ボーナストラック

華燭の典

 晴れてリンネと再会して同居を始め、恋人同士になってから一年が経った頃。

 マオは統括局執務室で針と糸を熱心に動かしていた。

 その前にある執務机に広げられているのは、幾重にもレースを重ねて飾ったり大きなリボンをつけたりして豪勢に飾った衣装を載せた資料だった。どの衣装も着た者をより美しく見せようという意図に溢れている。いくつかの衣装には色のついた筆記具で印がつけられていた。

「おや。華燭衣装の目録ですか」

 執務机の端に書類を置きつつ、フィエスラは主に声をかけた。

「衣装に合う飾りを作ってくれないかと頼まれた

 マオは手を動かしながらも書類に目を通し、筆記具を魔術で操っていくつかの箇所に線を引いていく。フィエスラは書類を受け取って確認しつつ、ため息を吐く。

「そうでしたか。私、リンネ様との華燭の典の予定があるのかと思ってしまいました」

 華燭の典とは、恋人同士になったことを広く知らしめるための式典である。互いに生涯を誓う式と恋人たちを祝う賑やかな宴で構成されている。

 元はと言えば厳格な一夫一妻制を取っている魔物の一部で、他の魔物たちへの牽制をする意味合いで行われていた式典だった。しかしその式典の華々しさからある時大流行し、形式だけを真似て様々な種族が行うようになった。一度やるのに金がかかり過ぎるため一夫多妻制・一妻多夫制を取っている魔物はしないことも多いが、一夫一妻制を取っている魔物の間では一生に一度するのが夢のように語られる。また、昨今では人間同士でも行われるようになったらしい。

「俺の方で呼ぶべき相手が多すぎるし、リンネに無理をさせるのは悪いし」

 形式だけを真似るとは言え、元々華燭の典は他者に知らしめるための式典である。招待する人数は環境や人によって異なるものの、人を呼ぶことが前提となっている。招待客へのもてなしを考える余裕は、統括局局長であり魔王であるマオにも、魔術研究院所属の研究者であり附属第一学舎の教師であるリンネにもなかった。親しい者だけを呼ぶという選択肢もあるが、マオは親しい者の選定にも気を遣わなければならず、結局酷く時間と労力がかかる。

「まあ、そこまでして、ということでリンネと意見は一致した。お互いに状況が変わることはないだろうし、しないからな」

 これ見よがしなフィエスラのため息には知らない振りをして、マオは華燭衣装の目録に目を落とした。

 こうは言うものの、マオも実は、華燭の典に多少の憧れがあった。その式典にと言うよりは、花嫁を飾るための華燭衣装に興味があったのである。リンネが華燭衣装を着ているところだけはいつか見てみたい。それも自分の設計によって、リンネの赤髪や両眼に映える衣装を着てほしい。近頃は華燭衣装を着て記録だけ残す風潮もあるらしい。それくらいならば出来るかも知れない。

 しかし、薬以外には興味のないリンネに断られそうな気もしていて、まだ言い出せずにいた。単なるマオの趣味である。普段は話すきっかけもないし、特に魔物たちに寄与することもないため、どうも後回しになってしまっていた。

 後押しは思わぬ方面からやって来た。


 目を凝らしても果てが見えない程に広い森がある。

 見ているだけで心静かになっていくような深緑の中に、ひらけた土地が存在している。森に比すると小さいが、実際には市一つ分程に広くひらけたその土地の一角に、重厚な趣の建物がいくつも立ち並ぶ場所があった。

 その建物の中、人気のない静かな廊下で、不意に頭上からはらはらと舞い落ちて来た花びらを受けながら、リンネは問われた。

「リンネ師、私と交際してはいただけませんか」

 問うたのは講義で見かけたことのある巨人族の生徒であった。縮小の魔術によって本来より小さくされているものの、それでも手を伸ばせば天井に簡単に手がついてしまうような身長である。リンネは首をほとんど真上に向けた。

