第5章 王子様と結婚したい!!
第26話 それから、白のダリアには「豊かな愛情」も添えて
これぞまさに友和の証!
オットーはパランデ王国の王都に家を買った。
王都の郊外、王城から徒歩でも四半刻程度の距離のところにある、三階建ての宮殿のような邸宅だ。
聞くところによると、どうやら今から三十年前に亡命した王族の家らしい。
当時はロビンの祖父と時の王が内戦を繰り広げていたので、先の王の親族が次々と周辺国やディールーズ帝国に逃れた。
そうして彼ら彼女らが捨てた空き家が今もあちこちに残されている。
三十年後のこの時代になってもまだ放置されたままであるあたりにパランデ王国の治安の悪さを感じるが、それはそれ、これはこれ。武勇に優れた名門中の名門ナスフ家が買い上げたからにはもう安心。
よっぽど急いで出ていったのか、家具は備え付けだ。さすが王族が使っていただけあって今は品のいいアンティークになっている。
三十年分のほこりが残っていたのは王都で雇った掃除人たちに大掃除をさせた。日焼けした壁紙も職人に一気に変えさせた。
ベッドと食卓を整え、とりあえず最低限人間が住める状況ができあがれば、他のものはおいおい揃えていけばよろしい。
何せ別荘なのでオットーがそんなに念を入れて綺麗にする必要はない。
ナスフ家はこうして同盟国の各首都に家を買う。
当主は一年に一回どころか数年に一回も来ないかもしれないのに、いつ使うことになるかわからないということで親族や家臣を住まわせておく。
関係が悪くなれば高値で売る。
何百年と繰り返してきたナスフ家の伝統だった。
ちなみにパランデ王国に家を持つのは百五十年くらいぶりだそうだ。
当時の屋敷は貴族の手から手へ流れていったらしいが、百年ほど前に農民の一揆だか何かで打ち壊されて終了だ。
パランデ王国あるあるらしい。
レギーナはいまさら自分がすごいところに嫁ごうとしているのではないかというのに気づいて震えた。
王都の屋敷が主人を招ける状態になったというので、オットーは三人の子供たちを連れて王都にやってきた。一、二ヵ月ほど滞在して現地の様子を視察しつつ、レギーナの結婚話をさらに詰める予定だそうだ。
レギーナからしたら自分の結婚に関わる外交行事だし、アーノルドからしたら元敵国への入国だ。ふたりは少し緊張している。
が、テオドールからしたらただの旅行である。
テオドールが真新しい大きなソファに喜び、尻で跳ねたり転がったりしてはしゃいでいる。しっかりしろ十五歳。
「魚! 魚食べたい! 海の魚は身が赤いというのは本当?」
「この子ったら、本当に完全に観光ね」
オットーがまた別のソファに腰をかけた状態で「まあよろしい」と言う。
彼はのんびり地図を広げて眺めていた。子供も三番目となればしつけが適当だ。
しかし、この地図を入手できるというのもパランデ王国とナスフ侯国が軍事的に協定を結んだために可能になったことである。敵同士だったら地理を把握されて攻め込む時に有利になるのを恐れるもので、互いに土地勘を得るというのは軍事同盟が成立した証拠だ。めでたしめでたし――はレギーナとしてはまだ少し早いかもしれない。
「お前な、次期ナスフ侯爵としてパランデ王に会うのだぞ。少しは緊張感を持て」
テオドールはアーノルドにたしなめられてもどこ吹く風で、いつどこで買ってきたのか王都の観光ガイドブックを開く。遊ぶ気満々だ。
「遊覧船かー。潮風に吹かれて湾の中を一周、いいね」
「テオドール!」
「姉上、ロビン
レギーナは甲高い声で「そんな図々しいこと頼めるわけがないじゃない」と怒鳴ったが、アーノルドは低く唸るような声を出した。
「ロビン……あにうえ……?」
アーノルドの顔を見る。こめかみに青筋が浮いている。
「お前の兄はこの俺だけだが」
しかしテオドールは慣れたもので「いやーん、こわーい」と言ってげらげら笑うだけだ。
扉を開け放ったままだったので、特にノックなどされることもなく、廊下のほうから話しかけられた。
「旦那様、お嬢様、お客様が見えられました」
こちらに来てから新しく雇った使用人の女性たちのうちのひとりだ。
まだ少し気の早いことだが、レギーナは本当に結婚してこちらの王城に住むことになったら侍女としてエラを引き抜くつもりだ。今はエラにも一時的に里帰りをしてもらって引っ越しの準備をさせている。向こうの両親は応援してくれているそうなので安心だ。
レギーナが振り向いて「わたしに?」と問いかけると、女性がかしこまった様子で頷いた。王都の人はまだ少し硬い。
「玄関のほうでお待ちになっております」
「わかった、すぐに行くわ」
部屋を出て廊下を行く。三階の大部屋から一階の玄関ホールまで貫くように設置されている大きな階段をおりる。
