第25話 妹は可愛がりがいがないな

 ファルダー帝国は海岸線でディールーズ帝国の大軍を押し返すことに成功した。

 ナスフ侯国という最大勢力が内戦状態にあった分初動が遅れたが、パランデ王国海軍が充分に粘った。パランデ海軍が持ちこたえたことで浜辺での戦闘に間に合い、人間が住んでいるところまで進軍することは阻止した、という。


 ただ、一瞬ではあっても上陸されたことには違いない。


 ザミーン侯国がディールーズ帝国と内通していたことが原因だが、そもそもザミーン侯国のような裏切り者を出してしまうようなファルダー帝国内部の状況が問題だ。


 一応ザミーン侯爵の身柄はパランデ王国騎士団で拘束したが、これで終わりだと油断してはならない。

 ファルダー帝国は改めて軍備を見直さなければならない。

 真の意味で一致団結することが早急に求められる。


 そういう状況になったので、パランデ王国の王子であるロビンとナスフ侯国の姫君であるレギーナの婚姻は帝国の民に心から祝福された。


 万歳三唱。


 ちなみにデラフト公国が援軍として来てくれなかったのはディールーズ帝国の不穏な動きを察知して途中で反転して北方に移動していたかららしい。

 デラフト公――ナスフ兄弟の母マグダレーナの弟、兄弟からすると叔父――の判断によるものだ。帝国のありとあらゆるところから彼を賛美する声が聞かれた。


 オットーは泣く泣くその判断を認めた。本音としてはやはり妻の弟に助けに来てほしかったが、終わり良ければすべて良しと言われて周囲に押し切られた。仕方がない。




 勝利の報せが来てからオットーとアーノルドが凱旋するまで二週間近くかかった。戦後処理というものが残っていた上、大きな軍隊を率いて移動するには費用も時間もかかる。


 ふたりとも無事であることは知っていたが、レギーナとテオドールは目で見て確かめたくてずっとそわそわしていた。


 一同が城壁をくぐり城下町に辿り着いたと聞くや否や、ふたり揃って館を飛び出し、城門へ駆け下りる。


 正門で出迎えた。


 オットーもアーノルドも何事もなかったかのような平然とした顔で帰ってきた。


「いい子で留守番しておったか?」


 父が馬からおりることもなくそう言った。テオドールが「何歳だと思っているんだ」と顔をしかめた。


「土産を買ってきたぞ。魚卵の瓶詰だ」

「父上も兄上も僕らは食べ物で釣れると思っている節があるよね」

「それとも敵将の首のほうがよかったか?」

「いらないです」

「がっはっは」


 テオドールとそんなやり取りをした後、彼は子供たちを置いて城の中へ入っていった。いわく「寄る年波には勝てぬ」とのことだそうなので、本当はもう自分の寝室に帰って寝たいのだろう。それでも子供たちの前では溜息ひとつつかないのがさすがだ。父は偉大である。


 アーノルドが残った。


 彼は馬からおり、弟妹に向き合った。


 落ち着いた笑みを浮かべて、右手でテオドールの、左手でレギーナの頭を撫でた。


「五体満足で帰ってきたぞ。約束だろう?」


 まず、テオドールがアーノルドに抱きついた。


「本当に、心配ばかりさせて」


 そう言うテオドールの声が震えている。


 ずっと気丈に振る舞っていて、レギーナなどよりよっぽどしっかりしているように見えたが、彼もまだ十五歳の少年だ。身長はレギーナより高くなっても、兄に比べればまだまだずっと華奢で小柄だった。