 呼び出された時には質問と言っていたはずだが、これは授業とは関係がない。答える必要性はない。そこまで思って、この生徒が「授業の質問」と言っていなかったことに気がついた。わざとだろうか。ほとんどだまし討ちのような方法だが、一度は質問に答えると言ってしまったからには答えるべき、のような気がする。リンネは眉を寄せた。自分でも妙なところで頑固だとは思うが、性分である。

 首を振ろうとしたが、真上を向きながら首を振ることは出来なかった。

「……悪いが、しない」

「何故ですか」

 真上を向くのに疲れて視線を少し落とす。生徒の胸は息に合わせて上下していた。

「恋人がいる」

 胸の動きが一瞬止まり、それから大きく膨らんだ。

「そんな……! 嘘です!」

 生徒はヨヨヨと涙を流し、胸を抑えて叫んだ。大声に反応したのか、廊下に仕掛けられていた魔術が発動してどこからともなく悲壮な雰囲気の曲が流れ出す。

「どこに、嘘の、必要が?」

「本当は巨人族がお嫌いなのでしょう? 隠さないでも結構です」

 リンネは言い返したものの、その声は曲と、生徒の声によってかき消されて届かなかった。

「えぇ、えぇ。慣れています! 巨人と暮らすのは大変そう、ですとか、大量に食べるからお金がかかる、ですとか! いつもそんな風に断られてばかりです! 結局巨人の私が人間と恋をすることなんて出来ないんだ!」

 ますます声も振る舞いも大きくなり、それに伴って曲の悲壮感も増していく。音の振幅と連動して曲が変わるようにした魔術だろうかとリンネは現実逃避気味に考えたが、いつまでも呆然としている訳にはいかなかった。

「それは、違う。思ってない。恋人、いる、から……」

 ちょうど蛇に取り憑かれて不老不死となった時、リンネはしばらく人と話しておらず、声を上げるのに使う筋肉が弱っていた。その状態で肉体が固定されてしまったため、魔術などによる強化がなければ、大声を出したり長時間続けて喋ることに疲労感を感じやすくなっている。

 しかし、ここで明確に否定しなければ、魔術学舎の教師としては最悪の評判を立てられてしまう。この生徒以外にもいる巨人族の生徒や教師、また全く関係のない種族にも「もしかしたら種族を根拠に嫌われているかも知れない」と疑念を抱かせる。否定せねばならない、と曲にかき消されないように何度も声を上げた。

「恋人、いる。嘘ではない」

 すると息切れすらし始めた頃、やっと巨人族の生徒の耳に届いた。喜んだのもつかの間、生徒はリンネの握りこぶしくらい大きく目を見開いて、リンネに指を突きつけた。

「本当なら、恋人がいることを証明してください!」


「と、言われて、困った」

 あまり困ってもいなさそうな顔をして、リンネは果物の皮をむいていた。

 手でもむきやすい皮と、皮の中で種の入った実が複数連なっているのが特徴の果物である。

「証明には、証拠がいる。しかし、果たして何が、証拠となるのか」

 皮をむいた果物の半分程を寄越されて、ありがたく頂く。一房口に含むと酸っぱさで口がすぼんだ。

 生活を考えるとあの洞窟で生活し続けることは難しかったため、二人は魔術学舎を取り囲む森の中に家を構えて暮らしていた。共に忙しくかつてのようにひねもす一緒にいることは難しいものの、一緒にいる時間の過ごし方は以前と変わらない。マオは日々、他愛のない会話や何でもない生活を送ることの出来る幸せを噛み締めていた。

