第11話 わたしも、髪を切る覚悟があります
とうとう明日ロビンが王国に帰ることになった。
レギーナはもうすでに何年も彼と一緒にいた気になっていた。
実際はわずか一ヵ月足らずのことだった。
それだけの期間だったのにこんなにも別れがつらく悲しい。
人を愛するのに重要なのは年月じゃないんだな、とレギーナは思う。絆というものはほんの数日でも芽生える時は芽生えるものなのだ。
せめて、ロビンには最後までこの国を楽しんでほしい。
という悲壮な覚悟を話したらテオドールに突っ込まれた。
「いや、死に別れるわけじゃないんだし」
いつもだったら、そうよねー、と頷いて返すところだったかもしれない。
けれど、今日のレギーナはしゅんとうなだれた。
最後になるかもしれない。
地元に戻ったら、ロビンはもう二度と戻ってこないかもしれない。
さすがにくにで愛人が待っている説は採らないことにしたが、人生というものは何がどうなるかわからないものだ。
だいたいそもそもの発端からして自分たちは一応政略結婚なので、政治的な状況が変わればこの縁談は破棄されてしまう。
「――ロビン王子は、この国には戻ってこないかもしれないけど」
テオドールが苦笑する。
「今度は姉上が王国に行くんでしょ?」
それにも、レギーナは頷けなかった。
自分はなんと浅はかだったんだろう。
結婚したら、自分がこの侯国から離れることになる……。
永遠にこの国でふたり能天気に暮らせる、なんていうのは、甘い幻想だ。
せめて自分がいなくなった後の実家が何事もなく続いていくのを祈って、テオドールに問いかける。
「もしわたしがロビン様と暮らすためにこの国を離れることになったら、テオドール、あなたちゃんと家を守ってくれる?」
その件については、テオドールは何も言わなかった。
いつものことだ。こういう話題になるとテオドールは言葉を濁す。
レギーナは、大きな溜息をついた。
「まあいいわ。今日はロビン様をどうおもてなししようか考えましょ」
するとテオドールも気を取り直したらしく、「夕方から出掛けようよ」と言い出した。
「夏祭りを見に行こう。舞台やダンスを見に行こうよ」
城下町では夏至の半月前から夏祭りが開かれる。いつまでも明るい夕方に野外演劇が行われて、ようやく日が傾いてきた頃からかがり火を焚いてその周りで老若男女がくるくるとまわるダンスを踊るのだ。
一応ご領主様一家の人間であるレギーナやテオドールがダンスに参加することはなかったが、城下町にある別邸のバルコニーから見物することができる。そこにロビンを誘おうというのである。
「名案ね」
「じゃ、さっそく準備しよう」
「って、あなたもついてくるの?」
「兄上が姉上とロビン王子をふたりきりにするのを認めてくれると思う?」
天地が引っくり返ってもなさそうだった。
「まあまあ、そこはうまくやるからさ。建前上だけでも」
「そうね、頼りにしてるわよ」
「言いつつ僕も遊びに行きたいから交換条件で僕が消えても黙っておいてほしいんだけどさ。お互い有益な取引じゃない?」
「そうね! そうよね! あなたはそういうやつよね!」
というわけで、宿屋の食堂で夕食を取っていたロビンを呼び出した。
ロビンはすでに荷物をまとめているところだったそうだが、レギーナとテオドールが誘うとひとつ返事で出てきてくれた。
「いいですね、風情があって」
侯爵家の別邸、五階建ての高層住宅の最上階のバルコニーに出る。城下町で一番大きい中央広場を囲むように並ぶ建物のうちのひとつだ。
ふたり――正確にはテオドールもいるがすでに無視して――広場を見下ろす。
中央広場の真ん中には高い尖塔の教会があり、その正面に野外演劇用の移動式の簡易舞台が据え付けられていた。
今日の演目は昔々の騎士の物語だ。
彼は主君の娘である王女に恋をしている。だがけして結ばれてはいけない身分違いの恋だ。
王女もまた騎士を想っている。けれど彼女は政略結婚のため敵国に嫁いでいかねばならぬ身。
一度行ったら二度と戻ってくることはできない。もちろん、騎士に会うことも叶わない。
ロビンとレギーナは椅子をふたつ並べてそれを眺めた。
レギーナは切なくなってしまった。
同じように政略結婚で嫁ぐ身の上でありながら、自分はなんと幸福なのだろう。
