僕なんて全然良い方で

「僕なんて全然良い方で。あの、前にご案内した蛙のいる甘味処も中々お客さん来ないって苦労してるらしいですよ。蛙だから」

「蛙だから?」

「たぶん皆、何となく、なんでしょうけど。近くに人間がやってる場所もあるので、どっちかって言うと……ってなってしまうんじゃないかと思います。でも逆に、昔から魔物使わずに人間がやってた鍛冶屋から、ドワーフが始めた鍛冶屋にお客さん流れるってこともありましたね。かなり前に聞いたので、その後どうなったのかまでは知らないんですが」

「それは、実際、鍛冶の腕は優るだろうからな」

「まあ……でも。難しいなと思います。元々魔物を奴隷として使ってた店だったらいいかなと思いますが、確かずっと先祖代々人間がやってた店だったから」

 頭上で交わされる会話は、幼いミシェラには退屈だった。何を話しているか分かるところもあれば分からないところもある。しかし、何にせよ二人の顔はあまり明るくはなく、その雰囲気だけで鬱屈が溜まる。

「……つまんないなー」

 小声で言うも二人には届かず。あるいは聞こえていても無視されているのか。

 少し、身が縮む。

 とくとくという心臓の音が、早くなっていくように感じられる。


 ふと風が吹くような音が聞こえて会話が切れた。何かに思い至ったような顔をしてユウェンが視線を下げた。

「ミシェラ?」

 ミシェラはうつむいて、肩を上下にゆっくりと震わせている。風のような音は彼女の口から漏れているようだった。ユウェンは焦りを滲ませて呟く。

「発作……だと思います」

「持病でもあるのか?」

「はい……。時々急に息が苦しくなるみたいで」

 リンネの所にも同じような症状を訴える人が訪れたことがあった。空気が乾燥するせいで砂埃が舞いやすい土地であることが理由の一端で、この辺りの土地では珍しい病ではないらしいが、治療したからといって治るものではなく、しばらく症状と付き合いながら徐々に治していくしかないと話していた記憶がある。

「症状を抑える薬は」

「持っていると思います。ミシェラ? 自分で取れるか?」

 ミシェラは咳をしながら自分の懐を探る。その間に魔王は厨房から水を持って来させた。しかし、中々薬が出て来ない。

 苦しげな息の合間で、「落としたかも知れない」という言葉が聞き取れた。ひとまず水を飲ませながら、魔王は頭を巡らせる。怪我人の応急処置と薬売りの手伝いくらいはリンネから教えられたが、今のミシェラへの対応にはどれも当てはまらない。かと言って落とした薬を探しに戻るのはあまりにも冗長だ。

 店内の客も幼い子供の異常に気がついて、遠巻きに様子を窺っているのが分かる。

 あまり長引けば騒ぎにもなるし、何よりミシェラ自身が苦しいだろう。背をさすりながら、知識のない自分が少し申し訳なくなる。

「……気づくのが遅くなって悪かったな」

 決断は早かった。

 魔王は外套を脱いで、惜しげもなく魔王の威を張った。

 ざわつくことすらなく、静まり返る店内の中、近くにいた魔物に呼びかける。

「そこのお前。医者か薬師を呼べるか?」

「――魔王様?」

「返事は。――他の者でも構わん。もし足の早い者がいれば、吾野通りの公園の側、あるいは一夜酒場という酒場に、リンネという赤髪の薬師がいるはずだから呼んで来い。俺の名を出していい」

 遠隔で話の出来る魔術はいくつかあるが、人間相手の場合には前もって対象に道を繋げておくか、あるいは広範囲に聞こえるよう声を張り上げるような方法しか使えなかった。

 しかし、魔王の呼びかけに、店内にいた魔物が迅速に動き出す。この市によく通じる地元のエルフが獣人に道を教え、店を飛び出していった。

 ものの数分、帰ってきた獣人の背にはリンネが乗せられていた。薬箱も抱えられている。

「病人と、聞いたが」

 時間からしてろくな説明を聞かされてはいないだろうに、いつもと変わらぬ落ち着き払った姿で床に降り立つ。魔王と近くにうずくまる子供に目を留めたリンネは静かに問う。

「お前か。状況」

 リンネの診察の手伝いで、列に並ぶ人々の症状や用件を前もって聞いておくこともある。持病があることや直前まで食べていた食事など、リンネが知りたがるだろう点を押さえつつ経緯を答える。普段飲んでいる薬に関してはユウェンが覚えていた。一通り話を聞くとリンネは薬箱から瓶を取り出す。一瞬も戸惑うことなく迷うことなく手を動かす凛とした姿は、これ程便りになる人はいないだろうと思わせる頼もしさだ。

「大丈夫」

 端的に、そう言った。

 薬を飲ませる傍らでリンネは指示を出す。

「誰ぞ。この子供を休ませられる場所。床以外。清潔。少し上体を起こせるよう、背を支えられる物も」

 近くで店を営む人間が、自分の店の中に置いている長椅子で良ければと手を上げた。この店の椅子も繋げれば使えそうではあったが寝心地は悪いだろうと、リンネは長椅子を選んだ。

「お前」

 呼びかけられる。運べという意味だと理解し、ミシェラを抱きかかえた。リンネは薬箱を持ち上げる。

 ふと、リンネが動きを止めて、魔王を見て目を細めた。

 すぐ何事もなかったかのように店を出て行く。首をひねりながらもついて行ってミシェラを長椅子に寝かせていると、後からユウェンが追いかけて来た。ユウェン自身の休憩は終わっているだろうが、経営者の娘であるため寄越したのだろう。

 加えて、ユウェン自身、心配だったから。

「ミシェラさん、大丈夫ですか!」

 そう長くもない距離を駆け足で来るその姿に、息をついた。人間のことを心から心配する魔物がいる時代になったのだとあらためて感じ入る。

「落ち着け。リンネが言ったから、大丈夫」

 魔王の言葉にほっと息をついたユウェンは、息を整え、深々と頭を下げた。

「――ありがとうございます」

 魔王に向かって。

「顔を上げろ。礼ならリンネに」

 リンネは感謝されなくてもあまり気にしない性質のようだが、リンネをさしおいて感謝されるのは魔王の方で座りが悪い。

「もちろん、リンネさんにもですけど。貴方がいたお陰で皆に助けてもらうことが出来ました。……それに」

 顔を上げたユウェンはまっすぐな目で魔王を射抜く。

「それだけじゃありません。貴方の姿を見た時、何もかも貴方のお陰なんだって、分かりました」

 少しの陰りもない、笑みを浮かべた。

「僕たちは、何度貴方にお礼を言っても足りません」

 大剣を振るった瞬間の、勇者の毅い意志を宿した瞳が。

 その瞳に重なり、そして塗り替えられる。

 そしてユウェンの言葉への答えは、考えるより先に口から溢れた。

「構わない。今も昔も、お前たちを守るのが俺の存在意義だ」

 自分の声を聞いて気づく。

 どれだけこの世が変わろうと、それだけが自分なのだと。

 感傷に浸っている暇はなく、ただそれだけを思って生きて行くことが自分の役割と。


 しかし、ユウェンは続けた。

「次は、貴方自身の幸せを。僕たちは皆、願っております」


 ミシェラのことをユウェンに任せた後、リンネに酒場で少し呑んでから帰ろうと誘われる。

 いつも通り、無言で酒をかっ食らうリンネの隣で、その夜はただ酔った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る