 今日の話に限っては、他愛のない会話とは言いにくいが。

「……昔は、結婚、があったが」

「あったな、そんなの」

 かつて、魔物による革命が起きる前の社会には、人間という種を純粋に保ちながら発展を続けていくために、人間同士の番に特権を与える制度が存在していた。その通称が結婚、制度としては婚姻制度と呼ばれていた。そして婚姻制度では繁殖が前提とされているため、制度を用いた者は自然と恋人同士であると見なされていた。魔物の社会参画が始まってからしばらくは魔物の中にもその制度を使おうとする者がいたが、結局実情に合わなくなり、婚姻制度は滅びた。つまり結婚という言葉を使っても、今では恋人がいる証明にはならない。

「俺が会おうか?」

 あっさりとリンネは首を振った。

「わざわざ、お前を駆り出す程の、ことでは」

「程のことだ。習性の違いによって起こる、魔物対人間や他種族との軋轢の解消は統括局の主な仕事だし、それに悩む魔物がいるのであれば解決する必要がある。さすがに手が足りないので局員に任せざるを得ないところがあるが、本来であれば魔物たちの問題は全て俺が手ずから請け負うべき事柄だ。その巨人のことも例外ではない」

「大袈裟。あと責任感が強過ぎる」

 リンネは少しずつ食べていた果物の最後の一房を口に放り込んで。

「それと、お前が言い寄られていることは、俺にとっては重大事だから」

 酸っぱい物を食べたように顔をしかめた。

「……とかく、お前が直接、出ることは、ない。これが前例となって、お前と会うため、私を使う輩も、出かねない」

 確かにそれが頻繁に起こるようになるのは問題だった。

 違う案を考えようとして、ちょうど最近取り掛かっている仕事が思い浮かんだ。統括局ではなく、針仕事の方。言うのは無料と思い切って口にした。

「華燭衣装を着て、俺と写真を撮るのは?」

「……華燭の典を?」

「いや、人は集めずに、写真だけ。式や宴はしないけど、衣装だけ着てみたいって要望がよくあったらしくて。でも証拠には充分だろ」

 リンネは沈黙し、しばらく考えていた。その間にマオはもう一つ果物を持って来て皮をむき、半分をリンネに手渡す。

「……捏造と思われないか」

「隣にいるのが俺なら大丈夫だろ」

 演者として雇うのは不可能な人選であり、騙すために写真を捏造するのであればマオの顔を使うことは有り得ない。もっと信憑性のある顔を使う。一見すると嘘臭いが、実はこれ以上ない適任だった。

「なるほど。……そうするか」

 リンネの返事にマオは内心だけで勝鬨を上げた。

「あの……衣装は俺に任せてもらってよろしいだろうか」

「好きに」

 あっさりとした答えである。無論着るのがリンネである以上は全く了承を得ずに好き勝手をするつもりはないが、大部分はマオの裁量で事を進められそうである。

「あと、場所はどこにするか。写真撮影だけなら、普通は式典に使えないような所でも使えると聞いたが。海とか」

「海も、興味はあるが。学舎の講堂はどうか」

「講堂って、あの迫力のある?」

 果物を食べつつリンネはうなずいた。開校式や一周年式典などで使われるため、マオも折に触れて訪れている。魔王が生じるよりもさらに前、原初の魔法使いたちも生存しているような時期にこの辺りにあったという遺跡を記録を元にして再現した建物である。

 その遺跡は元々は第二の魔法使いの御殿であったと言われており、現在では解読不可能な、恐らく魔術的に意味があると思われる意匠や設計で溢れている。意匠はどれも独特の雰囲気を放っていて、一朝一夕に真似の出来ない壮麗さがあった。さらにその意匠は理解不可能な手順によって常に強力な空間清浄や照明などの魔術を同時に自動発動させている。中には発動していることは確かであるものの、効果が未知の魔術もあると言う。謎多き建物でもあった。

