おまけ

前日譚 この時のロビンはまだその娘の手で自分の運命が覆されることを知らない

 毎朝必ず決まった時間に侍従官が起こしに来る。

 ロビンはいつもその前に起きなければならない。

 自分が起きて待っていないと、体調が悪くて起き上がれないのかと疑われて大騒ぎになる。


 ロビンが起き上がれないとなれば、この城、否、この国は一大事だ。


 自分の体調はこの国の未来に直結する。


 少しでもいつもと変わったことがあると、部屋の外に出ることを禁じられ、食事を用意した人間が罰せられ、侍医が文字どおり丸一日張り付く。


 それがわずらわしく、また恐ろしくて、ロビンは健康でいなければならなかった。


 昨夜もロビンはカーテンを開け放って寝た。

 そうすると朝日が入ってきたことで朝の訪れを感じて目を覚ますことができる。


 時々、もう朝かもしれない、と思って深夜に目を覚ます。あるいは何度も寝直して寝坊して大事件に発展する夢を見る。

 おかげでロビンはここ数年眠りが浅くなった気がしていたが、それを言うとまた心身に異常があるのではないかと言われてしまうので口に出せずにいる。


 起き上がってまず、カーテンを閉めた。自分は真っ暗な部屋で安らかに眠っていたということにしなければならない。


 いつもの時間に侍従官が来た。


「おはようございます、殿下」

「おはようございます」

「お体の調子はいかがですか」

「いつもと変わりません」


 侍医が入ってくる。


「では」


 侍医が、脈を取り、顎の下に触れる。口を開け、喉の奥を診る。


「ようございますね。異常はございません」


 そこまで確認してから、侍医が下がっていった。


 これも、いつもの流れだった。


 続いて侍女が入ってきた。


 朝食のパン粥が入ったボウルとオレンジをのせた皿をカートで運んでくる。


 これもいつもと変わらぬメニューだ。


 絶対にいつもと違うことがあってはならない。


 出されたものを無言で食べる。


 その様子を複数の人間が見守っている。

 文字どおり、一挙手一投足を、みんなが見つめている。


 味を感じない。


 短時間で済ませた。

 腹はまだ足りないと訴えていたが、この分量を守らなければならなかった。

 すぐに片づけさせた。


 次は着替えだ。


 これも布の生地の肌触りや厚さにこだわりがあるらしく、ロビンの意思で服装を決めたことはない。


 朝はまだ肌寒いのでいいのだが、日中は気温がかなり上がる。だがロビンの自由意志で着替えることは許されない。その厚みで寒さをしのぐようにと言われている。

 汗をかいても、かえって風邪をひくかもしれないという理由で薄着になることは禁じられている。

 矛盾を感じる。汗をかいて冷たい服を着ていたほうが風邪をひく可能性は上がるのではないかと思うのだが、周りはまずロビンが汗をかくことを認めていない。ロビンがそこまで活発に動き回ることは想定していないのだ。


 それもこれもすべて、基準がケヴィンにあるからだった。


 ケヴィンが、起き上がれない日があるし、体調をチェックしなければ命に直結する異常が見つかる日もあるし、食は細く、寒さに弱い上に汗をかけない。


 それを、両親はロビンにも当てはめて考えている。


 物心がついた頃からこうだったので、ロビンは一度も逆らったことはない。どこの王侯貴族の家でも似たようなことをしているのだと思っていた。


 ただ、窮屈だった。

 ただただ、窮屈だった。


 熟睡してみたいし、寝坊してみたいし、誰にも触れられることなく、朝からお腹いっぱい食べ、好きな服を着てみたかった。


 けして許されない大罪だ。


 すべての支度が整うと、学問の時間が来る。

 御用学者が登城して、政治経済について論じる。

 これをするのはロビンだけだ。


 ロビンはベッドから起き上がれないケヴィンに代わって勉強しなければならなかった。王を支える存在として政治をしなければならなかった。

 それが母の望みだ。


 城から出ることもほとんどない自分が外交だの交易だのということに携わるのだと思うと失笑ものだが、今のロビンは、これはこういう儀式だと思って受け入れている。

 いざその時となったら、きっと誰か権力欲の強い者が宰相でも何でも狙って口を挟んでくれるだろう。その混乱をへらへらして乗り切ればどうにかなるはずだ。何があっても何もなかったかのように振る舞うのは得意だ。


