第24話 旗は派手であればあるほどよろしい

「殿下!」


 大男が馬からおりて走り寄ってきた。


 走りながらかぶとをはずす。


 兜の下から出てきたのは野太い声のイメージどおり筋張った頬と首の男の顔だった。いかにも強そうだ。


 駆け寄ってきたロビンを前にして男はひざまずいた。


「団長!」


 パランデ王国近衛騎士団団長だ。


 彼はまず深々と最大限の礼をした。

 そしてゆっくり立ち上がった。


「失礼します」


 両腕を伸ばす。


 ロビンを強く抱き締める。


 ロビンがくすぐったそうに笑う。


「殿下がご無事で何よりです。単身ナスフ侯国に向かわれたと聞いた時は肝が潰れるかと思いましたよ」


 身を離して、互いに向き合った。


「まあ、御身にそう簡単に何かあるとも思いませんでしたが。何せロビン殿下は我々がお育てした王子ですからな」

「本当ですよ、まったく。どいつもこいつも僕を過保護にして、僕は大丈夫だと言っておりますのに」


 そう言うロビンの姿がレギーナの頭の中でテオドールと重なった。まるで少年のようだ。レギーナはつい笑ってしまった。


「しかし今王都を離れて大丈夫なのですか? 父上や兄上は?」

「王国には正規陸軍もおりますし、王子をお守りするという点では我々近衛騎士団が動いても問題ございませんぞ。それに――」


 言いつつ、ふところから一通の手紙を取り出す。


「これをロビン殿下にお渡しするようにと申しつけられました」


 手紙を受け取り、開いた。


 ロビンは目を丸く見開いた。


「これ……、本物ですか?」


 騎士団長が頷く。


「兄上……」


 ロビンが手紙を抱き締めた。


 何が書かれていたのだろう。


 レギーナがきょとんとした顔のまま突っ立っていると、そんなレギーナに気づいたらしい。ロビンはレギーナに手紙を渡してくれた。


「見てもいいのですか?」

「大したことは書いてありませんよ」


 それであんなに感動するものだろうか。不思議に思いながら手紙を開く。


 レギーナも驚いた。


 確かに、簡潔な内容だった。




親愛なる我が弟ロビンへ


好きにしなさい。

後始末は兄が何とかします。


お前の兄ケヴィンより




 だがそれは何よりも雄弁にケヴィン第一王子という人の本物のひととなりを表している。


「行かせてください」


 ロビンが力強い声で言った。


「あなたたちが僕を守ってくださると信じます」


 男たちは一度首を垂れた。


「それは、もちろん。しかし、どちらへ?」

「ナスフ侯爵に会いに行って僕の口からこちらの状況を説明します。そしてナスフ侯国軍と反パランデ王国同盟の軍隊を停戦にもっていきます。皆さんはテオドール君から手紙を受け取って各陣営の将軍たちに配りなさい」

「手紙とは?」

「ザミーン侯爵がディールーズ帝国にファルダー帝国を売った証が出てきました。我々が内輪揉めをしている間に攻め込んでくるという主旨の手紙です。パランデ王国を滅ぼしたあかつきにはザミーン侯爵が帝位につくのを認めると書かれていました」


 場がざわついた。


「内容は異なりますが、全部で七通ディールーズ皇帝のサインのある書簡があります」

「それをそれぞれの軍の陣営に持っていけばよいのですな」

「はい。この戦争が終わったらディールーズ帝国が漁夫の利を狙ってやってくるというのを皆さんに広めてください」

「御意」


 団長がテオドールから手紙を受け取る。騎士たちがそれぞれ馬に戻っていく。


 手紙を甲冑の下にしまった後、団長は思い出したかのようにレギーナのほうに近づいてきた。


「あなた様がレギーナ・ナスフ嬢でいらっしゃいますかな」


 レギーナは緊張で体を強張らせながらも大きな声で「はい」と返事をした。


 大男が表情をくしゃくしゃにして微笑んだ。


「二、三日中にケヴィン殿下からナスフ侯国に食糧のお届けがあります。主に小麦粉とひよこ豆だそうです」

「なんですって」

「ケヴィン殿下は籠城になった時のことを考えて長期保存できるものをとおっしゃっていました。我々が辿り着いた以上そうはさせないつもりでありますが、ならずとも戦費に多大なお金が動いたのは確かでしょう。少しでも国庫の足しにしていただきたいとおおせになっておいでです」


 想像と違う。

 レギーナはケヴィンをもっと巨悪の存在だと思っていた。ロビンの口ぶりからあまり理解のない人だと思い込んでいたのだ。


 ぽかんとしているレギーナに対して団長が笑みを見せる。


「これをもってパランデ王国とナスフ侯国に和議をとのことです。この程度のものであなた様の嫁入りに充分だとは思いませんが、交渉の余地はできまいかと」

「そんなの気になさらなくていいのに……! 父はそんなこと申しておりませんでしたでしょう」

「ケヴィン殿下は何事も形式を重んじられるお方なのです、どうぞお受け取りになってください」


 テオドールがしゃしゃり出てくる。


「どうして姉上ばっかり! 城主代理は僕ですよ」


 そんなテオドールの頭を、騎士団長は撫でた。


「わはは、ボウズには十年早いな」

「何だってー!?」

「本当はオットー・ナスフ殿と直接話をするのが理想なんだが、続きは戦場で、というところだ」


 そうこうしているうちにロビンの馬が用意された。騎士団のほうで用意した葦毛の馬だ。彼のための甲冑もあるらしい。準備のいい連中だ。まるで初めからこうなることを予測していたかのようだ。


