第17話 もうすでにお見合い失敗の空気を感じるんですけど
作戦決行の日、レギーナは兄の侍従たちと入念に話し合って兄を飾り立てた。
できる限り大貴族の御曹司に見えるようにがんばって作り上げた。
夏なので軽く薄い生地でできたジャケットを着せ、瞳の色に合わせたリボンで髪を結う。
兄はこれでも元はいい。普段は荒くれ騎士団の一番槍だが、ちゃんとすればそれなりだ。
「ここまでやる必要があるのか?」
まさか自分の婚約者候補が来るとは思ってもいない様子のアーノルドがうろたえる。
「どんな客が来るというのだ」
レギーナはしれっとした顔で答えた。
「イヴァーノ・ザミーン様とその妹君のカロリーナ嬢よ」
兄は「は?」と顔をしかめた。
「お前がテーブルクロス引きをした回の男ではないか。それがなぜ妹を連れてまたうちに来る?」
そう、忘れもしないテーブルクロス引きの中庭の円卓につく。
完璧なお膳立てをした。
もう逃げられない。逃がさない。絶対このまま次のシーンに突入するのだ。
レギーナは笑顔で伝えた。
「わたしとイヴァーノ様がダメなら、カロリーナ様とお兄様で家族になるのはどうかしら、と思って」
兄が、がたん、と音を立てて椅子から立ち上がった。
「そういうことならば俺は会わない」
「どうして会う前からそういうことを言うの」
だがこう言い出すのは想定の範囲内だ。レギーナはつんと澄まして余裕の態度を見せた。
「俺は結婚しないぞ」
「お兄様はそうおっしゃるけど、わたしはわたしが結婚する前にお兄様に結婚していただきたいの」
「どうしてまた」
「兄を差し置いて妹のわたしが先に結婚するのが嫌だからよ」
というのも本音だが、もうひとつ、兄をなんとかすれば自分とロビンの結婚生活も穏やかなものになるんじゃないか、と思っているのは秘密にする。
兄が眉間のしわを深くする。
「だいたい、お相手探しをする前から諦めてしまうだなんて。何か差し障る事情があるわけでもないのに」
「差し障る事情があるだろうが。俺の母親は――」
「またそういうことを言う。アリアさんの名誉を傷つけているのは他ならぬお兄様ご自身よ」
レギーナのその台詞を聞いて、アーノルドは一瞬動きを止めた。
「わたしたち家族が、誰も気にしていないの。それに先方様も気にしないと思ってくださっているから今日の場をセッティングしてくださったのよ。気にしているのはお兄様だけ。お兄様ひとりだけがこの家で不幸そうな顔をしているの」
「……そうか……?」
じっと瞳を見つめて、「ね」と問いかける。
「これをチャンスだと考えて。もしお兄様が自分の思う家庭像に自分が当てはまっていないと思うなら、お兄様が思うとおりの家庭を築き上げてほしい。どういう家庭に身を置くのが幸せか、自分の手でなんとかしてみせてほしい。そのための第一歩だと考えてほしい」
レギーナから目を背け、うつむく。
「そういうわけではない。俺はこの家にいるのが不幸なわけではないのだ。むしろ、お前たちが大事だからこそ、俺が足を引っ張っていないか不安になるだけで……」
ところがその言葉は、レギーナからしたら嬉しい。
いつも強気で勝気な兄から不安という単語が出てきた。
兄の不安を受け止めてやれると思われるほど、大人として認めてもらえた気分になれたのだ。
「俺に家庭を持つ資格があるのだろうか……?」
「そういう理由で避けていたのならなおのこと結婚すべきだわ」
レギーナは微笑んでみせた。
「それに、静かでおっとりとした、落ち着いた女性がいいんでしょう? カロリーナ様はそういう女性よ」
「あれはそういう意味だったのか……」
そうこうしているうちに金茶色の髪のふたり組が館のほうから姿を現した。
イヴァーノとカロリーナだ。
ふたりとも髪と同じ金茶の瞳で、見た目はよく似ている。
ただ、どちらかといえば社交的で朗らかなイヴァーノの笑顔に反して、カロリーナは内気で少しうつむいている。雰囲気はあまり似ていない気がする。
年齢は、兄のイヴァーノが二十三歳で、妹のカロリーナが十九歳だ。
アーノルドとカロリーナは八個も年の差があることになってしまうが、この際そういう細かいところは目をつぶってもらおう。
侍従に椅子を引かれて、イヴァーノとカロリーナが席に着いた。
あの時と立場が逆転した。あの時はアーノルドが保護者だったが、今度はレギーナが保護者だ。
「ごきげんよう」
レギーナが率先して微笑みかけた。
「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
イヴァーノがそう言うと、カロリーナが会釈をした。
「こんにちは、カロリーナ様! もう何年ぶりかしら? わたしのことを覚えていてくださって嬉しいわ」
彼女と最後に会ったのは母マグダレーナが生きていた頃のことだ。カロリーナが母の開いた舞踏会に顔を見せたのである。
さて、あの時は彼女と何の話をしたのだったか。思い出せない。というか会話をしただろうか。カロリーナは静かすぎる。
何も言わずに固まっている彼女を見ていると、徐々に不安になってきた。
この家はレギーナもテオドールもオットーも、そして誰より他ならぬアーノルドが大きな声で自己主張をする。物静かで気が弱そうなカロリーナは馴染めるだろうか。
イヴァーノがぺらぺらと話し始める。
「いや、先日は本当にすみませんでした。私も少し混乱してしまって。私が情けないばかりにレギーナさんを困らせてしまいましたよね。私はあなたにはふさわしくない男ではないと判断して身を引いてしまいました。不安にさせてしまったのならまことに申し訳ない」
本当にそのとおりなのだが、今のレギーナは深く気にしないことにしていた。何せ彼との婚約がダメになったおかげで自分はロビンという素晴らしい男性に出会えたのである。
イヴァーノの百万倍くらいロビンはいい男だ。
ロビン様だいすき。彼のことを思えばどんな苦難だって乗り越えられる。
「恐れ入ります」
あの時とは違って澄ました顔をしていられるのも全部ロビン様のおかげ!
