第27話 意地でもこの城に住んでやろうと思った

 王城の中は広くて明るく、開けた港町にあるパランデ王国のおしゃれな気風を感じられた。


「戦火で何度も焼けて頻繁に建て直しているからです。単に新しいのですよ」


 隣を歩くロビンはそんな自嘲的なことを言うが、レギーナは古くて寒くて冷たい石組の城で育ったのでこれから先この美しい城に住めるのだと思うと気持ちがふわふわした。


 ロビンとふたり庭を散策する。秋薔薇の咲き誇る庭は綺麗で、塩害なんてどこにもないような気がした。海の近くだからといって不毛の土地ではない。


 未来の何もかもが明るい。


 父が謁見の間から出てきて、柱廊に背を向けてふたりで談笑しているレギーナとロビンに話しかけた。


「レギーナ、ロビン、ふたりとも来なさい」


 レギーナはすっかりオットーにとってもロビンが息子同然の扱いになっていることに気づいてちょっと笑ってしまった。


 謁見の間に入る。


 赤いカーペットの敷かれた床、高い天井、はめこまれた硝子の窓、まるで礼拝堂の中に入ったかのようだ。


 正面の玉座で王と王妃が待っている。ロビンの両親だ。


 いまさら緊張してきた。


 このふたりが、自分の義理の両親となる人々で、これから一緒に過ごす家族になる人々だ。


 ロビンのように優しくて穏やかな息子のいる人々だ、そんなに恐ろしい夫婦であるとは思えない。けれど数々の婚約破棄を経験してきたレギーナは緊張で手が震えてしまった。


 その手を、ロビンがつかむ。


「大丈夫です」


 ロビンが微笑む。

 その笑みにどこか暗いものがあるのは気のせいだろうか。


「大丈夫ですよ」


 まるで彼自身に言い聞かせているようだと思ってしまうのは、気のせいだろうか……。


 三人でカーペットの上を歩き、王と王妃の前に向かう。


 途中でロビンが手を離した。でも、大丈夫。すぐそばにいる。


 国王夫妻の正面で、父は軽く礼をした。レギーナは目を伏せ、ドレスの裾をつまみ、片足を引いて、深くお辞儀をした。


「ナスフ侯爵家長女レギーナでございます」


 声が硬いのを悟られないといい。


「顔を上げよ」


 言われたとおり、顔を上げる。


 ふたりの顔を見る。


 ふたりとも年齢は父より少し若いと聞いていたが、痩せて華奢だからか父より老けて見えた。


 王ははしばみ色の髪をしていた。ロビンと同じ、虹彩が翠から金茶に変わる神秘的な色の瞳だ。肌が少々くたびれているが端正な顔立ちの男性で、ロビンは父親似なんだな、と思った。


 王妃はレギーナよりも明るい白金の髪を高く結い上げていた。氷色の瞳をしている。高い鼻筋に切れ長の目で、美しいがどことなく硬質そうな雰囲気の人形めいた人だった。


「よく来てくれましたね、レギーナ」


 王妃が言う。その声がなんとなく優しく聞こえて、レギーナはほっと胸を撫で下ろした。


「お初にお目にかかります。このたびはお呼びくださいましてまことにありがとうございます」

「ずっとそなたに会いたかった。話はロビンだけでなくほうぼうから聞いている。明るく元気なご令嬢だとかで、私たちはとても楽しみにしていた」


 王にも穏やかにそう言われた。やはり声がちょっとロビンに似ている。安心する。


「不肖の息子だがよろしく頼む」

「はい」


 次の時、ふ、と違和感がよぎった。


「ろくに喋ることもできない、面白みに欠けた次男坊だが」


 この人は父親なのに自分の息子のことをそんなふうに言うのか。


 まあオットーもわりとレギーナのことを言いたい放題に言う。親子などそんなものかもしれない。


 しかし――ろくに喋ることもできない、面白みに欠けた、か。


 レギーナの知っているロビンとちょっと違う。


 何気なくロビンの顔を見た。


 ぎょっとした。


 笑っていない。

 目も冷め切っている。

 レギーナの目には、彼の顔からありとあらゆる感情が抜け落ちているように見えた。


「レギーナ」


 王妃に名前を呼ばれて、レギーナは慌てて前を向いた。


 夫妻の目はこんなにも温かく優しいのに、どうしてしまったのだろう。


「侯爵」


 王がオットーを呼ぶ。オットーがまた軽く会釈をする。


「レギーナ嬢と込み入った話がしたい。申し訳ないが、少し席をはずしていただけないだろうか」


 オットーは何のこともなく胸を張って「構わん」と答えた。


「外の廊下でお待ちする」

「よろしくお願いします」


 彼の手がレギーナの肩を軽く叩いた。


「ではな、うまくやるのだぞ」


 いつもならひとり取り残されることを不安に思うところだったが、ロビンとその両親の間にある微妙な空気を思うと、自分は父親との距離が近く、また父親に信頼されているような気がしてきた。