 曰くはさておき、学舎の中でも特別神聖かつ美しい場所であり、その威風堂々とした佇まいは魔王にすら畏れを抱かせる。

「先約がなければ、誰でも好きに使える」

「好きに……」

「原状復帰が、条件ではあるが。まあ、そもそも、生半な魔術では、建物の改造は、出来ない。単なる汚れも、ある程度は、勝手に綺麗になる」

 簡単そうに言うが、相変わらず規格外の魔術建築である。通常は常時発動する魔術意匠を一つ加えるだけでも難しく、複数、さらにそれら全てを恒久的に発動させるなど不可能に近い。その上に建築物として美しい。

「使えるのであれば申し分のない場所だな」

「では、私が手配しておく」

「分かった。あとは写真家か」

「……卒院生に、いるが。声をかけようか」

「ほう。どうせだから色々検討していいか? 連絡先だけ教えてくれれば勝手に調べて、検討に含めるから」

「……まあ、いいが。好きに」

 こうして証明写真撮影計画は始まった。


「これからいくつか例を出す。これを参考にしつつ一から設計を行いたいと考えているが、俺は本格的な衣装の設計は初めてだ。故に華燭衣装に携わったことがある諸兄から、衣装作成で難しい点や流行、似合う体型などについてお聞かせ願いたい。……というのが、今回お集まりいただいた理由だ。よろしく頼む」

 馴染みの布屋や衣装屋の前に、マオは目録から抜き出した華燭衣装の切り抜きを出した。それぞれの衣装でマオが良いと思った点を挙げていくと、各種専門家たちから意見が上がる。気の知れた中ということもあって、マオの好みに合うような助言や、リンネの風貌に合うかどうかなど、単なる仕事に留まらない熱意での意見が飛び交った。

 その中で、染色屋のタロスが言った。

「白もいいですか、色はつけないんですか?」

 例として出したのは、ほとんどが元来の華燭の典に様式に沿った純白の衣装である。今回の計画の目的が恋人の証明である以上、様式に沿うことは必要不可欠だった。

「今回は写真のみってことですけど、本来華燭の典ってお色直しがあるじゃないですか。そちらは撮らないんですか?」

「んー……。実は、案だけは。……まだ、リンネに許可は取ってないんだが」

 使わないだろうとは思いつつ持って来ておいた切り抜きを広げる。その内の一つ、黒を基調とした衣装の切り抜きを手にして、染色屋は興奮気味に言った。

「これ、すごく良いと思います! もしかしたら失礼になるかも分からないんですが、人間目線で言えば、この配色、魔王の花嫁である人物にぴったりです。マオさんと並んで立つのであればとことん雰囲気あって大丈夫でしょうし。ただ……リンネさんに合わせるなら、もう少し濃い色の方がいいかなぁ」

 皆がやいのやいのと言い出す。やっぱりお色直しの写真までは撮らないとは言いにくい雰囲気である。

 実際のところ、マオもお色直しの衣装まで着せたいとは思っている。二度あるとは思えない機会である。リンネを説得する心積もりは充分にある。

「……もし、やるとしても。この面子だけで俺の分も含めて四着は大変ではないか?」

 一応確認すると、タロスは相変わらずのてらいのない笑みを浮かべた。

「いやいや。マオさんの花嫁衣装づくりなんて大仕事に参加出来て光栄ですし、頼まれれば喜んでやりますよ! 染色屋三代目として不肖タロス、尽力します!」

 他の皆からも、同様の返事があった。


 仕事の傍らでお色直しの件まで含めて衣装について執務室で悩んでいると、前約束なしの客人があった。

 魔物には約束関係なしの人物が多いため約束なしの客人自体は珍しくはないが、その日訪れたのは意外な人物だった。

「マオ!」

 いかにも奔放なお嬢様然とした声が執務室に響いた。

「華燭するんですって? 水臭いじゃない。何で私をご招待してくれないの? もしかして、少し会わない内に忘れてしまった? ミシェラよ、ミシェラ」

 最後に会ったのは三年前である。子供の成長速度は早く、三年経って容貌はかなり大人びたが、その中身はあまり変わっていないようだった。

「どこから聞いた……」

「市中に噂が広まってるけど?」

 衣装を頼む人々には口止めをしている。基本的にリンネと同様に自分の仕事のことしか頭にないあの人らが、マオとの約束まで破って噂を流すとは思いにくかった。

 他に出どころとして考えられるのは、材料屋のレオルである。今でもレオルは市に住んでいるものの、学舎に魔術師の伝手があるらしく、時にマオを上回る速度でリンネに関する情報を仕入れては釘を差してくる。

