第12話 アーノルドとテオドールの関係が微妙な理由
夜のダンスまで見て城に帰ったら、館の前の門でアーノルドがひとり腕組みをして待っていた。
すさまじい威圧感だ。
レギーナ、ロビン、テオドールの三人は立ち止まった。
アーノルドのほうがつかつかと歩み寄ってきた。
ロビンとアーノルドが正面から向き合う。
「ひとの家の未婚の娘を日が沈むまで連れ回すとはいい度胸だな」
テオドールが笑顔を作って「まあまあ」と間に入ってこようとした。
それを、アーノルドは押し退けた。
「ちょっと、兄上」
「子供は黙っていろ」
「僕がずっとついているから大丈夫だと言ったじゃないか。約束どおり一瞬たりとも姉上とロビン王子から離れなかったよ」
レギーナも震える声で「そうよ」と加勢する。
「ずっと人目につくところにいたもの。別邸の人たちも見てたし、変なことは何にもしていないんだから」
一瞬キスしそうな雰囲気になったのは秘密だ。それこそアーノルドがどんな反応を見せるかわからない。
もちろんアーノルドは納得しない。
「そんなもの黙らせようと思えばいくらでも黙らせられるだろう」
ロビンの隣にいたレギーナの腕をつかむ。強引に引き寄せ、肩を抱く。
「夜の踊りが何のためにあるか知っているか」
レギーナはどきりとした。
「あれは男女の出会いの場だ。夜の闇の中で炎に浮かされてお相手探しをする。中にはそのまま消える者もある。消えた後どこで何をするかわからないほど子供ではないだろう」
アーノルドの服の胸を握った。
「ロビン様をそんな人だと言いたいの!? それにわたしたちダンスには参加してないわよ!」
「だがそういう雰囲気の中ふたりでいたのは事実だろう」
「だからずっとテオドールと一緒にいたと言っているじゃない!」
「テオドールこそ抱き込もうと思えばいくらでも抱き込めるではないか」
その時だった。
「あっそう」
冷めた声が聞こえてきた。
「兄上は僕のことをそういうふうに思ってるんだ」
それを聞いて、アーノルドが黙った。
門の上に据え付けられた松明に照らされ、テオドールの顔が見える。
十五歳という年齢に似つかわしくないほど冷めた表情をしている。
この子は時々そういう表情を見せる。レギーナより――ひょっとしたらアーノルドよりひどく大人びた表情だ。まるで世界に落胆しているかのような。
ぎゅっと、胸が締め付けられる。
「……アーノルド殿」
口を開いたのはロビンだ。
彼は困った顔で微笑んでいた。
「ずっと思っていたのですが」
「何だ」
「アーノルド殿は、ご自身の妹君や弟君をあまり信頼していらっしゃらないのかな、と思うことがあります」
アーノルドが目を見開いた。
ロビンは冷静だ。
「このふたりがそうと言っているのだから、そう。それではいけませんか」
少しの間、静かになった。誰も口を開かなかった。松明の炎がぱちぱちと爆ぜる音だけが聞こえていた。
ややして、アーノルドが、レギーナの肩を抱いたまま踵を返した。レギーナも後ろ、つまり城の中の館のほうを向くことになった。
「来い」
正門からはもちろん、館のひとつ前の門からも、館までは距離がある。大きな城の姿はすぐそこのように見えるが、防衛の観点から角をふたつ曲がらないと玄関まで辿り着けない仕組みになっていた。
アーノルドは怒っているようだったが、それでもレギーナに無理な早足をさせないように、小さな歩幅で歩いてくれた。そういう細やかなところは、彼はとても優しい。
それなのに――ロビンの言うとおりだ。
彼がいつも怒っているのは、レギーナやテオドールが思いどおりにならないからかもしれない。
レギーナやテオドールをまだ反抗的な子供だと思っているからだろうか。
それとも、もっと根本的なところで、自分たちをアーノルドと敵対する存在だと思っているのか。
アーノルドとレギーナの後ろを、ロビンとテオドールが無言でついてくる。
どれくらい歩いた頃のことだっただろうか。
「貴様に話しておかねばならぬことがある」
ロビンが「僕ですか?」と問いかけると、アーノルドは「そうだ」と答えた。
「俺と、レギーナとテオドールは、母親が違う」
レギーナは驚いた。
それを兄自身が他人に話すところを聞くのは、これが初めてだ。
「レギーナとテオドールの母上であるマグダレーナ様は、とても素晴らしいお方だった。身分の低い女の息子である俺を実の子のように――いや、時にはレギーナやテオドールより可愛がってくれた。優しくて、心身ともに美しいお方だった」
ぎゅっと、唇の内側を噛み締める。
両親からは、何度も聞かされてきた話だった。
アーノルドの母親は城に勤めていた洗濯の女性だったのだそうだ。城下町の貧しい家の出で、騎士たちの間で
三人の父親であるオットーは彼女と激しい恋をした。互いの身分を忘れ、世間の人々から非難の声を浴びせられながらも、オットーは彼女を愛した。
ふたりの恋に巻き込まれて、多くのものがめちゃくちゃになったという。騎士団の秩序も、オットーの婚約者も、民衆の支持も。ふたりの愛は深かったが、周囲を顧みないところがあったようだ。
何より、ふたりの名誉が傷ついた、と言う者がたくさん現れた。ある者は彼女が侯爵をたぶらかした魔女だと罵ったし、ある者はオットーを権力に任せて女性を手込めにした男だと罵った。
