来た

「来た」

 朝から落ち着きなく坂の上と洞窟の中を行き来していたリンネは、坂の下にフィエスラの姿を見つけて呟いた。

 期待しているのか嫌がっているのかは一見すると判然としないが、リンネに慣れた者が聞けば微妙にその声が浮足立っているように聞こえなくもない。

「料理は後は俺がやっておくから、リンネは出迎えしてやってくれ」

 声をかけながらも少し危なげに見えて、もし何かあったらすぐ入れるようにマオは様子を窺う。

 前回の訪問の後リンネを探ってみたところ、フィエスラに対して悪印象は持っていないように見えた。しかし遠目に様子を窺っていただけで会話の内容までは知らないし、長時間話した訳でもないだろうから、マオはまだ二人が上手くいくか不安に思っていた。親友になれとまでは思わないが、さすがに険悪になられると居心地が悪い。

 リンネは基本的に人嫌いであり、円滑な人間関係のために器用に立ち回る性質でもないので、この関係が上手くいくかはフィエスラにかかっている。内心ではマオはフィエスラ頼む、と祈っていた。

 しかし、さすがにフィエスラは習性から異なる魔物たちを総括する統括局局長だった。今回はちゃっかりと手土産を用意していた。

「あらためまして、フィエスラと申します。かつては魔王様の第一側近、現在は統括局局長をしております。先日は約束もなく、突然お住まいにお邪魔してしまい、大変失礼いたしました。お詫びとしてこちらのオウス名産の品々、お受け取りいただければ幸いにございます」

 品を受け取ったリンネは微かに目を細めた。恐らく紙袋の中に酒を見つけたのだろう。

「リンネという。……下衆で、礼儀を知らないが。よろしく」

「そうとは思えませんが、そうだったとしてもお気になさらず。元は魔物軍所属、今も魔物と人間の間の揉め事の仲裁のような仕事ばかりしておりますので、こう言っては何ですが、様々な性質を持つ人物に慣れております。ご遠慮なく」

「そうか。……軍。懐かしい」

 何気なく言った言葉に思わずマオは耳をそばだてたが、リンネはすぐに話題を変えた。

「料理はマオが、作っているから。私と、少し話を。聞かせて、昔の話も」

「あ、いえ、お手伝いいたします」

「フィエスラ。俺はいいから、相手よろしく」

 リンネとフィエスラは洞窟の中に急ごしらえで造られた卓についた。マオは洞窟の外にある調理場で、あまり会話を聞かないように聴覚を落とす。

 事前に、二人で話している時は会話を聞くなとリンネに言われたのである。何を話すつもりか聞いたが無言で流された。

 よく考えてみると自分の昔を知る友人と、今を知る同居人。ちょっと嫌だな、と思いつつマオは料理を作っていく。


「マオをどう、連れ出すか。算段はついた?」

 席についた途端に直球で本題に入られ、フィエスラはさすがに苦笑した。

「魔王様に聞こえてしまうのでは?」

「聞くな、と言ってある」

「まっすぐな方ですね……」

 初対面の時もそうだった。どこを見て判断したのか不明だが、フィエスラと目が会った瞬間にリンネは言ったのである。「やっと魔王を迎えに来たか」と。

 その時はひとまず生存確認だけで、連れ戻すつもりはなかったため、呆気に取られながらも首を振ったが、リンネは全く聞こえなかったように無視した。「政争などで、不幸にしたら、次は私がお前らを殺す。覚悟しておけ」と淡々と言い放った。「次はありません」と咄嗟に答えていたら、リンネの背後に魔王の姿が見え、取り乱した。

「しかし、さすがにその話は少し後にいたしませんか。私は貴女という個人にも興味がありますし、本日は色々とお聞かせいただきたいと思って参りました。ですから、いきなり雰囲気が悪くなりそうな話は……」