 今回は華燭の典をすると誤解をして怒り、意趣返しに噂を広めたといったところか。

「私、絶対にマオとリンネさんの華燭の典は見ると決めていたの! きっとキラキラで素敵なものにするでしょう? ユウェンとの華燭の参考にもしたいなと思って。だから忘れずに招待状を送ってちょうだいね」

「いや。華燭の典ではないから」

 簡単に事情を説明すると、ミシェラは肩を落とした。

「あら、そうなの……。でも、どうせならやったらいいのに。市の皆、二人の華燭見たがってる。それに、色々大変ではあるけど何やかんや華燭って思い出になるわよ、って。お母様言ってたもの」

 はっきりした返事を出来ずにいると、ミシェラはスカートの裾を持ち上げて優雅に礼をした。

「もし華燭をすることになったなら、是非ともうちの料亭に。ユウェンが腕によりをかけて、とびっきり美味しい料理をお出しするから!」


「いっそ、やるか。華燭の典」

 中途報告の中でリンネに軽く知り合いとのやり取りを話すと、リンネは言った。

 まさかリンネの方からその言葉が出るとは呆気に取られる。

「……前にも話した通り、人を呼ぶことになるし、相当手間がかかるし。……いいのか?」

「良くはない」

 リンネはしばらく砂糖漬けにしていた果物の皮を口に運ぶ。

「しかし、思えば華燭の典は、分かりやすい、幸せの形。お前のそれを、一目見たいと思う者は、多かろう。フィーとか」

「でも、俺はそのために、お前が無理をするのは」

 乾皮が口に突っ込まれて言葉が途切れる。どうやら黙れということらしい。甘ったるさの中にあるほのかな苦味を味わっていると、リンネは続けた。

「だから、こうする。私たちは、あくまで、撮影会しかしない。でも会場への出入りは自由。持ち込みも自由にしておく。告知はしない。偶然知った者のみ、来れば良い。ただし、何が起きても、責任は取らない。自分の身は、自分で守る。良かろ?」

 それこそ良くはない。マオはこれで重要人物であり、不用意に不特定多数と会うのは推奨されない。人間の中にも魔物の中にも、マオの命や体を狙っている者がいるからだ。

 リンネにだって護衛がついているし、今もこの家の周囲には警備がいる。

 マオを狙う者には大義名分がある者もいれば、単に恨みを持つだけの者もいる。何にせよマオを思い通りにするため、本人ではなく周囲の人々を被害に遭わせようと考えるのは想像に難くない。持ち込みも自由となれば食事に毒物などが混入される可能性がある。爆弾という可能性もある。広域魔術も使える。あまりにも様々な可能性が考えられて対処が追いつかないから、普通は許されない。

 マオ自身、大切な人々が自分に巻き込まれて危険に晒されるのは考えたくはない。普通ならばそう、反対するところだった。

 しかし、まるで自分たちの都合しか考えていないリンネの言葉に、何故だかマオは笑ってしまった。

「……まあ、いいか」

「うん。いいよ。大丈夫。何とかなる」

 元々傷病に関しては頼もしい人であったが、会わない間にリンネはそれ以外の面でもたくましさを身に着けたようだった。旅の中で多くの経験を経たのかも知れないし、長い間一人の人を思い過ぎて脆くなってしまっていた部分が、本来の強さを思い出しただけかも知れない。