 父が出ていく。

 その背中を見送る。


 扉が重い音を立てて閉ざされた。


 再度前を向いた。


 最初に口を開いたのは王のほうだった。


「レギーナよ」

「はいっ」

「そなた、王妃になる覚悟はあるか」

「は?」


 反射的に言ってしまった。

 慌てて取り繕った笑顔を見せた。


「何のことでございましょう」


 王は真面目な顔をしていた。


「次のパランデ王はロビンだ。そなたにはともにこの国を背負ってもらう覚悟で嫁いできていただきたい」

「はあ」


 一瞬頷きそうになってしまった。


「えっ? ロビン様にはお兄様がいらっしゃるのでは」


 すると王は目を鋭く吊り上がらせた。


「ケヴィンはだめだ。私はロビンのほうにすべてを注ぎ込んだ。ロビンにはもとを取ってもらわねば困る」


 あまりの物言いに愕然としたレギーナへ、王妃がまた別の角度から言葉を投げつけてくる。


「次の王はケヴィンです!」


 王妃が激昂して立ち上がる。


「ロビンなど代役に過ぎません! 真の王はケヴィンなのです。この子を教育してきたのはすべてケヴィンの政治を支えるため」


 王もまた立ち上がった。


「お前はまだそんなことを言うか! ケヴィンみたいな虚弱体質を王位につけたらこの国は大変なことになるぞ! 王は強くなければならぬ、少し乱暴に扱ったくらいでは動じないほうがいいのだ、ロビンのようにな」

「いいえ王位を継承するのはケヴィンです。あの子はとても賢い子です、自分のことをちゃんとわきまえています。ロビンなんて頑丈なだけの可愛げのない子。こんな要領の悪い子が民衆に支持されるとお思いですか」


 レギーナの脳裏に、まだ知り合ったばかりの頃のロビンの言葉が浮かんできた。


 ――たとえここで僕が死んでも母は文句を言わないと思うので、心配しなくても大丈夫です。父は怒るかと思いますが、心配なのは僕の身ではなく王国の今後のことなので、最悪兄上さえ無事ならなんとかなります。


 実の親子にそんなことがあるかと思ったが、この家ではあるのだ。


 レギーナは自分が両親にたいへん愛されて育ってきたのだと痛感した。

 オットーもマグダレーナもレギーナのことをこんなふうに言ったことは一度もない。マグダレーナは何をしても褒めてくれたし、オットーはあんな調子だがそれでもレギーナ自身を面と向かっておとしめたことはないのだ。


 挙句の果てに、王はこんなことを言い出した。


「お前がケヴィンを健康に生んでやらなかったのがいけなかったのだろうが! お前がケヴィンを強く生んでいたらロビンにここまでやらせる必要はなかった!」


 王妃が金切り声を上げた。


「ケヴィンは完璧な子です! 凡庸なロビンとは違うのです!」


 止めなければ、と思ったが、どこから手をつけたらいいのだろう。


 とにかく、こんなやり取りは実の息子が聞くべきではない。ロビンを外に連れ出さなければ。


 そう思ってロビンのほうを向いた時、その冷たい顔を見て、レギーナは、悟った。


 このやり取りはきっと彼の目の前で何百回も何千回も繰り返されてきたのだ。


 ロビンは、諦めてしまったのだ。


 一瞬、すさまじい無力感に襲われた。

 この言葉の暴力に長年晒され続けたロビンをいったい誰がどうすれば救えるのだろう。


 いいや、自分がいる。

 レギーナはいつでもどんな時でもロビンに寄り添うと決めた。


 人目を気にせず、ロビンに抱きついた。


 ロビンが驚いた顔をしたのが嬉しかった。


 彼にもちゃんと感情がある。


 レギーナの突然の行動に、王も王妃も驚いたらしい。ふたりとも罵り合うのをやめ、こちらを向いた。


 レギーナはロビンを抱き締めたままふたりの顔を見た。


 負けたらだめだ。


「もう、別に、何でもいいです。ロビン様にはわたしがついていますので、お構いなく」


 しばらく、みんな沈黙していた。


 だが、レギーナは絶対にロビンを離すつもりはなかった。ぬくもり、弾力、その他いろんなものを感じていてほしかった。


 この冷たい城にひとりだと思ってほしくなかった。


 少しして、ロビンが笑い出した。


「そう、別に、もう、何でも構いません。僕のことは好きにおっしゃってください、僕はレギーナと勝手にやりますので」


 王は大きな溜息をついた。馬鹿な娘だと思われただろうか。

 だが今はそれでもいい。今はとにかく目の前のロビンを救いたい。


 国の未来とか王位とか、そういうものは後付けでいくらでもなんとかなる。

 まずは、ロビンの心を殺さないことだ。


 やがて王妃が微笑んだ。


 レギーナは騙されそうになった。やはり母親は子供のことを想うものなのだと、勘違いしそうになった。


「レギーナ」

「はい」

「あなたは可愛い、優しい子ですね」

「はい?」

「ロビンではなく、ケヴィンと結婚してあげてくださいませんか」


 食い気味に答えた。


「嫌です」


 会ったこともないケヴィンに対して失礼かもしれないが、レギーナにとってはロビン以上のひとはいない。どれだけ魅力的な男性だったとしても、レギーナが愛しているのはこの世でただひとりロビンだけなのだ。


 王妃もまた、溜息をついた。失望されたらしい。


 でも負けない。

 絶対絶対負けない。


 意地でもこの城に住んでやろう、と思った。

 何が何でもロビンをこのふたりから守るのだ。


 そして、たまにはあの別荘でゆっくりしてもいいかもしれないな、と思うし、時々ロビンをナスフ侯国に連れ帰ってもいいかもしれないな、とも思う。


 レギーナの戦いはまだまだこれからだ。




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