玄関ホールで待っていたその人の顔を見て、レギーナは自分に笑みが広がっていくのを感じた。
「ロビン様!」
名を呼ぶと、彼もまたにこりと微笑んでくれた。
今度こそ、彼は王子様らしい恰好をしていた。緑のジャケットの上に赤いコートを着、クラバットを結んでいる。ベルベットのトラウザーズに膝丈の乗馬ブーツだ。本物だ、本物の王子様だ、とレギーナは心の底から喜んだ。
彼は腕に大きな花束を抱えていた。赤や白のダリアが可愛かった。
「僕のお姫様が王都においでくださったとお聞きして」
きざなことを言ってひざまずく。そして花束を差し出す。
レギーナは即行受け取ろうとしてしまったが、前回のオレンジの百合が記憶の沼の底から這い上がってきたので手を止めた。
「花言葉」
「はい?」
「ダリアの花言葉は何ですか」
ロビンが珍しく意地悪そうに笑う。
「何だと思います?」
「わたし一生オレンジの百合のこと忘れませんからね」
「オレンジの百合の花言葉は、華麗、だったと思いましたが」
なんと、誤解だったのか。
「ほらー! もうー! 誰が愉快よーっ! エラ、おぼえてなさいよーっ」
「いずれにせよ重厚感より軽快感のイメージがあるのは間違いないです」
「わたしが軽薄な女ですってー!?」
「またまた、そう悪くとらないでください」
レギーナの腕にダリアの花束を抱かせた。
「赤のダリアは華麗、白のダリアは感謝です」
安心して花束を抱き締めた。
「おお、ロビン」
オットーがレギーナの後から階段を下りてきてロビンに話しかけた。
「わざわざ訪ねてこぬでも、明日レギーナを連れて城に上がろうと思っておったのだが」
「ご一家がこちらにおいでになったと聞いて、すぐにでもご挨拶させていただきたいと思いまして。城でお会いするといろいろ堅苦しいことがございますから」
「そなたも苦労するな。また好きな時にナスフ領に遊びに来るといい」
「はい」
そして未来の義理の父に向かって能天気に微笑む。
「ところで、どうして家を買われたのです?」
「深い意味はないが。これから縁戚になるというのに家のひとつやふたつなくては話にならぬだろう」
「そうですか、お貸しいただけるかと思っていたのですが。僕とレギーナの新居として」
電光石火、音もなく現れたアーノルドがロビンの後頭部をはたいた。ロビンが「いたっ」と呟いてから自分の頭を押さえた。
「なぜ我々がお前の住まいを用意してやらねばならん」
「そうですよね、僕の願望が漏れ出ました。レギーナとふたりきりで暮らしたくて、つい」
オットーが「アリアとのことを思い出す」と言って自分の両目を押さえた。
「本当に、城は窮屈なところなのです。レギーナが息苦しくならないといいのですが」
レギーナは胸を張った。
「大丈夫です! わたし、どんなところでもロビン様と一緒にいられるのなら幸せですから!」
やはりいつの間にかついてきたらしいテオドールが「よく言うよな」と言ってきた。
「そうは言っても使いたくば使ってもよい。ここだけの話、こちらとしてもパランデの王子を自分の家に住まわせておくというのはよい話ぞ。娘を人質にやったつもりが息子を人質に取る!」
「お父様、そういう政治的野心はもうちょっと控えめに」
ロビンがからっとした声で笑った。
「それでは、僕は今日はもうこれで失礼しますね」
レギーナとテオドールの「ええー」という声が重なった。ロビンが大人びた様子で首を横に振る。
「夕飯を一緒にいただきましょうよ」
「前触れもなく訪問してそういうわけにはいきません。そういうところの礼儀はわきまえなければ。今はまだ婚約も成立していないのですから」
なんて真面目で律義な人!
「移動してきたばかりで疲れたでしょう。今日はゆっくり休んでいただいて、また明日以降ともに過ごしましょう」
レギーナは素直に「はーい」と言ったが、テオドールが口を尖らせる。
「もっと義兄上と話をしたいなあ」
「そう言ってくれますか」
「次男同士でこの世で一番わかり合えると思っているから。長男の悪口言いまくる会をしようよ」
アーノルドが今度はテオドールの頭をはたいた。
「それがしゃれにならないのですよ」
ロビンが苦笑する。
「レギーナ」
「はい」
「明日は兄にも会ってくださいませんか」
すぐさま「もちろん」と頷く。
ロビンが一瞬目を細めたのは、いったいどういう意味なのか。
「僕のほうもいろいろ支度をします。では、ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう! ロビン様のほうこそ、たくさん食べてたくさん寝てくださいねーっ!」
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