 強い声が言う。

「マオ。……好きに。思うままに。願え。きっと、お前が願いを叶えた者が、お前の願いを叶えるから」

 リンネは目を細める。

「私も、その一人と。忘れないように」


 講堂に足を踏み入れた途端歓声が湧いて、同時に耳に心地よい流麗な音楽が流れ出した。

 音のする方を見れば、楽器を持った学舎の生徒たちがいた。人数は少ないが、一人が二つ以上の楽器を演奏することで、まるで楽団のように音が多層に響き渡っている。

 微笑みつつリンネと共に一歩踏み出すと、薄紅色の花びらがはらはらと講堂中に舞った。さらに一歩踏み出せば紫、藍白、緑、瑠璃紺と次々に異なる色の花びらが舞う。全ての花びらは地に落ちる前に消えた。実体のあるものではないらしい。子どもたちが花びらをつかまえようとして、二人の行く先を横切って駆けていく。それで危うく転びそうになったが、マオが魔術を使う前に助け出す手があった。

 子どもを助け出した巨人族の生徒は、その子どもを持ち上げて肩に乗せる。中々ない高さに子どもははしゃいで、甲高い声を上げた。そのはしゃぎ様に反してその生徒の顔はどこか寂しげだったが、それでも笑っていた。

 その生徒を見ながら、リンネはマオを指差す。巨人はうなずいた。恐らくあの生徒が、件の生徒なのだろう。

 人間であれば追い打ちくらいかけるかも知れないが、魔物なので置いておく。見る目の確かさを褒めてもいい。それと後で、巨人族の感じている被差別意識について聞き取りをしておきたい。考えていると、リンネに腕を引かれた。

「おいこらお弟子さん! リンネちゃん以外のこと考えてるんじゃないよ。浮気か!? もし浮気なら伝手使って新聞乗っ取って大々的に報道してやるからな!」

 席から聞いたことのある声でガヤが飛んでくるが、途中で不自然に途切れた。目を向けると学舎の生徒が、材料屋レオルの口を抑えていた。

 口を抑えている方の生徒もどこか見たことのある顔だと思えば、よく式典で生徒代表として壇上に立っている生徒である。直接言葉を交わしたこともあるはずだ。二人の視線を受けて、生徒代表は焦ったように言う。

「あっやべ、俺、何かやっちゃいました……? もしかしてお知り合いでした? 俺より口と態度が悪かったんで不審者かと思って……」

 リンネはぼそりと「ああすればいいのか」と呟いた後で生徒代表に答えた。

「構わん。むしろ、ちょうどいい。そのまま、抑えておけ」

「それは嫌です。俺は今回単なる見物客なんで。仕事しに来たんじゃないんで。つーか生徒代表を便利屋みたいに扱わないでくれますか、先生」

 その隣ではフィエスラがうなずいている。

 無視してリンネは再び歩き出すものの、両脇から良い匂いが漂って来て立ち止まった。立ち並ぶ席に座る人々が皆、同じ中身の弁当を食べている。

「ヒモトにある名物料亭が初めての出張出店です! 本日限定のミシェラとユウェンのお弁当はいかが! とっても美味しくて、その上愛に溢れたお弁当! これを食べれば素敵な恋人が見つかるかも! 買うっきゃない!」

 リンネの視線がミシェラを追いかける。

「……」

「衣装が汚れるから……」

「何も言っていない……」

「たぶん後でくれるよ」

 ぼそぼそとやり取りしているところを写真に撮られ、顔を見合わせて歩き出した。

 講堂の奥には演台がある。

 その前で二人は向き直った。

 一着目は華燭の典に相応しい純白の衣装であった。衣装自体の装飾は排して、リンネ自身の持つ魅力が引き立つようにした。化粧も含めて散々に仲間たちと検討を重ねたお陰で、その狙いは見事に成功していた。魔術をかけられて輝く赤髪が洞窟の中に差し込む一筋の夕陽のように垂れている。首に住む蛇は、首に描き込まれた異国風の紋様の中で大人しく紋様の一部を成していた。

