第28話 まあ、一応兄ですから

「はっらったっつっわっ」


 レギーナが空中の何もないところを何度も殴っていると、隣にいたロビンが声を上げて笑った。

 それだけでひどく安心する。

 この人がちゃんと笑えて本当によかった。


「父や母にああいうことを言ったのはあなたが初めてです」


 すっきりした顔をしている。


「一応パランデ王とその王妃ですからね。パランデ王国にはあのふたりに面と向かって反抗する人間はいないのです」

「そんなものですか? ナスフ侯国ではみんなお父様に好き勝手なことを言います。批判したい放題です」

「それもどうかと思いますが、まあ、風通しはいいのではないでしょうか」


 そんなポジティブに捉えられるとは思っていなかったが、確かにあの夫婦、この親子の重苦しさを考えるとこれでいいのかもしれない。


 とんでもないところに来てしまった。

 でも仕方がない。それでもロビンを愛してしまったのだから。


「あなたを苦しめるすべてのものから守ってあげたい!」


 今までテオドールにも感じたことのなかった母性本能の芽生えである。


「苦しんでいるつもりはなかったのですけれどね。あなたの目を通じてそう見えるのならそうなのかもしれません」

「解放、解放! 解き放たれてください! 我が家をご覧ください、適当も適当、適当の上に適当を塗り重ねて生きております!」

「そうですか? アーノルド殿とテオドール君はもうちょっと何か考えておいでのような気がしますが」


 遠回しにレギーナだけちっとも考えていないと言われているような気がしたが気づかなかったことにした。


「がっかりしませんでしたか?」


 ロビンが苦笑する。


「こんな陰険な親のところに嫁いできたくないとは思いませんでしたか?」

「微塵も、といったら嘘になりますけど、いざとなったらロビン様をさらってくにに帰ればいいだけですし、大丈夫です」


 また、からっとした声で笑った。


「わたし、こう見えて図太くたくましいんですよ!」

「どう見えていると思っているのでしょうね……」


 それに、ロビンの前では言えないが。


 ロビンにはケヴィンという兄がいる。我が家の場合はアーノルドの母親が父と正式な結婚をしていなかったせいでてんやわんやになってしまったが、普通同母の男兄弟がいれば長子が優先されるものだ。


 というか今からでもアーノルドとテオドールが望めばアーノルドが当主になってもいいのではないかというくらい実家はずさんなのだが、それはさておき。


 いつだったか、ロビンが兄はあまり体が丈夫ではないのだと言っていた。パランデ王もああいう物言いなのだから、ケヴィンはどこか悪くしているのだろう。


 だが、レギーナははっきり覚えている。


 ナスフ侯国に援軍を送ってくれたのも、食糧を送ってくれたのも、そして何よりロビンを励ます手紙をくれたのもケヴィンだ。


 もしかしたらちょっと癖のある人かもしれない。けれど根っからの悪人であるとは思えない。


「――兄にも会ってくださいませんか」


 ロビンが言う。

 レギーナは一も二もなく頷いた。


「もちろんです! ずっとご挨拶したいと思っていたんです」


 ロビンがレギーナの手を引いて柱廊を歩き出す。向かうは城の南のほうだ。


「父や母に比べればもう少し情のある人ですが、気難しい方なのです。にぎやかなのをあまり好まれない、本当に静かな方でして」


 そこで彼は奥歯に物が挟まっているかのような言い方を始めた。


「その……、だからちょっと、穏やかに……、少し控えめに、と申しますか、静かに……」

「ロビン様、ひょっとしてわたしのことうるさいと思ってますか?」

「いえ、そういうわけではないのですが……まあ、その……少々にぎやかな方だな、とは……はい……」


 レギーナは咳払いをしてからツンと上を向いた。


「大丈夫です、わたしも侯爵令嬢。きちんとおしとやかにしてまいります」

「あなたらしさを殺してしまわないか少し心配です。無理して合わせようとして後からぎくしゃくしてもいけないですし、そこまで気を張らなくてもいいですよ。だめならだめでも、僕はいいので。もう、僕はどうでも――」