 そう思っていた。


「ロビン殿下」


 今日はいつもと違うことが起きた。


「国王陛下がお呼びです」


 ロビンは驚いて侍従官の顔を見つめた。


「父が?」

「はい。大事なお話があるとのことで、いつもの朝の支度が終わったらすぐに呼び寄せるようにと申しつけられました」


 何だろう。何か特別行事があるわけではないはずだ。


 一瞬、背筋を悪寒が駆け上がった。


 兄に何かあったのではないだろうか。

 体調が急変したのか。


「兄上は?」


 尋ねると、侍従官は何でもない顔で答えた。


「いつもどおり部屋でお休みです」


 胸を撫で下ろす。


「今日はケヴィン殿下ではなくロビン殿下にとのお話です」


 今日は、ではなく、今日も、なのだが、ロビンは余計なことは言わない。


「わかりました。行きます」




 謁見の間に向かうと、両親が揃って玉座にいた。


 ふたりとも険しい顔をしていた。

 楽しい用事ではなさそうだ。


 父の前でひざまずく。


「ただいま参りました」

「楽にするように」


 叱責される雰囲気でもなさそうだ。また何かミスを犯して説教をされるのかとも思っていたが、そうでもなさそうである。


 父はしばらく間を置いた。沈黙して、ロビンの顔をまじまじと眺めていた。


 いつにないことに、ロビンはまた別の不安を感じた。

 だが口には出せない。


 自分には、意思や感情があってはいけない。


「ロビン」


 父が大きく息を吐いた。


「お前に行ってもらいたいところがある」


 ロビンは目を丸く見開いた。


「僕が外に出るのですか」

「そうだ」

「ひとりでですか」

「ああ」


 もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

 兄の療養のお供で地方に行くことはあったが、ひとりで外出する、というのは今までにないことだった。


「どこにですか」

「ナスフ侯国だ」


 驚きのあまり口を薄く開いたまま硬直した。


 それはファルダー帝国で最強と謳われる騎士団の国で、難攻不落の城塞都市に首都を置き、君主のナスフ侯は虎視眈々と帝位を狙っている、反パランデ王国同盟最大勢力の国だ。


 つまり、敵国だ。


 どうしてそんな危険なところに――と思っても言葉が喉から出ない。


「ナスフ侯オットーから手紙が来た」


 父が重々しい声で言う。


「娘のレギーナ嬢が十七で年頃だ。婚約者として若い男を探しているのだそうだ」


 さすがに、声が震えた。


「友好関係にある国に嫁がせないのでしょうか」

「気に入らないのだそうだ。最強の騎士アーノルド・ナスフが、今までの婚約者がナスフ家にとって都合の悪い小者であるとみなして、次々と追い返してしまったらしい」

「だからと言ってなぜ僕に」

「ファルダー帝国の名誉と強固な地盤固めのために、と言うが、それはおそらく大義名分だ。御大層な目的を掲げて、最終的にこの国を乗っ取るつもりなのだろう」


 眉間のしわが深い。


「だが、逆らえない。ファルダー帝国はナスフ侯国を失ったら終わりだ。万が一ナスフ侯国が反乱を起こしたら我々にはなすすべもない」


 わかってはいたつもりだったが、そこまで追い詰められていたのか。


「それに」


 そこで、硝子の杯に口をつける。さすがにこの時間では酒ではないだろうが、この話をしながら水分を欲するほど思い詰めているのか、と思うと不安を掻き立てられる。


「我が家も縁談が必要なタイミングだ」


 ロビンも顔をしかめた。


「と、おっしゃいますと?」

「これまでお前が未熟なので黙っていたが、もう来年二十歳になる。そろそろ子供を作ってもらわねばならぬ」


 すとんと腑に落ちた。


「王家の血をつながなければならぬ。王家の血を引いた子供が早急に必要なのだ」


 なるほど、と頷いた。


 心肺が弱く体力のない兄は生殖行為に向いていない。

 その仕事がロビンに回ってきた。

 ケヴィンの代わりに、子供を作らなければならない。


 ロビンはどこまでもケヴィンの代役だ。


「ナスフ家の子供は三人とも身体が頑健だと聞いた。しかし私の身辺にはレギーナ嬢に直接会った者はないので確証がない。その娘が繁殖に適しているかどうか、お前が自分の目で確かめてこい」


 それでも、この城を出て外国に行ける、というのが今の自分が縋れる唯一の希望のように思われた。


「承知致しました。このロビン、必ずや務めを果たしてまいります」

「うむ」


 ずっと黙っていた王妃が、このタイミングで口を挟んできた。


「元気で明るいお嬢さんでしたら、ケヴィンとの結婚はどうか打診してみてくれませんか。ケヴィンもずっと独り身では寂しいと思うのです。それに本来ならばケヴィンの子供が王位を継ぐべきで――」

「うるさい!」


 王が怒鳴る。


「ケヴィンの子供も胸が悪かったらどうする気だ! パランデ王家を絶やしてはならぬのだ!」


 一刻も早くこの空間から出たい。


「今から旅支度を致します。ここで失礼してもよろしいでしょうか」


 そう申し出ると、ふたりとも頷いてくれた。


「気をつけて」


 母の優しい声が寒々しかった。




 レギーナ・ナスフ――哀れな娘だ。ファルダー帝国の中の揉め事に巻き込まれ、またパランデ王国の中の揉め事にも巻き込まれ、これが初対面になる男とむりやり結婚させられ、敵国にひとり嫁ぎ、王家のためと言われて子供を産まされる――どんな人生なのだろう。


 春の澄んだ空を見上げた。


 せめて自分が女性の好むタイプの男であれたら、と思う。

 女性はどんな男を好くものだろう。今まで城に勤める者以外の女性と接したことがないのでわからない。きっと清潔だったほうがいい。服装は? 言葉遣いは? どんな表情で接すればいい?

 嫌われたくない。子供を作るということはそういうことなのだから。


 嫌われたくない。


 どうするのが正解なのだろう。






 この時のロビンはまだ、彼女との出会いで自分の世界観が根底から覆されることになるのを知らない。
















<本当に完結>


ご愛読ありがとうございました😊

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王子様と婚約したいのにシスコン兄のせいでダメかもしれない 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid

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