「酒を飲むと、発言に責任が、取れなくなる。酒を飲む前に、私が逃げる前に、話して、おかなければ。──じゃあ、聞くだけ、聞け」

 リンネは魔王の様子を窺ってから、剣の切っ先を向けるが如き鋭さで、フィエスラに告げた。

「さっさとマオを連れ出せ。私の側に置いたままに、するな。私には、荷が勝つ」

 三つの目がフィエスラを見詰める。

 以前魔王と話した時にリンネについても聞いてはいたが、こう鋭い目をする人のようには話していなかった。

 冷たく見えるようで、夜道を照らす温かさのある、月のような人と話していた。

 相手によって見せる顔が全く異なる人物はいる。それに自ら治療をして今も共に暮らす魔王と会ったばかりのフィエスラ、態度が違うのは仕方がない。しかし、この鋭さは本当にただそれだけか。

 フィエスラはリンネのことは知らなかったが、魔王の人を見る目は信じていた。魔王がわかりにくいけれど優しい人だと言うのだから、目の前のこの人は優しい人のはずだ。きっと何か言葉の裏がある。そう思うが、さすがに会って間もない今は読み取れない。

「……魔王様が、それを願うのであれば。私たちに出来ることであれば、私たちは何でもいたします」

 リンネが魔王を大切に思っていることだけは初対面の時の言葉から考えても確かだ。そこから真意を引き出すしかない。

「……願えば、か」

 フィエスラはうなずくが、リンネの瞳が淀むことは見逃さない。腕の良い薬師とは聞いている。そして薬の中には精神を操る物もある。

「ですが、確かな理由のない限りは今の環境に留まった方がいいと進言はいたします。貴女も危惧する通り、我々も一枚岩ではありませんから。我々の所に来るよりここに居た方が良いということもあります」

「理由は……ある」

「お聞かせいただきたい」

 言葉の裏の本音も見逃さないようにリンネの一挙手一投足をにらんだ。

「魔王は、力だ。虫が群がり、当人の意に関わらず、混乱を起こす。お前が来たように。そして市ではその混乱は大きく、なる。悲劇も起きやすい。それを望む人ではない。だから。早めに、居所を定める、必要がある。それもより、大きな力の中に」

 言っていることは最もだったが、どこか本音と言い切れない雰囲気があった。話している間両手が卓の上で重ねられている。何か隠し事がある。

「それも結局は貴女の考えです。魔王様にご自身の口から仰ってみてはいかがですか? その後魔王様が自身でそれを危惧し、我々に協力を要請したのであれば、我々は応えます」

 リンネは胡乱げにフィエスラを見た。

「……連れに、来たのでは?」

「無論、来ていただければ、と思ってはおります」

 フィエスラにとってはそれが最善である。統括局局長という立場は魔物たちの総括を担う。魔王が存命であると分かった以上、その役割には魔王以上に相応しい人はいない。人間からの反発も考えると素直に局長の立場に就けるかどうかは定かではないが、しかし、魔王は少なくとも市井の一人に収まる器ではない。実際リンネが言うように、早めに味方側に取り込むことで魔王の力を求める輩や、今の体制に不満がある魔物への牽制にもなる。

「ただ、私は貴女といる時や、市でのあの方の様子も拝見いたしました。あの方はマオ様として、新たな人生を歩もうともしておられる。あの方の幸せを、考えれば……無理やりに連れ出そうとは思えません」

 リンネは魔王の方をちらと見た。

「……」

「如何されました?」

「……疲れた」

 リンネは立ち上がると、杯を二つ持って来て、フィエスラの持って来た酒を注いだ。そして一気に呷る。

「私の意志は言った。要は──勝手にしろ。出来ればマオを連れて出て行け。私は止めない」

「……何故、そう仰るのですか? 憚りながら申し上げますと、リンネ様はあの方のことを、憎からず思ってらっしゃるようにお見受けいたしますが」

 魔王が悩んでいたように、ただ魔王だから嫌われているというのであれば、もっと前に追い出そうとしただろう。他に理由がある。それに、フィエスラの勘では、先程の混乱が起きるなどというのは後付けだ。その程度のことを気にする人物には思えない。

 リンネは微かに目を細める。

「言ったろ。荷が勝つ」

 ぐいと二杯目を呷り、頬を歪めた。

「私は、本当に……アイツの隣は、相応しくない、莫迦だから……」

 そこにはやはり、先程口にしたのとは別の思いがあるようだった。

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