「あーっ、そういうことは言わない! そういうことはおっしゃってはいけません! ロビン様はどうでもよくないのです、少なくともわたしにとっては!」


 ロビンはもうこの城にいるのが不健康かもしれない。やっぱりあの別邸で暮らすのもアリのような気がしてきた。


「では」


 陽はすでに傾き始めていた。


 世界は秋に突入しようとしている。日が短くなってきた。そのうち空も曇りがちになるだろう。気温はまだまだ高いが、木の葉が色づいたらあっという間に雪だ。


 その冬を、ロビンと暖かく過ごしたい。


 西日で明るい廊下を歩き、ひとつの大きな扉の前に辿り着く。


 衛兵がふたり立っている。


 ロビンが彼らに話しかけた。


「兄上はいらっしゃいますか」


 すると衛兵はこんなふうに答えた。


「ケヴィン殿下は南のお庭に出ておいでです」


 ロビンが驚いた顔をした。


「兄上がベッドから起き上がっておいでですか」

「はい。先ほど花を見に行くとおっしゃられまして」

「大丈夫なのでしょうか」

「今日はお体のお加減がよいとおおせでした」


 そして、軽く頭を下げる。


「レギーナ様をお出迎えするとおっしゃって、上機嫌にされておいでです」


 不意に手を握られた。


 その手からロビンの緊張が伝わってくる。


 レギーナまで緊張してしまいそうだ。汗をかいてきた。


 王妃が、ケヴィンと結婚してあげてくださいませんか、と言っていた。


 どんな方なのだろう。


「……庭にまわりましょうか」

「はい……」


 ふたりで柱廊を歩く。渡り廊下を見つけ、向こう側へ行こうとする。


 渡り廊下から右手のほうに目をやると、秋の花が咲き乱れる庭園になっていた。


 ロビンが立ち止まり、手を離した。


 秋薔薇に埋もれるようにして、ひとりの青年が立っている。

 こちら側に向けられた背中はロビンよりずっと華奢だ。長く重そうな袖から出る手首も折れてしまいそうなほど細い。


「兄上!」


 ロビンが呼ぶと、彼が振り返った。


 西日の中、ロビンとよく似た面差しの彼を見て、レギーナは、ああ、と嘆息した。


 確かに、この人は長くないかもしれない。


 そう思わされるほど、彼はとても儚かった。


「ごきげんよう」


 彼が――ケヴィン第一王子が微笑む。


「何をなさっておいでですか」

「レギーナ嬢に花を、と思いましてね。薔薇を切っていたのです」

「薔薇、ですか」

「他意はありませんよ。ただ、今の季節だと見ごろなので」


 右手にはさみを持ったまま、左手ですぐそばにあった花を撫でる。


「醜く枯れゆくより、美しい女性に愛でられながら息絶えるほうが幸せかな、と思うのです」


 いけない、と思ってレギーナはとっさに言った。


「多少醜くても生きるのはいいことですよ」


 ケヴィンが笑みを消した。

 まずい、失言してしまったか、と認識した頃には彼はまた笑みを取り戻していた。


「あなたがレギーナ・ナスフ嬢ですか」

「はい」

「元気な、健やかそうな女性ですね」


 ケヴィンに向かって軽く頭を下げる。


「健康だけが取り柄です」

「いいことですよ」


 西日の中、まるで太陽が落ちたらともに沈んでしまうかのように。


「レギーナに聞いてみましょう」

「何をでしょう」

「王に一番必要なものは何だと思いますか」


 レギーナは思わずロビンを見た。ロビンもわからないのか不思議そうな顔で肩をすくめた。


「知恵ですか」

「いいえ違います。それは優秀な文官がいればいいことです」


「では、武勇ですか」

「いいえ違います。それも優秀な武官がいればいいことです」


「人望、とか?」

「いいえ、それも、後からついてくるものですよ」


 レギーナが答えを出し尽くしたのを察したのだろう、一呼吸置いてから、ケヴィンはこう答えた。


「健康です」


 胸の奥をぎゅっと握り締められた気分になる。


「長く在位して安定した治世を送ること。子供をたくさん作って王家の繁栄に寄与すること。子供が政務に耐えうるほど成長するまで教育してスムーズな王位継承を為すこと。そういうことが、王の務めです」


 そんな残酷なことがあるだろうか。


 もしそれが本当なのだとしたら、ケヴィンにはもう王冠はない。

 彼がどんなに優しく賢くても、彼には王位を継ぐことができない。


 そして、それを、彼自身が一番深く感じている。


「人間は変わります。良くも悪くも。生きてさえいれば」


 そう言って、彼は薔薇のほうを向いた。


 薔薇を一本切り取る。

 ぱちん、ぱちんと音を立てて、棘を取り除く。


「……生きてさえ、いれば」


 そこで少しのあいだ、間が開いた。


「あなたが両親の前で取った行動、聞きました」


 レギーナは冷や汗をかいた。ケヴィンの穏やかな声にちょっとした圧力を感じたのだ。こんなにも静かで落ち着いているのに。


「仲がいいのはよいことですが、もう少し状況を考えましょう」

「はい、申し訳ありません……」

「王妃になるには、もう少し時間が必要そうですね」

「恐れ入ります……」


 ケヴィンがちょっと声を漏らして笑う。


「まあ、でも、繰り返しますが、仲がいいのはよいことです。私自身が我が子を腕に抱くことはないでしょうが、甥や姪は見てみたいのです。子供は多ければ多いほどよいと思っています」


 はずみで「私もそう思います」と言ってしまった。何せレギーナは三人兄弟の真ん中だ、子供は少なくとも三人がいいと思っている。


 ロビンが隣で変な顔をしている。

 ややして自分で自分の口元を押さえ、吐き出すような声で言った。


「自分が何を言っているのかわかっていますか?」


 何の話だか。


 レギーナがきょとんとしていると、ケヴィンがくつくつと笑った。


「どうぞ、お幸せに」


 忘れてはいけない。


「あのっ、お義兄にい様っ」

「はい、何でしょう」

「あの時、ロビン様に手紙をくださってありがとうございました」


 ケヴィンは軽く会釈をして、「いえいえ」と言ってくれた。


「まあ、一応兄ですから」





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