 大人気ないような気もしたが、素っ気なくなってしまう。親代わりの人のことを語るにしてはリンネの目はとろけるような幸福に満ちていた。

 その生活は、今よりも幸せだったのだろう。

 比べるものではないと思いつつ、考えてしまう。

 それを察したようにリンネは少し身を引いた。

「あ、悪い。飽きた訳ではなくて」

 リンネは首を振った。

「これで終わり。覚えてる話、全部したから」

 挑むように見詰められた。

「……この先の話も、聞く?」

 この先。つまりリンネと師匠の生活が死によって失われ、思い出が更新されなくなった日から先。

 あらためて、罪と向き合う覚悟があるかと、問われている。

 うなずく以外の選択肢はない。

 リンネはため息を吐くと、思い出したようにマオに押し付けたすり鉢を回収し、マオの手首をつかんだ。マオを捕まえるように。あるいは、リンネ自身が逃げ出さないように、繋ぎ止めるつもりで。その両方であったかも知れない。

「十五の時、開戦して。少しして。私が家にいない時、村から、人が来て。帰ったら、師匠は殺されていた」

 長く思い出話をしたせいか、そこには少し恨みが滲んでいるようだった。あるいは、マオがそう聞きたいだけかも知れない。

「正確に言えば。その時は、死体は見に、行けなかった。私がいることは、知られていて。身を隠さなければ、ならなかった、から」

 親代わりの師匠だけでなく、住み慣れた家も捨てて、着の身着のままでその場を離れたという。しばらくは野宿だった。

 ほとぼりが冷めた雰囲気を感じ取り、リンネは家に戻った。元々忌み嫌われていた魔術師の家だったためか、その家の中央に遺体があること、その周囲が格闘の跡のように荒れている以外、持ち去られた物などはなかったという。

「それだけは、良かった、かな……」

 リンネは皮肉っぽく呟いた。

「それから……私は」

 手首をつかむ手の力が強くなる。

「許せない、と思って」

 雨の音が強くなる。

「でも、何を恨んでも、師匠は戻っては、来ないから」

 雨の音に混じって、リンネの声がする。

「師匠を蘇生させる、方法を探しに、旅に出た」

 その声は何かに耐えるように苦しげだった。


「不老不死になんか、なりたかったんじゃ、ない。私は蘇生の方法を、知りたかった」


 リンネに触れようとして、片手が捕まれていたことを思い出す。それでも片手だけでリンネの頬に触れた。

 泣いてはいない。ただ冷たい寂寥が浮かんでいる。

「ここの近くに、死の世界と繋がっている、谷がある」

「……幽境?」

「何だ、知ってたか」

 目を細めた。

 その顔が崩れる。

「待っていれば、師匠が、来るかも知れない……」

 たぶん、恐らく。

 リンネはけして言わないだろうけれど。

 そうして待っていたところに現れたのは、魔王だった。

「望みはあると、分かった、から……。ここから、私は、離れられない」

 その時の思いはリンネにしか分からないけれど、もしマオがその立場にあったなら、希望を持ちながらも魔王を谷に落とした。だって望んだその人ではない。

 頬から手を離す。

 それが、「側に居たくない」という言葉の理由であるならば。

 受け入れるしかないのかも知れないと、思ってしまった。

「ごめん……」

 息が苦しい。

「俺が生き返ってしまって、悪かった」

 ただ、手首はずっと握られたまま。

 リンネは離そうとしない。


 二人でしばらく無言でいた。

「出てく」

 リンネの反応はなかった。喜ぶこともなければ、引き止めることもなかった。

「すぐに、は無理だけど。フィエスラに話は通すから……。たぶん、寒くなるまでには。アイツならどうにかするだろ」

 実際はどうか分からなかったけれど、もしそれ以上かかるのであれば、別の場所に行けばいい。とにかくリンネの目に触れないような場所であれば、リンネを苛むことはないだろう。

 荷物を片付けなければならない。

 布や細工はリンネも使わないだろうから。

 寝床や食器、二つある物も、いらないだろう。リンネの師匠が生き返ったら、リンネがここにいる理由はなくなる。市に下りて暮らせばいい。

 長話をしているうちに、暗くなっていた。

「リンネ。そろそろ飯作るから、手離せ」

 声をかけたがまだ返事がない。

 顔を覗き込んだら目を瞑って、寝息を立てていた。涙の筋が残っている。

「何だ……」

 ということは、さっきの言葉も聞いていない。

 まだ取り消せる。

 思いはするけれど、取り消そうとは到底思えなかった。

「ちょっとは好かれてると思ってたんだけどなぁ」

 それ以上に好きで、忘れられない相手がいて、マオはその人に勝てなかった。

 ここぞという時に勝てない運命なのかも知れない。

 かと言って今更酷くしようとも思えなくて、むしろ側にいて愛せる内は愛しておこうと、手を握り返した。

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