「ロビン様」


 心配になって声をかけると、ロビンはいまだかつてなく自信に満ち溢れた顔で頷いた。


「大丈夫です。騎士団の皆さんが守ってくれますから、形だけですよ。パランデ王国王子ロビンの顔を見て声を聞いてそれから判断する人もいるでしょうしね」

「そういうものですか?」

「旗は派手であればあるほどよろしい」


 ロビンは一度周りにいた騎士に馬の手綱を託した。


「レギーナ」

「はい」

「もう少しこちらへ」

「はい?」


 三歩歩み寄る。


「もう少し」


 ロビンの手が届く範囲に入る。


 彼の腕が伸びた。


 腕をつかまれた。


 抱き寄せられた。


 レギーナは頬が熱くなるのを感じた。


 彼にこんなふうに抱き締められたのは初めてだった。彼はどんな時も節度ももってそこそこの距離を置いてくれていたのだ。


 腕の力が、強い。


 夏祭りの夕べを思い出した。

 そういえば、あの時もこれくらいの至近距離だったかもしれない。体こそ触れ合っていなかったが、熱を感じるかもしれないくらいだった。


 ひょっとして今キスの再チャレンジか、と思ったが、ロビンはそれ以上何もしてこなかった。すぐにレギーナの体を離し、また、距離を置いた。おかげでレギーナはほっとしたようながっかりしたような複雑な心境になった。

 周りにはパランデ王国の大勢の騎士やナスフ侯国の城の衛兵がいる。さすがロビンには理性がある。

 見せつけてくれてもいいのに、と思ったところで、彼はこんなことを言ってきた。


「片づいたら王都に来てください」

「はい?」

「両親と兄に会ってくださいませんか。正式に婚約しましょう」


 何もかも忘れて、レギーナは能天気に「はーいっ!」と明るい返事をした。




 日が暮れていく。両軍は疲弊と視界の悪さから徐々に戦闘を中断して距離を置き始める。

 だが日が昇ったらまた続きを始めるだろう。油断はならない。充分に疲労を回復できない状態での二日目はきつい。もっとひどい膠着状態に陥るかもしれない。


 オットーとアーノルドが本陣で向き合った。


「どう致しますか? 夜襲を仕掛けますか」


 息子の言葉に、オットーが難しい顔をした。


「少し時間をくれ」

「一刻も早いご決断を」

「急かすな」


 深く息を吐く。


「そうなった時先頭を行ってもらうのはお前になるのだろうからな。父としての覚悟を問われるところだ」


 アーノルドは首を横に振った。


「お命じください。俺は必ず大将首を討ち取ってみせます。そして帰ってまいります」

「さようか」

「レギーナとテオドールと、何が何でも生きて戻ると約束しました。俺はけして死には致しませぬ。かといってこの難しい務めを他人に譲るつもりもございませぬ」


 空色の瞳に松明の赤い炎が映って妖しく照らし出される。


「いざ最強の腕を見せてご覧に入れてつかまつる」

「……ふむ」


 その時だった。


「失礼! 火急のしらせです! 今すぐお目通り願いたい!」


 ロビンの声だ。


「あいつ……!」


 そう言いながらアーノルドが陣幕を払うと、甲冑をまとったロビンが姿を現した。


「お前はおとなしくしていろと言っただろう!」

「ザミーン侯爵がファルダー帝国をディールーズ帝国に売ったという証拠が出てきました」


 一同が驚きの声を上げた。


「何だと?」

「証拠の手紙を敵味方問わずあちこちに見せてまわっています。もうザミーン侯国に味方する国はありませんよ。反パランデ王国同盟は空中分裂です」


 ロビンはアーノルドの胸に手紙を押しつけた。アーノルドは冷静な顔でそれを受け取り、開いた。彼は落ち着いていて特に驚いた様子はなかった。


「予想外の事態だな」


 まるで至極当然であるかのように言う。最強は戦場では動じないのだ。


「どれ、こちらから停戦を申し入れてやるか」


 オットーが言う。


「ザミーン侯国にいいようにされて、パランデ王国軍にも追いかけ回されて、あちらさんもお疲れに違いない」

「よろしくお頼み申します」

「うむ、それでは――」


 その時だった。


 また別の青年の声が響いた。


「ご領主様! アーノルド様!」

「今度はどうした!」


 同じように幕を払うと、今度は甲冑姿ではない、伝令兵の恰好をした青年が転がり込んできた。


「北方の海岸線にディールーズ海軍が集結しつつあるとのよし!」


 みんなが顔を見合わせた。


「おいでなすったぞ……!」


 そう言うオットーの顔はどことなく楽しそうだ。ナスフ家の戦士の血筋がそうさせるのだろうか。


「早く話をまとめてパランデ王国に行こうぞ」


 ロビンが「ありがとうございます」と頭を下げた。


「仕方がない、行ってやるか」

「よろしくお願い致します、最強」


 アーノルドも笑った。


「お前もついてこい、ロビン」





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