 珍しく素直でしおらしい弟に感動したのか、アーノルドも少しの間黙っていた。


 ややして、レギーナのほうを向いた。


「お前も来い」


 呼ばれてすぐ、レギーナも彼にしがみついた。


 いつもと変わらぬ兄の匂いがする。血の臭いはしない。


 よかった。


 兄は帝国最強だ。他の誰が何と言っても彼より強い騎士はいない。

 そうとわかっていても、いざそういう場面になった時はと思うと、心配は心配だった。


「おかえりなさい」


 兄の肩のあたりに額を押しつけた。


「お勤めお疲れ様でした」


 兄はしばらく力強い腕でレギーナとテオドールを抱き締めていた。


 周囲を馬のひづめの音が過ぎ去っていく。再会の喜びを分かち合う兄弟に遠慮した騎士団のみんなが勝手に移動してくれているのだ。放っておいてくれてありがたい。


 どれくらいした頃だろうか。


 まず顔を上げたのはレギーナだ。


 とても、とてつもなく、絶対に早急に確認したいことがあるのだ。


 もういいだろう。もう可愛い妹の役目は終わりだ。


「で、お兄様」

「何だ?」

「ロビン様は?」


 アーノルドが顔をしかめた。


「ロビン様はどうなったの? ご一緒でないの?」


 それはそれはもう、嫌な顔をした。


「……妹は、可愛がりがいがないな……」

「今気づいたの? 兄様がどれほど強くて勇ましくてかっこよくてもわたしは近々ロビン様と結婚してこの城を出ていくのよ残念だったわね」

「畜生」


 テオドールはまだ兄に甘えてくっついている。好きなだけそうするがいい、あなたたちはこの城で心中してくれてよろしい。


「ロビン様はどうしたの? ねぇねぇ! ロビン様ロビン様!」

「知らん。お前も知らなくていい」


 そういう言い方をされると怖くなる。

 本気にして蒼ざめたレギーナに、アーノルドはすぐに気づいた。彼は心底悔しそうな顔をしつつも詳しいことを話し出した。


「特に怪我らしい怪我はしていない。たらふく戦時糧食を食ってから自分の城に帰った」


 あの人はどれだけ食べれば気が済むんだ。


「お城に帰ってしまわれたの……」

「まあ普通に考えて家に帰るだろう、戦場から近かったのだし、いつまでもここに居座られてもな」


 アーノルドが溜息をつく。


「レギーナ」

「はい」

「父上とロビンのお父上が直接会って何やら話し込んでいた」


 状況がよく呑み込めずにぽかんとしたレギーナの頭を、アーノルドは再度撫でた。


「婚約話は無事に進んでいるようだぞ。ふたりは和やかな雰囲気で、父上は満足して帰ってこられた」


 自分の顔に笑みが広がっていくのを感じた。


「そんな嬉しそうな顔をするな、傷つくだろうが……」

「う、うれ、嬉しい……」

「そうか……俺は心から残念なのだがな……」


 ようやくテオドールが兄から離れた。彼はまだぐずっているようだが、アーノルドもレギーナも責めたりからかったりはしなかった。緊張がほぐれたなら何よりだ。


「さ、帰るぞ。俺も少し休みたい」

「はーい! 帰って休憩しましょう!」


 そして、歩き出す。


 ――の前に。


「ちょっと待って」

「何だ?」

「お兄様、ロビン様のこと呼び捨てになっているの、何……?」


 アーノルドは答えなかった。






 城に帰ってまず兄に戦勝報告をしようと思った。

 父は戦場となった浜辺で顔を合わせていたし、母には会う価値をあまり感じられなかった。


 父とも母とも挨拶以上の会話はない。いつもそうだ。


 だが、兄とは話さなければならないことがある。


 兄がナスフ侯国を助けるために動いてくれた。


 嬉しかった。

 あの、憎悪と嫉妬のかたまりのようだった兄が、ロビンの意思を尊重してくれた。


 もう兄の生き霊と戦わなくてもいい。


「兄上」


 部屋に入ると、兄は窓辺に立っていた。


 窓の外、明るい空を見つめている。

 そこには雲ひとつない青空が広がっていた。

 あの三兄弟の瞳と同じ色の空だ。


 少し間を置いて、もったいぶった様子でケヴィンが振り返った。


「おかえりなさい」


 ロビンは頬の力を緩めた。


「ご苦労様です。よく戦ってきましたね」


 ねぎらってくれている。

 それだけで、涙が出そうになるほど嬉しい。


「おや、頬を切りましたか。傷がありますね」

「少しだけです。それにもうだいぶ癒えてふさがりました」

「お前の美しい顔に傷がついたら国中が嘆きますよ。大事になさい」


 ロビンはちょっと笑った。

 兄も同じような顔をしている。彼も健康で今のように蒼白くやつれていなかったらきっともっとよく似ていたことだろう。


「兄上にお礼を申し上げなければと思って」

「何のですか」


 兄のすぐそばにひざまずく。


「兄上が王国騎士団を動かしてくださったこと。ナスフ侯国に食糧を届けてくださったこと。何より、全体がスムーズに動くようたくさん鳩を飛ばされたとお聞きしました。兄上が御たずから手紙を書かれたと」


 そこでひと呼吸置いた。心の底から感謝の念を込めるためだ。


「ありがとうございました。心より御礼申し上げます」


 兄はしばらくロビンを見下ろしていた。

 だが、ロビンはもう恐れなかった。


「……私は、ここから動けませんので」


 その言葉と、素直に向き合う。


「お前がうらやましいです。私もお前のように馬を駆って戦場に赴くことができたらと、何度も何度も考えました」

「戦場で干戈を交えることだけが戦うことではありません」


 ナスフ兄弟からの受け売りだ。


「兄上は充分戦ってくださいました」

「さようですか」


 ケヴィンはそこでまた踵を返し、窓の向こう、空のほうを見た。


「下がりなさい。部屋でゆっくり休みなさい」


 ロビンは再度深く頭を下げてから立ち上がった。そして、「失礼します」と言って静かに部屋を辞した。




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