それでも、ふたりは世界を敵にして結ばれ、やがてアーノルドを授かった。
そしてふたり目、アーノルドの弟にあたる赤ん坊の時に、難産で命を落とした。アーノルドの弟も死産で、母親とともに城の裏の墓でひっそりと眠っている。
その後オットーは何年も喪失感に悩まされ、騎士団を建て直して信頼を取り戻そうとしたがうまくいかず、失意の日々の中にいた。
そこに現れたのがマグダレーナだ。
マグダレーナはもともとデラフト公国という国の公女で、夫と死に別れて実家の公国に戻ってきたところだった。
デラフト公国とナスフ侯国は正真正銘の同盟国で、長らく友好関係にあった。それこそ、ファルダー帝国が成立する前から国交があったのだ。マグダレーナとオットーも幼馴染の関係で、幼少の頃から交流があったらしい。
夫と死に別れたマグダレーナと恋人と死に別れたオットーは、手紙を通じて慰め合い、仲を深め合い、マグダレーナはオットーを導き、ナスフ侯国をひとつにまとめ直させた。
そして互いの傷が癒えた頃、ふたりは再婚した。
そういう流れで生まれたのがレギーナとテオドールだ。
アーノルドとレギーナの間に十個もの年の差があるのは、それだけオットーがアーノルドの母親のことを忘れられなかった証なのだ。
「俺はこの家にとって邪魔な存在だった。認められてはいけない存在だ。だが、マグダレーナ様は俺を守ってくださった」
レギーナの胸が、ずきりと痛む。
そんなことを考えている人間はもう誰ひとりとしていない。誰もがアーノルドのことをマグダレーナが慈しんで育てた息子として認めている。オットーもアーノルドを我が子として大事にしている。三兄弟に年齢以外の差はない。
だが、アーノルドひとりが今なお気に病んでいる。
「だからこそ。俺が、マグダレーナ様がお産みになったレギーナとテオドールを守らなければならない。なんとしてでもふたりを立派な大人にしなければならないのだ」
テオドールがぽつりと言う。
「でも。長男は兄上だよ」
ここが、アーノルドとテオドールの難しいところだった。
文武に優れ、今や帝国最強の騎士となり、ナスフ侯国軍の代表者にまで出世したアーノルドは、弟のテオドールにとって誇りで、自慢の兄だった。
しかし彼はいわゆる非嫡出子で、公的にはこの家の跡取りにはなれないことになっている。
次男だが公女であり正式な妻であるマグダレーナの息子のテオドールが、この家の次期当主だ。
だからこそ、テオドールはこの家を出て吟遊詩人になるなどと言っている。兄に家督を譲りたいに違いない。
「――存じ上げておりました」
ロビンが言った。
「直接お会いしたことはありませんが、マグダレーナ様の評判は帝国中に響いていますので。しかしかの方がナスフ侯国に嫁がれたタイミングを思うと、アーノルド殿とは年齢が合いません」
「そうか。……まあ、そうだろうな」
「かといって、もうあなたの実のお母様を魔女だ何だという人はいないと思います。少なくとも、王国では聞いたことがありません」
「……そうか」
兄のまっすぐの黒髪が、かがり火の炎に照らし出されて輝いている。
レギーナとテオドールの髪は、緩やかに波打つ金の髪だ。
「だから、僕はあなたを帝国軍に、いえ、王国に迎えようか、という話をさせていただいたのです」
ロビンが最初に城に来た日のことを思い出した。
「もしナスフ侯国にいて息苦しいのなら。帝国軍は、帝国の中にいる人なら――そしてあなたほど優秀な方なら、歓迎します」
もしかしたら、アーノルドが即答しなかったのも、そこに原因があったのかもしれない。
泣き叫びたい気持ちになる。
行かないで、お兄様。
本当は、レギーナはこの兄のことも好きなのだ。家族としてずっと一緒にいたいのだ。
彼には、ナスフ侯国の、ナスフ侯爵家の誇りとして、半永久的にこの国の守護神でいてほしいのだ。
しかしそもそも、冷静に考えて、長男を騎士として戦場に出すのが間違っている。跡取り息子を戦死する危険性のあるところに出すというのは、ファルダー帝国の貴族社会ではめったにないことだ。
オットーはもともと爵位を継ぐ予定のなかった三男で、兄たちが夭折したから今の身分にある。
長男だが剣を取ったアーノルドを、テオドールはどんな目で見ているのか。
何が帝国最強だ。
その座はアーノルドの生まれついての挫折感と自己犠牲で得た称号だ。
「……まあ、貴様がこのことを知っているのならばもういい」
館の正面についた。
アーノルドはなおもレギーナの肩を抱いたまま、振り返った。
ロビンとテオドールが並んで立っていた。
「俺はマグダレーナ様の御子たちを守りたいだけなのだ。……信頼していないわけではない」
ロビンは苦笑して「わかりましたよ」と答えた。
「では、今宵はここで失礼します。また明日の朝最後のご挨拶に参ります」
「そうか」
「おやすみなさい。ごきげんよう」
レギーナもロビンに「ごきげんよう」と言って小さく手を振った。
ロビンは歩き出す前に、テオドールにこんなことを言った。
「まあ、次男はいろいろありますよ」
そういえば、ロビンは第二王子なのだった。くにに帰れば兄が待っているのだ。
「あまり悲観せずにね」
テオドールが頷くと、ロビンは静かに城を去っていった。
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