自分にはロビン以外の男性なんて見えないし、互いにライバル視する国同士とはいえパランデ王国とナスフ侯国は一応同じファルダー帝国の中である。
今日は朝からテオドールとセンチメンタルな話をしてしまったが、ロビンは別に実家への帰省を禁じるわけではなさそうだ。親兄弟と永遠に離れ離れというわけではない。
自分ももし侯国の中で恋をしていたらこんなにつらい思いをしていたのだろうか。
結婚の重みをいまさら知る。
今でこそロビンのもとに行く気持ちは大きいが、でも――
嫁ぐ王女を守るため、騎士が護衛として峠までついてくる。
ふたりは今夜、永遠の別れを告げることになる。
もう戻れない道を来た。
口づけを交わすどころか、手を触れ合わせることすら叶わない恋だった。声をかけるだけで、目と目が合うだけで幸福であると思わなくてはいけない、すぐそばにいるのに遠い遠い恋だった。
王女が最後の挨拶をする。
騎士もまたひざまずき、挨拶をする。
自分とロビンの別れは永遠ではないけれど、明日の朝、自分たちもこうやって名残を惜しみながら別れることになるだろう。
悲しい。切ない。寂しい。苦しい。
胸がいっぱいになって喉の奥が詰まる。
ほろりと涙がこぼれた。
劇のクライマックスが訪れる。
王女がナイフを取り出す。
周りが混乱する中、彼女は冷静に自分の長い三つ編みを切り始める。
芝居なので実際は付け毛をはずすだけだ。しかも毎年同じ演目を見ていて、みんなこういう展開になるのを知っている。
それでも観客たちはいつもここで涙した。
彼女は、長く美しい髪を騎士に手渡した。
「私がいつまでもあなたを想っているという証です」
レギーナは自分の金の髪を思った。腰を覆うほど長く伸ばしたこの髪を、ロビンのために切り落とすことはできるだろうか。
しかも、髪を短く切ることは、この国の娘にとっては修道女になるつもりがあるということぐらいの重い意味を持つ。きっとこの王女も嫁ぎ先で不興を買ってひどい目に遭うだろう。
それでも、彼に想いを伝えたかった――。
「すごいな」
ロビンが隣でぽつりと呟いた。彼は外国の人だ、この劇を初めて見たに違いない。感動してくれているようだ。
燃えるような、身を焼き焦がすような恋の物語だ。
レギーナも、今は彼に恋をしていた。
「そこまでするのか」
今だ、と拳を握り締めた。
「わたしも」
そう言うと、彼の目がこちらを向いた。
「わたしも、ロビン様のためなら、髪を切る覚悟があります」
彼が帝国最強の騎士アーノルド・ナスフに立ち向かうほどの気骨を見せたのと同じくらい、自分も強く気高くありたい。
劇は終演した。屋外にしつらえられた舞台なので物理的に幕を引くことはないが、舞台の上に役者一同が揃って頭を下げると、観衆から盛大な拍手が送られた。
その拍手の音が響いているというのに、レギーナとロビンはふたりきりの世界にいた。
「――僕なら、まず、行かせないと思いますけれどね。きっと、あなたを連れて逃げますよ」
レギーナはふと笑った。
たとえ世界が許さなくても、自分たちはつながっている。
ロビンの翠色の瞳と、レギーナの蒼色の瞳が、視線を絡ませ合う。触れ合わせるように見つめ合う。
「レギーナ」
甘い声でささやかれる。
「目を閉じてください」
レギーナは唇を引き結び、黙ってまぶたを下ろした。
彼の気配を、すぐそばに感じる。
ああ、これは、唇同士が触れ合うやつだわ――
と思ったところで、「あの」と声をかけられた。
「僕、本格的に消えましょうか?」
はっと我に返った。
振り向くと、窓のすぐ近くに椅子を置いて座っている状態のテオドールが、微妙な顔をして水を飲んでいた。
「いや、あの……、すみません、変なタイミングで声をかけて……僕としたことがなんと野暮な……」
「ああ、すみません、つい。申し訳ない……」
「ご、ごめんねテオドール……いいのいいのそこにいて……」
テオドールが咳払いをする。
「まあ、これは兄上と父上にはナイショにしておきますんで。じゃ、再チャレンジしてください」
そう言いながらテオドールが立ち上がったが、ふたりは「待ってー!」「やめますもうやめます!」と叫ぶはめになった。
「続きはまた正式に婚約できたらで」
「は、はい……うわーん!」
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