 しかし、落ち着いてリンネを見ていることは出来なかった。頼んでいたより多い写真家や映像屋、即興造形師や音楽家、その他多くの素性の分からない人物たちを見回して、さすがにマオも呆れてしまう。

「……ただの撮影が、随分な賑わいになったな」

「お前の人望のせいだろう」

「生徒の方が多い」

「どうも、お祭好きが、多くて。……あぁ、こいつらも、来たか」

 リンネの視線を追って上を向くと、大量の水が宙を浮いていた。ずっと講堂に流れていた音楽の曲調が変化する。マオは保護のために魔術を使おうとしたが、演台の中に潜んでいた生徒がひょこりと顔を出して二人に声をかけた。

「あっ、余計なことせずに見ててくださいよ、お二人さん! 水芸同好会はここからがすごいんですから!」

「こちらから頼んだ、写真家には。迷惑を、かけるなよ」

「当たり前じゃないですか。我らがリンネ師の晴れの日を雨天にするようなこと、俺たちはやりません。さぁ、ご笑覧あれ!」

 生徒の声と共に、宙に浮いた大量の水は一気に霧散した。かと思えば講堂の天井から床にまであらゆる場所にに五線譜と音符を描いていく。音符は曲に合わせて軽やかに講堂を駆け巡った。人々から歓声が上がる。その際、水の塊は人は巧妙に避けながらも、この撮影会に便乗して儲けようとする人物の視界は遮って、他者に迷惑をかけていた人物の周囲には鬱陶しくまとわりついて、出入り口へ誘導していた。

「見事な……」

 マオはほうと嘆息をつく。講堂を見渡すとあちこちに魔術を用いている魔物が見つかった。その傍らには必ず人間が控えて、時々指示を出している。会話を盗み聞きしてみれば、どうやら魔物は水を操ることに専念し、人間はどうやって操るかの指示をしているようだった。役割を分担することによって細かな操作まで可能にしているようである。人間によっては五線譜を解いてしゃぼん玉を作ったり、細かな霧に映像を投射したりといった思いつきを提案し、魔物が即興でその場で再現してみせる。まだこの学舎が設立してから二年しか経っていないというのに、かなりの連携が培われているらしい。

「どうですか。水やりだけじゃないんですよ、俺ら」

「それを、言いに?」

「これもですけど、生徒代表から治安維持の協力要請があったんで」

 マオも思わず視線を向けると、口に糊をつけられた材料屋を隣に置いて、席でしれっと弁当を食べていた。

「本当あの人、よく働きますよねー」

 水芸に追われて人が減ったところで、あらためて写真を撮られた。正式な華燭の典ではないため決まった日程もなく、誰もが自由に動き回っている。二人の元には次々人が話しかけに来るし、その周囲では知人同士が旧交を温めていたり、好き好きに料理を食べていたり、魔術を使える者は誰がどれだけ華やかに演出出来るか競争し始めている。予定にはなかったものの、そういった様子も含めて撮影された。

 時間が過ぎると、人が入れ替わり立ち替わる。興味本位で訪れた人々が帰り出してから、二人は衣装替えを行った。華燭の典で言うところのお色直し、マオが自分に合わせるために作った衣装による撮影である。

 少しして二人が再び講堂の出入り口に立つと、和やかだった空気はひりと引き締まった。


 日暮れ頃の空に広がる闇が、人の形を取って現れたようだった。

 動く度、衣装の中に微かに星のように細かな光が瞬いた。ともすれば恐ろしげに見える闇の色を、その光が華やかに彩る。左目と首にある金が、星々を率いる宵の明星と月の如く一際目立って静かに光っている。その隣には凶星の如く赤い目が浮かんでいた。