「しかしもう一度チャンスをいただけるのは我が家にとって本当にありがたいことです」
イヴァーノのその言葉を聞くと、レギーナはまた別の意味で不安になった。
「これでうちのカロリーナがアーノルド殿のお気に召せば、よりいっそうナスフ侯国とザミーン侯国の仲が深まるわけですから。ナスフ侯国は反パランデ王国同盟の盟主。我が家の騎士団もそちらほどではありませんがそこそこできるつもりです。我々が組めば帝冠だって手が届きますよ」
忘れていた。言われてみればそんな話題もあった。
レギーナにとっては純粋に兄の幸せを願っての結婚だったが、イヴァーノにとっての結婚はそういうものなのか。
誰にも気づかれないよう、密かに息を吐いた。
気になる点はふたつ。
まず、それでカロリーナは幸せなのか、ということ。
国と国との結びつきのために結婚する。それも今まで何の接点もなかった男性と。
レギーナからすればアーノルドは優しいひとだが、カロリーナは彼がそういう人であるのをまだ知らない。もしかしたら兄イヴァーノから悪評を吹き込まれているかもしれなかった。
次に、反パランデ王国同盟、という物騒な言葉が出てきたこと。
わかっていたつもりではいた。
自分とロビンの結婚は父の大いなる政治的野望によって結ばれた縁組。帝国の勢力図を大きく塗り替えるものだ。
今でこそレギーナはロビンが好きで自分から彼との結婚を望んでいるが、父の気分次第では、自分とロビンは対立する家同士の結ばれてはならない関係だったかもしれない。
レギーナは悠長にアーノルドとカロリーナの気が合えばなんて考えていたが、イヴァーノはきっとそんな甘いことは考えていない。
「あの……、イヴァーノ様」
レギーナはおそるおそる尋ねた。
「わたしの新しい婚約者様のこと、何にもご存知ない……?」
イヴァーノが明るい声で笑った。
「噂だけは聞いておりますが、しょせん噂でしょう?」
冷や汗をかいた。
「まさか、ナスフ侯国が我々を裏切ってパランデ王国につくだなんて。そんな馬鹿げた話はありませんよね?」
どうしよう。何て説明したらいいんだろう。
助けを求めて兄の顔を見た。
兄も険しい表情でレギーナを見ていた。
「まあ、おいおい説明させていただければよかろう」
兄が言う。
「まずは俺の話なのだろう?」
レギーナは胸を撫で下ろした。
「そう、カロリーナ様」
声をかけようとして、彼女のほうを見た。
緊張のあまりか、真っ青な顔をしていた。
ありゃりゃ。
「も……申し訳ございません」
カロリーナが立ち上がる。
「わたくし、少しだけ、お花摘みに行ってもよろしいでしょうか」
遠回しにお手洗いに行きたいということだ。
「ええ、どうぞどうぞ。うちの侍女に案内させます」
レギーナは近くにいた侍女のひとりを適当に呼び寄せた。さすがにお手洗いは兄に案内しろとは言えない。
カロリーナが自分の侍女とレギーナの侍女の三人連れ立って館のほうに歩いていくのを見送った。
大丈夫だろうか。
すでに失敗している雰囲気を感じて、ちょっと頭が痛い。
心の中で、自分がふたつに割れる。
次に行こう、次、という自分と、そんなに簡単に破談にしては傷つくのはカロリーナなんだ、わたしが味わった苦痛を彼女にも味わわせたくない、という自分と……。
結婚というのは本当に難しい。
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