どういう立ち位置になるかは未定
どういう立ち位置になるかは未定だが、フィエスラは魔王の椅子を用意すると約束した。それに伴って、統括局本部の近くに魔王に相応しい住まいなども用意するとのことだった。
マオは自前で魔術による遠隔移動が出来るため、統括局の近くである必要はあまりないが、警備を考えると近くの方が都合がいいらしい。統括局はかつての城を改装した物らしく、土地勘もきくので、特に異論はなかった。
土地を離れることは市の人々にはよく顔を合わせる親しい相手にだけ告げたが、瞬く間に広まって、あまり会ったことのない人物までもがマオの元に挨拶に来るようになった。
市の中に立っていると自然と人集りが出来て邪魔になるため、酒場の一角を借りて場を設けなければならない程に。さらにその酒場には順番待ちが出来た。
そこでマオは、大量の感謝の言葉を浴びることになった。
革命が起きるまで奴隷だった魔物。革命によって故郷に戻ることが出来た魔物の子孫。人間と婚姻を結んだ魔物。寿命の長さや個性も様々だから、その感謝の中身も様々である。
魔物だけでなく、人間からも、感謝された。マオとして関わった者もあれば、魔王と知った上で、感謝する者がいた。魔物と良い関係を築いた者が無邪気に言うこともあれば、「愚かな歴史を終わらせることが出来て良かった」と言う者がいた。
そして誰もが言い結ぶ。
「次は幸せに生きて」
何故か人間までもが言う。
その度にマオは「魔物たちが幸せならそれで幸せだから」と答えた。
「へぇ。へぇー。師匠一人ほっといて、他の奴らにかまけて幸せになっちゃうおつもりですか、お弟子さんは」
酒場ごと氷水に漬けるような、嘲る声が酒場に響いた。
「いやはや全くどういう神経してるのか分かりかねるよ! リンネちゃんにあれだけ世話になっといて放ってどっか行っちゃうなんてさ。まあこっちは下衆なんで、それが魔王様流の恩返しの方法だって言われたらあーそうですかぁっ高貴の方のやるこたよう分かんないなて言うしかないけどさ」
丸眼鏡越しに拗ねたようにマオをにらむのは、材料屋の店員レオル。仕入れ以外では滅多に店から出ないのに、わざわざ文句だけ言いに人で賑わう酒場を訪れたらしかった。
そう言えば材料屋には、「リンネちゃんをよろしく」と頼まれたのだった。
「……悪いな、よろしくされたのに」
「本当だよ! またリンネちゃんが死んでも気づかない生活に逆戻りだ」
「それはお前が気づいてやってくれ」
「無理無理リンネちゃんどこ行くんだか全然知らないし体力ないから追いつけないしあぁもしかしてお弟子さんリンネちゃんとの修行みたいな生活が辛くて逃げちゃうとか? まあそれなら分からなくも」
「材料屋」
「はい」
「それは違う。リンネとの暮らしは、俺は楽しかったし、好きだった。あと、これは特異な形の恩返しなどではなくて、お前の言う通り、単なる不義理だから。本当に高貴な方への風評被害は止せ」
ぐぅ、と唸る。
こめかみに指を立てて、軽く突いた。
「……リンネちゃんは、長く、誰も寄せ付けなんだ。それだのにお前さんを弟子にまでした。お前さんに余程の思いがあると婆は思うがね」
老女のような口調である。材料屋の先祖、リンネと知り合いである誰かの言葉か。
「その本人に、側に居たくないと言われた」
「えっ」
「……まあ、その気持ちも分かったから。俺はその言葉通り、去るだけだ。魔王としてやれることもまだあるらしいしな」
フィエスラによれば、昔よりは少なくなってきたが、いまだ人間との関係が良くない魔物は多い。それに種族による環境差も出て来ている。完全な平等は難しくとも、出来る限り皆が笑って望む道を選べるような生き方を実現出来るよう、魔王はその存在意義に懸けて、世界に働きかけ続けなければならない。
「……あぁ、そうか。莫迦だねぇ、リンネちゃん」
材料屋は丸い目に苛立ちを浮かべる。
「いや本当に莫迦なんだけど。何でリンネちゃんそんなこと言うの何代目か分かんない婆ちゃん!」
「忙しいなお前」
「全くだよ。……帰る。アタシだけはお前のこと嫌いだから!」
酒場の扉を叩きつけるようにして材料屋は去って行った。
マオが去ったところで、リンネが完全に一人になってしまう訳ではない。怒られたが、少し安堵も覚えて、マオはその姿を見送った。
統括局からの使者に言われて、一度統括局本部まで行くことになった。マオ自身による遠隔移動のための通路を再び繋げるだけでなく、統括局の上層部などへの顔見せの意味合いもあるようだった。行き帰りや旧城の内部や周囲を見て回る時間も含めて期間は十日間。目覚めてからはリンネと一日以上離れていたことはない。自分の心配はなかったが、リンネのことは心配になった。何せマオが現れるまでは不老不死であることにかまけて一日酒だけで過ごし、怪我をしても治るからと汚れて所々穴の空いたような服で山をうろついていた。今も少し目を離すと無頓着さを発揮する。十日も離れれば完全にとまでいかなくても多少の逆戻りは必定と思われる。
それで出かける前に声をかけておかなければと思ったのに、リンネはあの日以来、マオを避けている。
一緒に住んでいるのだから避けるのにも限度はあるのだが、声をかけずに市に下りていたり、採集に出ていたりする。話をしている最中に逃げていく。
十日間いなくなることは伝えられたが、あまり細かいことは言えないまま、洞窟を離れることになった。