 頭には衣装と同じ闇の色や赤で編まれた花の冠。花はどれも布で作られ、実際の花以上に豪奢に出来ている。花ではあるが可愛らしさはなく、むしろ人を寄せ付けない攻撃的な美しさを持つ。

 衣装に垂れる赤髪は血潮のようだった。

 対して、マオが着ているのは記憶を頼りに、かつて着ていた服を再現したものである。ただし全く同じではない。かつては人間に限らず相対する者全てを威圧するように作られていたが、今はその必要はないため、美しい意匠だけを残している。結果として恐ろしさが抜けてマオ自身の持つ威容が際立ち、この講堂の主のような風格を醸し出している。

 二人並ぶと、花嫁と花婿と言うより、二人の魔王がいる様だった。

「静かで、よろしい」

 リンネは講堂を見渡して尊大に言い放つ。一部の生徒にとっては聞き慣れたセリフだったが、今は酷く冷たく響いた。気圧されて、自主的に演出を担当していた生徒たちも指一つ動かせないでいる。しかし一切の装飾なしに、二人は美しかった。

 講堂の奥に向かって伸びる白い道を歩き出す。

「建前は見物客だが、一応、祝いに来てもらったんだから」

「……口が。滑った」

 どこかのんきな二人の会話と足音だけが講堂を満たす。写真家は思い出したように撮影用の道具を構えて、その様子を撮影していく。どれも戴冠式でも見ているような緊張感に満ちていた。

 最初にこれで出て来てくれてれば、俺の仕事も減ったのにな、と生徒代表は内心でぼやく。

 美しくはあるが、今の魔王を知らず頭の固い者に見せれば非難を呼ぶだろう、とフィエスラは思う。

 二人は再び演台の前に立つ。近づこうとする者はない。講堂を巡る魔術の流れすら感じ取れるようである。

「華燭の典には、誓いを交わす、儀式が。あるな」

 講堂を睥睨しながら、ふとリンネが言った。マオは思わず顔を向ける。

 リンネが言う儀式は、生涯お互いだけを愛することを誓うために行われる。元の華燭の典においてその儀式は要となるものである。

 しかし、それはリンネに求めるには重過ぎる誓いだった。

 二人共その誓いについて話したことはなかったが、当然のように念頭にあった。だがあえて口に出すものでもなかった。お互いに答えは分かっていたから。だから、人を呼ぶのが手間であると言って、避けていた。

「リンネ」

「まあ。私は、誓わない、けど」

 いたずらっぽく微笑むリンネにマオは「分かってるよ」と笑い返した。リンネ自身が誓うことはない。誓うのは、マオだけ。何一つリンネの罪になることのないように。霧深い谷の側で交わした言葉は違えない。

「誓おう。お前の時間は、俺が満たし続ける」

 礼式に従い口付ける。

 誓いと言うより、どこか祈るような気持ちだった。

 マオだって未来のことは分からない。当然リンネへの言葉を違える気は一切ないけれど。実のところ、何もかも嘘となってしまうことがないとは、けして、言い切れないとも思ってはいる。リンネが諦めさせてと願う程に一つのことを思い続けるのは辛い。どれだけ強い意志もいつかは色あせてしまう。

 けれど、どうか。そうならずに居続けてくれと未来の自分へ向けて願う。魔物の願いを叶えるのが魔王なのであれば、マオの願いも叶えてくれるはず。

 リンネの側にいるのは、自分であり続けてほしかった。

 口が離れた途端、リンネは微かな衣擦れの音で消えてしまう程に小さく囁いた。

「だが、私は、物言わぬ死者でもない……」

 そして色の違う両眼と首の目で、マオを射抜いた。

「マオ。いつか私に。永遠を、信じさせて。……お前にしか、出来ないのだから」

 その目の中に、未来が見えたような気がした。

「……約束する」


 リンネは、日の当たった花が綻ぶように笑った。

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