統括局本部のある場所へは、遠隔移動の魔術が巧みな使者を共にすれば二日程度で辿り着く。マオであれば、怪我などで弱体化していても一度で着くことの出来る距離である。往時はその上に武器なども含めた軍団を運べたが、今は小隊でも辛うじてといったところか。外部要因による魔力の増強によって一時的にかつての力を取り戻すことは不可能ではないが、長時間は難しく、それなりの反動もあるというのがリンネの見立て。
しかし、そこまでの力はもう必要とされていないから。あまりマオは気にしなかった。
二日かけて統括局本部に辿り着く。
天変地異のため以前は城の周囲は荒廃していたが、城自体もその周囲も様変わりしていた。
あの市に比べると高い建物が多く、堂々とした造りの物が多い。街並みは整然としている。市のように定期的に店が変わる区画はないようだった。街を歩く人々の服装も実用性よりは見た目に気を遣っている物が多く、誰も彼も洒落ている。くくりとしては同じ市にはなるのだろうが、街の雰囲気はまるで異なる。
だが魔物と人間が共にある様子だけは変わりない。
滞在は宿になる。近くに元我が家であった城が見えるので奇妙な気分だったが、今は完全に行政のための建物になっているらしいし、特に住む場所へのこだわりもない。
到着した日は早々に休み、次の日からは人目を忍びつつ、統括局本部へ足を踏み入れた。
「魔物は皆貴方を歓迎いたしますが、人間の中には貴方を歓迎しない者もいる。そのことは承知していただくしかありませんが、よろしいですか?」
執務室にてフィエスラは言った。
「無論だろ。今からだって処刑されても仕方ないことをしたんだから」
「それはありえません。……忌々しいことではありますが、勇者の働きかけによって改心した、という話を信じている者もおります。全く実に忌々しくはあるのですが、もし貴方を受け入れない者があれば、それを逆手にとって、勇者によって貴方への裁きは済んでいる、という抗弁をすることもあります。事後承諾になってしまいますが、それも、よろしいですか?」
「いい、構うな。一度死んだくらいで許してくれるなんて、破格に優しいな、そいつら」
「……あの方は、許してくださらなかったのですか」
フィエスラは既に、リンネの師匠については聞いているのだろう。しかし、蘇生や幽境のことまでは聞いたかどうか。聞いていれば、こうは言わないように思う。
「あれは、責めてすらくれない。……俺のことなど考える余地はないんだろう」
「そうですか。いえ、出過ぎたことを申しました。話を戻しますが、魔王様の今後の処遇に関しましては、今申しました通りに突然統括局局長では人間からの反発を招きますので、一時は別の役職に就いていただくことになるかと存じます。いまだ具体的な役職に関しては正式に申し上げられるようなことはございませんが、恐らくしばらくは名誉職的な役職に就いていただくしかないかと。力不足で申し訳ない限りですが」
「あー……兵卒扱いでいいぞ? ここだと何て言ったか、平?」
「それは逆に周囲が気疲れするので止めてください」
「分かってる。言ってみただけ」
こう形式張った話をするのも久しぶりだと思いつつ、話を聞く。
そうしてあちこちで話をしたり、根回しをしたり、旧交を温めている内に、時間はまたたく間に過ぎた。帰りは使者なくしてマオ自身での移動が可能になったため、十日目まで滞在した。十日目はフィエスラの計らいで、認識阻害さえかけていれば一日自由に動き回って良いということになっていた。
そう言われても精神的に疲労していたためあまり宿から出る気は起きなかったのだが、リンネへの土産を買っていないことを思い出して、マオは外に出た。
天気が良かった。
あちらの土地とは気候までもが違う。向こうは僅かに気温の上下はあるものの、年中過ごしやすかった。空気が乾いているため市へ下りると砂っぽい風が吹いた。こちらはやや温暖で、海が近いせいか風に潮の匂いが混じっている。街中に生えている植物の種類も見るからに異なっていた。
空気に砂が混じらないお陰か、単に天気が良いからか。空の色はこちらの方が綺麗である。
リンネは師匠の目を「一番綺麗な空」と言ったけれど、その空は一体どこの空のことだったのだろうか。あの土地か、師匠と暮らしていた時に見た空か。あるいは師匠を蘇生させる方法を探す長い旅路の中で見た空か。
土産も買って、夕方頃に家に帰った。
リンネは家にはいなかった。恐れていたよりは家は綺麗だったが、服などが若干放置されている。それと備蓄食糧がほとんど減っていない。ツマミ類と酒は尽きている。採集の時に持っていく背負い籠も外套も置きっぱなしになっていたが、外套はあまり使うことがなくなっているから、市へ下りているのかも知れないと思った。
しかし、いつも帰っていた時間になっても、リンネは帰って来なかった。
星が消える明け方。洞窟の入り口に、くすんだ赤髪を持つ人がひっそりと立つ。
「おかえり」
体を起こしつつ笑い混じりに声をかけると、足音を潜めて歩いて来ていたリンネは立ち止まった。灯りが消えているから寝ていると思ったのだろう。
「……寝なよ」
「声はかけておこうと思って。どこ行ってた?」
「どこかに」
どこに行っていたのか話す気はないらしい。市に行っていたと誤魔化せば済むものを、何故かリンネは妙なところで誤魔化しが下手である。そう言えば以前も、市に行って疲れて不機嫌になっていたのを「二日酔い」と誤魔化そうとしていた。
自身の寝床へ行くと、マオに背を向けて寝転がる。マオも目的を果たしたので横になり目を瞑った。
「ただいま。……おかえり」
反対側の壁から、微かな声が聞こえた。
「ん、ただいま」
マオが応えるとそれきり声は途絶えた。
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